一日前(要)
少し早く目が覚めた。ベッドサイドに置いてあったスマホが振動したからだ。まだ寝ぼけた頭でロックを解除する。
――玲香からのメッセージだった。
とても彼女らしいシニカルなメッセージだった。思えばベッドの中でのコミュニケーションは、人と人とのコミュニケーションの中でもかなり濃厚なものだ。すべてを包み隠さず相手に開く。
たったひと月程度のつき合いだったけれど、彼女はどこまでも奔放で素直だった。でも、彼女より大切な人がいたことをオレは思い出してしまったんだ。この「十七日」という中途半端な日数で。
『ありがとう』
と一言、返事をした。
今朝も飽きずに由芽の寝顔を見ている。
由芽はいつも横向きに寝るので、見るのはいつも横向きだ。最初の頃こそ、寝顔をのぞくなんて悪趣味だと怒られたけれど今は毎日の日課だ。
「んんー」
寝返りを打つ。そろそろ目覚めるのかもしれない……。驚くだろうか? それとも今更と怒るだろうか? ……その時はその時だ。
「おはよう」
「おはよう……」
まだ寝ぼけている。
オレはスマホのロックを外すと由芽にそれを渡した。由芽が喜んでくれるかはわからないけれど、この十七日間の、最後のプレゼントだ。
「ごめんなさい、要がスマホで時間つぶすほど、わたし寝ちゃってた?」
「ううん、むしろオレが早く起きすぎたんだ」
戸惑う由芽が持っていたスマホのディスプレイが、節電のためにブラックアウトする。
「あ、ごめん」
横からまた解除して、渡す。
彼女はしげしげと画面を見つめ……最初はよくわからない、という顔をしていたけれど、それから口元を押さえて小さく震えた。スマホのディスプレイの文字が消えて、また画面は黒くなる。
「これ……」
「オレはこうしたかったんだけど、由芽はこれで良かった? オレのこと、めちゃくちゃに憎んでて、今更だって追い出してもいいよ」
彼女はオレの目をじっと見て、
「ほっぺ、つねって」
と言ったので、両手で彼女の耳の裏に手を回して、その白くてふんわりした頬にキスをした。
「もう! それじゃ、夢がどうか調べられないよ……」
「調べる必要はないよ。だってこれは現実だから」
『今日まで連絡しなかったのは意地悪したかったから。フッてあげる。あなたたちが早く別れるように祈ってる』
それから由芽はどうやって彼女と別れたのか、聞きにくそうに聞いてきた。
「要は……大島さんが好きじゃなかったの?」
それはオレがオレ自身に聞きたい質問だった。オレは結局、玲香を好きになったのか?
「よくわからないんだ……。もしも由芽がいなかったら、好きになったかもしれない。でも由芽がいたから、オレには由芽を超える人はいないと思ったんだよ」
「……比較級なんだね」と由芽は少し残念そうな顔をした。オレは、「由芽のことなら最上級だよ」と言うと彼女は腕の中で、「なんか狡い」とキスを受け止めた。
飽きもせず、散歩に出る。
黄色いイチョウの葉が、真っ直ぐな幹からその下に散らばって枝だけになっていた。そんな風にバラバラになっていた二人の気持ちがまた春には青い葉を芽吹くように、ぐるりと回って強く結ばれる。
「好きだよ」
「……うん、知ってる」
「オレが揺らいでもブレずに待っててくれてありがとう」
「これからも、よろしくお願いします……」
ポケットの中で指を絡める。マフラーを緩めて、アヒルたちに見守られながら長いキスを彼女にした。
「言えることは、もう浮気したら許さないってこと。どんなにわたしより魅力的な人でも、ついて行ったらダメなんだからね。次は許さないんだからね」
「わかったよ、わかってるよ。どんなに魅力的な人だって、由芽には敵わないよ」
「どこが?」
「由芽が由芽だってことが」
由芽の目はオレの顔を見てぴたりと止まったけれど、
「他の人のことなんて見ないで……お願い」
とオレの頭を引き寄せて自分からキスをしてきた。十七日間でいちばんの彼女の《お願い》だった。抱きしめてキスをし返して、「約束するよ」と耳元で小さく囁いた。
こうして本当にあらゆる意味でバカげたオレたちの「十七日」は終わった。十七の次は十九、その次は二十三、……素数はどこまでも続くけど、これからの毎日も同じように繋がっていくだろう。期限を切ることはない。
毎日が同じように続くこと、それは奇跡だ。由芽とならその奇跡を追い続けることができると思う。
もう誰にも揺るがない、由芽を誰にも揺るがせない、強い気持ちを持って、これからを。
(続く)




