ある商人の悩み
異性へのプレゼントは、誰だって頭を悩ませる。
マルコもまた、その一人だ。
マルコには恋人がいる。
数年にわたる片思いを遂げて、恋人となって早五年。
互いに仕事がある生活をしながらも、うまくやってこれたとマルコは思う。
だからこそ、マルコは決意した。
彼女にプレゼントを用意して、プロポーズをしようと。
そのためにはまず、プレゼントを選ぼうと。
「と言っても、そう簡単には決まらないよなぁ……」
アクセサリー、服、綺麗な景色、思い出の場所。
マルコはプロポーズにふさわしいプレゼントとシチュエーションを、悩みに悩み続けていた。
指輪はもちろん用意はした。
しかし、まだ足りない。
何か物足りない。
これだけでいいのか? これだけがいいのか?
マルコは今までにない大勝負に、もはやどうしたらいいのかわからなくなっていた。
太陽が傾く夕暮れの時間、マルコは一人寂しくため息をついた。
「ん?」
カランカラン、と涼し気な音がして、マルコは右手側に目をやった。
赤い屋根の建物の扉が開き、「ありがとうございました~」と声がしてくる。
(店……こんなところに、赤い屋根の店なんてあったっけ)
マルコは仕事柄、街の外に出ることが多い。
この商店街も随分と通ってなかったし、気付かないうちに出来たのだろう。
マルコはなんとなく店に足を向けて、茶色の扉をゆっくりと開けた。
カランカランと、先ほど聞こえた音がした。
「いらっしゃいませ~!」
明るい、少女の声がマルコを迎え入れる。
「一名様ですか?」
「は、はい」
「かしこまりました。こちらのお席へどうぞ!」
亜麻色の髪を揺らし、微笑む少女。
マルコは奥の方の席へ案内され、角席で優雅に座る女性から、一つ机を挟んだ場所に座った。
他にいる客は、冒険者と思われる身なりの人が多い。
「こちらメニューと、無料でお出ししてるお水になります。お代わりご自由ですので、お気軽にどうぞ」
「ありがとう」
へぇ、水が無料か。と、マルコは思わず内心で呟く。
今までたくさんの町を巡ってきたが、水を無料で提供してくれる店というのは珍しい。
いや、今までに出会ったかどうかすら、定かではないほどだ。
マルコはメニューを開いて、その内容に目を通す。
(ケーキの文字がいっぱいだ。それに、よく知らない食べ物? の名前も多い……。何となしに入っちゃったけど、そういえばここ、何の店なんだ?)
入店時にも香ったものだが、店内の匂いはとても甘い。
ケーキの並びが多いことからして、ここはもしかすると、デザートがメインの場所なのだろうか。
(となると、値段がそこそこ……。いや、安い!?)
ショートケーキと書かれた横に続く、銀貨十枚の文字。
マルコは思わず驚いて、瞳を真ん丸に開いていた。
(デザートを扱うのにこの値段……、この店、もしかしたら味にあまり期待できないかもな……)
申し訳なく思いながらも、マルコはそう判断すると、比較的安い場所からメニューを見ていく。
と言っても、大半の品名がわからずに、結局、ケーキの欄に戻ってくる。
(焼き菓子なら数度食べたことがあるし……この中から選ぶか)
指を這わせ、一つ一つ文字を見る。
しかし、わからない。
マルコは小さく唸り声を上げた。
「お悩みですか?」
「へぁ!? あ、いえ、あ、はい」
「この店のメニュー、僕の国のものがほとんどなので、内容がわからないという方が多いんです」
「あなたの国の?」
突然現れた、店員と思われる大柄の男に、マルコは驚きながらも疑問を返す。
男はにこりと笑うと、「ええ」と頷いた。
「えーっと、あなたはこの店の店主さん?」
「はい。タカツカと言います。お客様は、この店は初めてですか?」
「ええ、まあ。見慣れない店があったのでフラッと立ち寄ってみました……」
「なるほど。選んでいただいてありがとうございます」
「いやいや、そんな」
なんだろう。
登場した瞬間こそ驚いたものだが、大柄な見た目に反し、話しやすい人だ。
マルコは少し安心して、ケーキの種類が書かれたページを店主に見せた。
「その、ここに書かれたケーキなんですけど。どれがなんだか、全然わからなくて……」
「ケーキですか。一つ一つ説明することも可能ですが、中でも気になったものとか。もしくは、好みとかございましたらお聞きしますよ」
「好み……」
マルコは小さく呟いて、ケーキか、と過去に食べた記憶をたどる。
しかし、どれもこれも甘すぎて、あまり美味しいと思えた思い出はない。マルコの眉間のしわは深まった。
「すみません。ちょっと、悩んでしまって……」
「いえいえ、構いませんよ。お疲れのようですし、ごゆっくりお選びください」
「え、僕、疲れてます?」
「え。ああ、いえ、申し訳ございません。入店した際、なにかとても悩まれている表情をしていらしたので、疲れていらっしゃるのかと」
「悩む……。すごい、どうしてわかったんですか?」
マルコは思わず店主を見上げ、ケーキのことをほったらかして質問をぶつけた。
「理由があってわかったわけではないんです。本当、ただの直感です」
「流石、お客さんの数を見てるだけあるんですね」
「恐縮です。……ところで、踏み込んだ質問をしてしまうようですが、どのようなお悩みを? お節介だとは思いますが、僕でよければお話聞きますよ。今、ちょうど厨房は暇なので」
と言って笑う店主は、今日初めて会ったし、この店自体、今日知ったけれど。
マルコはなんとなく、迎え入れてくれる暖かさを感じていた。
「えっと、実は、僕……プロポーズを、しようと思っていて」
「プロポーズ」
居心地の良さから口を開いたマルコに、店主が復唱し目を見開く。
「指輪はもちろん用意したんですが、気持ちが落ち着かないせいか。なんか物足りない気がして……。他にあげられるものとか、渡すまでの流れとか、ずっと考えちゃって」
「なるほど、それでお悩みを」
「はい……。あ……そうだ。ケーキ、よければあなたのおすすめにしてください」
「僕のですか?」
「はい。今の僕だと、なんでも悩んじゃいそうなので。あなたが僕に合うと思ったケーキを、お任せでお願いします」
「かしこまりました。そういうことでしたら、ご用意させていただきます」
ぺこりと、丁寧な仕草で頭を下げる店主に、マルコは小さく会釈を返し、去ったところでメニューを見返した。
確かに、言葉にすると少しスッキリするかもしれない。
「エルキアちゃん、お会計いい?」
「はぁい、ただいま!」
不意に、角席の女性が声を上げ、ウエイトレスの少女、エルキアを呼ぶ。
マルコは無意識に二人に視線を向け、親し気な二人を見守った。
「また来てね、ルーナさん」
「もっちろん。また焼きドーナツ作ってよ」
「うん。店長に言っておく。あ、そういえば、この間の問題どうなったの?」
「ああ、チョビ髭貴族の一件? あれ以来、ギルドは特に何ともないわ。心配かけてごめんね」
「ううん、なにもないならいいの。お仕事頑張って」
「ありがとう。ご馳走様」
カランカラン、と音を立てる扉をくぐり、手を振る女性が去っていく。
エルキアは扉が閉まる瞬間まで手を振っていて、一部を見ただけのマルコでも仲の良さがわかった。
(さっきの店主さんといい、ウエイトレスさんといい。落ち着く店だな……)
今度、彼女を連れてきてあげようかな。などと、マルコはぼんやり考える。
「お待たせしました。こちら本日のおすすめ、バウムクーヘンになります」
「わ。すごい、これ、ケーキですか?」
「ええ、ケーキです」
驚くマルコに対し、笑顔で店主は言い放つ。
皿の上に置かれていたのは、黄色と狐色が交互する、扇形のケーキだった。
「こんな見た目の食べ物、初めてみる……」
「バウムクーヘンは製法も変わっていて、認知度は高いんですけど、お店なんかではあまり見かけませんからね」
「へぇ。そうなんですか」
マルコは素直に感心し、その見た目に釘付けになる。
一番外側はこんがりとした狐色なのに、中は黄色がほとんどで、年輪のように狐色の曲線が入っている。
扇形であることから、もしかしたらこれは、元は輪っかのような形なのかもしれない、とマルコは考えた。
「お飲み物もご用意できますが、なにかご注文いたしますか? ミルクもすごく合いますが、紅茶なんかも合うと思いますよ」
「あ、じゃあ、えーっと……。この、ミルクティーをお願いします」
「かしこまりました。ホットとアイスはどちらになさいますか?」
「えぇっと、アイスでお願いします」
「かしこまりました」
去っていく店主を見送り、マルコはバウムクーヘンと対面する。
机に置かれていた食器入れからフォークをとり、あてがう。
感覚は、重い。だった。
(結構、切り込む感覚からどっしりしてるな……。飲み物を頼んだのは正解だった)
いや、だからこその提案だったのだろうか。
マルコは一口分を切り取り、ふわりと香る卵の香りに瞳を閉じたあと、口に運んだ。
すると。
しっとりとした生地の感触が、どっしりとした重みと共に舌を通して伝わってくる。
卵とバターの香りが強く、口に入れた途端ふんわりと匂いが広がった。
(ミルクの香りも僅かにあって、噛むたびに感じるのは、卵とミルクの組み合わせか……。うん、この二つはやはりよく合う)
じゅわり、と効果音が付きそうなほど、濃厚な味が溢れてくる。
マルコは何度も咀嚼して、その味を堪能する。
(糖の甘味も弱くない。だが、なんだ。他の素材と喧嘩せず、全てが引き立つようなこの味……)
美味しい。
マルコはホッと息をこぼして、次々にバウムクーヘンを頬張った。
しかし、
(の、喉が渇いてきたな……。濃厚な味は確かに美味しいが、飲み物なしでこれは少し……)
しっとりとし、どっしりとした生地も、水分が消えれば少しキツイ。
マルコは水に手を伸ばしかけたが、やってきた人影に伸ばした手を止めた。
「お待たせいたしました。こちら、ミルクティーになります」
助かった、と思わず声を上げそうになって、マルコは慌てて会釈で誤魔化す。
カランカランと音を立てるグラスが置かれ、なにやら棒状のものが伸びている。
「あの、これは?」
「ストローです。くわえて貰って、ゆっくりと吸っていただければわかるかと」
「はぁ」
マルコは大人しく指示に従い、グラスを持つとストローとやらをくわえる。
息を吸おうとしてみれば、中のティーが昇ってくるのがわかった。
ふんわりとティーの香りが鼻孔をくすぐって、冷たいミルクティーが喉を潤して通っていく。
ゴクリゴクリと通る飲み心地が、乾いた体にちょうどいい。
「すごい。このストローと言うアイテム、すごく画期的だ」
飲みやすくて、それに楽しい。
(彼女も、これをみたら喜ぶだろうか)
マルコはそう考えずにはいられなかった。
「このケーキも、このティーも、全部彼女に教えてあげたいくらいです」
「ありがとうございます。プロポーズが成功したあかつきには、是非『奥様』といらしてくださいね」
「……はい!」
続きを食べるマルコは、とても時間をかけて味わった気もするし、あっという間に食べ終えてしまった気もする。
グラスの中身も空となり、皿の上もまっさらだ。
(いい時間だった。……味に期待できないかもなんて、いらない心配だったな)
食べ終えたマルコは店主を呼び、会計を済ませるべく財布を取り出した。
「あの。理由がなければ、ないでいいんですけど。どうしてあのケーキだったんですか? 正直、お任せなんて困ったんじゃ……」
「いえ、そんな事はありませんよ。あのケーキを選んだ理由は……ちょっとした、応援みたいなものです」
「応援?」
首を傾げるマルコに、店主が笑顔で頷いた。
「バウムクーヘンにはとある思いが込められていて、諸説ですが、見た目が木の年輪に似ていることから、『長寿繁栄』だったり、『あなたとの関係が続きますように』、という言葉があったりするんです。プロポーズを前にしていると聞いたので、ぴったりかなと思って」
「――あのケーキに、そんな意味が?」
マルコは驚きからそれ以上の言葉を失い、胸の内に溢れてくる、熱い思いを感じ取る。
「バウムクーヘンはシンプルな見た目ですが、そこに込められる想いは大きいです。……きっと、大切な人を想ったものであれば、気持ちは相手に伝わると思います」
「店主さん……」
ぐっと、マルコは唇を食いしばった。
「ありがとうございます。また、今度は二人で。必ず来ます」
「是非。またのご来店を、お待ちしております」
カランカランと音を立てる、心地よい音を耳に残しながら、マルコは店を後にする。
すっかり暗くなった夜は、静かで寂し気だ。
だというのに、マルコの心は清々しかった。
「シンプルだけど、想いは大きい……か」
マルコは一言呟いて、夜の商店街を歩き出した。
飾らず、素直に。ありのままを告げよう。
そう、強く胸に誓いながら。