会食
「チョコレートフォンデュをして欲しい?」
ある日の早朝、店主はやってきて早々に放たれたエリザの言葉に首をかしげる。
エリザの背後では爺が控え、無言で頭を下げていた。
「ええ……。その、以前知り合いの貴族とお話しする機会があったのですけれど、その時ついこのお店のことを話してしまって。興味を持ったお相手方が、ぜひ来てみたいとおっしゃるのです」
「ですが、チョコレートフェアは一昨日終了してしまっていて……。道具も片付けてしまいましたし、果物も残り少ないです。今から新鮮な果実を仕入れてくるのは……」
エルキアと顔を見合わせたあと、申し訳なさそうに店主が告げる。
エリザは落胆の表情を露わにして、しゅんと眉を下げた。
「無理を言っているのはわかっていますわ。でもあの子、とても楽しみにしてしまって……どうしても味合わせてあげたいのです!」
「……少し、考えてみます」
店主はそう言い、腕を組み、考えるように黙り込む。
「出来なくは、ないです」
「ほ、本当ですの!?」
「はい。ですが、足りない果実をどう補うか……」
最後の方の店主の言葉は、ほとんど独り言のようだった。
エリザは店主をじっと見つめ、祈るように拳を握っていた。
「そのお知り合いの方は、食べられないものとかありますか?」
「え、えーっと、基本、なかったはずだけれど……」
「なるほど、食べられないものがないのなら、品数はなんとかなりそうですね」
和らいだ店主の声色に、エリザもホッと笑みをこぼす。
エルキアに爺も、それぞれが胸を撫で下ろした。
となれば、後は道具の準備だが、それは出してくればいいだけだからなんの問題もないだろう。
店主は「よし」と頷いて、早速準備に取り掛かろうと背を向けた。
すると、ずっと黙っていたエルキアが、おもむろに口を開いて、
「あの、エリザさん。差し支えなければなんですけど、エリザさんのそのお知り合いってどんな方なんですか?」
「フィオラ? ……フィオラは、そうですわね。種族は私たちと違う獣族なのだけれど、昔からの付き合いがあって、幼馴染みたいなものですわ。明るくて、笑顔の可愛い、おじいちゃんっ子なとてもいい子なの」
笑みを浮かべ、優しい声音でいうエリザの様子から、フィオラという少女が彼女にとってどれだけ大切かがわかる。
エルキアもつられて微笑んで「会うのが楽しみです」と笑った。
しかし、その時その場では、店主のみが動きを止め、青い顔で立ち尽くしていた。
「店長?」
疑問に首を傾げたエルキアが、店主の方を見つめた。
「……エルキアちゃん、獣族って、その――獣、だよね?」
「……? はい、そうですけど」
「…………まずい、かな」
「まずい?」
首を傾げるエルキアと、エリザの視線がぶつかり合う。
店主はゆっくりとエリザを振り返り、その青い顔のまま向き合った。
「チョコレートフォンデュ、難しいかもしれません……」
「――え。な、なぜですの!? もしかして、種族間になにか……?」
「いえ、そういうわけではないんです。ただ、チョコレートの成分には、獣にとって良くないものが含まれていて……。最悪、毒にもなります」
「ど、毒!?」
驚きで固まったエリザの代わりに、エルキアの叫びが響いていった。
店主は無言で頷いて、再び腕を組み直す。
「その作用は、あくまで僕の国での話ですので、こっちでもそうかはわかりません。ですが、万一を考えると、店として危険を提供することは……」
「そ、そんな……」
一度見えた希望が、また見えなくなってしまった。
店主に続きエリザは黙り込み、なにか言おうとするエルキアも、なにも言えず口を閉じた。
「お嬢さま……」
爺の静かなつぶやきが、静寂の中に響いた。
刹那――。
「お邪魔するんだにゃ~! エリザぁ、ここにいるかにゃあ?」
カランカランとベルが振り回され、勢いよく扉が開いた。
突然鳴り響いたベルの音に驚いた全員は、一斉に扉を振り返る。
「ふぃ、フィオラ!? な、なぜあなたがここにいるのです!?」
「屋敷にエリザがいないから、もしかしたら前に言ってたお店かにゃ~って。冒険者ギルドの受付さんに、異世界スイーツってどこですか~って聞いたのにゃ」
「そ、そんな……、あなた、まさか一人で?」
「うん。どう? すごいでしょ」
笑顔で頷く、フィオラと呼ばれた少女。
フリルの多い青と白のワンピースに身を包み、ふわふわの茶髪を肩上で遊ばせている。
年はエリザと同じか、下のように思えた。
「あの子が、エリザさんの幼馴染……」
呟くエルキア。その視線は、フィオラの頭上に向いてる。
ぴょこんとたった二本の耳に、ゆらゆらと揺れる茶色のしっぽ。
果実のように赤い唇からは、白い八重歯がチラチラと覗いていた。
「フィオラ……、その、せっかく来てくれたところ申し訳ないのですけれど、実は――」
「いらっしゃいませ、フィオラさん。エリザさんからお話は伺っていますよ、どうぞお席へ」
「――え?」
言い淀んでいたエリザの言葉を、遮るように店主が言った。
翡翠の瞳は驚きに揺らいで、エルキアも動揺をあらわにする。
「店主さん、何故――」
「少し時間はかかりますし、エリザさんがお伝えした通りのものは出来ないかもしれません。……ですが、こんなに笑顔のお客様から、笑顔を奪うなんてこと、僕にはできません」
「――店長……。そう、ですね。そうですよね、店長!」
頷き、笑顔を咲かせたエルキアに、力強く店主が頷く。
エリザは二人と顔を見合わせ、目頭が熱くなるのを誤魔化すように笑った。
「……よくわかんにゃいけど、フィオラ、待つのは得意だにゃ?」
「ありがとうございます。エルキアちゃん、二人をお席に案内して」
「はい!」
やることが決まれば、あとはもう動き出すだけだった。
店主はエリザたちに背を向けて、目があった爺に一礼だけして厨房へ戻る。
そして。
「さて……。このノープラン、どう乗り越えたものかな……」
ため息に近い息を吐いて、店主は天井を見上げた。
――しばらくして、ホールで待っていたエリザたちの前に、店主が姿を現した。
ガラガラと音と立てて店主が押しているのは、銀で出来たワゴン車。上にはフルーツが並んだ皿、それからチョコレートフォンデュで必須の串がしっかり置かれている。
もちろん、チョコレートファウンテンならではの、あの噴水も。
「あら……?」
初めに違和感に気が付いたのは、エルキアではなくエリザの方。
エリザはそびえ立つチョコレートファウンテンの噴水を見上げ、その違いに首を傾げた。
「これ、チョコレートじゃ……ない?」
「よくお気づきで」
呟いたようなエリザの言葉に、店主がにやりと口角をあげた。
噴水からあふれ出していたのは、以前のような茶色ではない。いや、茶色ではあるのだが、なんというか――淡い。
「これはキャラメルフォンデュと言って、砂糖とミルクを煮詰めたお菓子を、ミルクに溶かしたものなんです」
「い、以前のチョコレートフォンデュとは違いますの?」
「ええ。ですが、こちらも濃厚なキャラメルの味を、思う存分に味わえますよ」
試しにどうぞ、と店主が串をとり、エリザとフィオラの二人分を作り出す。
エリザは思わず顔を輝かせ、ふと静かなフィオラが気になって向かい側を向いた。
「す――」
「す?」
「す―――っごいにゃ~! 噴水!? これ、噴水かにゃ!? 室内に噴水なんて、初めてみたんだにゃあ!」
キラキラと、エリザ以上に輝いた瞳が、キャラメルフォンデュに夢中になる。
エリザはその反応に笑顔をこぼして、賛同するように何度も頷いた。
「はい、どうぞ」
「ありがとにゃあ! ふんふん、ふんふん、ん~~甘い香りだにゃあ」
「ええ、本当に。でも、香ばしい匂いもするわね」
香りを楽しむ二人の様子に、店主はニコニコと笑って。少し離れたところでこちらを眺める、爺とエルキアに笑みを送った。
串に刺さるは真っ赤なイチゴ。さあ、どう弾けるか。
「いっただきまぁ~――んっ」
「いただきますわ」
パクリ、フィオラは言い終わる前に口にして、後から続いたエリザも、一口でイチゴを頬張った。
(――! この組み合わせ、な、なんて)
なんて、贅沢なの? とエリザは驚きに目を見開く。
先ほどエリザが嗅いだ香りは、糖が少しだけ焦げた匂い。甘く、ミルクによる滑らかなくちどけも大変評価に繋がるが、エリザがこの時感じたのは、僅かにある苦味だ。
イチゴの酸味、濃厚な果汁、糖の香り、ミルクのくちどけ、そして、それらすべてが混ざり合い、名残惜しさを感じさせるほのかな苦味。
たった一口で、あらゆるものが押し寄せる。
(キャラメルフォンデュ……。たまらないですわ!)
心の中でエリザがそう叫んだ時、目の前のフィオラが両頬を手で押さえた。
瞳を閉じて、頬を紅潮させ、「んん~~っ」と小さく唸っている。
――好評だ。
「美味しい! これ、すごく美味しいのにゃ!」
「よかった。楽しんでいただけそうですね」
「大満足なのにゃ! ね、エリザっ」
「ええ、そうですわね」
はしゃぐフィオラに、つられてエリザも笑って、二人そろって串を持つ。
果実を刺そうと品定めを始め、ふと、エリザは一つの皿に目を止めた。
「――これは、一体?」
「ああ、マシュマロですね。果物の数が減ってしまっていたので、キャラメルに合うお菓子を用意させていただきました」
「ましゅ……?」
「まろ? にゃ?」
コテンと首を傾げる二人と、見守っていたエルキアたちも揃って首を傾げて見せる。
店主は串を手に持って、白い円柱のソレを串刺しにした。
「んにゃ!? ふわふわしてるにゃ?」
「ええ。これは卵を使って作ったお菓子で、独特な食感ではありますが、甘くてとても美味しいです」
「は、初めて見る食べ物ですわ……。爺、見たことがありまして?」
「いえ、私もこのような食べ物は……」
「ほぇ~。変わった見た目してますねぇ」
いつの間にか、傍によってきたエルキアは、まじまじとマシュマロを見つめる。
いつもは職務に全うしている爺も、今はマシュマロが気になるらしい。エルキアと同様、エリザたちの傍へやってきていた。
「これも、こうしてキャラメルにつけて……。さ、フィオラさん、どうぞ」
「い、いただきますなのにゃ!」
そう言って、少しためらったフィオラだが、勢い任せに一口で頬張る。
両目をぎゅっと瞑り、もくもくと咀嚼が繰り返される。
もくもく。もくもく。
ごくり。
「んんん~~~まいにゃあ!」
「こ、こら、ずるいのですわ、ずるいのですわぁ!」
「まだまだたくさんありますから、喧嘩しないで食べてくださいね」
両手を握って、子どものように騒ぎ出すエリザは、店主の言葉にハッとする。
串をとり、マシュマロを刺し、キャラメルをつける。
無駄のない素早い動きだった。
ふにふに。ふにふに。
エリザは串とは別で一つ手に取り、マシュマロの柔らかな触り心地を思わず指で楽しんだ。
(パン……とは違いますわね。さっき店主さんは卵で作るとおっしゃっていましたけれど。これを……?)
真っ白で、サラサラとした手触り、この柔らかさ。それはどう掘り起こしても卵の記憶とは結びつかない。
考えていても仕方ないと思ったエリザは、意を決して食べることにした。
ぱくっ、と一口。
(あ――)
ふに、とした食感。
柔らかいとは思っていたが、噛みちぎる瞬間にはしっかりと弾力がある。
もくもく、もくもくと咀嚼を続ければ、糖の甘味が広がった。サラサラとした触り心地から一転して、噛めば噛むほどモチモチとしたものに変わる。……変わる?
――いや、溶けている。
マシュマロと言われたこのふわふわが、口内の熱で溶けているのだ。
溶けることでキャラメルの味との絡み合いは深まり、際立つ甘味に隠れる苦味が存在意義を増していく。
どれもこれも、エリザにとって初めての経験だ。
でも、
「美味しい」
エリザは顔をほころばせ、優しい声で言った。
店主はホッと笑みを浮かべ、エルキアもパッと笑顔を咲かす。
「エリザ」
「ん? なに、フィオラ?」
「ここ、教えてくれてありがとにゃ。エリザと一緒に来れて、すごく嬉しい。それに楽しいにゃ!」
「――フィオラ」
ニッと笑うフィオラの八重歯が、ちらりと覗いてきらりと光る。
(楽しい……、か)
エリザはしばし驚いていたが、やがて微笑んで、爺と顔を合わせるなり、一つ頷いて胸を張った。
「私も、この店に来れてよかったですわ。また来ましょう。フィオラ」
「もちろんにゃ!」
いつか、自分も誰かと食事を楽しめるか。
初めてこの店に訪れた時、エリザは爺にそう問いかけた。
(本当に、叶えてくださいましたわね……このお店は)
……いいや、叶えてくれたのは店主、か。
エリザは目の前のフィオラにも、傍に居る三人にもバレないよう、小さく笑みを浮かべた。