第七話 汝の隣人の教え
「昨日あんなに頑張ってくれたんだし、今日も頼むよ!」
翌日、私の目の前には大量の樽があってこれを運ばなきゃいけない雰囲気だ。程々にしなきゃ今夜は腰を治してもらえないんだよなぁ……苦笑いをしながらとりあえず作業に取り掛かった。
一段落着いたら視界の端にジーナがいそいそと籠を持って出て行くのが見える。あの浮かれた様子は間違いない、司祭様案件だ。
「ジーナ、どこへ行くの?」
声を掛けたら面白いくらいに彼女の肩が跳ね上がってゆっくりとこちらに振り返った。
「あ、なんでもないのよ! ホントよ!」
「分かりやす過ぎるってば……」
手にした籠には収穫されたばかりのブドウがいくつかと何かの瓶、多分ジーナ家のワインだ。これが今日の差し入れなのだろう。
「採れ立てのうちに食べて欲しい、そんなところかな」
誰に、とは言わない。訳知り顔でジーナを見やると見透かされている事に感づいて頬を染めてそっぽを向いていた。
「まだ仕事終わってないのにいいの?」
「だからこっそり行くつもりだったのに……見逃してくれない?」
一昨日も仕事の合間にこっそり抜け出しての事だったようで、別に私としてはこのまま見逃してもいいけど折角だからここは便乗しておくことにした。
「私も手伝うからさ、全部終わらせてから一緒に行こうよ。そうしたら時間気にしないでゆっくりできるよ」
「うん……」
さてと、今日も腰が悲鳴をあげそうだなぁ。昨日より追加された自分のノルマとジーナの分と、今夜の自分の状況を想像してちょっとだけ遠い目になった。
…………
「こんにちは。お邪魔します」
私達が教会にやって来たのは昼間からしばらく経った時間帯。子供達も一日遊び疲れたのかこの前よりも大人しい。
出迎えてくれる司祭様と照れながら差し入れを渡すジーナを横目に見つつ教会内部を改めて観察する。やっぱり神像だの宗教画だの、その手の品物はない。異世界の美術がどんなレベルなのか気になったけど大きな街じゃないとそういうものはないのかな。
「お待たせしました。フィノさんは隣人教の教えを聞きにきたのですか?」
ぼんやり考えていた私に司祭様が声を掛けてきた。話の終わったジーナが寂しそうな顔でしょんぼりしてるのでいたたまれない。
「はい、ジーナにも色々教えてもらったんですけどやっぱり一度きちんと聞きたいなって二人で話してて……私達にお時間頂けますか?」
「それはそれは、とてもいい心掛けですね。僕の話でよければいくらでも」
司祭様に見えないところで百面相をしているジーナがおもしろい。彼女の顔が取り繕えるようになったところでさっきまで子供たちが座っていた椅子に腰かけ、司祭様の声に耳を傾けた。
…………
かつてこの世界に暮らす人々は自然の驚異に翻弄され、立ち向かう事すらせずただただその運命を受け入れるだけでした。
病に倒れては神に祈り、作物が枯れれば天を呪い、大地が割れれば世界を恨み、あらゆる苦痛を甘受するだけであった人々……しかしそれに異を唱える者が現れたのです。
その方こそ後に隣人教の初代教皇となられた聖人ケーニッヒ様でした。
ケーニッヒ様は病に倒れた者には手当を施し、不作で飢えた民には食料を与え、多くの苦しむ人々にその慈愛を以って奉仕なさいました。
何故ここまでして助けてくれるのか、そう問われたケーニッヒ様の言葉はいつも同じでした。
「真に人を助くのは人、目に見えぬものを頼りにしても救われぬ」
最初は救いを求めて自ら動くこともなかった人々も次第にケーニッヒ様の言葉に感化され、苦しみから逃れる術を模索し、己だけでなく身近な人々と助け合うようになりました。
ケーニッヒ様はどのような事態が起ころうともその聡明なる知恵でたちまち解決してしまいます。
それも全ては「知恵無くしては己すら救えぬ」と常に驕らず研鑽を高めた為でした。
人は学び、他者を助く力を得、いつしか国難の多くを退けられるようになりました。
そしてケーニッヒ様に従い教えを乞う者が集まり、「汝の隣人を救え、それはやがて己を救う」との言葉から「隣人教」が誕生し今に至るのです……
…………
「と、今のが子供向けのお話ですね」
司祭様の語る隣人教の成り立ちを聞いて成程、人間が最初から人間として作り出されたらこうなるのかと納得してしまった。進化論でサルから人間に移り変わる内に自然と発生する「学習」という行為が、指摘されなければ思いもつかなかったと。
「ええと、それでこの教えはどのくらい広まっているんですか」
「世界中といっても過言ではありませんね。一部地域では土着信仰として土地や土地に住むという謎の生き物を信仰しているところもありますが……」
世界中か……神の知識によるとこの世界は大きな円盤状の大地の形になっていて、人間は未だその世界の果てに辿り着いていないという。具体的な大きさは分からないけど日本よりは大きいよねぇ、多分。
その隅々にまで神様の存在を知らせるって、交通の発達に期待できないこの世界じゃあちこちに行くだけで数年単位の長旅になることが簡単に予想された。
「謎の生き物って何ですか?」
「子供のおとぎ話に出てくるようなものですよ。白い羽を生やした天馬、火を噴く竜、心清き者にしか見えないという妖精、数えきれないくらいの話がありますからそれもまた今度紹介しましょう」
「!」
ここで私のテンションが俄然上がった。
ペガサス! ドラゴン! 妖精! この世界にいるんだ!!
神様はいても魔法とかはないっぽいし、地球と比べてそれ程ファンタジーな要素が少なかったから少しだけがっかりしてたけどそういうものがいるなら話は別だ。
おとぎ話とは言うけれどそれもきっと昔は実在していたのが、実在が疑われてから人間の前に姿を現さなくなっただけなんだろう、多分。
なら私の信仰で復活している筈だ。
「司祭様は本当に何でも知っているんですね! すごいです」
うきうきとした私の横ではジーナが目を輝かせて司祭様に熱烈な声援を送っていた。
「いえいえ、お話した通り隣人教では『学ぶ』という事を何よりも大切にしていますから。知恵があって初めて他者を助ける事が出来るという考えから、積極的に知識を取り入れることの大切さを人々に説く教えでもあるのですよ」
「子供達にここで勉強させているのも?」
「はい。隣人教では特に熱心な者は司祭の職に就き、二十歳から各地へ派遣されて文字の書き方や歴史、計算といった簡単なものから専門的なものまで教えています」
教師の派遣までしてるのか、それじゃ隣人教や司祭様がこれだけ信頼されるのも当然かもしれない。日本でも江戸時代にやってた寺子屋的な感じなのだろうか。
「さて、暗くなりましたし今日はここまでにしておきましょうか。お二人とも僕が送りますよ」
気が付いたら部屋の中も薄暗くて司祭様がランプを手にしていた。現代とは違ってお手軽な明かりもないし街灯だってない、日が落ちたら話も締めざるを得ない。
「し、司祭様が送ってくれるだなんて」
「野犬や狼の類が出ないとも限りませんしね、いざという時は盾くらいになりますよ」
さらっとこういう事が言えるのは隣人教の教えのせいなのかそれとも素なのか。これじゃ免疫のない田舎の女の子じゃ憧れるのも仕方ないなぁ……
もじもじと恥じらいながらしっかり司祭様の隣を歩くジーナを見ながらそんなことを考えて、隣人教が思ったよりまともな宗教だったことに私は更に上がった神の布教の難易度に頭を悩ませた。
…………
「ヴェルト様、ちょっといいですか」
≪此度は何か≫
すっかり恒例となった一日の報告である。若干痛む腰を擦りながら司祭様の話を知って聞きたかった質問を投げかけた。
「ヴェルト様は人間が祈りを捧げてた時何かしてあげてたんですか?」
あの話では「祈りを捧げて神に救われた」なんてものはなかった。隣人教を持ち上げる為に敢えて神の施しを省いて説明したという事だってありえるが、そこのところの本当の話が知りたい。
≪何もしてはおらぬ≫
「え?」
≪人が祈るのは当然の行為であり、そこに施しなど与える必要はない≫
ああ、これじゃ神が忘れられる訳だ。
「ヴェルト様、作るだけ作って放置って性質悪いですよ」
≪世界と生を与えた、それだけで施しは十分ではないか。それ以上を求めるというのか≫
「そういう考えだから人間も神様の事尊敬しなくなって挙句忘れちゃうんですよ……祈っても何にもならないなら、もっと別の事考えますよ。人間って忙しいんですから」
隣人教が流行るのもそういう下地あっての事だったのか。神に祈って絶望した者が同じ人間の手によって救われる……美談だよなぁ、神とそれに巻き込まれた当事者じゃなければ。
≪祈りを忘れては世界が滅ぶというに?≫
「人間がそれを知らなきゃ意味ないです」
割とストレートに非難したけど怒ったりはしていない様子。ふむ、と相槌が聞こえ何やら考え込んでいるようだ。
≪……祈った者に見返りを与えればいいのか?≫
「大袈裟じゃなくていいんです。ちょっとだけ何かご利益があれば。あんまりやり過ぎても有難味なくなっちゃいますし」
≪その塩梅が分からぬ。遥が出会った者に施してゆけばいい≫
「結局それなんですね」
はぁ、と溜息をついて今日の報告を終えた。腰に手をやるとおばさんが用意してくれた腰に効く薬草入りの湿布が張られている……これも司祭様が教えてくれたものらしい。
「現に今の私を助けてくれてるのは隣人教だしなぁ……この教えを失くしてしまうんじゃなくてうまく融合できればいいんだけど」
今のところは焦って布教をするよりはこの世界の生き方と常識を学ぶだけに留めておこう。