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貴族、到来


 エリザ・ツヴァインが異世界スイーツの名を聞いたのは、比較的屋敷の近くにある、ウイルダムの街へ買い物に出ている時だった。

 執事の爺に付き添われ、市民の様子を見たいと要望したエリザは、冒険者が出入りする冒険者ギルドにいた。


 なんでも冒険者たちの話によると、そこ『異世界スイーツ』では、糖を使ったデザートを銀貨たった十枚で提供するらしい。

 令嬢であるエリザにとっては、銀貨十枚など大した金額ではない。

 だが、糖というものは本来貴族のみが食することのできる、実に貴重な調味料だ。平民などと言った人物たちが、食べていい代物じゃない。


 よって、エリザ・ツヴァインは行動を起こした。

 赤い屋根が目印の、異世界スイーツに乗り込んで叫ぶ。


「異世界スイーツとやら、唐突なことではありますが、私に糖を売りなさい!」


 この一言が、まさか自分の価値観を変えることになるなんて、微塵も思いもせずに……。


「え、えーっと……あの、いらっしゃいませ……?」

「客ではないわ、挨拶は不要よ」

「え、えぇっとぉ……」


 戸惑ったように声を上げるのは、店のウエイトレスだと思われる亜麻色の髪の少女。年はエリザと同じ、十五程に見える。大きくぱっちりとした瞳は、エリザと違ってたれ目で、青い輝きを持つ。

 金色の髪に緑の瞳を持ったエリザとは、また違う雰囲気がある。


(同い年くらいの女の子に会うのって……もしかしたら初めてかもしれない――って違う違う、用があるのはここの店主よ。ウエイトレスなんてどうでもいいわ)


 エリザは気持ちを切り替える意味でも、小さく頭を振ってから改めて店内を見渡す。

 糖を扱う店だというから、もっと派手な内装をしていると思っていたが。店の外と同様、案外シンプルな作りになっている。

 落ち着いた雰囲気が緊張を解いて、ホッと息をつきたくなる。


(お店、お客が入っていないのね……。早朝のせいもあるかしら、誰もいなくてよかった――っていけないいけない、早く店主を呼ばなくちゃ!)


 コホン、とわざとらしく咳払いをして見せるエリザ。

 気が付けばウエイトレスの他に、真っ白な服に身を包んだ、大柄の男が一緒になってエリザを見ていた。


「あなたがこの店の店主? 私はエリザ・ツヴァイン。そしてこっちが執事の爺。以後お見知りおきを」

「これはご丁寧に、店長のタカツカです」

「ウエイトレスのエルキアです」

「今回はどういったご用件でしょうか?」

「ふん。入店と同時に叫んだけれど、もう一度言ってあげるわ。私、エリザ・ツヴァインはこの店の糖を買い取りに来ました」

「はぁ、買い取りに、ですか」

「ええ、買い取りに、ですわ」


 パチンと指を鳴らして、エリザはずっと背後に控えていた爺に合図を飛ばす。

 しわ一つないタキシードに身を包み、合図を聞きつけた爺がサッとエリザの前に出る。

 その手に掲げられていたのは、何十枚にもなる金貨の輝きを覗かせる高級そうな袋だった。


「これは……?」

「見てわかりませんこと? 金貨ですわ。もしこれだけでは足りないというのであれば、追加しても構いません」

「……買い取りたいとおっしゃる、理由を聞いてもいいですか?」


 問いかけた店主に、エリザはにやりと口角を上げた。

 ――いける。やはり金貨を目の前にしては、人の心は揺らぐもの。

 いきなり話に食いついては店主のメンツが潰れてしまうから、これはあくまで建前だ。

 エリザは吊り上がった口角をコホンと咳払いで誤魔化し、上品な笑みを作る。


「ええ、構いませんわ。ご存じだとはお思いですが、この店が扱っている糖という調味料は、財力を持った貴族のみが食すべき至高の代物。言わば高級品ですわ。

 でも、この店はあろうことかその高級品をたった銀貨十枚で売りさばいているというではないですか。糖の味もまともに分からない、平民にです。

 であれば、糖を食すにふさわしい貴族であるこの私が所持すべきだと考えましたわ」

「つまりあなたは、この店のスイーツを独占しようというおつもりで?」

「ええ、そうよ。あなたは金貨を貰って、私は糖を得る。働いてお金を稼ぐより、ずっと楽な提案じゃない?」

「それは、そうでしょうね」


 ああ、なんて呆気ないのかしら。

 エルキアと名乗った少女は、終始不安そうな表情で店主の顔を見つめている。可哀そうなこと。


「では、どうぞ金貨を受け取ってくださいな。追加分を要求するなら、今のうちに言って――」

「お断りします」

「――、え?」

「糖は売りません。お引き取りください」

「な、な、何を言っているのよ! 金貨ですわよ? しかもこれだけの量の! いらないとおっしゃるの?」

「はい」


 何故? とエリザは真っ先に思った。

 これだけの金があれば、生活には困らない。さっさと店を売り払い、好きなだけ遊んで暮らせばいいのに。


「僕は、お金を稼ぐために店を開いたんじゃありません」

「……どういうこと?」


 思考を読み当てたような店主の言葉に、エリザは素直に聞き返した。


「僕がこの店を開いた理由は、僕が作ったスイーツを食べて、みんなに幸せな気持ちになってほしいからなんです。誰か一人だけじゃなくて、できるだけたくさんの人に」

「……食べた人、みんなを、ですって?」

「はい。それがこの店、『シュガー』のモットーです」


 揺らぐことのない声色で言い切る店主に、嘘はないように思える。

 しかし、美しいほど真っ直ぐなその店主の言葉に、エリザは皮肉めいた笑みを浮かべた。


「いいわ、では証明してみせなさい。あなたのスイーツを食べた人間が、本当に全員幸せになれるのか」

「――ええ、構いませんよ」

「て、店長っ」


 ようやく口を開いたエルキアは、恐らく店主とエリザの間に流れる空気が変わったのに気づいたのだろう。

 エリザと店主、両方を交互に見やって、小さなうなり声を上げる。


「では、デザートに対する要望をいいかしら? 一応お聞きするけど、大体のものは作れるのよね?」

「ええ、もちろんです。ご要望をどうぞ」


 余裕そうな表情は変わらない。

 しかしその余裕、いつまで持つか。


「そう。――では、卵とミルク、それから果実は使わずに、彩りのあるケーキを所望するわ」

「えっ、け、ケーキって、そんな!?」


 エリザの言葉に悲鳴を上げたのは、エルキアの方だった。

 店主の方は表情を変えず、考えるように腕を組む。


「お嬢様……」

「止めても無駄よ、爺。私は引かない」

「――かしこまりました」


 気遣うような爺の声に、エリザは振り返らぬままそう答えて見せる。

 そうだ。これは店主とエリザ、一対一での勝負だ。


 といってもこの勝負、もはや勝ちと言ってもいい。

 エリザの記憶が正しければ、美味しいケーキを作るには卵とミルクが必須であるはず。しかも、唯一の彩りとなってくれる存在は果実以外に存在しない。

 この条件が課せられて、食べた人間を幸せに出来るデザートなど作れないに等しかった。


(それに、万が一にでも食べられるケーキを持ってこようものなら、私が美味しいと言わなければいいだけの話ですわ)


 どう転がっても勝利しか見えない。

 そんな現状にエリザの笑顔はますます深みを増していた。


 しかし、


「卵にミルク、それから果実が使ってはいけない食材ですね。かしこまりました。他にございませんか?」


 と、店主は未だ顔色一つ変えないまま、当然のようにそういった。


 ――他? 今、他って言った?

 卵とミルクを封じられただけでなく、他に封じるものはないのかとあえて店主が聞きに来た?

 虚勢か。はたまた秘策があるのか。どちらによるものかはわからなかった。


「言っておきますけれど、使っていないなどと言った嘘は通用しませんことよ」

「嘘をつくだなんてとんでもない。この店の店主として、約束は守らせていただきます」

「……なら、他に要望はないわ。一応、監視として爺をつけさせていただきます。時間はいくらでも待ちますから、せいぜい足掻いてくださいまし」

「かしこまりました。では、失礼いたします」


 礼した店主と、エリザの指示を聞いた爺が店の奥へと消えていく。

 姿が見えなくなって、ようやくエリザはホッと息をついた。


(あの余裕、最後までなくならなかった。余程の自信があるようね。……でも、あの店主が私に勝つことは不可能よ)


 半ば言い聞かせるようにそう唱えたエリザは、僅かに滲む手汗を握った。


「あの、お待ちの間、よろしければお席へどうぞ。お水をお出しします」

「――そう。では失礼するわ」


 そういえば、ウエイトレスもいたんだっけ。

 エリザは椅子に腰かけながら、水をくむエルキアをじっと見つめる。

 働き場所を奪うことにはなるが、この店が手に入ることはもう決まったも同然。彼女には悪いが、エリザは安心して残りの時間を待つことにした。


「お待たせいたしました」


 しばらくして、店の奥へと消えていた店主と爺が、再びエリザたちの前へと現れる。

 店主の手には銀で出来たお盆が持たれており、ケーキが運ばれてきたのだとわかった。


「店長……」


 不安そうなエルキアの声。

 エリザは爺を見つめたあと、目の前へやってきた店主を見上げた。


「どうぞ。こちら、カボチャのモンブランになります」

「――これは」


 コトリと置かれた皿の上に広がっていたのは――鮮やかな橙色。いや、黄色とも言えるだろうか。うねうねとした一本一本のなにかが、面白おかしく形作っている。

 頂点を飾る星形の緑は、ワンポイント感が愛らしい。


「こ、この色合いは? 果物は使っていないのよね?」

「ええ。カボチャは野菜の名称で、甘味があることからデザートにはよく使うんです」

「野菜、ですって……?」


 そんなもの、少なくともエリザは見たことがなかった。

 しかし、目の前にある以上否定することはできまい。真実かどうかは、味で確かめればいいのだ。

 エリザはフォークを手に取って、そっとモンブランを一口分すくう。


 そして、ぱくり、一口。

 瞬間、エリザは翡翠に輝く瞳を大きく、大きく見開いた。


(な、なに、このケーキ……! 口の中に入れた途端――溶ける!)


 口の中に広がったのは、カボチャと思われる香りと、その甘味。

 柔らかいを通り越した滑らかな口溶けが、口内全体へと味を行き渡らせる。

噛む必要がないと思うその一口目を飲み込んだ後、エリザはすぐさま二口目をすくった。


「この色、この香り……。これ、もしかしてカボの実……?」

「ご名答でございます。お嬢様」


 橙色をまじまじと見つめ、独り言をこぼしたエリザに爺がすぐさま同意する。

 しかし、爺のその言葉はエリザの頭を混乱させた。なぜなら、カボの実は本来食用としては使用しない野菜だからだ。

 種ばかりの中身を全て捨て、ランタンなどに使用する。食べるなんてありえない。


(こんな味をしてたなんて、知りもしなかったわ……)


 溶けるような食感は、噛んでも噛んでも口内に残るような粉っぽさを一切感じさせない、ミルクを使っていないとは思えないほどしっとりとした食感だった。


(この緑の星は、カボの実の皮を使って作っていたのね……)


 エリザが気がついた頃には、上に乗っていた橙色はすっかり姿を消していた。

 下に残る生地はおそらく、焼き菓子を使用したものだろう。こんがりとした焼き色が、食欲を駆り立ててくるのがわかる。

 エリザはフォークをあてがい、ザクリ。

生地を口内へ運んだ。

 サクサク。サクサク。と心地よい歯ごたえに、噛めば噛むほどにじみ出てくる控え目な糖の甘さ。

上に乗っているカボの実と合わさっても、甘すぎないよう調整されている。


(これを……この上のカボチャと、生地を同時に食べたら……)


 プルプルと震えるフォークをあてがい、エリザはごくりと喉を鳴らす。

 鮮やかなカボの実と、ザックリとした生地。

 美味しくないわけがない。美味しい以外ありえない。


 エリザは息を整え、口に運ぶ。

 そして確信した。


 ――美味しい、と。


 気が付けば、目の前にあったモンブランは、あっという間に姿を消していた。


「――……美味しかった」


 フォークを置いて、うっとりとしたため息をこぼすエリザ。

 勝負のことを思い出して、我に返った時には、もうすでに手遅れだった。


「満足していただけましたか?」

「あっ、い、いえ、今のは違うの。そう、違うのよ、美味しいではなく、ええっと……そう、おしいといったのよ! 確かに味は中々だけれど、認めるにはおしいわねと、そう言ったの!」

「はぁ、おしい、ですか」


 苦笑交じりの店主の返しに、エリザは顔に熱が集まるのをじわじわと感じた。

 そうだ。これは負け惜しみだ。

 負けたことが悔しくて、子供が駄々をこねるようなもの。

 令嬢たるもの、無様な真似はしてはならない。そう、エリザは考え改め、咳払いの後におずおずと口を開く。


「……と、言うのは嘘でして。その、ぅ……お、美味しかったわ……あなたのケーキ」

「お嬢様……!」

「子供の成長を喜ぶ父親みたいな目はやめて、爺!」

「は、失礼いたしました。つい感動してしまって……」


 よよよ、と白いハンカチで目元を拭う爺の子芝居に、エリザは更に顔を熱くして、苦笑を浮かべる店主とエルキアを勢いのままに睨む。


「や、約束は約束よ! この勝負、負けを認めてさしあげますわ!」


 エリザがそう叫んだとたん、エルキアは笑顔を浮かべ、店主もホッと顔をほころばせた。

 エリザは勢いのまま「だから」と続けて、


「お、おかわりを……くれないかしら……」


 ――。

 ――――。


 カランカランと扉が鳴って、爺に連れられたエリザがゆったりとした足取りで店を出ていく。

 後ろからは店主、エルキアが続いて、見送りのためにエリザに付き添った。


「迷惑をかけましたわね。その、ごちそうさまでしたわ」

「とんでもございません。また好きなだけ食べに来てください。その時は、別のケーキをご用意しますよ」

「そ、そう。そういうことなら、また、来ますわ……」

「はい」


 エリザは店主たちに背を向けると、とめていた馬車へ乗り込む。

 トクトクと優しく高鳴る心臓は、エリザの頬を紅潮させた。


「それでは、失礼いたします」


 馬車の戸を閉め、運転席へ移動した爺の言葉を合図に、ガラガラと音を立てた馬車がゆっくりと走り出す。

 小さくなっていく二人の影は、最後まで手を振っていてくれた。


「……ねえ、爺」

「はい。なんでしょう?」

「あのお店なら、私も……誰かと一緒に、楽しく食事が出来るかしら……?」

「――ええ、きっと、楽しい時間を過ごせますでしょう」

「……そう」


 微笑んだような爺の声色に、エリザもまた、小さく微笑んで笑った。

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