訪れる嵐
「朝来たら、もうこれだったよ」
エルキアはそんな店主の一言から、いつも通りの朝はいとも簡単に奪われることを知った。
人の少ない朝の商店街。
行きかう人の視線はエルキアたちに向けられて、ヒソヒソとなにかをささやかれる。
エルキアたちの目の前に広がる光景は、あまりに惨く、残酷なものであった。
「一体、誰がこんなこと……!」
「さて、ね……」
壊れた扉の先に広がる、荒らされた店内。
ホールだけでこのありさまなのだから、厨房なんて目も当てられないだろう。
エルキアはその場に座り込み、溢れかえる哀しみや、怒りの感情を拳に込めて握りしめた。
「よ、よりによって、こんなに軌道が良い時にぃい――!」
エルキアの声は空へ響いた。
「うーん、やられたねぇ」
「泥棒ですか!? やっぱりこれ、泥棒ですか!?」
「どうだろう。これだけ物が荒らされちゃ、在庫の確認もひと手間だなぁ」
「手間暇の問題なんですか!? 店長、これ、手間暇の問題なんですか!?」
「まぁ落ち着いてよ、エルキアちゃん。こういう時は冷静に動かなきゃだよ」
「そ、それはそうですけど……」
差し伸べられた店主の手を、エルキアはとって立ち上がる。
改めて店内を見てみれば、机や椅子はひっくり返り、メニューもあちこち散らばっている。
「……どう見ても、泥棒の域を超えてますよね」
「そうだね。どちらかというと、荒らす方が目的に見える」
「……ひどいです」
エルキアは唇を噛みしめて、悔しさから滲む涙を、こぼさないよう上を見た。
すると、一回り大きな店主の手が、エルキアの頭をポンと撫で、
「ぼーっとしてる時間はないよ、エルキアちゃん」
「……え?」
「お店、せめてお昼までには間に合わせないと。……いや、夕方かな」
「ま、間に合わせないとって、店長。まさか営業するんですか?」
「もちろん。あ、でもこういう場合、先にラインヴァルトさんとかに連絡した方がいいのかな?」
「そ、それは、たぶん、連絡した方がいいと思います……」
「うん、なら向かおう。場所わかる?」
にこりと微笑む店主の瞳に、エルキアは無言のままに頷いた。
エルキアは思う。
なぜ、そんなにも笑顔なのか。なぜ、そんなにも冷静でいられるのか。
この店は、店主にとって大切な物のはずなのに。
案内を求める店主を見つめて、エルキアは思わず口を開いた。
「悲しく……ううん、悔しく、ないんですか……?」
店主の瞳が僅かに見開かれる。
「もちろん、すごく悔しいし、悲しいし怒ってるよ。……でも、ここで店を閉めてしまったら、それこそ相手に負けた気分じゃないか」
「――!」
負けた気分。
エルキアはその言葉が、すとんと不安を消し去ってくれたのを胸の中で感じる。
胸に手を当て、拳を握って、亜麻色の髪をエルキアが揺らす。
「そうですね。こんな困難、さっさと乗り切ってしまいましょう!」
「流石はうちの唯一のウエイトレス。その通り」
「ふふ、まだ数ヶ月のお付き合いですが、私だってこの店の一員ですから!」
「頼もしい限りだね」
じゃあ、と声をかける店主に、エルキアが頷く。
まず目指すは、騎士団の元だ。
昼の営業に間に合わせるため、エルキアと店主は速足で向かった。
「ぬ、盗人が現れただとぉ!?」
「しーっ、しーっ! 声が大きいですよ、グランさん!」
「む、すまん。俺としたことが、つい驚いた。……して、被害は?」
「店が荒らされて、扉や調理器具が壊されました……。あと、店にあったハチミツが、全てなくなっていました」
「……ハチミツ。ビーの蜜、か」
太陽が真上に浮かぶ時間、商店街の人も増え、町全体が目覚めるころ。
なんとか店を開いた店主たちは、やってきたグランに事情を説明した。
「犯人の方はどうなっている? 目星はついたのか?」
「いえ。今朝、ラインヴァルトさんたちに調査を依頼したので、とりあえず今は様子見です」
「むぅ……。騎士団が調査してるとなれば、見つかるのは時間の問題だろうが……。盗まれたのは、よりによってハチミツか」
「はい……。ラウロさん、きっと悲しみますよね……」
「……うむ」
肩を落とすエルキアに、神妙な面持ちでグランが頷く。
しばらくの間沈黙が続いて、他に客のいない店内はしんと静まり返った。
「む……。そういえば、先ほど店の扉が壊されたといっていたが。今朝の間に直したのか?」
「ああ、はい。ラインヴァルトさんに紹介して貰った、ドワーフの方にお願いして」
「ドワーフだと?」
そう言って、グランが眉を上げた時だった。
カランカランとベルが鳴り、店の扉が開かれる。
入店してきたのは、ドワーフならではの背丈をした、褐色肌の男だった。
「よぉ、店主さん。どうだい、店の扉、問題なさそうかい?」
「オットーさん! はい、おかげさまで元通りです」
「みてえだな。よかったよかった」
カランカランと音を鳴らし、扉の開閉をみるオットーと呼ばれたドワーフの男。
オットーは店主に向かってニッと笑うと、真っ白な歯を覗かせた。
「やはり、お前だったか、オットー」
「おお? なんでえ、グランじゃねえか! 偶然だな!」
「……お知り合いで?」
問いを投げる店主の視線が、グランの方を振り返る。
グランは一つ間を開けて、「腐れ縁だ」と短く返した。
「なぁに、武器屋と冒険者なんざ、切っても切りきれねえ縁があるっつーだけさ。店主さん、こいつと同じ席、いいかい?」
「ええ、どうぞ。今お水を用意しますので」
言いながら、グランの正面に腰かけるオットー。
エルキアは店主の目配せに気付くと、すぐに水を用意した。
「どうぞ。こちら、無料でお出ししてるお水になります」
「ほお、無料か。そいつはありがてぇサービスだ。ぜひいただくぜ、お嬢ちゃん」
「はい! おかわりも出来ますから、お気軽にお声がけくださいね」
ペコリと礼をした後に、笑みを浮かべてエルキアが席を離れる。
店主はオットーにメニューを手渡すと、同じように席を離れた。
「お前、今日は仕事でここに来たのか?」
「おう。盗人に扉を壊されたっつーもんだから、ちょいと直しにな」
「ほう。わざわざお前が出向くとは、珍しいこともあるものだ」
「なぁに。店主さんが代金と一緒に、店のデザートを食わせてくれるっていうもんだからよ。ほら、この店、冒険者がよく噂してるだろう」
なるほどな。とグランは頷き、冷えた水を一口飲む。
オットーはメニューを眺めていたが、どうやらすべて見終わったらしく、もう一度始めから見直していた。
「オットーさん、こちら、扉の代金です。忘れる前に、お渡ししておきますね」
「おう。確かに受け取ったぜ。なぁ、店主さん。この店、おすすめってのはあるかい? この店のメニューは、どうも俺には難しい」
顔を上げたオットーが、代金をしまいながらメニューを机に広げてみせる。
店主はメニューを覗き込み、考えるように顎に手を当てて、
「おすすめ、ですか。うぅん、そうですね。どういったものがお好きでしょう?」
「うぅむ。どんなもの……ミルクとか、そういったもののことか?」
「はい。他にも、焼き菓子が好き、甘さ控えめがいいなど、なんでも言ってください」
なんでも。と言って見せたからには、本当になんでもなのだろう。
オットーは腕を組み「うーん」と唸り、歳だからなぁと呟いた。
「甘いものは好きだが、食べすぎないよう少量の……柔らかくて食べやすいものを頼む」
「甘く、少量の柔らかくて食べやすいもの……。なるほど、かしこまりました。グランさんはどうします?」
「俺はいつものを」
「かしこまりました。エルキアちゃん、グランさんの分お願い」
「はぁ~い!」
グランの注文は慣れたもので、店主もエルキアもてきぱきと動いて厨房に消える。
しばらくすれば、厨房に消えたエルキアと店主のうち、エルキアだけがホールに戻った。
「お待たせしました。お先にこちら、ゼリー(ソーダ味)です!」
「よし、待っていたぞ!」
「んん? なんだ、そのゼリーと言うのは」
首を傾げたオットーに、エルキアはにこりと微笑んだ後、グランの前に杯を置く。
グランはすでにスプーンを構え、戦闘準備は万端であった。
「な、お前さん、そりゃあまさか――!」
「うむ。冒険者たるこの俺は、今やこいつと戦うことが使命だ」
「なんでぇ……最近店に来ねえと思ったら、頭のネジがはずれちまったのか……」
「なにを言う。絶品だぞ」
グランは得意気にそういうと、さっと一口目を頬張る。
すると、ごくり。
満足そうな表情で、グランが一口目を飲み込んだ。
「……うまいのか」
「うむ。実に」
恐る恐る尋ねるオットーは、どうみてもスライムにしか見えない球体に、不信感がぬぐえない。
「続いて、お待たせいたしました。こちら生クリーム付きの、プリンになります」
そう言って、不意に現れたのは店主で、持っていた皿をオットーの前へとそっと置く。
――オットーの目に映ったのは、茶色いソースがキラキラとかけられた、黄色に輝く円錐台のなにかだった。
グランとオットーは同時に身を乗り出して、プリンとやらをじっと見る。
「店主さん、こりゃあ一体……。こんな菓子は見たことねぇ」
「甘く、少量の柔らかくて食べやすいもの、というご意見を考慮して、用意させていただいたものです」
「ほう……。ここに通ってしばらくになるが、初めて見るな」
「ほほう、お前さんもか」
オットーはプリンを見つめながら、傍に置かれたスプーンに手を伸ばす。
「ほう。錆びなし、歪みなしの綺麗なスプーンだな。持ち手に入った柄といい、綺麗だ」
「ありがとうございます。と言っても、作ったのは僕じゃないですけど……そういったところにも目を向けて貰えると、こだわったかいがあります」
「いい心がけだと思うぞ。俺は職業柄ついつい見ちまうが、意識して目を向けられるのはいいことだ」
なんてな、と豪快に笑うオットーに、店主は穏やかに笑った。
オットーは気持ちを切り替え、改めてプリンに向かった。
幸いにも、グランが注文したようなものとは、無縁そうな見た目である。
のだが。
「こ、こやつ――プルプルするぞ!」
皿を引いたオットーの目の前で、プリンがその身をプルプルと揺らす。
グランのゼリーとは違うと思っていたが、まさか似た部類か。
オットーは静かに警戒し、スプーンをプリンに押し当てる。
するり。
抵抗もなくスプーンが入る。
茶色の液体はとろりと流れ、香ばしい匂いが嗅覚を刺激する。
どこか甘ったるい香りに感じるそれが、糖の匂いだとオットーは気付いた。
「では」
グランたちに見守られ、オットーはゆっくりと一口目を口に運ぶ。
瞬間――。
とろりとした口当たりで、口内に広がるのは糖の香ばしい匂いと、甘さと、焦げたことによる苦味。続き、文字通り溶けるような滑らかさで、卵とミルクの味が躍る。
甘く、柔らかく、咀嚼など必要ない食べやすさ。
オットーは一口目を飲み込み、その味に瞳を見開く。
「どうだ……うまいか?」
「……ああ、うまいぞ」
グランの真剣な問いかけに、オットーはプリンから目を離さずにそう答える。
息を吸い、二口目を運び、その味を堪能する。
甘味と苦味、どちらも主張が強くはあるが、最終的に落ち着くのは、苦味に包まれた甘味の余韻。
さながら、剣が鞘に納められた時、響き渡る金属音のようだ。
そうして、オットーは思う。
こんなにうまいデザートなど、今までに一度も食べたことがない……と。
「プルプルとしていたから少々不安に思ったが、こいつはうまい。溶けるみてえに味が広がって、甘味から苦味、ころころと味を変えやがる」
「気に入ってもらえたようでなによりです」
「ああ、こいつぁすげえ!」
大絶賛のオットーの言葉に、店主がにこりと微笑んだ。
グランは思わず身を乗り出し、オットーに近付きプリンを見下ろす。
「オットー、その白いものはつけないのか?」
「おお? ああ、これか。こりゃたしか、なまクリームって言ってたか?」
「はい。そちらをプリンにつけていただくと、また別の味が楽しめますよ」
ちょこん、と添えられたように、プリンに接する白いクリーム。
それは少量ではあるが、眩しいほど純白なその見た目は、まるで天使の羽のようだ。
「むむ、これは……軽いな」
羽と言うには少し重いが、食べ物としては軽すぎる。
オットーはスプーンにすくった生クリームを、プリンと一緒に頬張った。
「んん! ――これは、なんて滑らかさだ!」
溶けるようなプリンと、溶けてしまう生クリーム。
口内の熱で混ざり合う二つが、その身をゆだねて口いっぱいに甘味を広げていく。
うまい。そんな一言では足りない。
ただただ手が止まらない。止められなかった。
「美味だ……」
オットーは静かにそういって、空となった皿の上にスプーンをそっと置いた。
「ふん。ずいぶんと夢中になっていたな」
「ああ、こりゃあいけねえ。お前さんがこの店に通う理由も、わかった気がするぜ。――って、お前さん、そんな数いつの間に食ったんだ」
我に返ったオットーの目の前、所謂グランの目の前には、すでに十杯近いゼリーの杯が並んでいた。
どれも中は空になり、涼しい顔でグランは最後の皿を食べている。
「たぁく、冒険者ってのは限界ってもんを知らねぇのかい」
「生憎、俺はまだまだ前線だからな」
「は。年寄りが無理しやがるぜ」
「……そういうお前も、さっさと弟子でもとって店を譲ればいいものを、いつまで居座っているのやら」
「馬鹿いうんじゃねえ、俺だってまだまだ現役だ」
軽口をたたき合い、笑い合う二人。
店主とエルキアは顔を合わせると、平和なその光景に思わず頬を緩めていた。
オットーが席を立ち、店主の方を振り返る。
「美味かったぜ、店主さん。本当に代金扱いでいいのかい?」
「はい。そのかわり、是非またいらしてください」
「はは、言われなくとも」
頭を下げる店主たちに、手を振ったオットーが、扉に向かってドアノブをひねる。
カランカランとベルが鳴り、静けさが続いてやってきた――瞬間であった。
「店主殿!」
カラァン! ベルを振り回し、ガシャガシャと鎧を響かせて飛び込んできたのは、ラインヴァルトだった。
「店主殿……盗人が、見つかりました」
「え」
「ほ、本当ですか!?」
声を荒げたエルキアが、ぱぁっと笑顔を咲かせた時だった。
向かい合うラインヴァルトは下を向き、言いにくそうに拳を握る。
「犯人は――ラウロです」




