約束
「ただいまー」
「あら、お帰りなさい。早かったのね」
帰宅した瑞葉を母は意外そうにリビングで出迎えた。
「早かったもなにも、カラオケだけだし。あー、おなか減ったー。お母さんご飯はー?」
「もちろんあるわよ。ちょっと待っててね。すぐ作るから、その間に着替えてらっしゃい」
「はーい」
瑞葉は二階の自室に駆け込むと、すぐに着替えを済まし、リビングに戻ってきた。
「できたー?」
「そんなすぐにできるわけないでしょ。そんなことより」
母はリビングで大きい図体を縮こませる父を顎で指した。
「あれ?お父さん何かあったの?」
「自分で聞いてみなさい」
母は楽しげに瑞葉に投げかけた。瑞葉は首を傾げながら、疑問符を頭に浮かべながら、父に歩み寄った。
「お父さん、どうしたの?お仕事で失敗したの?」
「瑞葉、おかえり…」
「もう!元気のないお父さんなんて嫌いだよ?」
「でもさ、瑞葉がさ、男の子と遊んでくるなんてさ、そんなのさ、だってさ」
うじうじする父の様子を察し、瑞葉は母を睨んだ。
――お母さん、お父さんに言ったでしょ?
目で訴える瑞葉を意に介することはなく、母は実に楽しそうだ。
「お父さん、別に男の子っていっても彼氏じゃないし、遅くなって帰ってきたわけでもないし、なんもなかったんだよ?」
「そうだよな!うん、そうだよな…」
一瞬、瑞葉の言葉に父が元気を取り戻したが、すぐに何か嫌な妄想に取りつかれたのか、元の状態に戻った。
「ほら、瑞葉。ごはん出来たから温かいうちに食べちゃいなさい」
「むー。はーい」
瑞葉はテーブルに着くと、父がこっそりとリビングを後にした。
「お父さん、私が嫁に行くときどうするんだろ」
「今の比じゃないわね、きっと」
やはり母は楽しそうだ。
「って、どこいったのかな?」
「多分、自分の部屋で瑞葉の小さい頃の写真に癒されにいったのよ」
「ふーん。ごはん食べ終わったら構ってあげなきゃだね」
父は部屋でぶつぶつ呟きながら、いくつものアルバムを並べていた。懐かしそうに写真を眺める父の目には今にも泣きだしてしまいそうなほどの涙が溜まっていた。
「お父さん?」
ノックの音と瑞葉の声が部屋に転がって、父は涙を拭った。
「入るよー」
返事を待たず、瑞葉は部屋に足を踏み入れる。
「あ、やっぱりお母さんの言った通りだ」
「ん?何がだ?」
「いや、お母さんがね、部屋で写真を見てるんじゃないかって言ってたから」
「あいつには隠し事はできないな」
「あーそれ!懐かしいなあ」
父が眺めていたアルバムはまだ瑞葉が三歳から四歳のころのアルバムだった。そこに収められたいくつもの写真は全て共通してある場所で撮影されたものだった。
「この頃のお前が一番可愛いな」
「何それ。今の私は可愛くないの?」
「そういうことじゃなくて、だ」
いつも瑞葉のペースに巻き込まれる父は焦りを浮かべていた。そんな父を尻目に瑞葉はアルバムを見進めていく。
「懐かしいなあ、ほんと。ずっと病院に入院しっぱなしで、お父さんいつも私のこと心配してたよね」
「そうだな、あの頃のお前は体が弱かったからな」
「あ!ねぇねぇ、見て。お父さん、覚えてるこの子?」
瑞葉は病室でピースする二人の子供の写真を指差した。一人は瑞葉で、指を差したのはもう一人の子だ。
「もちろん。覚えてるさ。あの頃、瑞葉が一番仲良くしてた子だからな」
「うん。ゆーくんにはいっぱい遊んでもらったからね」
「それに瑞葉にとっては初恋だったか?」
「うん。ゆーくん、いつもかっこよくて、引っ張ってくれて、私のことすごい大切にしてくれて、大好きだったなあ…」
遠い記憶を探るように瑞葉は遠くに視線を泳がせた。
「ゆーくん、元気にしてるかな…」
「…………きっと元気にしているさ」
「うん、そうだよね…」
感傷的な雰囲気に包まれた二人を母の声が一蹴する。
「二人ともーーー!早くお風呂入りなさいよーーー!」
階下から聞こえるその声に二人はハッとした。
「もうこんな時間じゃん!お母さんに怒られる前に入っちゃわないと」
慌てた様子で瑞葉は部屋を後にしようとするが、扉の所で足を止めた。
「そういえばお父さん!」
「ん?どうした?」
「今週末、忘れてないよね?」
「ん?」
「わ、す、れ、て、な、い、よ、ね?」
少し声色を変えて、瑞葉が笑顔で問いただす。
「わ、忘れてるわけないだろ?遊園地だったよな?」
「そう!さっすが私のお父さん!」
「そういえば、母さんは仕事が入ったみたいでこれないそうだ」
「えー。せっかくの遊園地なのに」
「まあ、俺だけでも連れて行ってやれるから、母さんを困らせるようなこと言うんじゃないぞ」
「はーい」
不機嫌な声を残し、瑞葉は部屋を後にした。