第四話 布教の道も一歩から
「司祭様は忙しいんですからあたしが案内します!」
「いいんですか?」
「いいんです! ほら、女の子同士の方が彼女も気を遣わなくて済みますし」
途端に猛烈な勢いでジーナさんが私の手を取って腕を絡ませてきた。これだけあからさまなのに気付いてないっぽい司祭様はある意味すごい。
「ではジーナさん、よろしくお願いします。フィノさん、彼女はとても親切ですから色々教えてもらうといいですよ」
「は、はい……」
「じゃあいきましょ!」
ぐいぐいと引かれて礼拝室を出て行く私は司祭様と子供達に見送られ、そのまま屋外へと連れ出されてしまった。この部屋を出たらすぐに外になっていたようだ。
「わぁ……」
そこで私は初めて見る異世界の風景に目を奪われた。
高く青い空、漆喰壁の小さな家、ゆっくりと動く水車、離れたところには何かの畑が広がっていて所々には家畜の小屋らしきものも見える。
写真や絵画でよく見るような、外国の農村風景そのままの光景が私の目の前にあったのだ。
「すごい……」
ファンタジー好きとしては一度は見てみたいような風景に感嘆の声が零れるばかりで、私を連れ出した人間の事なんてすっかり頭から抜け落ちていしまっていた。
「……何がそんなに珍しいんだか」
「あっ、ごめんなさい。すごく綺麗な村だなって……」
隣から声を掛けられて慌てて返事をすると、彼女の目と口が弧を描く。
「……ただの田舎の村なのに。でもね、うちの村のワインはこの辺りで一番美味しいって評判なのよ」
自分の住んでいる村を褒められて嬉しいのかにっこりと私に笑みを向けてくれた。こうして笑顔を向けられて改めて向き合うと粗末な服装でわかりにくいけど整った顔立ちの美女だと気付く。
「今は収穫の時期でみんな忙しいんだから、何か困ったことがあったらあたしに聞きなさい」
それに面倒見もいいようで、口実だけでなくきちんと案内もしてくれるらしい。ほぼ初対面でここまで世話を焼いてくれる親切さはこの世界の人特有なのだろうか。それとも別の理由があってのことなのか。
「だから司祭様に聞きに行っちゃ駄目よ!」
……これも恋する乙女故のジェラシーによるものだった。
「ジーナさんは……」
「ジーナでいいわよ、その代りあたしもあなたのことフィノって呼ぶから。いいわね?」
私が頷くと彼女も満足そうに頷いて言いかけた私の言葉の続きを促す。正直礼儀を以って丁寧に対応してくれた司祭様より彼女のような態度で接してくれる方が気が楽だ。
「ジーナは司祭様の事が好きなんでしょう?」
「ちょっ! な、ななな何を言うの」
私の一言で途端にうろたえてジーナの顔が赤く染まる。あんな態度で気づかれていないと思っていたんだろうか。
「隠さなくてもいいのに。司祭様って親切でいい人だよね」
「まさか、あなたも司祭様を……」
あなた「も」か。語るに落ちるとはまさにこのこと。私がこの話題を出したのは勿論理由あってのことで、こちらをじっと見つめてくる彼女に視線を合わせて微笑んだ。
「うん、ジーナとお似合いだと思う」
「えっ」
硬くなった彼女の表情が緩んで気の抜けた表情となる。
「私、ジーナと司祭様の事応援するよ」
「ありがとう! フィノってとてもいい子なのね!」
しばらくはここで厄介になるのだから、村の人に誤解されてライバル視されてしまうのは不本意だ。早々に私にその気がないと知ってもらわなくてはいけないと思ったんだけど……効果は想像以上だった。
目を感激で潤ませて私の手を両手で包み込むように握りしめている。
……なんか騙してるみたいで心苦しいなぁ
「そうだ、フィノはうちに来ればいいんじゃない?」
「ジーナの家?」
すっかり私に心許した様子のジーナが笑顔でしてきた提案は少し驚いた。家族も一緒に暮らしているところにそんなに簡単に人を呼べるものなんだろうか。
「そう、今忙しくて人を雇おうかって話をしてたのよ。フィノが手伝ってくれるのなら父さんや母さんも喜んで迎えてくれるはずよ」
「でも私、役に立てるのかな」
地球ではもっぱらインドア派で絵を描いたり本を読んだりと、体力には全く自信が無い。農作業とは縁遠い暮らししかしたことない私にとっては不安の塊だ。
「大丈夫よ、すぐに慣れるから」
「うーん……」
私が即答できず煮え切らない態度でいると、ジーナが再び私の手を握ってきた。
「司祭様の家にお世話になるなんて駄目なんだからね!」
「あっ、はい……」
熱心な筈だった。まぁ確かに憧れの人と女性が一緒に暮らすなんて、心穏やかじゃないだろう。ちょっと恋心が暴走しがちだけどジーナ自身は悪い子じゃなさそうだしこの提案に乗るのが現状では一番良さそうだ。
「じゃあお願いします。ジーナ、これから色々教えてね」
「任せて!」
その言葉通り、ジーナは随分と私の世話を焼いてくれた。村の中を一周して通りがかる村人達に私の紹介をしてくれて、目にするものに疑問を抱けば答えてくれて。
「こんなのことも知らないのね」とやや呆れた顔をしても決して冷たい態度はとらなかった。
そして村人も余所者の私に対し邪険にするではなく笑顔で受け入れてくれる。出会う人全てが親切すぎて流石に不自然にまで思えてきた。
「ねぇ、どうしてこんなに皆親切にしてくれるのかな」
「どうしたの急に」
私がジーナに尋ねれば何故そんな疑問が浮かぶのかわからない、といった顔をしていた。
「どこから来たかもわからない他人なのに村にいていいって言ってくれるし、家に呼んでくれるし、もし私が悪い人だったら大変な事になっちゃうのにどうしてそこまで信用してくれるのかなって」
私の答に彼女は軽く笑い飛ばして当然だと言わんばかりだった。
「困っている人を助けるのは、隣人教の教えだからね」
また出た。隣人教だ。
「その隣人教って……?」
「フィノはそんなことまで覚えていないのね。あたしもちゃんと覚えてないけど、『目に見えぬものより目の前の者を頼れ』『人を助くのは人』って考えの教えで、みんなそれを信じてるの」
人間同士助け合おう、って感じかな。うん、それ自体はとてもいい考えだと思うしそれがこの世界の宗教ならこんなに親切な人ばかりなのも分かるんだけど……
「それ、どんな神様を祀ってるの?」
「いる訳ないじゃない。いないもの相手に祈ったりなんて馬鹿みたいでしょ?」
だからか。神が存在しないとしている「隣人教」、それが信じられているから神への信仰がなくなっていると。
……これ、神が実在してるって信じさせるって相当きついんじゃないの……
「どうしたの? 変な顔して」
足を止め今後どうするか思い悩んでいた私にジーナが心配そうに覗きこんできた。……この心配も隣人教の教えだからなんだろうかと考えたところで思い直した。いけない、人の親切を信用できなくなるなんてそこまで人間不信になっては駄目だ。
「何でもないよ」
表情を改め首を振って否定すると彼女も納得したのか深くは問わず村の案内を続行した。
…………
「ここがあたしの家」
最後に案内されたのがジーナの家だった。他の家とそこまで差はない造りで小ぢんまりとしている。
「今は父さんも母さんも畑に出てるから夜になって紹介するわね」
「うん、ありがとう」
室内は木の壁と床で覆われていて、台所のスペースと竈、あと部屋が三つ。地球でも山奥の村だったら現代でもこんな暮らしをしている人がいそうな雰囲気だ。地球じゃない世界の文明がどの程度なのか不安だったけどそうひどくはないらしい。
「ジーナ、ここでお世話になるなら司祭様にちゃんと伝えておいた方がいいよね」
「そっそうね! 司祭様のところに行かなきゃ」
案内だけで終わる筈が寝床まで提供してくれるようになったのだ、ホウレンソウは大事である。そして司祭様に会いに行ける機会が増えて嬉しいのか目に見えて浮かれているジーナは分かりやすくてとても可愛い。
「本当に司祭様の事が大好きなんだね」
教会への道すがら、歩きながら尋ねると彼女は顔を赤くして頷いた。何でも三年前に司祭様が派遣されてこの村に来てからずっと憧れているとのことだった。
「村の人は十五歳になるとみんな外に働きに出て行っちゃうし、あとは小さな子ばっかりだし、司祭様みたいな穏やかで落ち着いた人なんて初めて見たの」
「ジーナはどうして村を出なかったの?」
「だってここが好きだし、離れたくなかったから」
「あ、それ分かる」
「でしょう?」
そうやって二人あれこれと話していると教会へ辿り着く。私がその扉に手を掛けようとしたらジーナが小声でそっと囁いた。
「今の話絶対内緒だから」
「はいはい、友達の恋を勝手に伝えたりしませんよっと」
私のその言葉にジーナが一瞬驚いて、そして笑顔になった。
「そ、そうね! 私達もう友達だものね!」
「そうそう、だからこれからもよろしく」
「仕方ないわね! 友達だから!」
人口の少ない村だし同年代の女子は見かけなかったからもしかしたら「友達」が初めてだったのかもしれない。
友達、をやたら連呼する彼女を背に教会へと入っていった。