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18と28のメランコリア  作者: 星 雪花
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果てしない夜


 授業中。しんと静まっている教室のなか。眠たげな影をつくっている机のうえ。斜めに伸びる煙突の白い煙。いつのまにか途絶えたシャープペンシルの音。

 黒板の深緑色に書かれた、『訂正 問い③バルト三国 → 帝政ロシア領』

 (結局その問題は分からずじまいだ。わざわざ訂正まで書かれているのに)


 ひとつ、小さなあくびをする。

 時計ばかり見ている世界史のごんちゃん(合田っていう名前だから)


 あと五分したら、テストも終わり。図書館へ本を返しに行くことを、私はゆっくりと思いだす。



*



 いつものように宿題をしていたら、


「散歩をしない?」


 と、やよいちゃんは言った。勉強ばかりだと頭が火照ってしまうから、と。目処がつくところで私は宿題を切り上げて、散歩をすることにした。


 夜の空気の冷たさが、熱くなっていた頰を冷やしていく。道端にポツンと立っている電灯の光。どこかで犬の鳴く声。通りすぎてゆく車のエンジン音。

 表はもうすっかり暗くなっていて、住宅街のはざまの小道はやけに黒々している。私は歩きながら、こっそり隣を盗み見た。やよいちゃんは、白色のふわふわしたストールを巻いている。


「仕事がひと段落つきそうだから」


 白色のストールにやよいちゃんの唇はきっと映える、と思う。口紅をしなくてもぽってりと赤いうわ唇。


「見に行くわ、今度の劇。市内のホールで上演するんでしょう?」


 私は少し驚いて立ちどまった。

 そんなことをやよいちゃんが、言うとは思わなかったから。


「見に来てくれるの?」


 私の声は、少し弾んだ。

 やよいちゃんは、こっくりとうなずく。


「これで上演するのも最後でしょう? 大学に行っても、劇は続けるの?」



 私がいつかカステルにした質問を、やよいちゃんはした。私はそれについて考えた。ずっと頭のどこかで考えていたこと。考えようとしても、しまいにはやめてしまった物事。


「分かんない」


 私は素直に答えた。

 やりたいと思えばやるし、気が乗らなければやらない気がした。未知の世界について、考えても分からなかった。砂漠の砂を懸命にすくっても、指のあいだからこぼれてしまうように、イメージしても形にならないのだ。


 ただ、ずっとこのままでいるような気がした。私は高校生で、カステルがいて、みんながいて、宿題に追われていて、やよいちゃんはときどき手紙をくれて、私の話に「ふうん」と相槌をうつ。



 スカートのひだの重たさ。

 移動教室のあいまに見えた空が、やけにきれいだったこと。

 廊下に淡く映っている友達の影。

 階段の途中に落ちていた片方の上靴。

 夜になると香るキンモクセイ。


 放課後の誰もいない教室の静けさ。

 うっかりその静けさに包まれたとき、

 (忘れ物を取りにいったのだ)

 自分の心の半分が、溶けてなくなってしまうような気がした。透明になって、そのまま風景の一部になってしまうような気が。


 教室の窓からはうっすらと西日が差していて、何も考えられないままボンヤリと眺めた。

 陽に照らされて光るたくさんの机。

 長い影をのばしているイスの群れと、日焼けして薄い茶色に染まっているカーテン。


 あと数ヶ月で、私のものではなくなってしまう机。

 もう二度と、足を踏み入れなくなる教室。


 私は何も惜しんでいなかった。

 ただ、圧倒されていた。

 時の流れの速さに。過ぎていく一瞬に。

 西日射す教室の静けさと美しさに。



「もしよかったら」


 私は言った。

 吐く息が白い。

 息をするたび、夜気に消えていく。


「楽屋に遊びに来て。ホールの裏に搬入口があって、私の知り合いって言えば、役員の子が通してくれると思うの」


 分かったわ、とやよいちゃんは言った。

 私は制服の黒いコート——校則でコートは黒と決まっているのだ——に、両手をつっこんで、来週にせまっている劇のことを考えた。


 そして、心のなかでカステルを呼んだ。その声は、明確な言葉にならないまま、吐く息と一緒に果てしない夜のなかへ、薄く混ざっていくようだった。















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