チョコフォンデュパーティ
異世界スイーツの朝は、本来であればホールはエルキア、厨房は店主が担当して開店準備が行われる。
開店してから約一ヶ月。すっかりこの分担が板についていた二人だが、今日だけは違った。
店主は朝からホールに来て、いそいそと箱を運んでくる。
「店長、それなんですか?」
「知り合いの店で使わなくなった道具だよ。数日限定で、チョコレートフェアでもしようかなって思ってもらってきた」
「ちょこれーと、ふぇあ?」
首を傾げるエルキアだが、店主はその反応を見越していたのか「まぁ見てなさいって」と得意気に笑うだけだった。
「今日は、いつもより賑やかになるといいなぁ」
――そう、店主が呟いたのが、今朝のこと。
「な、なんだこれはぁ――!」
昼時、冒険者が最も多く訪れる時間。客一号こと、ラウロのその叫びは店中に響いた。
「いらっしゃいませ~! こんにちは、ラウロさん」
「いらっしゃい」
「て、店長! 珍しいですね、エルキアさんと店長、両方がホールにいるなんて」
「ええ。今日はちょっと特別なもので」
「特別? それって、これのことですか……?」
言いながら、ラウロは入店早々叫んだ原因とも言える、店内に置かれた『噴水』を指さした。
噴水、と言っても、そこから溢れるのは決して澄んだ水ではなく、とろみのある茶色いなにか……。見たことのない液体だった。
「今日から数日間、チョコレートフェアを開催しようと思うんですよ」
「ちょこれーとふぇあ?」
「はい。エルキアちゃんにもさっき説明したんですけど、あの茶色いのがチョコレートです。ちょっと苦みもありますが、とても甘くておいしいですよ」
「き、聞いたことのない食べ物です……」
ついでに言えば見たこともなかった、と心の中で付け足すラウロ。
「この、前に並べてある果物は? これもそのチョコレートなんとかに使うんですか?」
「ええ。この果物を串に刺して、チョコレートを満遍なくつけて食べるのが、チョコレートファウンテンのやり方なんです」
「ちょこれーと、ふぁうんてん……」
「うぅん、また難しい言葉……」
ラウロとエルキアは眉間にしわを寄せ、目の前の果物を見つめた。
すると、カランカランと音を立て、店の扉が開いた。入店してきたのは同じ冒険者のグランだ。
「な、なんだこれはぁ――!」
ラウロの時とほぼ同じタイミングで、グランの野太い声が響く。
その視線はやはり、店の中に置いてある、チョコレートの噴水に向けられていた。
「いらっしゃい。今日もゼリーになさいますか?」
「む、店主か。ぜひそうしたいところだが、あの見たことのない置物はなんだ? 噴水のようだが、これはなにが溢れているんだ」
ラウロと同様の問いかけに、予想していた店主は同じ説明を繰り返す。
今度は実際に串をもって、実演付きでやってみせる。
「動作としては簡単だが、わざわざ噴水からチョコレートとやらをつけなくてはいけないのは中々に手間だな」
「まぁそうおっしゃらず。チョコの量も調節出来て、自分好みに出来ますよ」
そう言って、一つ一つ果実の名前を説明する店主が、串に刺したのは真っ赤なイチゴ、カットされたバナナ。試しにチョコをとろりとつけて、はいとラウロに手渡した。
「い、いただきます」
恐る恐る口を近づけ、チョコが垂れないようパクリ、イチゴ単体を頬張った。
「ん、んんん――!!」
「なんだ、なんて言ったんだ!?」
「うぅぅずるいですラウロさん!」
「っ、こ、この組み合わせは――うまい!!」
咀嚼し、飲み込み、息を吐いたラウロ。
残っていたバナナも頬張り、うっとりとした表情で味わっている。
「くっ、食に呑まれおって! 店主、俺にも同じものをくれ!」
「はい、すでに」
「あぁあ、グランさんまでぇ!」
グランが店主に叫ぶと同時、同じくチョコレートに包まれたイチゴとバナナの串刺しを店主が差し出した。
グランはそれを手に取って、一つ間を置いてからまずイチゴを頬張る。
瞬間、じゅわり、赤い実が弾けた。
(な、なんだ、この組み合わせは――! このチョコレートという液体、とてつもなく甘いが、ほんのりと苦い。それでいてとろりとしたこの舌触りが、赤いイチゴ――これはベリーか。とろみが果実に絡んでちょうどいい……!)
加えてたまらないのは、イチゴの酸味だ。
あえて甘すぎないこのイチゴが、チョコレートの甘味を中和している。
「……次は、こいつだ」
串に残ったバナナを目の前に、グランは自然と期待した。
震える手でしっかりと串を握り、頬張る。
(――ああ、柔い)
チョコレートの口当たりと、バナナの柔らかな食感。続けて広がるそれぞれの甘味が、ぶつかり合うことなく溶け合う。
チョコの苦味が働いて、甘ったるさを打ち消してくれている。
「なんという……食べものだ……」
これが、普段口にしている果実だとは、グランは到底思えなかった。
「店長、これ、すごく美味しいです!」
「ああ、実にうまい。俺は気に入ったぞ!」
「それはよかった。今日は果物をたくさん仕入れたので、たくさん食べていってくださいね」
はい、と明るく返事をするラウロと、無言で頷いたグランはそろって新しい串を用意する。
「うぅ、お仕事なので仕方ないですけど……皆さんずるいです……」
「大丈夫だよ、エルキアちゃん。果物はたくさん用意したし、後でちゃんと取っておいてあげるから」
「ほ、本当ですか!?」
ぱぁっと笑顔になったエルキアは、小さくガッツポーズを決めると、鼻歌交じりに串の回収の仕事に戻る。
すると、カランカランと音が鳴り、店の扉が開いた。
「失礼します」
ガシャンガシャンと鳴り響く、鎧がぶつかる独特な音が響く。
店主は扉を振り返り、フルーツを選んでいたラウロはあからさまに顔をしかめた。
「お久しぶりです。えーっと、ラインヴァルトさん」
「お久しぶりです、店主殿。以前は店で騒いでしまい、大変失礼いたしました」
「いえいえ、お気になさらず。今日は一名様で――って、あれ?」
言いかけて、店主はラインヴァルトに続いて入店してきた人物に気付き、思わず疑問の声を上げた。
ふわふわと揺れる金色の髪。輝く翡翠の目。
戸惑うように店に入り、どこか緊張した様子で店主と向き合ったのはエリザだった。
「ご、ごきげんよう、店主さん。あの時以来ですわね……」
「あっ、エリザさん! また来てくれたんですね!」
「こんにちは。驚きました、ラインヴァルトさんとお知り合いだったんですね?」
「ええ、まぁ。今日は爺は来れなくて……。その、また、来たくなってしまったので、来たわ」
「そうだったんですね。気に入ってもらえて光栄です。お二人とも、こちらのお席へどうぞ」
そう言った店主の後を、エリザがついていこうとした時だった。
付き添っていたラインヴァルトが、一点を見つめて目を見開く。
「て、店主殿、あの噴水は一体? 店の中に噴水というのは、どういった風の吹き回しでしょう!」
「ああ、あれはですね――」
と、本日数度目になる説明を終えた店主の言葉に、エリザたちは頷く。
「異国のデザートというものは、知らないものばかりですわ」
「ええ、本当に……。ところで、何やらまた冒険者たちがのさばっていますね」
ラインヴァルトの視線の先。すでにチョコレートファウンテンを楽しんでいる、グランとラウロが振り返った。
「む。騎士団か」
「ご無沙汰ですね、グラン殿」
「うむ。仕事か?」
「はい、護衛の任務を」
短い言葉でありながらも、グランたちは淡々とやりとりを交わすと、グランの視線がエリザに向く。
「――貴族か」
「……ええ、そうですわ」
黙り込んだグランの視線と、エリザの視線がぶつかり合う。
言葉は発さず、互いを探る。そんな達人のようなやり取りが、目の前で行われる。
ラウロとラインヴァルトは自然と見守り、店主も静観を決めこんでいた。
「ここの店はいい店だ。きっと気に入るだろう」
「もちろん、すでに虜ですわ」
ふっと二人が同時に笑って、緊張の糸が切れるのがわかる。
ラウロは無意識にホッと息を吐き、ラインヴァルトでさえ胸を撫で下ろしていた。
「皆さん、取り皿持ってきましたよ~! チョコレートが垂れないよう、しっかりお皿を使ってくださいね」
「む。気が利くな、お嬢ちゃん」
「ありがとうございます、エルキアさん!」
皿を受け取り、準備に取り掛かる二人。
「エリザさんたちもどうぞ」
「ありがとう」
「ぼ、ボクは、一応仕事中ですので……」
「あら、あなたも食べるのですよ、ラインヴァルト。せっかく賑やかな催しなのですから」
「エリザ様がおっしゃるなら……」
と、一度は渋って見せるものの、ラインヴァルトはためらうことなく皿を受け取る。
初めに皿を受け取ったラウロたちは、すでに三本以上を作り上げていた。
「それじゃあお先に、いただきます!」
パクリ。ラウロが一口先に頬張った。
「んん~~っ、この緑の果実――キウイっていいましたっけ。酸味はありますけど、確かにイチゴとは違う。種の食感も面白いが、身が柔らかくてなんて食べやすさだ!」
瑞々しさはイチゴも負けていないが、どこがこんなに違うのだろうとラウロは疑問に首を傾げる。
イチゴより、弱い。いや、優しいというべきだろうか。
爽やかさだけを連れてきて、スッとのどを通るような。優しい優しい酸味がする。
「甘いなラウロ。バナナこそが安定だ。この食感とチョコレートのとろみ、甘味のかけあわせ。これこそが最強だ」
「グランさんの方がめちゃくちゃ甘ったるいじゃないですか」
「馬鹿者、そういう甘いではない」
「ふふ、お二方は仲がよろしいのですわね」
「え、エリザ様、こちらお作りしましたのでお召し上がりを……!」
軽口を交わしながらも、美味しそうに頬張る二人はペースを落とさず食べ続ける。
エリザたちもそれを見習い、用意した果実にかぶりついた。
「このオレンジ色に輝く果実、ぷりぷりとした果肉がたまりませんわ。香りもよく、チョコレートとの相性もいい。ラインヴァルト、試してみて」
「はい、エリザ様!」
「あ、俺にもください!」
冒険者に騎士団、それから貴族が集まって、和気あいあいと言葉を交わす。
ある人から見たら、これは異様な光景に映るかもしれない。
でも、店主はそれを微笑みながら見つめて、
「席、せっかく用意したのに必要なさそうだね」
「そうですね。でも、こうして皆さんが好き勝手に召し上がっていると、ちょっとしたパーティーみたいです」
「パーティーか……。うん、そうだね」
「はい。皆さんすごく楽しそうです」
相容れなかった冒険者と騎士団。交わらないと思っていた貴族。
エルキアはそんな自分の考えが、この店一つで覆されたことに笑顔を隠すことはできなかった。
「甘いもので人を幸せに、かぁ……」
「え?」
「いえ、なんでもないです」
エルキアが悪戯に笑う。
カランカランとベルが鳴り、次なる客がやってきた。
「いらっしゃいませ~! さ、店長、お仕事ですよ!」
「うん、そうだね」
接客に向かうエルキアに、店主もまた続いていく。
チョコレートファウンテンに夢中になっていた、エリザの視線が向いているとは気付かずに……。