第7話 魔王様と不思議な妖精
黒歴史、忘れたい過去、泡沫となって消え去って欲しいのに、時折顔を出しては薔薇の棘のように刺してくる記憶。
僕は…………ワシは……。
「なんでじゃ……なんでワシは魔法が使えないのじゃ!? 魔力はある!! 精神体も見える!! なのに何故!! ワシの術式が発動せんのじゃ!!」
公園ではワシと同い年の童が火を出し、風を起こし、水を出して遊んでいた。
かつて魔王と呼ばれ恐れられたワシは、今やここにいる童どもにも劣る出来損ないでしかない。
……世知辛すぎるじゃろ!?
「ねぇーねぇー」
ほっぺをツンツンする童がおる。
母上と公園デビューしたときから付き合いのある愛澤さんの愛娘『勇希』じゃ。
「なんじゃ?」
「あのね、あのね」
愛くるしくモジモジと口ごもる。
実に童らしい。
ワシに子供がおれば耐性もあったのじゃろうが、生涯独身だったワシは今この瞬間、勇希にメロメロになりかけていた。
「な、なんじゃ?」
「えっとね、あのね、まーくんは、どうしてへんなしゃべりかたをしてるの?」
ん? てっきり将来はワシの嫁になるとでも言うと思っていたのじゃが、この童は何を言った?
どうして、変な喋り方をしてるの? じゃと?
「まーくんは、おじいちゃんみたいだねってみんないってるよ?」
「そ、そう言われてみれば童の口調ではなかったか……いや、しかし」
300年を生きたワシが今更『僕』などと……無理じゃろ、気持ち悪すぎじゃ。
「わ、ワシは魔王であるから良いのじゃ」
「まおー? まーくんまおーなの?」
勇希は目を丸くする。
まだ幼い勇希には、魔王がどういう存在か分かってないのかもしれぬな。
「そうじゃ、ワシはあらゆる魔法に精通した王様なのじゃ。故にワシはワシのままで良いのじゃ」
堂々と胸を張る。
だが、それと同時に手のひらが熱を帯び、じくじくと痛み出す。
「キャハハ、まーくんおかしいよ!」
……あ、これはダメじゃ。
「何がおかしい。ワシが魔王であることは揺るがない事実なのじゃ」
だがワシの口は止まらない。
この先はならぬ!!
い、嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃ!! ワシは見とうない!!
「だって、まーくんまほーつかえないよ?」
……あ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
目を開くとカーテンで仕切られたベッドの上で目を覚ました。
「……ここは、病院? ワシは……一体」
「鷲?」
いきなり声が掛かる。
目を向けると勇希がベッド側の椅子に腰をかけて、こっちを見ていた。
「鷲にでも襲われる夢でも見たの? アンタ泣いてるわよ」
頬を触れると確かに僕は涙を溢していた。
「たぶん、もう覚えてないや」
「そう、もしかしたら決闘の対戦相手が風属性だったからなのかもね、鷲って風のシンボルだもの」
「ここは……保健室? 勇希が運んでくれたの?」
「違うわ、金剛君よ。後でちゃんとお礼言っておきなさい」
「うん、そうする」
そういって僕はベッドから降りた。
勇希が「もう大丈夫なの?」という心配の声を「平気平気」と軽く受け流しながら、カテーンを開いた。
「え? なんでイチャイチャしないの?」
女性の顔が近くにあった。
「何してるんですか? そして何を言っているんですか『巻口 七海』先生!!」
勇希が顔を赤くして怒鳴る。
七海先生はニャフフと猫のような笑い声を漏らした。
「16歳高校生、若い男女が薄暗いベッドで二人きり、何も起こらぬはずがなく。あわよくば盗撮して売ろうかと」
思った以上にクズでした。
「保険医やめて本職に戻ったらどうです?」
「嫌よ! 今更私にデスクワークに戻れって言うの!?」
「致命的に向いてませんよ」
「ブーブー!! じゃあ仕方ないから保険医らしい事をするわよ!」
七海先生は僕の右手の傷口に被せてあったガーゼを取る。
「あらら、バックリいってるわねぇ」
「そうですか? まぁその内治りますって」
「そんなわけないでしょ!!」
僕の傷口を覗き見た勇希が青い顔をして怒る。
「ほ、ほほほ骨見えてんじゃない!! どどどどうしよう。病院に行かないと!!」
「まぁまぁ、愛澤さん落ち着いて。出血は止まってるし傷口も綺麗だからすぐ治るわよ」
「へ!? そ、そうなんですか?」
「そうそう。あ、もう次の授業が始まるわね。愛澤さんはもうクラスに戻りなさい。彼とはクラスが違うから言い訳も出来ないわよ」
「え? あ、はい」
七海先生は勇希を保健室から追い出す。
出る直前に「勇希、ありがとう」と声をかけておいた。
保健室に二人きりになり、七海先生は僕を責めるような目線を向ける。
「で、何でこんな無茶をしたの?」
「えっと……成り行きで?」
「成り行きで流血沙汰になるって何!? ここはいつから世紀末になったの?」
僕は事のあらましを七海先生に伝えた。
あれよあれよという間に話が大きくなっていき、口を挟む余地がなかった。
「マシロちゃんって馬鹿なの?」
「バカって酷くないですか!?」
「嫌なら嫌って声を出さなくっちゃダメじゃない!! ……ちょっとぉ、マシロちゃんつよつよだからって天狗になってない?」
「つよつよじゃないから怪我をしてるんですが……」
七海先生はため息をつくと、保健室の遮光カーテンを閉めた。
「もう、早くその怪我治して教室に戻りなさい。私はこの件を報告するから」
七海先生はリモコンに手を伸ばし録画ボタンを押した。
この保健室には魔法を観測できるカメラが設置されている。
これも七海先生の仕事の内だ。
……もっとも、合法かどうかは知らないけど。
僕は「はい」と返事をしてポケットの中とキーホルダーを取り出した。
「おいで『アリス』」
そう呼びかけるとキーホルダーに付いている魔石から光が溢れる。
溢れる光は手のひらに乗っかる程度の小さな女の子に姿を変えた。
頬を膨らませながら仁王立ちしている。
(バス◯ーマシンかな?)
小さな手で僕の左頬をペチペチと殴る。
『何で!! 私を呼ばないの!? 鳴らしたのにチリンチリンって!!』
うん、聞こえてた。
「いや、あれは男と男の決闘だし。妖精のアリスの力は借りれないよ」
『元々マシロの力なのよ!! 遠慮する必要なんてないの!!』
アリスはとある経緯で生まれた妖精だ。
精霊とコミュニケーションが未だ取れない僕にとって、アリスの存在は非常に大きい。
だからこそ、僕はあそこでは力を借りる気が起きなかった。
「心配させないように気をつけるよ。アリス、よろしくお願い」
人差し指の第二関節でアリスの膨らんだ頬をツンツンする。
『別に、私は翻訳するだけだもの』
アリスは僕の肩にとまり、僕はアリスに治療用に魔力を渡す。
魔力には僕の指紋なようなもの魔刻紋が刻まれていて、通常は人から人へは譲渡出来ない。
輸血のように拒絶反応が出てしまうから。
でもアリスのような妖精や、他の皆が契約している精霊などは、魔刻紋が人間でいう食事に該当するのでそれに当たらない。
僕たちは本質的に魔法を扱っていないという事だ。
これは魔王時代の僕の見解なので、この世界ではもしかしたら違うかもしれないけど……。
和かな表情を浮かべるアリスを見ていると、間違っていないのかもしれない。
『はやくするのよ』
「キュアライズ」
僕の言葉と同時に、アリスは淡い翡翠色に発光する。
僕の右手がアリスの光に包まれ、光が治る頃には傷は綺麗さっぱりなくなっていた。
「相変わらず凄い力ね、マシロちゃんの魔法」
「僕のじゃないです。アリスの力ですよ」
『私は翻訳しただけよ』
「……はぁ」
僕とアリスはこの禅問答のようなやりとりを結構やっている。
そしてどちらも意見を譲ったことはない。
当然だが、精霊眼を持たない七海先生にはアリスの姿が見えない。
僕がため息をついたのを疲れたからだと誤解して、しばらくベッドで休むよう勧められたが、授業を遅れたくなかったので早々に僕は保健室を後にした。