過去、一つのお願い
「戻りました」
鈴沢を心待ちにしていた瀧崎はすぐに鈴沢を自分の許に呼び寄せた。
「で、収穫は?」
「収穫も何も大体のことは把握できましたよ」
「では、報告書に纏めておいてくれ」
「え、いや、課長。俺が事務処理嫌いなの、知ってますよね?」
「それで?」
「口頭で説明するんでそれで勘弁してくださいよ。それなりの証拠も揃えてきたんですから。状況証拠なんで須藤を落とすには弱いですけど。まあこういっちゃなんですが、悪事に慣れてる須藤はさすがですね。まともな証拠は何も見つけられなかったです」
「…今回だけだぞ」
「ありがとうございます」
鈴沢は瀧崎に今回の調査によってわかった事実を次々と突きつけていく。瀧崎はそれを聞きながら、表情には出さなかったものの、胸が締め付けられるような思いで耳を傾けていた。
「―――――と、こんな感じですね。報告は以上になります」
「そうか。鈴沢、手間を掛けさせたな」
「いえいえ。このくらいは」
ひらひらと手を振り、鈴沢は自分の席へと戻っていった。
少しの間、考え込んだ瀧崎だったが、意を決して、重い腰を上げた。向かうべき場所は一つしかなかった。
瀧崎が勇人の許にやってきたのは勇人が漸く落ち着いた頃だった。
枯れるほどの涙を流した勇人は疲れ果て、生気を失ったかのような面持ちでいた。瀧崎それを見、更に胸の締め付けが強くなったことを感じた。
瀧崎はかける言葉も見つからないが、それでも捻り出した。
「勇人君…」
「瀧崎さん…僕は…」
二人は以前からの面識があったため、勇人が鈴沢のように拒絶することはない。
「僕は…」
不意に瀧崎がその場に正座した。
「瀧崎、さん…?」
「本当に申し訳ない!!」
瀧崎は勇人に対し、深く頭を下げた。誠心誠意、心の底からの言葉だった。頭を下げたまま、続けた。
「俺は、俺は、君に感謝してもしきれない。なのに、俺は何もしてやれなかった。君が一番苦しんでいる時に、一番助けなければならない時に、俺は何もできなかった。それどころか、事件を知ったのもずっと後だ。本当に、本当に申し訳ないことをしてしまった…」
「瀧崎さん、顔を上げてください…あなたは何も悪くない」
勇人の言葉にも、その姿勢を変えようとはしなかった。
「そんなことはない。瑞葉は俺のすべてだ。その瑞葉を救ってくれたのは他ならぬ君なんだ。今度は俺が君を救わなければならなかった。わかっていれば、知っていれば、俺には君を救えた筈なんだ。なのに、俺は…!」
悔やみきれぬ後悔をしているのは瀧崎も同じ気持ちであった。
「もう、いいんです。僕はもう…」
勇人は、虚ろな目で空を眺めた。
「瀧崎さんと同じです。僕にとってもキョウコがすべてだった…だから、もういいんです」
勇人は再び顔を埋めた。瀧崎は立ち上がったのだが、その表情は決意に満ちていた。
「だが、もうこれ以上、俺は君を放っておくことはできない。指をくわえて見ているわけにはいかないんだ」
瀧崎は部屋の扉を開け、待った。
「僕はどうしたら…」
「それを決めるのは自分自身だ。脱出経路は確保してある、後は君次第だ」
勇人はゆっくりと立ち上がった。決意をしたわけではないが、瀧崎の言葉に、この流れに身を任せてみようと思ったのだ。
「よし、行くぞ」
瀧崎に連れられて、勇人はその部屋を後にした。
その瀧崎の言葉通り、無名機関から抜け出すのは実に簡単だった。ただただ歩いて出て行った、に等しいほどであった。
そして、瀧崎は自分の車に勇人を乗せ、ある場所に向かった。一角に建てられたアパート、勇人のこれからの生活場所だ。この場所を用意したのは、鈴沢であったのだが。
「すまないね、こんな場所しか用意できなくて」
瀧崎の気配りにも、勇人は口を開こうともしない。
「必要なものはこの部屋の中に一通り揃えてある。足りないものがあったらすぐに用意させるからいつでも言ってくれ」
勇人はただ一度頷くだけだった。
「あと、新しい身分を用意しようと思う。探される身となる君のためだ、わかってくれ」
瀧崎は淡々(たんたん)と説明をしていたが、勇人の顔を見ることができなかった。微妙な空気感が流れ、瀧崎はそれに耐えきれなくなった。
「とにかく、今はゆっくり休んでくれ。これからのことを考えるためには時間も必要だ。では、俺はこれで失礼する。また顔を出すよ…」
立ち去ろうとするが、それを勇人が制した。
「あ、あの!瀧崎さん!」
「なんだ?」
「一つ、お願いがあるんですけど―――――」
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