第六話 神も探せば信者に当たる
翌朝目覚めた私は周囲の様子が眠る前と同じ事に落胆の息を吐いた。全てが私の空想だったら、夢で済む程現実は甘くないらしい。
水道も無いので井戸から汲まれた水で顔を洗うとそこには自分の顔がそのまま映っていた。
大学入学と同時に染めたこげ茶の髪、黒目がちの瞳、彫りが浅い典型的日本人顔だ。やっぱりもう少し外国風の美女にしてもらえばよかったかなと隣のジーナを見ながら思った。
「では、人の叡智に感謝して頂きましょう」
「いただきましょう」
用意された朝食は硬めのパンと茹でた野菜、それと朝からワインが出てきた。食事前のこの宣言も隣人教によるもので昨夜初めて聞いた時には面食らってしまった。パンは噛み切るのが大変だったけど何というか噛めば噛むほどに味が出るというか、素朴な味で割と嫌いじゃない。元々パン派だったしデッサン中に時々食パンをおやつにしてたくらいだからバターやジャムが無くても満足できた。
ワインはたまに誘われた飲み会でチューハイや甘いカクテルを飲むだけだった私には未知の体験だ。
渋みがあるけど後味は爽やかで、アルコール度数も低めなのか口当たりも良くてコップ一杯分をすぐに飲み干してしまった。
「うちで作ってるブドウのワインよ、美味しいでしょう?」
マリルおばさんが笑いながらもう一杯分注いでくれる。
「これは去年のやつだからな。今年は豊作だからもっと美味いやつになるぞ」
「フィノにも頑張ってもらわないとね。あたしが教えてあげるわ」
「ジーナ姉張り切り過ぎ。ドジしたら司祭様に言ってやろー」
「ちょっと!」
ジーナが席を勢いよく立つとエリクが自分の分のパンを掴んで笑いながら家を飛び出していった。おじさん達も笑っている。家族の平穏な日常といったこの風景に自分の家族を思い出して少しだけ落ち込んでしまったのは内緒である。
…………
さて、いよいよ農作業の手伝いだ。おじさん達から簡単に聞いた話だとこの村ではブドウの栽培とワイン作りが盛んだという。今がちょうどブドウの収穫真っ盛りで毎日大忙しだったのだそうだ。
「ブドウ摘みなんて小学校の遠足以来だ……」
実を潰さない摘み取り方を教えてもらい一つ一つ籠へ入れていく。段々と籠の重みが増してきたが全く苦にならない。神様特製のこの身体は確かに今までとは違っていて気分よく作業をしていたら、気が付くと籠一杯に摘み取っていた。
「おいおい、そんなに摘んで運べるのかい」
「平気ですよ!」
ぐっと持ち上げて所定の場所へ運んでいくと作業している人全員が目を見開いている。……よく周りを見れば成人男性一人が運んでいる量より私の方が遥かに多い。
「何よフィノってば。綺麗な手してたからこういうことしたことないと思ってたのに……記憶を失くす前は何やってたのよ」
「あ……はは。何だろうね、生まれつき力持ちだったのかな」
実はまだまだ余裕があるがやり過ぎると奇異の目で見られそうなのでここまでにしておこう。記憶喪失だけどちょっと力持ちの女の子だ、それでいい。
「見た目が細いからどれくらい働いてくれるか心配だったけどこんなに頼りになるとはね」
「それに真面目にやってくれるし、いい子が来てくれたもんだ」
褒めてくれるおじさん達の言葉が心苦しい。ごめんなさいこれ神様のお陰なんです。心の中で謝罪しつつ次々と作業を進めていく。とは言っても今の私じゃ運び役くらいしかできないけど。
そうしている内に午前の予定をすっかり消化して休憩の時間がもらえた。座り込んで空を見上げれば日差しがきついけど一帯に吹き渡る風が湿気を払ってカラリとした過ごしやすい気候になっている。
……異世界に来たってより、どこかの外国で農業体験とかホームステイしているような気になってきた。
「おつかれ。あたしも随分楽できちゃった」
隣にジーナが腰を下ろして話しかけてくる。エリクや昨日の子供達の姿が見えないのでどうしたのかと問えば十歳以下の子供は教会で勉強をしているらしい。
「とはいっても、遊んでるだけなんだけどねあの子達」
「あー、司祭様じゃ厳しく叱るなんて出来無さそうだもんね」
昨日最初に会った時の光景が日常なのだろう、現代の学校のように厳しくカリキュラムが決まっている訳じゃないようだ。
この世界では何を教えているんだろう。教会だから教義については必ず教える筈、その時自分も一緒に話を聞かせてもらおうとそんなことを考えながら午後の作業に取り掛かった。
…………
その日の深夜、私は寝床でうつぶせになって呻いていた。
「ううう……体力はあっても腰が痛くなるなんて聞いてないよ……」
≪……痛みを感じぬ身体など危険を察知できぬではないか≫
「そのへん上手く調整できなかったんですかぁ?」
≪我は疲労や痛みなど感じぬ。遥の求める塩梅など知る由が無い≫
「それでもこんなんじゃ明日動けないよ……ヴェルト様ぁ、何とかしてください」
初日であれだけ張り切った挙句次の日に即ダウンは恰好が悪すぎる。
困った時の神頼みとは言うけれど、この世界の人はこういう時ですら神へ祈ったりしないんだろうか。日本では神様の事なんて空想以外で意識した事なかったけど案外考え方の色々なところに影響が出るものなんだなぁ……
≪……遥、痛む部位に手を当てよ≫
「はい?」
唐突に言われて訳がわからぬままその通りにすると、腰に当てた手が一瞬だけ光を放ち気が付けば腰の痛みは完全に消えていた。
≪治癒を施した。これで問題はなかろう≫
「おおっ!これが神の力……明日から毎日お願いします!」
≪……今の我と遥の信仰では、数日に一度といったところか≫
「意味ないじゃん!」
≪そして今の力の消費により、三日程は神の力を使えぬであろう≫
「使う前に言ってくださいよ……」
≪次回はそうすることにしよう≫
しかしこの世界に来てから二日経った訳だが、今のところ村の人に神の存在を信じさせる方法が思い浮かばない。手から火を出したり触れずに物を動かしたり、そういった程度なら出来るだろう。しかし現代日本で同じようなものを見たとして手品か何かのトリックを疑って神が実在するとはとても思えない。
「……私になんて頼らず、最初っからヴェルト様が地上降臨とかしてたら流石に信じたんじゃないんですか?」
これも日本なら映画の撮影なりを疑うところだが、実際にその場に存在するだけで威圧感を感じるのだ。常識を超えた何かだという事は感じ取れるはずでそうなると俄然可能性は高くなる。
≪それをするだけの力が足りぬ≫
「それも私を呼んだからでしょう?呼ぶ前に思い切ってやっちゃえば何とかなったかも」
私を呼んだって本当に世界が救われるか分からないのにどうしてこんなギャンブルに手を出したのだろうか。神の存在を信じてたって悪い方に考える可能性もあったのに。今のところ私は神様のいう通りに素直に行動してるけどこれだっていつ考え直してこの世界でお気楽に生き始めたらおしまいだ。
それとも神にとっては自分を信仰してくれる、ってだけで無条件で信頼できるものなんだろうか。
≪……信仰無き者の前に顕現したとて我の姿も声も届かぬ、時既に遅く最早我だけでは如何する事も出来なかった≫
「……そうですか」
どうする事も出来ずただ少しずつ力が失われていくのを感じてどれくらい過ごしてきたのだろうか。そんな中自分を信仰する存在を見つけてしまえば一も二も無く飛びついてしまっても仕方がない……のかもしれない。
自分にも利がある事だけど割に合うかわからないこの役目を請け負ったことに少しだけ後悔していたけど、ここまで聞いてしまえばこの寂しい神様を放って置くことは出来なかった。
「私、どこまでやれるかわからないけど頑張りますよ。だからもうちょっと辛抱しててくださいね」
勝手に呼び出して仕事を押し付けてきたようなものだけど仕方ない、地球に帰る為とこの神様の為にがんばってみよう。
≪うむ。全ては汝の思うままに≫
さて、今日の報告はおしまい。明日は司祭様のところへ行ってみようかな。
明日は治癒が使えないから程々にしないとなぁ……考えながら私は眠りに落ちていった。