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15 紳士と淑女と悪魔の物体X



 私、クリスティーナ・セレスチアルは着替えが終わり、すぐにヴィンセントが待つ客間に向かう。


(もう、今日は一体何の用よ!)


 ジェットを先に向かわせてしまっているので、彼がヴィンセントに余計な事をしていないか少し不安だ。ジェットはヴィンセントの事を気に入っているが、友人というより遊び甲斐のある玩具くらいにしか思ってないだろう。いつも彼はヴィンセントをからかい倒していた。


(ジェットが何もしてませんように!)


 私はそう願いながら、ヴィンセントが待つ部屋のドアをノックした。


「すみません、ヴィンセント様! ちょっと手が離せなかったもので遅れて…………」


 私は部屋の中を見て、言葉を失う。


 青い瞳をまんまるにしてこちらを見るヴィンセントの手には、あの紫色の物体が握られており、彼の前には天使のような笑みを浮かべて「ちっ!」と盛大に舌打ちをするジェットの姿があった。


(ジェット、お前ぇえええええええええええっ!)


 私は今にも叫び出したい感情をなんとか押し込めて平静を装った。


「あ、あの……ヴィンセント様? それは……?」


 私がおそるおそる聞くと、彼はハッと我に返って紫色の物体に目をやった。


「あ、ああ。ジェットの中に何か入ってると思って、中を覗いたら……これが……」

(4号の中に?)


 私はちらりとジェットに目を向けると、彼はニコニコしながら頬杖を付いていた。


「そうだよ、4号の中にクッキーを隠してたらヴィンセントが取ったんだ。ボクは別にアイツに食べさせようなんてしてないよ」


 なら、さっきの舌打ちは何だったんだというツッコミは置いておく。とにかく、ヴィンセントからあの物体を回収しないとならない。あんなものを食べたらきっと彼の胃袋が物理的に悲鳴を上げることになる。


「ヴィ……ヴィンセント様。それを返してもらえませんか?」

「別に構わないが、これはなんなんだ? クッキーの匂いはするが……」


 私は「うっ」と言葉を詰まらせた。淑女である私がお菓子作りに失敗したなどと知られたらヴィンセントは笑うだろう。


 しかし、自分の恥と相手の命。どっちを取るとすれば答えは決まっている。


「えーっと……実は初めてクッキーを作ったのです」

「クッキー? お前がか?」


 ヴィンセントは私がクッキーを作ったのが相当意外だったのか、それとも「これがクッキーなのか?」と疑問を浮かべているのか私と紫色の物体を交互に見つめる。


「はい、それは……ちょっと失敗してしまったのです」

「失敗どころの騒ぎじゃないけどね」


 私は隣にいるジェットをヴィンセントにバレない程度に小突いて、咳払いをする。


「あとでこっそり食べようと思っていたのです。人が食べられるものではないので、それを返してください」


 私が「返せ」と手を出した時だった。


 ぱくっとヴィンセントが紫色の物体を口に入れた。


 もぐもぐと口を動かす彼を見て私はさーっと全身から血の気が引いていくのが分かった。ジェットは赤い瞳を爛々に輝かせ「おお、やるぅ~」と声を漏らす。


「ん、味は普通のクッキーだな」

「ヴィ、ヴィンセント様ぁ!? ちょ、え、食べっ!? えっ!?」


 もぐもぐと平気な顔で咀嚼するヴィンセント。私は淑女の顔を忘れて、慌てて駆け寄り、彼の顔を引っ掴んだ。


「え、ちょ、だ、大丈夫なんですか!?」


 あのジェットが「生身の人間はやめた方がいい」というような物体だ。おまけにヴィンセントは意地っ張りで素直な性格ではない。きっと不味くても不味いとは言わないだろう。


「お腹痛くないですか!? 頭痛とか、吐き気とかはないですか!?」


 私が早口で聞くと、彼は目をぱちくりさせながら頷く。


「あ、ああ……大丈夫だ」

「本当に!? あの物体ですよ!? 私が作った、あれですよ!?」


 私がさらに言い募ると、ヴィンセントはため息をついて自分の顔から私の手を放させた。


「大袈裟な。ただ見栄えが悪いだけだろ?」

(いえ、見栄えだけでなく、食べたら胃袋が物理的に悲鳴をあげるんです)


 しかし、そんな事は言えない私は黙って俯いていると、こほんとわざとらしい咳払いが聞こえた。


「まぁ、なんだ……初めて作ったなら失敗しても当然だ。別に恥じることでもないし、ましてや笑うようなことでもない」

「へ……?」


 私が驚いて顔を上げると、口をへの字に曲げているヴィンセントがいた。


「また作れ。次は上手くできるかもしれないぞ」


 そう言い、彼は私から顔を逸らした。彼の耳が若干赤くなっているのは気のせいだろうか。


 また作れなんて言われるとは思ってもなかった私は素直に驚いていると、彼はバッとこちらに顔を向ける。


「おい、なんか言えよ!」


 どうやら、私が無言だったのが気に食わなかったらしい。こっちに向けた彼の顔は真っ赤に染まっており、それがなんだか面白くて笑い声を漏らしてしまった。


「何笑ってるんだ?」

「ふふ……いえ、ヴィンセント様は、本当にお優しい方ですね」

「優しいって……お前な、別にオレは優しくなんか…………」


 ピタッと彼の動きが止まってしまった。そう、まるでテレビの一時停止を押されたかのようにピタリとだ。


「ヴィ……ヴィンセント様?」


 だんだん彼の顔が青くなり、たらたらと冷汗を流し始めた。


 そして──


 バタン!


「きゃぁあああああああああああっ! ヴィンセント様ぁあああああああ!」

「あははははははははははははっ!」


 私の悲鳴と重なるように、ジェットの笑い声が屋敷中に響き渡った。




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