お願いの真実
「すみません、お楽しみ中失礼します」
談笑する四人の許に、現れたのは仙波だった。
「仙波さん、どうしてここへ?」
新堂は意外な存在の登場に首を傾げた。
「いえ、ちょっと響人さんにお話がありましてね。皆さん、席を外していただけますか?」
「はい。ちょうど帰ろうと思っていたとこでした。なあ、美那?」
「ですね。先輩もそろそろサボりだす頃ですし…」
「瑞葉さんもお願いします」
「えっ、私も?」
瑞葉ももちろん例外ではないはずなのだが、それでも目を丸めていた。
「えぇ、できれば二人でお話しさせていただけるとありがたいです」
「わかりましたぁ。そろそろ、検査の時間だったし…」
瑞葉もその話に加わりたかったのか、肩を落とした。
「すみません、ありがとうございます」
「では、また来るよ。響人君」
「あ、はい。ありがとうございます」
三人は病室を後にした。
「どうですか?病院の居心地は?」
「それなりに快適に過ごさせてもらっていますよ」
「そうですか。ここの病院はうちの、無名機関と提携している医療機関になりますので、気を使わず過ごしていただいて構いませんよ」
「そんな話をしに来たわけではないですよね…?」
響人の表情が僅かに厳しくなる。全ては覚悟の上だった。
「えぇ、もちろんです。申し遅れましたが、私は部隊部の部長をしている仙波颯太と申します。これから長い付き合いになるかもしれませんので、以後お見知りおきを」
「宜しくお願いします」
長い付き合い、という言葉に引っかかった響人は疑問も持ったまま、言葉を返した。すぐにその疑問というのも、解消されるのだが。
「ではまず、最初に。今回の件について、いや、二年前から今日までのことについて、私が無名機関を代表して謝罪させてください。申し訳ありませんでした」
仙波は姿勢正しく、頭を下げた。
「今回の件は、全面的に私たちに責任がある。そう判断いたしました。そのことのお詫びと言ってはなんですが、貴方にかけられている百件以上の嫌疑については全て無罪放免にするということを上層本部の議会で決定いたしました」
「はい…?」
そもそも、響人自身に罪という意識はなかったのだが。
「そして、貴方が須藤を手に掛けた件についてですが…」
「覚悟は、できています」
「須藤は命に別状はありませんでした」
「そう、ですか」
「それと、この一件については、私の方で揉み消しておきましたから」
「……………へっ?」
あまりに予想外の話に、響人は阿呆な声を漏らした。
「須藤にはあれくらいがいい薬になりますよ、きっと」
ふふふ、と笑う仙波は実に不気味だった。
「というのは、冗談で。実は、あの後、瀧崎君が私の許に頭を下げに来てね。須藤を刺したのは自分だということにしてくれないかと、ね」
「瀧崎さんが…?」
「すごい剣幕だったよ。本当は口止めされたんだけどね、彼はどうしても君を守りたいと、自分が言った君を助けたいということを嘘にしたくないと、そう言っていたよ」
仙波の言葉に、いや、瀧崎の想いに、響人は心を揺り動かされていた。
「そんなのダメです。あれは僕が勝手に―――――」
「そう、そうだね。でも、そもそも須藤を任命したのは私の責任です。私が奇跡の囀りのための捜索チームのリーダーにして、須藤を追い込んだ。期待していたからだったが、それが逆効果だったみたいでね。根本的な原因は見る目のなかった私だ。だからこそ、今回の件で君が罪に問われることのないように隠蔽した。ばれることはないでしょうが、もしそうなったら、その時は私の方で罪をかぶるので安心してくれていい。部下を差し出すような真似をするつもりはないからね」
仙波は実に淡々(たんたん)と、感情を排していた。
「そ、それでいいんですか…?」
「この話はそれまで。もう決めたことです。それで、話を戻しますが、他にも決まったことが何点か。一つは、これは仕方ないことなのですが、これからは貴方に監視をつけさせていただきます。しかし、貴方の生活に影響を及ぼすことは一切ない、そう考えていただいて構いません」
「はい…」
「もちろん、何か不穏な動きがあれば介入も止むを得ませんが」
響人は静かにその言葉に耳を傾けている。
「そして、もう一点。蔵下響人、としてではなく、皆沢勇人、として生きていけるように手配させていただきたいと思っています。つまり、貴方のその偽の身分ではなく、元の生活に戻してあげましょうということです」
「元の…?」
「えぇ。この二年、うちの瀧崎が用意した身分は消滅させます。皆沢勇人としての人生を取り戻していただければと思います。そのために、滞りなくこちらで手配させていただきます」
響人は仙波から視線を外し、思案する。その空気を察し、仙波は言葉を止めた。
「あの、その話なんですけど…」
「どうかされましたか?」
「最後の身分の話はお断りします。他の話については、わかりました」
「な、なぜ…?」
冷静だった仙波でも驚きを隠せずにいた。
「せっかく、元の、本当の自分に戻れるというのにそれを断るのかい?」
「えぇ。ありがたいことではありますが」
「そうですか…ちなみに理由を聞かせてもらえないかい?」
「それは―――――」
―――――――――――――――
二年前。
「あ、あの!瀧崎さん!」
「なんだ?」
「一つ、お願いがあるんですけど―――――」
「叶えられることなら、なんでもさせてもらうよ」
瀧崎の言葉にも、響人は俯いた。
「何でも言ってもらっても構わない。気は遣わなくていいぞ」
「あ、あの。さっきの身分の話なんですが…」
「それが、どうした?」
「その新しい身分の名前、僕に決めさせていただけませんか?難しいですか…?」
意図の読めない響人の提案に、瀧崎は困惑していた。
「ふむ。できないことはないが…」
しかし、それ以上を問いただすようなことはしなかった。
「ありがとうございます…」
「私は一旦戻るが、名前が決まったらまた連絡してくれ」
「…はい」
瀧崎は部屋を後にした。殺風景な部屋で響人は腰を下ろすことはなく、瀧崎を見送ってから少しの間、立ちすくんでいた。
そして、響人もまた部屋を後にする。響人はその足である場所へと向かっていた。それは二人が暮らしていた、あの惨劇の場所だった。
二人の思い出が詰まった場所を、響人は二週間ぶりに訪れた。
惨劇が未だその姿のまま、残されていた。飛沫する血痕や赤黒いカーペットがその惨状を物語っている。
響人は悲しみを堪え、部屋を見渡す。様々な場所に残された記憶が、響人の悲しみを深くさせていく。
ただ一つ、テーブルの上に置かれた封筒には見覚えはなかった。
――これは…?
響人はその封筒を手に取り、開けた。中に入っていたのは、婚姻届だった。
「ったく、まだ結婚できないって言ったじゃん……気が早いよ…」
子供ができたことを知ったキョウコが待ちきれずに用意したのだろう。婚姻届はもちろん夫の欄は空白だったが、妻の欄は既に埋められていた。
そう―――――蔵下響子、と。
―――――――――――――――
「それは―――――この名前は僕にとって、とても大切な名前なんです。僕はこの名前を背負って生きてきたい、いや、生きていかなきゃいけないと思っています」
響人の左手の二つの指輪が光を受け、煌びやかに輝いている。
響人は視線を窓の外に投げた。その視線が捉えたのは、小鳥の囀りだった―――――。




