190 欠けた歯車の軸の亀裂が爆ぜる
◆◇◆◇ リトとクレハの新しい部屋 ◆◇◆◇
「ねえ! なんで! どうして! どうしてナーガの事、みんなみんな忘れてしまったのよ!」
「分かった、分かった。いいから落ち着けよ。ほら深呼吸。 吸ってー、吐いてー すーはーすーはー……」
ロッカーの中にあった、『記憶に無い』手紙やおもちゃを目の前にして、クレハは感情的になり、リトに疑問を吐き掛ける。
「なんで! どうして!」を繰り返し続けては話しが進まないと、リトは落ち着きを取り戻させる為に必死に、オーバーな素振りで深呼吸を行い、そして促した。
もちろん、リトだって『修道院の家族』『依頼の得意先』、そして草の根街の親しい兄弟からも、「ナーガは元から存在していなかった」という反応で、悔しくて憤っている。
しかし、クレハの激昂で責め立てられた事で、一周回って冷静になっていた。
良くも悪くも、盛り上がれば盛り上がる程、冷めてしまうという偏屈な性格が、リトに理性を取り戻させたのだ。
「私だって同じ疑問で心がどうにかなってしまいそうだから、クレハが憤るのは判る。
……それでも……だ!
私達だって、ロッカーから手紙が出てくるまで忘れていたんじゃ無いのか。クレハだってみんなの事をどうこうと言えないと思わないかい」
「ま……、確かにリトの言う通り、わたしも手紙を見るまではナーガの事は会話にも出てこなかったわよ。
でもそれって変じゃない!? こうして証拠品が有るのよ! 誰の知らないっておかしくない? 変よ! 絶対変よ!!」
「まーまー。とりあえず落ち着こう。話しはそれから、だろ!」
「だろ! じゃないわよ! リトだって、変だ! おかしい! って思ってるんでしょ。 どうすれば冷静になれるのよ! リトも変よ!!」
「クレハの言う通り、感情が荒れてるけど、こういう時は自分を俯瞰して、第三者的に自分を観察するんだよ」
「無理よ無理! そんな器用な事、わたしが出来る訳ないの知ってるでしょ。 リトの考えが奇特過ぎるのよ。 まったくもって、リトの『器用』さが羨ましいわ」
熱く成れば成る程、気持ちが冷める偏屈なリトではあるが、それ程『器用』とはならなかった。
疑問に疑心に疑念といった不可解な感情がうごめいているのだ。そう簡単に冷静になれる訳が無い。
子供の口調が馴染んだ暮らしをしている。それが『今』の当たり前の生活なのだ。
しかし、今は晩年の頃の大人口調に戻ってしまっている。心が全く落ちついていないのが丸分かりだった。
◆◇◆◇ ある商店の保管庫 ◆◇◆◇
ガッシャーン!
リトの足下には、皿と云うよりはどんぶりの碗であったモノの破片が飛び散らかった。
「ああー、もう!! なにやってるの!!」
砕けた音に驚いて、依頼主の婦人が駆けつけ、リトの両腕を引っぱるように持ち上げた。
「ごめんなさい。 ごめんなさい。 今度は気をつけますから」
リトは両腕を掴み上げらている為、殆どバンザーイをしている格好に成ってしまってた。
精一杯に誠意を伝えようと、首だけで頭を何度も下げながら謝った。
「そんな事はどうでもいいかっら! 手は怪我してない? 痛い所はない? 大丈夫!?」
婦人はリトの体を頭から順に下へ向けてバンバンと叩き始めた。破片が散らばる脚元ではその叩き方は柔らかくなる。
「ごめんなさい。 割ってしまったのは、時間かかるけど……、壊したモノのお金払います。 本当にごめんなさい。 今すぐ片付けます」
「だから! 「そんな事はどうでもいい」のよ。 血は出ていないようね。痛い所は無かった?」
「は、はい。大丈夫です。ごめんな……、ありがとうございます」
謝り続けると、かえって怒られそうな気がした。それなので、謝罪から(心配してくた)お礼へと言い換える。
「片付けはこっちの方でするからいいのよ。 それより本当に大丈夫なの? 気分悪くない? もしかして疲れが出てしまったの? ああ、そうよね、数えるのが早いから、ついつい、頼りすぎてしまったわ。連日でお願いしてしまったこっちの方が悪かったわ」
「とんでもありません。僕が健康に気をつけていればよかったんです。ごめ……」
「顔色が優れないのに気が付かなかったこっちが悪かったんだよ。今回はもういいわ。もうお帰り。これは『お手伝い』の報酬よ。で、そうね……くず芋で悪いけど、これを食べて元気になんなさい」
婦人はたまたまポケットに入っていた、形がいびつな芋を手渡した。
「そんな?! 失敗ばかりなのに、受け取れませんよ」
「まだそんな大人びた言い方をするのかい? 子供なんだから失敗は沢山するだろさ。体調に気づけなかったこっちの方も悪かったのさ。 ささ、わかったら、とっととお帰り」
「ねぇ~リト。すなおに、言う事、聞いてかえろ。 あやまってばかりだと、めいわくだよ」
「あー。うん。そうだね」
クレアがリトのズボンをクイクイって引っぱって「言われたとおりにしよう」と促した。
先程から謝ってばかりだったし、何時までもココに立ったままじゃ、確かに迷惑だ。
「ありがとうごさいます。僕達はこれで返ります。迷惑かけてしまってごめんなさい。今度こそ、お役にたってみせます」
「こんどもがんばるよ~。だから、よろしくね。ばいば~い」
リトとクレハの背中を眺めながら、婦人は
「どうしたんだろねぇ。なにか大きな心配事でも抱え込んでしまったのかねぇ」
と、息を吐くようにこぼした。
◆◇◆◇ 修道院へ帰ってきた ◆◇◆◇
「シスター・レミア。ただいま~」
「あら早かったわね。『お手伝い』は、はかどったの」
「お皿を割って、追い出されました……」
「リトってば、すぐジギャ……、すぐせきにんを抱え込もうとするんだから。ダメだよ~。あのね~、依頼主さんが、もう大丈夫だからって、終わりにしてくれたんだよ~」
リトは起きた出来事を端的に伝えたが、自虐しているように聞こえたので、クレハがあわててフォローをいれた。
「まあ大変! お詫びが必要だわ。 そういえば、顔色悪いわよ。もしかしてリトは失敗した責任を感じてるの? 心配しなくても大丈夫よ。……といっても直ぐには無理よね。夕餉まで休んでいなさいね。それでも体調が悪かったら素直に言うのよ。判った!」
「はい。ありがとう、ございます」
「は~い。シスター・レミア、ありがとう。あたし、ちゃんとリトの事をみてるからね。ちゃんと連絡するからね」
「それじゃリトの事を宜しくね、クレハ。わたしは依頼先に行ってくるわね」
◆◇◆◇ リトとクレハの部屋 ◆◇◆◇
「リトってば。どうしてそんなに「恨んで」いるの?」
「恨むって? どうしてさ。なんで僕が人を恨まなくちゃいけないのさ」
「うん。すごく恨んでるよ。どうしてなの。 あの手紙を受け取ってから凄く変だよ」
「どうしてって、僕は……、いや私は、自分自身が判らなくて悔しいんだ。あの手紙が届くまで家族の、義兄のナーガを忘れていたなんて、脳みその老化かかな。こんなに酷い痴呆にあえぐなんてってさ」
クレハが素の言い方をしているのに気付いて、リトは途中から子供口調を止めた。
「それはわたしも同じ。どうして一緒に暮らしたナーガの事を忘れてしまったのかな。自分が自分じゃ無いみたいで恐いわ。もしかしたらわたし達は、気が付かない内に、似た世界へ異世界転移しちゃったのかと不安でいっぱいよ」
「だけど、そうは見えないけどな。普段通りの「あたしは良く分からないの」って感じにポヤ~ってしてるしさ」
「本当に大変なんだから。叫びたい気持ちを押さえ続けるの、すっごく大変なんだからね!」
「ふーん。その『大変な事』をやり遂げている訳か。大女優さんだねクレハは。あはは」
「もう~。りとのば~か。 他人だけじゃ無くて自分に気に触る物言いが出来るなんて流石だわ。 どうやら落ち着いたみたいね」
「うわー。スタンダードに人へケンカを売っている見ないな言い方、酷くありませんかね。 まぁ確かに少し落ち着けたけど……」
「うんうん。良かった。夕餉まで時間があるし、お互いに気になっている事を整理しましょうよ」
「モヤっとしたのをすっきりさせるのは賛成だけど、でも整理してどうするのさ」
「それは、整理してから考えましょう。どうするかは結果しだいよ」
「なんだ。思いつきか」
「何か言った!?」
「いんや、なんも言ってねーです」