過去、歪み始めた日常
「まず、俺が知っているのは事件前後のことだけだ。報告書を読んだ美那は大筋の話は知っているな?」
「はい」
瀧崎、新堂、そして瑞葉は三人が合わせたかのように緊張した面持ちでその話を進める。
「もったいぶらないで、お父さん」
「ああ、そんなつもりはなかったんだが」
「いいから早く話して」
急かす瑞葉に瀧崎は少し驚いた様子だった。普段、何があっても父に対して苛立ちを向けることはなかったからだ。
「あれは、二年ほど前のことになる。始まりは彼がある人を助けたことからだった」
―――――――――――――――
キョウコの携帯電話が鳴っていた。
「誰だろ?」
同棲を始めてからもう二年が経つ頃だった。そしてまさに、この日は同棲を初めて丁度二年になる日だ。
勇人はバイトでいなく、キョウコは家で過ごしながら、二年の記念日をどうしようかと物思いに耽っていた時だった。
キョウコが電話に出ると、男の声が聞こえてくる。
『もしもし』
「はい、どなたですか?」
『あの、私はですね、三か月ほど前に息子を助けていただいたものなのですが…覚えていらっしゃいますでしょうか?』
――どうしてこの番号を?
キョウコが不審に思うのも無理はなかった。今まで助けてきた人たちに連絡先を教えたことは一度もなく、素性も明かしたこともなかったので、明らかに不自然だった。
「お名前は?」
『杉宮と申します』
その名前には確かに聞き覚えがあった。
「それで、どういったご用件でしょうか?」
『実はですね、あの時はよかったんですが、息子がまた体調を崩しまして、どうやら完治してなかったようなんで、再発してしまって…』
――そんな…!
誰よりも、下手をしたら勇人本人よりもその力に詳しいキョウコは耳を疑った。
「息子さんの今の容体は?」
『今は病院で寝たきりになっています。もしかしたら、前より悪化しているかもしれません。お願いです。どうかもう一度お力を…』
――勇人が手を抜くことは考えられない…でもだとしたらどうして?
必死に思案するが、答えを知ることは現状の情報量では難しいだろう。
「わかりました。私の方でお伺いさせていただきますので、どちらかで待ち合わせいたしましょう」
『は、はい!ありがとうございます!』
「ご自宅は駅の近くでしたよね?でしたら、そこの駅前のカフェに十三時でどうでしょうか?」
『はい!大丈夫です!!お待ちしております』
その言葉を最後に電話が切れた。
「でも、どうして…もしかして、ゆうくんの力が弱まってるの?なんにしても、確かめなきゃ」
意を決し、キョウコは家を後にした。
キョウコは待ち合わせの時間よりも早くその場所についていた。しかし、店には入らず、近くのベンチから店を眺めていた。
十五分ほど待つと、電話の男、杉宮が妻を連れて店に入っていた。それを確認してから、キョウコは後に続いた。
「いらっしゃいませ、こちらの席へどうぞ」
そう店員に案内されたが、それを軽くあしらって杉宮たちの許へ向かった。
「お久しぶりです」
「わざわざすみません。お越しいただいて」
杉宮はわざわざ立ち上がり、一礼した。妻は無言で、しかし、夫と同じ行動を取った。
「それで、詳しい話をお聞かせ願いますか?」
キョウコは実に淡白だった。
「それがですね、あの日から息子は元気に学校に通っていたのですが、一ヶ月もすると体調を崩すようになり、病院に連れて行ったんです。そしたら、前の病気を再発していると、医師には言われました。完治したと聞いていたので、私は安心していたのですが、こういったケースは他にもあったんでしょうか?」
「なるほど。そういったケースは今までに見られない、初めてのケースです」
キョウコは僅かに俯き、思案した。その時、ある不自然な点に気づいた。杉宮は悲しそうに思いつめてはいるが、妻は悲しみ、というより緊張が伝わってきていた。
――この人なんで…?何か嫌な予感がする…
キョウコの勘は後に的中することとなる。
「いえ、わかりました。息子さんが退院する日などは未定ですか?」
「いえ、一度様子を見て、調子が良ければ来週に一時的にではありますが、退院する予定でいます」
杉宮の妻は一度もキョウコを見ようとしない。
「そうですか。でしたら、その退院日が決まる頃にこちらから連絡いたします。それと、そちらからの連絡は今後一切しないでください。話は以上です」
淡々(たんたん)と進め、キョウコは相手の言葉を待たずに席を立った。
「では、失礼します」
キョウコは急ぐように店を後にし、帰路についた。
夫婦はキョウコの背中を見送ると、安堵した。深い溜め息を吐く杉宮と、その妻は背に靠れかかった。
キョウコと入れ違うように入ってきたのは痩せ細った長身の男だ。男は店員に構うことなく、一直線に杉宮夫婦の許へ行き、乱暴に腰を下ろした。
「いやーご苦労、ご苦労。なかなか様になってたぞ?」
「須藤さん、本当にいいんでしょうか?」
「何がだ?」
「あの人たちが犯罪をするような人たちには思えません…」
杉宮は弱弱しく後悔を口にするが、須藤の威圧的な態度に怯えていた。
「なんだと?あいつらは罪を犯したんじゃない。繰り返しているんだ。それも、何度も何度も。それともあれか?お前らも隠蔽で捕まりたいのか?」
「い、いえそんな!でも、彼らは一体どんな罪を…」
「お前たちがそれを知る必要はない」
それ以上、杉宮が口を開くことはなかった。
「協力に感謝する。これは気持ちだ」
須藤はテーブルに封筒を置いて、店を後にした。




