魔女の噂
「「魔女?」」
昼時が過ぎて、冒険者たちが帰り始める店内。
店主とエルキアは片づけをしながら、声をそろえてラウロの話に首を傾げた。
ラウロは大きく頷いて、相席していたグランは静かにゼリーを食べていた。
「魔女、と言っても、本当は黒魔術を使う謎の人物を指しているだけで、正体は不明なんですけどね。人によって男だって言ったり、女だって言ったり、ギルドの中で噂になってて、今ちょっとした話題なんですよ」
「へぇ。なんだか不思議なお話ですね」
「ですねぇ。この街の人たち、噂がとっても好きですよねぇ」
宙を見上げた店主の声に、エルキアが釣られて上を見る。
のほほん、とした二人の口ぶりに、ラウロの瞳が怪しく光った。
「なんでも噂のその人物、数ヶ月前にもこの街に現れたそうですよ。夜な夜な謎の儀式を行ってて、悪魔召喚を企んでいるんだとか!」
「ひぇえ、悪魔ですか!?」
「大丈夫だよ、エルキアちゃん。もしもの時はお塩撒いてあげるから」
「ふぇえ……おしおですか……?」
声を上げたエルキアに、店主がにこりと微笑んだ。
「ちなみになんですが、ラウロさん。その黒魔術って言うのは、えーっと……実際にあるものなんですか?」
「はい。多分、魔法の部類だと思いますよ」
「まほう……」
頷いたラウロに、店主が乾いた笑いをこぼす。
「そう案ずるな。俺もラウロも詳しいことは知らないが、大方、目撃した奴らが好き勝手に言っているのだろう。噂は所詮うわさ、どこまでが本当で、どこまでが嘘かはわからぬ」
「ふふふ、まるで店長の噂みたいですね」
「え、僕の?」
首をかしげた店主に、ラウロが慌てて両手を振る。
しかし、エルキアはそれに気付かなかったのか、お構いなしに「はい」と返す。
「店長の扱う商品が、魔物から取れる素材なものですから。店長は魔物を使役する、魔物使いなんじゃないか~なんて」
「そ、そんな噂があるの?」
「あはははは。誰でしょうねぇ、そんなこと言い出したのは!」
慌てて誤魔化すラウロに、エルキアはクスリ笑って、
「噂ですから!」
と話を断ち切った。
「うむ。だがまぁ、今回の魔女に関しては、噂が大きくなりすぎて、ギルドは今や人で溢れている。なんでも、正体探しの依頼が殺到しているようだ」
「へぇ。それはまた、なぜ急に?」
「さてな。悪魔召喚だなんだと騒がれ、不安がる市民が出たのだろう。冒険者は未知の存在に惹かれざるを得ない者も多いし、正体不明などと噂をされれば、我こそがと動き出すのだろう」
「なるほど、それで最近……」
納得したようなエルキアが、こそりと角席に視線を向けた。
グランはゼリーを食べ終えて、チャリンと勘定を机に置く。
目の前でパンケーキを食べていたラウロは、立ち上がるグランを不思議そうに見上げた。
「グランさん、今日はもういいんですか?」
「ああ。噂話のせいで、ろくに稼ぎを出せていないからな。いつものペースで食べてしまっては、後々自分の首を絞めることとなる」
「う。そう言われると耳が痛いです……。なら、俺も今日は一皿にしておこうかな……」
「おや、それは残念」
「すみません、店長。またたくさん稼いだ時、たんまり食べます!」
「ええ、無理はしないでくださいね」
「はいっ」
笑顔で答えたラウロが、同じく勘定を机に置く。
店主は綺麗に空となった皿を片付け、ラウロたちを見送った。
カランカラン、とベルが鳴り、余韻が静かに店内に響く。
客の消えた店の中は、食器を片す音と、エルキアが机の位置などを調整する音だけが響いた。
「今日は皆さん、早めに帰って行きますね」
「だね。ラウロさんたちが言ってた噂話の効果なのかな……。みんな忙しいのかもしれないけど、お客さんが減るのは、お店としてはちょっと困るな」
「ですねぇ。私も今日は体力が余っちゃって、なんだか不完全燃焼です」
「うーん……。あまり長引かないといいんだけど」
と、店主がこぼした時だった。
バーンと扉が開かれて、勢いのままにベルが振り回される。
慌てて振り向いた店主たちの目の前には、三角帽子をかぶった、一人の少女が立っていた。
「お、お……」
顔を上げ、覗いた瞳が店主を見る。
赤い光を宿し、ゆらゆらと揺れる真っ赤な目。
震える唇が小さな声を上げて、今にも意識の糸が切れそうだ。
「お腹……す、た…………」
「お、お客様――っ!?」
意識を失った少女を、間一髪でエルキアが受け止める。
店主は慌てて椅子を繋げて、少女を抱きかかえたエルキアがそこに寝かせた。
「て、ててて店長、どうしましょう、お客様が……!」
「大丈夫だよ、エルキアちゃん。とりあえず落ち着いて、こういう時はお医者さんを――」
グゥウウウウ。
冷静に対応する店主の言葉を、消し去るほどの腹の音が響いた。
エルキアと店主、両方が少女を見つめ、閉じられた瞼がふるふると震える。
「うぅ……」
「て、店長、この子、意識が!」
「今の音、この子のお腹……?」
「お、おぉ…………お腹、すいた…………」
苦しそうに、しかしはっきりと。
少女が言った言葉に二人は顔を見合わせると、コクリと一つ頷き合った。
それからしばらくし、店内になにやら香ばしい匂いが漂い始める。
その間、エルキアは唸り続ける少女の傍で、静かに容体を見ていた。
「真っ白な長い髪に、三角の帽子……。旅人……もしくは冒険者の人かな。珍しい容姿……」
ぴくぴくと少女の鼻が動く中、エルキアはまじまじと少女を観察していた。
今は近くの椅子に置かれているが、入店時にかぶっていたツバの広い三角の帽子。さらさらと流れる銀色の長髪。真っ白なブラウスに真っ黒な膝上スカートは、シンプルだが美しく、小柄な少女には丁度いい。
エルキアはふっと、横たわる少女の顔に目を向けた。
「エルキアちゃん、出来たよ」
厨房に消えていた店主が、皿を持って現れる。
近づくにつれ漂っていた香りが増し、少女の唸り声が大きなものへ変わった。
「う、うぅうあ、ごはんんん……」
「はい、出来ましたよ、ご飯」
「うぅ、うぅう……う?」
ピクリ、少女の眉が動いたかと思えば、唸り声が止んだ。
そして、パチリ。
「めっちゃいい匂い~~っ!」
瞳を開けた少女が、勢いのままに起き上がる。
「どこ、どこから!? ぼくのごはん、どこ!?」
「こちらになります。手早く作れるものがパスタだったので、勝手に作ってしまいましたが――」
「わぁああどうもありがとう! これも日頃の行いの良さ……! ああ、感謝します神様ぁっ」
店主の言葉を遮って、吸い込まれるように席についた少女が、置かれたパスタを食べ始める。
笑顔を保ったまま固まる店主は、話すタイミングを失ったように微動だにしなかった。
「ぷはぁ~~っ! ごちそうさまぁ、助かったぁ。はぁ、生き返るぅ」
「……それはそれは、なによりです」
エルキアが無言で見守る中、動き出した店主がようやく言葉を口にした。
少女はふっと顔を上げ、
「ところで。お兄さんたち、誰だい?」
と、コテンと首を傾げていった。
「ここは、ウイルダムと言う町にある小さな飲食店です。僕は、その店のオーナーをやっている、タカツカと申します」
「エルキアです」
「お客様が入店と同時に意識を失われたので、勝手ながら、お食事を用意させていただきました」
「わ、そうだったの? うぅん……申し訳ないけど、ここ数日、飲まず食わずのせいで記憶が曖昧なんだ。迷惑をかけたみたいでごめんなさい。さっきのごはん、すごく美味しかったよ。……あっという間に食べちゃったけど」
「ありがとうございます。早食いは身体によくないので、次回からは注意してくださいね」
はぁい、と素直に答える少女。
店主はニコリと頷いて、あらかじめ置いておいたのか、隣の机にあったティーポットを手に取る。
「よろしければ、食後の紅茶はいかがですか? 一応淹れておいたのですが、苦手でなければ」
「いいのかい? あ、でも待って、今、手持ちを確認するから」
ごそごそと、スカートのポケットをあさる少女が、なにやら薄汚れた巾着袋を取り出した。
中を覗き、少女が頷く。
「いただきます!」
「かしこまりました。こちら、大変お熱くなっておりますので、お気をつけてお飲みください」
コポポポポ。
傾けたティーポットが、ティーカップに向けて音を鳴らす。
注がれる紅茶は透き通り、ゆらゆらと湯気を漂わせる。
店主はティーカップを少女の前へ差し出し、ミルクポットとシュガーポットをそっと並べて置いた。
「わ。なんだい、この色とりどりの丸いのは」
「こちら、よろしければなのですが、砂糖などの代わりに、飴を用意させていただきました。味ごとに変わるフルーツの香りが漂って、様々なフレーバーを楽しめますよ」
「アメ? ……聞いたことないけど、これはどうやって飲めばいいの?」
「砂糖と扱いは変わりません。紅茶の中に好きな粒を一つ落として、溶かしておしまいです」
「ふぅん、変わったものを出すんだね」
コロンコロン、と音を鳴らす飴玉を、少女が一粒つまみ上げた。
赤い瞳がじっと見つめるのは、桃色の飴玉。
「ぼく、この見た目気に入ったかも。宝石みたいで、とても綺麗だね」
ぽちゃんと一粒を紅茶に落とし、ティースプーンでゆっくりと混ぜる。
カランコロン。カランコロン。
小さな音が聞こえるようで、少女は瞳を閉じて溶けるまでの時間を楽しんだ。
ゆっくりと目を開け、溶け切ったことを確認し、手に取る。
「ふわぁ……いい香り」
少女は思わず、と言うようにそう声を漏らすと、少量の紅茶をコクリと飲んだ。
「はぁ~~……癒されるぅ……」
「よかった。用意して正解だったみたいですね」
「これはたまらないよ。さっき入れたアメは、ピーチの実だったんだね。香りと甘みが優しく追いかけてきて、体全体の力が抜けそうだよ」
「ありがとうございます」
高揚のため息をつく少女は、しばらく紅茶を楽しんだ。
エルキアはその間、飴玉の存在が気になっていたのか、前のめりになってシュガーポットを覗いていた。
「ところで、つかぬことを聞いてしまうようですが。お客様はどうしてこの店に? ……と言うより、空腹の原因を聞いた方が早いでしょうか」
「うーん、助けてもらった手前、教えないわけにはいかないなぁ。店主さん、紅茶のお代わり、もらっていい?」
「かしこまりました」
にしし、と笑う少女に、察したような店主が頷いた。
どちらにしろ、ティーポット分の値段は変わらないのだが、彼女なりの情報料金といったところだろう。
少女は注がれる紅茶を見つめ、ポツポツと話し出す。
「とは言っても、何を話したらいいのかなぁ。あ、名乗り忘れてたけど、ぼくアメリアって言うんだ。よろしくね」
「アメリアさんですね。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
フレンドリーなアメリアに、店主もエルキアもにこやかに答えた。
コロコロと飴玉を選ぶアメリアが、赤い飴玉を取り出す。
「詳しいことは話せなかったりするんだけど、実はね、ぼく、ここ数日人様に追われてるんだ」
「追われてる?」
アメリアの口から放たれた、衝撃的な言葉。
エルキアは思わず復唱し、店主は無言のまま表情を真剣なものに変えた。
「ほら、最近この街で噂されてない? 謎の儀式を行っている、謎の人物がいるって。ぼく、こんな見た目だから、冒険者の人たちが調査するみたいに集ってきてさ。……それが嫌で逃げてたら、一部の人に変に勘違いされちゃって、宿にも泊まれない始末。結果、野宿するわご飯はないわ、散々な目にあってたの」
「そんな……それは大変でしたね」
「噂話が大きいとは聞いてましたけど、こんな女の子が追い回されるほどなんて……」
アメリアは飴玉をポチャリと紅茶に落とし、くるくるとスプーンで混ぜながらエルキアの言葉に頷いた。
「だから、この街に来てようやく一息つけたような気がしたよ。美味しいご飯も、素敵な紅茶も、本当にありがとう。……はぁ、美味しい」
赤い目を細めて笑うアメリアが、ホッと息を吐いて力を抜く。
「ここでよければ、いつでも来てください。アメリアさんがこの街にいる期間は知りませんが、休まる場所になれれば幸いです」
「ありがとう。……店主さんたちとっても優しいね。ついつい、色んなことを話したくなるよ」
「ご気分が晴れるなら、いくらでもどうぞ」
「ふふ、店主さん聞き上手だね。……そうだな。じゃあ少しだけ」
そう言って、アメリアの瞳が伏せられる。
紅茶の飴玉をスプーンで持ち上げ、溶けかけの赤い飴玉をアメリアは宙に掲げた。
「その噂の黒魔導師はね。悪魔召喚なんか興味なくて、本当はなんの害もない魔法を、ただ街中で試していただけなんだ。……街の中でやったのが、最大の問題点だけど。本人はそれを自覚しているよ」
「……その魔法というのは?」
「ふふ、それはナイショだよ」
にししと笑うアメリアが、少し冷めた紅茶を一気に流し込んだ。
スプーンに避けていた飴玉を口内に含み、コロコロと転がす。
「ん。これ、このまま食べても美味しい!」
「ええ。飴玉はそもそも、そうやって食べるものですから」
「へぇ、変わってる」
ガリッ、と、アメリアが、小さくなった飴玉を噛み砕く音がした。
三角帽子をさっと被り、アメリアが立ち上がる。
「本当にありがとう、店主さん。今日くれたご飯、今度はゆっくり食べにくるよ」
「ええ、ぜひ。お待ちしております」
「ふふふ。あ、そうそう」
勘定を払い、扉に歩き始めていたアメリアが、不意に店主を振り返った。
「ぼくの名前、本当はリアって言うんだ。嘘ついてごめんね、タカツカさん、エルキアさん」
「……リアさん。ぜひ、また来てください」
「うん。必ずまたくるよ」
カランカランとベルを鳴らし、背を向けたリアが、光の向こうへ消えていく。
エルキアと店主は最後まで背中を見送って、扉が閉まる音を合図に、揃って互いの顔を見合わせた。
すると、
「て、店長〜!」
カランカラーンと騒々しく、ラウロが店に飛び込んだ。
「おや。いらっしゃいませ、ラウロさん。本日は二度目ですね」
「すみません、違うんです! あの、さっき話した噂、新情報が入ったんですよ!」
「へぇ、どんな情報なんですか?」
興奮気味に話すラウロを、落ち着かせるように店主が問いかける。
「どうやらその噂の魔導師の名前、アメリアって言うらしいです! この名前、きっと女性ですよね!?」
「アメリア?」
店主がエルキアの方を見て、エルキアもまた店主を見た。
瞬きを何度か繰り返し、ふっと二人の口元が緩む。
「ラウロさんってば、女の人の名前で喜んでるんですか? もしかして、噂の魔導師さんが気になってるとか……」
「ご、誤解ですエルキアさん! 俺はそんなつもりじゃあ……!」
「えー、どうでしょう。ね、店長」
「そうだね」
「て、店長まで!? 違います、誤解ですってばぁ!?」
空が夕日で赤く染まる時間。
ラウロの嘆き声が店の中へ響いていた。
店主はシュガーポットを片付ける際、覗いた赤色にふっと笑みをこぼした。




