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激流

作者: 柿原 凛

眠れない僕は、重たい頭を僧帽筋で必死に支えながら論文を執筆している。

それは世紀の大発見だった。誰もが思いつきそうで思いつかなかった、画期的な方法だった。

誰よりも早くそれを公表し、学者としての地位を上げるために、腱鞘炎になるまでキーボードを叩いている。

閉め切ったカーテンは陽の光を完全に遮断し、蛍光灯のスイッチは既にホコリが積もっている。

この空間内に昼も夜も関係ない。ただキーボードを叩く乾いた音だけが耳に入ってくる。

床には大量に買っておいたミネラルウォーターのペットボトルが散乱し、カップ麺の空いた器は綺麗に重ねられている。

いつパジャマに着替えたのか、いや、いつからこのパジャマを着ているのかさえもう覚えていない。とにかく論文を最優先した結果、人間らしい身なりを完全に放棄し、指先からキーボードに向けて根を生やす植物と化している僕。

一行、また一行と文章は増えていく。


以前はこれよりもまだマシな方だった。

きちんと睡眠薬を飲んで、三食食べ、適度に運動して風呂も入っていた。趣味は草野球だった。

しかしある日ふと昔の友達の名前を思い出すようにアイディアがひらめき、高速道路のトンネルの灯りを目で追って数えるように、頭のなかに次々と文章が浮かんできた。これを逃さない手はなかった。

僕は自分の頭の中に急流のように流れ落ちてくる言葉を、時には順序よく、時には必死で食らいつきながら拾っていった。それはまるでレゴブロックで作品を作るようでもあったし、バッターがボールを合わせて打つような感覚でもあった。メモでは追いつかないので、そのまま論文として書き出し、全ての文章を紡ぎ終わってからゆっくり推敲しようと考えていた。


しかし、その日からずっと文章の流れはとどまることを知らない。書けども書けども終わらない。

そのうち顔は腫れていき、視界はどんどん狭くなり、目で見ているのかそれとも手が勝手に動いているのかわからなくなっていった。

体幹もだんだんバランス感覚を失い始め、ぐらついてきた。お尻の感覚はもう既に無い。

画面の文字がぼんやりしてきて見えなくなってきたが、そんなことでは止まる指先ではなかった。

すでに指先のコントロール権は僕にはなく、キーボードにあった。

しかし文章は結論まで到達していた。ついに最終章までこられたと思ったその瞬間。

瞼の奥に一瞬衝撃が走り、うっ、となったが声は出ず、そのままバランスを崩して、ついに椅子から転げてしまった。体を打ちつけたがそれよりも頭痛のほうがひどく、痛みにかまってやれない。

コケたはずみで蹴ってしまった、開けっ放しのミネラルウォーターから真水が僕に向かってくるのを見たのが最後の光景だった。


後日、遺品として残されていた論文は学会誌に掲載され、その研究はその後多くの研究者に大きな影響を及ぼした。

それは、不眠症を治す特効薬に応用できる物質の発見に関する論文だった。

僕は、その薬を飲めなかった最後の不眠症患者となった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 面白いですね。 細かい描写ですがとても読みやすく、情景が浮かんできます。 そしてオチがいいですね。
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