熟練冒険者とゼリー
冒険者の日々は、主に命のやり取り、または発見で満ち溢れていた。
と、言っても、もちろん一概にそうだとは言えない。
命のやり取りを好まない冒険者はいるし、未知なる発見になど全く興味を示さない、なんて冒険者だっている。
目的なんて人それぞれ。まさに多種多様、冒険者というのはそう言うものだ。
中でも、もうかれこれ数十年も冒険者を続けているグランは、戦いこそが生きがいだった。
物心ついた頃から剣術に励み、いつだって『強者』を求め続けてきた。
ここ数年はめっきりいなくなってしまったが、最近、気になる噂が一つある。
冒険者が集まるこの町に、魔物を使役する人物がいると言った噂だ。
大方、実力のあるビーストテイマーに、面白がった冒険者たちが色々と尾ひれをつけた結果だろう。
そうグランは思っていたが、どうやら違うらしい。
何故そんなことがわかるのか。
理由は簡単。その噂を流した張本人が、グランの下を訪れたからだ。
名を、ラウロ。茶色の癖毛が特徴的な、若い男の冒険者だった。
「正体を一緒に確かめてほしい、との依頼だったが……本当にここにいるのか?」
「はい。この店です」
「…………店、か」
真っ直ぐなラウロの瞳から目を逸らして、グランは目の前の建物を見上げた。
白い壁に茶色の扉。赤い屋根はひどく目立って、この辺りの建築物でないのが一目でわかった。
異国のデザートを出す店シュガー、別称異世界スイーツ。
グランも一度は耳にしたことのある場所だった。
(異国から流れてきた強者、か……。こんな店に隠れていたとはな)
ふっとこぼれる笑いを我慢して、グランは新たなる強者との出会いに期待を膨らませた。
もし、この若者が言っていることが嘘であれば、後で痛い目を見て貰おう。
「行くか」
「はい!」
踏み出したグランに続いて、ラウロも後ろをついてくる。
扉は、カランカランと音を立てて開いた。
「いらっしゃいませ~! 二名様でよろしかったですか?」
「む……女?」
店内に踏み込むや否や、グランたちを迎えたのは、亜麻色の髪を揺らすメイド服の少女。
視線で「こいつか?」と問いを投げるグランに、ラウロは黙って首を横に振った。
「えっとぉ、お二人以外にもいらっしゃいましたか……?」
「いや、二人で問題ない。案内を頼む」
「かしこまりました。こちらのお席へどうぞ」
少女の後に続きながら、グランはまばらに人がいる店内を見渡した。
見たところ、客は冒険者が大半のようだったが、ギルドのような賑わいはなく、みな落ち着いた雰囲気で食事を楽しんでいた。
(なるほど、あれが異国のデザートというものか。確かにどのテーブルを見ても、見慣れたものは一つもないな)
噂の信憑性が少し高まり、グランは席に着くなりにやりと口角を上げた。
(ハッ、いかんいかん。今のところ魔物の気配は感じないが、いつ現れるかもわからん。相手の実力がわからない今、こちらの内情を悟られるわけにはいかない……!)
向かい合うように座ったラウロが、笑顔の少女からメニューを受け取る。
グランはひとり気を引き締め、その様子を目で追った。
「こちら、無料でお出ししているお水になります」
「む……。ここは水を無料で出すのか」
「はい。お代わりも出来ますので、気軽にお申し付けください」
ずいぶんとサービスの行き届いた店だな。とグランは素直に感心すると、気持ちを落ち着ける意味で水を一口飲み込んだ。
「……ラウロと言ったな」
「あ、はい」
「この店、払いはいくらになる?」
「銀貨十枚程です」
「……それは真実か?」
「はい。間違いありません」
グランの言いたいことを察しているのか、ラウロはまっすぐな瞳でそう答える。
どうやら嘘ではないらしい。
(魔物を使役する噂と、このガラスの容器……。儲けは魔物による素材提供か……?)
わからない。
わからない、が、わかることは二つある。
一つはこの店の財力が、グランの予想をはるかに超えていたこと。
二つ目は、噂の信憑性がさらに高まったことだ。
「グランさん、なに頼みます?」
「む……、そうか。ここは飲食店だったな」
であれば、注文しないまま居座っているのも、かえって目立つし失礼というものだ。
グランは手渡されたメニューを開き、異国のデザートが並ぶページをひたすらにめくった。
中身は、読めるのに、読めない。
グランは何度も目を凝らし、そこに書いてある文字たちを追った。
「ラウロ、お前は何を頼むんだ? 見たところ、メニューを開いていないみたいだが」
「俺は『パン・ケーキ』を頼もうかと。甘いハチミツが最高なんですよ」
「パン・ケーキ?」
ページを何度かめくってみれば、確かにそんな項目がある。
なるほど。パンと言われれば大体のイメージは付く。が、生憎パンは食べ飽きた。
ハチミツがどんなものかはわからないが、グランにはあまり魅力的には映らなかった。
「このゼリーと言う食べ物は、味が選べるのか」
アップル、オレンジ、マスカット、ソーダ。
アップルと言う名前は、市場などに売っているアッフルとよく似ている。
となれば、オレンジというのはオレンの実のことだろうか。
ソーダやマスカットが何かはわからないが、恐らくこのゼリーと言う食べ物は果実を元に作られているのだろう。
「お嬢ちゃん。このゼリーとか言う食べ物の、ソーダとやらを頼む」
「あ、俺はパン・ケーキを!」
「ゼリー(ソーダ味)に、パンケーキですね、かしこまりました」
やっと決まった。
グランはホッと息を吐いて、眩しい笑顔を咲かせていたメイド服の少女が、店の奥に消えていくのを見送った。
瞬間、今だ、とグランは前のめりになって声を潜める。
「魔物使いはどこにいる? 店の人間はあの少女しか見当たらないぞ。彼女がそうなんじゃないのか?」
「そんなまさか。たぶん、奥の部屋にいるんですよ」
「たぶんだと? その根拠はどこにある。前回来た時も、店主とやらの姿はみなかったのだろう?」
「それは、そうなんですけど……」
まあ、ラウロがそう言いたくなる気持ちも分からなくはなかった。
なんせ、ウエイトレスの少女はあまりにも可憐で、魔物使いなどと言った強者の異名とは無縁そうだからだ。
しかし、これはあくまでイメージ。
強者は身を隠すと言うことを、グランは長い冒険者歴の中で学んでいる。
「なんにせよ、奥の部屋に引きこもられては探りようもない。もうしばらく様子を見よう」
「はい……」
魔物使いの存在の証明。
簡単そうな依頼に思えたが、案外これは骨が折れるかもしれない。
「お待たせいたしました~! お先に、ご注文のゼリー(ソーダ味)です」
「おぉ、来たか。丁度小腹も空いたことだし、腹ごしらえとしよううぅんん!?」
「なっ、これはまさか!?」
「ごゆっくりどうぞ〜」
立ち上がるラウロ。
のけぞったグラン。
能天気なウエイトレス。
すべての行動がちぐはぐとなった時、『ソレ』は目の前に現れた。
青みを帯びた、透明の球体。
カクテルグラスのような洒落た容器の中に鎮座してはいるが、その見た目はまさに――奴。
「「す、す、スライムだとぉ——!?」」
そう。冒険者であればだれもが一度は戦う存在。魔物の一種である、スライムそのものだった。
(ど、どう言うことだ。薬品としてなら魔物も素材にすると多少聞いたことがあるが……、これはもはや『奴』そのものじゃないか! まさか、これがデザートだとでもいうのか!?)
立ったままのラウロに、グランはゆっくりと目を向ける。
互いに一つ頷き合い、グランは恐る恐る手を伸ばして、皿を揺らした。
ぷるるん。
ぷるるん。ぷるるん。
ああ、『アイツ』だ。
グランとラウロの心は、一つの答えにたどり着いた。
「お、お客様、大きな声を出されてましたが、どうかなさいましたか?」
慌てたような店員の声。
しかしそれは先ほどのウエイトレスのものと違って、低く、安定した声色を持つ男性のものだった。
グランが声に反応し、振り返った先に見えたのは、白い服に白い帽子を着用した、黒髪の大男。鍛えられた腕やその体格は、一つの道を極めた者のみが放つことができる、確かな強者のオーラを纏っている。
その姿を認識した途端、グランは直感的に思った。
彼が店主だと。
「いや、なんてことはない。このゼリーとやらの食べ物に、少々驚いただけだ」
「そうでしたか。なにかおかしな点がありましたら、すぐに言ってくださいね」
「ああ、そうさせてもらおう」
笑顔を浮かべ去っていく店主を、グランは姿が見えなくなるまで見つめていた。
(おかしな点、だと……?)
おかしな点なんてキリがない。
なんせ、このゼリーそのものがおかしいのだ。スライムを丸々デザートにしたような品物が、おかしくないわけがない。
「グランさん、今のは……」
「ああ、間違いない、店主だ」
椅子に座りなおし、声をひそめたラウロがグランの言葉に息を飲む。
グランはゼリーを見つめ、湧き上がる感情を抑えていた。
(異国のデザートを提供する魔物使い。目の前のスライム、先ほどの言葉……。食して見せろと言うことか、店主よ)
これは、グランに対する挑戦だと、グランは考えた。
ならばその戦い、冒険者として受けるが当然。
万が一のための万能薬は普段から所持しているし、相手も店を経営している以上、死なせるようなことはしないだろう。
(相手は所詮スライム。冒険者歴が数十年に渡る俺にとって敵ではない——!)
いざ。と武器——スプーンを構えたグランは、勢いのままにスライムをすくった。
いつも戦うスライムのねばねばした印象よりは、だいぶあっさりとその身をグランに捧げてくる。
「そんな、無茶ですよグランさん!」
「止めるな! 止めてくれるな……。これは、強者との戦いなんだ――!」
ぱくり。
グランは一口頬張った。
(んな!?)
な、なんだ。なんなんだこの舌触りは。
ひんやりとして、ツルツルと口内を滑る。表面の汁は甘く、しゅわしゅわとした感覚が舌を刺激する。
ゴクリ、とグランは一口を飲み込んだ。
そして、またたくまに二口目を口に運ぶ。
(わからない。これがスライムなのか!? 甘く、それでいて爽やか。……食べ物なのに、飲み物のようにスルスルと行けてしまう)
流れるように喉を通り、溶けるようにもろい。
噛み砕くなどと言った行為は必要なく、ちょっと舌で圧力をかけてやれば、口の中でポロポロと崩れた。
「うまい……」
「うまいんですか!?」
ラウロの声が聞こえる中、自分は、このスライムに敗北してしまったとさえグランは思った。
スプーンは止まらない。気付けば、皿の中は空となっていた。
「む……、しゅわしゅわの正体はこれか。どれ、全て飲みきってやろう」
グランは容器の中に残った透明な液体を一気に飲み干す。
甘く、シュワッと口内を優しく刺激するその液体は今まで飲んだことがない。いや、刺激だけ言うのであれば、酒場で飲む酒が唯一近いのだろうか。
しかし、あれはこれほどまでに優しい刺激は持ち合わせていない。
グランはグラスを掲げて、
「もう一杯! いや、もう五杯だ! 同じものを頼む!」
「おかわりですね、かしこまりました~!」
ウエイトレスの明るい声に、グランはふぅと一息つく。
(熟練だと思っていたこの俺も、この店ではスライム相手か……。いい、気に入った。気に入ったぞ、異世界スイーツ)
そうなれば、冒険者としてすることは一つ。
心行くまで冒険を楽しみながら、熟練度を上げていくのみ。
すべては、強者店主と戦うために。
「さあ、二回戦と行こう。お前も続け、ラウロ!」
「え? あ、は、はい!」
「お待たせしました~! こちらパンケーキと、ゼリーのお代わりになりま~す!」
――それからというもの、グランとゼリーの戦闘は、小一時間ほど続いた。
昼時を過ぎた店内はすっかり客が減って、残るのはグランたちだけとなった。
「申し訳ありません。ソーダ味のゼリーは、さっきお出ししたのが最後になってしまって……他の味でしたらご用意できますが、どうしますか?」
「む。であれば、今日はこの辺にしておこう。腹は十分に満たされた」
「かしこまりました」
大量のゼリーで満たされた腹は、たぷたぷと音をたてている。
少々、いや、確実に食べすぎた。それもこれも、あのゼリーが軽いから悪い。
まるで飲み物を飲むように喉を通る、あの美味しい美味しいゼリーが悪い。
(依頼も無事に達成したし、収穫は十分だろう……)
先に会計を済ませたラウロは、確かパンケーキを二皿程平らげていた。
あれも中々に美味そうだったし、何より『ハチミツ』とやらに興味がわいた。次はあれを頼むのもありかもしれない。
と、そこまで考えたグランは、自然と次のことを考えている自分がいることに気が付いて苦笑した。
「どうかなさいました?」
「いや、なんでもない。とても楽しませてもらったぞ」
「それは、よかったです?」
不思議そうなウエイトレス。
グランは笑みを浮かべ、店を出ようと踵を返す。
「店主に伝えてくれ。ここのゼリーとやら、実に美味だった。ぜひまた挑ませてほしい、と」
「挑む、ですか。かしこまりました、必ず伝えておきます!」
「うむ」
カランカランと扉を開けて、グランはラウロと店を去る。
――また、挑みにこよう。
そうして、また心行くまでゼリーを食べよう。
扉が閉まる瞬間、グランはそう胸に誓った。
「さ、依頼は達成だ。ギルドに戻るぞ、ラウロ」
「はい、グランさん!」
いつかあの店主の、本気と戦ってみたいものだ。
そう、グランは願いながら、赤く染まり始める空の下、商店街を歩いていった。