新堂の決意
再び響人が目を覚ましたのは、その翌日のことだ。
気怠そうに体を起こし、まだ眠気が残る目を擦った。起き上がったからといって、何かをするわけではないが、もう響人は睡眠に飽きていた。
おもむろに洗面所に行き、顔を洗う。目の前にある鏡に映る自分は酷く疲れているように見えた。
一通りの準備を終えると、響人はベッドに腰を下ろし、何かを思案する。これからのことを考えているのか、それとも、これまでのことを考えているのか。
響人の思案を邪魔するように、その人は現れた。
「どうして…?」
ガラス越しに声を掛けてきたのは、新堂だった。
「ん?」
「どうして、現れたの?」
意図の読めない質問にも、響人には伝わっていた。しかし、言葉を紡ぐつもりはないようだ。新堂はそんな響人の感情を読み取ったのか、更に続けた。
「なぜ、あの病院に現れたの?見てわかるほどの厳重な警備をかいくぐれる自信があったの?逃げられないことはわかっていたはずよ」
真剣な問いに響人はふふっ、と鼻で笑った。
「何がおかしいの?」
「君なら、君ならどうする?」
「えっ?」
新堂は一瞬考え、しかし、自分の質問の返答がないことを追及する。
「まだ、私の質問に答えてもらってません」
「そうだな…昔、ある人に言われたことがあるんだ。助けられる命が確かにそこにあって、それをできるのは僕以外にはいない。なのに、立ち止まっている意味がどこにあるのって。それを言った彼女はまっすぐで、曲がったことが大嫌いで、どこまでも純粋で、僕には眩しいくらいの存在だったよ」
――キョウコさんのことだ…
新堂は瀧崎から話をすぐに思い出し、悲しみをぐっと堪えた。
「僕はね、いろんな人に生かされて、いろんな人に助けられて、それで僕がまだ僕で在り続けられると思っている。それに何より、これは彼女の意志なんだ。彼女のことを忘れないためにも、彼女のことを思い出すためにも、そうしようと決めたんだ」
――それが償いになるのならね…
響人はそう心の中で締め括った。
「私は…私は…」
「人を救うことが罪なのかな?僕はそれがずっとわからない。でも、それでも続けなきゃいけないと思ってる」
「私なら、貴方のように強くいられる自信がない。私なら、閉じこもって、何もしなくて、ただただすべてを拒絶して生きていきそうで…」
自身を響人の状況に置き換え、新堂は響人の強さを知ったのだろう。
「強くなんかない…僕は強くなんかないんだ…君の思っているような人間じゃないよ…」
「それでも、私は貴方を尊敬します。そして、私は―――――」
新堂は扉に手を掛ける。
「間違っていることを間違っていないなんて言えない。おかしいことをおかしくないなんて言えない。そして、貴方が今ここにいることが、間違っていないなんて思えない」
新堂は静かにその扉を開けた。しかし、響人は動かない。
「君は、それでいいのかい?もう、僕は誰かを巻き込みたくはない。自分の組織を裏切ってしまったら、君も僕と同罪になるかもしれないよ?」
「わかっています。こうしても、ここから逃げられる確証もない。ですが、すべては覚悟の上です」
「そうか…ありがとう。君の気持ちは嬉しいよ。だけど、ここから先は一人で行く」
「どうして?!私は―――――」
響人はその言葉を躊躇なく、遮った。
「巻き込むつもりはない。これだけで、君の覚悟は十分に受け取ったよ」
「嫌です。私は貴方の力になりたいの」
響人は返答せず、新堂の脇を抜けようと歩を進める。しかし、新堂が響人の腕を掴み、それを制した。
「すべて、瀧崎課長から聞きました。私はキョウコさんが―――――」
その名を口にした瞬間、響人は氷のように冷たい目で新堂を睨みつけた。そのせいでか、新堂は言葉の続きを紡げなかった。
響人はすぐに、穏やかな優しい雰囲気を取り戻す。
「君が何を知っていても関係ない」
「関係ないからこそ、部外者だからこそ、私にもできることがある、そう思っています」
ふう、と響人は呆れたように溜め息を吐いた。
「わかった。負けたよ。君の好きにするといい」
「ありがとう、私は貴方を死なせない」
新堂は漸く手を離し、二人は出口を求め、その場を後にした。
新堂が先行し、その後を響人がついていく形となり、新堂は人気のない場所を選び、進んでいく。建物内の構造を熟知しているのか、まったくと言っていいほど人と出会わなかった。
そして、地下四階への階段まで行き着いた。
が、しかし。
その時に警報が鳴り響き、新堂は苦虫を噛むような表情をした。
「もう…!見つかるが早すぎる」
「仕方ないよ。どちらにしてもすんなりと逃がしてくれるとは思ってなかったし」
新堂とは対照的に響人は実に冷静だった。
「そうですね。とにかく、進みましょう」
二人は地下四階へと足を踏み入れた。
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「階段で行こう」
無名機関の本部に辿り着いた瀧崎と瑞葉は瀧崎の誘導により、地下五階を目指していた。しかし、複雑な本部内に瑞葉はすぐに方向感覚を失った。
「これ今、どこ歩いてるの?」
「今は、地下三階だな」
「全然わかんない」
瑞葉が辺りを見回すが、地下一階、地下二階とまったくと言っていいほどの同じ造りをしていて、何が違うのか全くわかんない、などと愚痴を溢していた。
「まあ、あと少しで着くから。それとあまり私語はしない方がいい。怪しまれるぞ」
「はーい」
瑞葉は父の後ろを隠れるようについて行った。
しかし、次の瞬間―――――警報が鳴り響いてきた。
「なんだ…?」
「ねえ、お父さんこれ何?!」
あわてた様子の瑞葉に瀧崎は答えず、思案する。
「ねえ、何が起こったの、お父さん!」
「わからない、が何か起こらなければ警報はならん」
答えにはなってないが、瑞葉は納得した様子でいた。
「そうだよね。とにかく、急いだ方がいいよね!」
「あぁ。響人君の許へ早く行こう」
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