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綿の世界

作者: 柳沢哲

 あるところに悪魔がいた。名前をゲルニカ。人をだまして殺し合わせたり魂をとったりして毎日楽しく暮らしていた。


 ある日小さな田舎町で、ゲルニカは一人の信心深い娘を誘惑しようとした。


「お前の母さんはもうすぐ死ぬよ。お前の魂をくれれば、寿命を延ばしてやるよ。」


 娘はゲルニカに言った。


「私には神様がついているわ。悪魔よ、立ち去りなさい。」


 けれどゲルニカは娘を何度も誘惑した。綺麗な宝石や甘いお菓子、時には力を使って死んだねずみを生き返らせたりしてみせた。


「神様がお前に何をくれる?あんなに毎日拝んでいるのに天使の一人もよこしちゃくれないじゃないか。」


 そのうち娘の母親は病気になり、日に日に弱っていった。


「ほら、もうすぐ死ぬよ。お前の母親は苦しんで死ぬよ。お前はあんなに優しい母親を助けることができるのに、見殺しにするつもりかい?」


 ゲルニカの言葉は甘く、娘は心を惑わせた。けれど決して信仰を捨てなかった。


 その日も娘は教会へ行き、神様に祈っていた。ゲルニカは教会に入れないので、近くの市場に紛れ込んで娘を誘惑しようと待っていた。


 娘が教会から出てきたとき、彼女の目に一人の物乞いの姿が入った。腰が曲がってぼろきれをまとった物乞いだった。誰もその物乞いを気にかけなかったのに、娘だけが近づいた。


「よろしかったらどうぞ。」


 娘は自分の食事のためのパンを物乞いにあげた。


 すると物乞いは手合わせて娘に言った。


「心の清らかな娘さん。恐れることはない、神は貴方を見ておられる。」


 そしてすくっと背筋を伸ばして立ち上がると、人ごみにまぎれて娘に近づいたゲルニカを指差した。


「悪魔よ立ち去れ。」


 その瞬間、ゲルニカの背中が燃え上がった。


 悲鳴を上げてころがりまわるゲルニカの背中には真っ黒な燃え盛る羽があった。市場にいた大勢がそれを見て、ゲルニカに石を投げた。


 悪態をつきながらゲルニカは転がりまわって逃げ出した。


「おろかな人間め!お前たちが俺たちとどうちがうっていうんだ!」


 だましあうくせに。殺しあうくせに。ちっぽけな金のためになんだってやるくせに。


 傲慢で偏見に満ちていて、無知で神にすら嘘をつくくせに。


 痛みのあまりゲルニカは立ち止まることもできず、谷まで転がり落ちていった。森のはずれの牧場の主は、燃えながら走るゲルニカを見て、不吉なことの前触れだと思った。


「山の神の怒りだろうか。恐ろしい。」


 牧場の主は羊を山までつれていき、生贄としてそこに置いた。


 


谷に落ちたゲルニカはまだ生きていた。けれど焼かれた羽はもう生えない。足も折れて動けなくなってしまった。


 悔しくてゲルニカはうめいた。何日も何日も、ゲルニカはそこでじっとしていなくてはならなかった。


 このままでは、ダメだ。早く人間の魂を食べないと消えてなくなってしまう。


 ゲルニカは馬鹿な人間でも来ればいいのに、と思った。


 ある日のことだった。


 うめいているゲルニカの前に、りんごが一個落ちてきた。


 いつからそこにいたのか、ゲルニカのそばに一匹の羊がいた。羊はゲルニカを恐れず、りんごを前足でそっと押し、ゲルニカのそばに転がした。


 そしてゲルニカを温めるように、よりそった。


 ゲルニカは、もう少し傷が癒えたらこの羊をたべようと思った。人間よりはおとるけど、血も肉もある。りんごなんかよりはましだった。


 羊はりんごを食べないゲルニカに、花や木の実を持ってきた。そして夜になって寒くなると、そっとよりそった。


 悪魔のゲルニカは体温なんてないから、羊は自分によりそっても石によりそうようなものだっただろう。昼間太陽のぬくもりを蓄えた岩のほうがずっとましなのに、それでもゲルニカのそばをはなれなかった。


 何も食べないゲルニカを、心配して羊はいろんな食べられそうなものを持ってきた。足はまだ折れているが、腕はだいぶ動かせるようになったゲルニカは、自分の顔を心配げに覗き込む羊に牙をむけた。


 ゲルニカのするどい牙を見て、羊は驚いてさがった。ゲルニカは腕を伸ばしたが、羊はあっという間に逃げたので、捕まえることができなかった。


 羊の白い毛が岩陰に消えていくのをゲルニカは見た。


 舌打ちしたゲルニカのそばに、キノコとりんごがころんと転がっていた。


 ひとりぼっちになったゲルニカの頭上から雨がふりそそしだ。冷たくて、体の芯まで冷えるような雨だった。ゲルニカは目を閉じて眠ろうとした。


 どんっと大きな音がして、ゲルニカは目を覚ました。目の前に、ころんっとりんごがころがっている。


 雨に洗われるりんごを見ながら、ゲルニカは思った。


 この羊はいつもりんごをもってきた。一番最初に持って来たのもりんごだ。多分きっと、羊の主人の好きなものだったのだろう。


 冷たい雨が顔に当たって痛いので、ゲルニカは顔を伏せた。なぜだか目だけが熱かった。


 雨がやみ、しばらくしてゲルニカは立ち上がった。羽はないけれどもう動ける。ゆっくりゲルニカは歩き出した。


 あの羊はどこへいっただろう。山へ逃げ込んで狼のえさになったのだろうか。そう思うと、少し惜しい気がした。食べておけばよかった、と思った。


 けれど、なぜだかゲルニカには、岩陰からひょこっと羊が顔を出すんじゃないか、という気持ちがあった。


 しばらく行くと、崩れた岩盤が転がっていた。その近くに、干からびたりんごやキノコ、が転がっていた。


 ゲルニカは体が燃え上がるように熱くなったのを感じた。こめかみが痛くて、目が炎のようになり、のどの奥から吐き気がこみ上げてくるのと同時に、背中がべきっと音をたてた。


 ゲルニカが叫ぶのと同時に、熱くなった目が溶け背中から真っ白な光が差し、内側からぼんっと破裂した。


 ゲルニカの分厚い皮の破片があちこちに飛び散って、しゅうしゅうと音を立てて消えてなくなった。




 気がつくとゲルニカはふわふわの綿花に囲まれていた。綿の草原がどこまでもどこまでも続いている。


 羊の鳴き声がしてゲルニカは顔を上げた。


 白い草原の中に、真っ赤なりんごをつけた木がたっている。ゲルニカを呼ぶように羊がそのまわりをちょこちょこ動いた。


「ちょっと待ってくれ。こんなにやわらかいところを歩くのは初めてなんだ。」


 ゲルニカは羊に向かって歩き出した。

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