第三話 私に気付いて下さい
ウーヴァ村。
大陸の内側に位置し、温暖な気候に恵まれた場所に存在するこの村は後に、「救世の乙女」が最初に降り立った場所として語られる事となる。
「あなたは、神を信じますか?」
それが私の第一声だった。
私が布教の最初の目的地として選んだのは「教会やそれに相当する建物のあるところ」。神への信仰が無くなったとはいっても宗教自体は存在していて、そこからならやりやすいだろうと考えたのだ。そして登場の際にはそれっぽい演出もしてみた。
ひらひらした清楚なワンピース風の服を身に着けて光と共に中空から現れてゆっくりと降り立つ、私考案のヴェルト様による演出である。完璧だった。
それを目撃する人さえいれば。
「……あれ?」
なるべくそれっぽい表情でいる為目を閉じていたので周りの様子が分からない。目を開いたらそこは古びた雰囲気の礼拝室のようなところで、人っ子一人いなかった。
「嘘、めちゃめちゃ恥ずかしい!」
誰も見ていないのだから恥と思うことはないのだけど私の場合は違う。いつだって「神の眼」が私を見ているのだ。あれだけ注文つけておいて全く意味の無かったこの行動に恥ずかしさの余り頭を抱えて蹲ってしまった。
≪……何をしている≫
「何も言わないでください……」
脳内会話で突っ込まれてしまった。ともかくいつまでもここでじっとしている訳にはいかない。今の私は不法侵入で独り言を呟く怪しい女だ、誰かに見つかる前に他の演出を考えなければ。
「あの、貴女は一体?」
遅かった。
蹲った姿勢から顔を上げると私の視線の先に男の人が怪訝な顔つきでこちらを見ていたのだった。
二十三、四くらいだろうか。穏やかそうな顔つきの割とイケメンだけど、真っ赤な髪の色がここが地球じゃないということを私に自覚させた。
「あ、えっと、その」
どうしよう急過ぎて何も思いつかない。このままじゃ不審者として捕まってしまうかも。
「あなたは! 神を信じますか!?」
焦って声が上擦ってしまった今の私は神秘性の欠片もないだろう。異世界転移なんてするんじゃなかった、一瞬だけ後悔したのは仕方のない話だった。
「神ですか……おとぎ話の存在ですよ? 信じるも何も」
男の人は目を見開いた表情から苦笑いを浮かべて答えてくれる。その内容からこの世界には信仰が無いのを実感した。
「それより貴女は何故礼拝室へ? 見かけない顔ですがどこから来たんですか?」
当然の疑問を投げかけられても答えようがない。予定では神々しさと共に降りてきて天使とか神の使いとか、そういうポジションで押し切ろうと考えていたのだから。
不法侵入状態から挽回する方法が今の私には思いつかない。
「あー……その、私は……」
「……何やら事情があるようで、良かったら話してくれませんか?」
初めて会った異世界の人は、とても優しかった。
…………
「……成程、記憶が無いと」
「はい……気が付いたら私、ここにいて何が何だかわからなくて……」
結局私が選んだのは古典的手法である「記憶喪失」だ。
神の知識をもらっていてもその中にこの世界の人の常識なんかは一切含まれていなくて、余計な知識ばかりが脳内にインプットされている。少なくともこの世界でおかしな行動を取っても言い訳が聞くようにと。
これが現代日本だったらまず通報間違いなしだが男の人がとてもお人よしなのかこの世界の人がみんなこうなのか、厳しい追及はせずに信じてくれた事にホッと安堵の息を吐いた。
「若い身空で頼る者もないとは、心細くていらっしゃるでしょう。もし行く宛てがなければしばらくここに滞在していかれては?」
「えっ! そんな、ご迷惑では……」
「いえいえ、困っている人を見過ごす訳にはいきませんから」
この申し出は正直とてもありがたい。しかしうら若き乙女としては素性の知れない男の人の家に厄介になる事の危険性について見過ごせない。一度そういう考えが浮かべばこの穏やかな微笑みすら演技に見えてきた。
その時である、バタンと大きな音を立てて礼拝室の扉が開いたのは。
「しさいさまーあそびにきたよー」
「司祭様その人誰? 恋人?」
「ジーナ姉に言いつけてやるー」
何人もの子供達がなだれ込んできた。じっと観察してみれば年齢はバラバラだけど一番大きな子でも十歳くらいに見える、地球の人間と同じような育ち方だとすればの話だけど。
「こら、いつも扉は静かに開けるように言ってるじゃないですか」
急に賑やかになったところで「司祭様」と呼ばれた男の人が笑いながら子供達を叱る。あっという間に囲まれていて人気者だというのがすぐにわかった。
そして一通り話せば次のターゲットは当然私になる訳で……同じように取り囲まれてしまって逃げるタイミングは完全に失われた。
「おねーちゃんだぁれ? どこのひと?」
「きれいな服着てるーいいなー」
「名前は? 俺はエリク!」
質問攻めで収集が着かなくなってきたところに助け舟を出してきたのは「司祭様」。
取り囲まれた私を見かねたのか私と子供達の間に割って入ってきた。
「駄目ですよ、困っているじゃないですか」
少しホッとした。小さな子供なんて法事の時に短時間親戚の子を子守りした程度で、初対面の子供とコミュニケーションを取るのは私には難易度が高すぎた。
「ごめんね、私あまり自分の事を覚えていなくて……名前くらいしか……」
「そういえばまだ名乗りすらしていませんでしたね。僕はセルジュ、この村の教会に司祭として派遣されています」
しおらしい態度で追及をかわすと司祭様の名前をここで初めて知った。なるほど、子供の服装や汚れからして都会っぽくないとは思ったけどやっぱり田舎の村だったのか。
そして教会があって各地に人を派遣してる、と。信仰は無くても何かの機関として機能してるんだろう、そんなことを考えながら続けて私も名乗り返した。
「あ、私は日野……」
「フィノ? いい名前ですね」
「フィノおねーちゃん? っていうんだ」
「あ、いや、違……」
何か勘違いされてしまい訂正しようとしたところで思い直した。
そうだ、ここは地球じゃない。日本人の名前がこっちでどう思われるかわからないし、だったら少しでも怪しさを減らす為にも現地の人が一般的な名前として勘違いしてる今の方がいいかもしれない。
「どうしました?」
「いえ、何でもないんです。……私はフィノと言います。お言葉に甘えて少しの間お世話になりますが、どうかよろしくお願いします」
偽名を名乗るなんて犯罪者になったようで少しだけ気になったけど今はこの村の人達から信頼を得ることが何よりも優先だ。この際なりふり構ってられないのだ。
「いえいえ、隣人教の教えに従ったまでの事ですよ。気にしないでください」
隣人教? 初めて聞く言葉に頭の中に疑問符が浮かぶ。
この世界には神への信仰が無いと散々言われてきたのに何の教えがあるんだろう……質問しようとした私の言葉は再び聞こえてきた扉の音と客人の来訪によって中断されてしまった。
「こんにちは司祭様。差し入れ持ってきまし……」
声の主は若い女の人で、歳は多分私と同じくらい。薄い桃色の髪を紐で一纏めにして、ヨーロッパの絵画で見たような前掛けに丈の長いワンピースを着たその人は私と司祭様の姿を視界に収めたところで言葉を失っていた。
「ジーナさんいつもありがとうございます」
「ジーナ姉だー」
「お仕事おわった?」
私以外の皆は当然知り合いなのだろう、司祭様が歩み出てにこにこと笑顔で女の人から野菜の入った籠を受け取ろうと手を伸ばす。
その人はそれでハッとしたように気を取り直したのか、籠を手渡すと震える指で私を指差した。
「あ、あの、その女の人はどこの誰、ですか?」
「司祭様の家で暮らすんだって」
「このおねーちゃんおうちなくてかわいそうなの」
誰が答えるよりも早く口を開いたのは子供達で。うん、事実ではあるけどちょっと誤解されそうな言い回しはやめてほしい。ああ、ジーナって人がこっち睨んでる……
「あ、あなた! 何で司祭様のところになんて……!」
「後で村の人達にもきちんと紹介しようとしていたんですよ。この人はフィノさんといって、記憶を失くして行く宛てがないというのでここで保護する事にしました」
顔を赤く染めて詰め寄られたところで司祭様が代わりに答えてくれて、そして今度は私の方へ向き直りこちらにも紹介してくれた。
「こちらはジーナさんです。いつも教会へ差し入れをしてくれたりお手伝いをしてくれたり、とても敬虔な隣人教の教徒です」
隣人教ってのがどんな宗教かは知らないけど、多分それ違うと思う。司祭様を見る目が明らかに恋する乙女になってるし私を見る目には対抗心がありありと浮かんでいる。
「な、なんだそうだったんですね! あたしてっきり……」
どうやら誤解は解けたようでジーナさんの視線から敵意が消えていた。分かりやすいなぁこの人……それなのに何で司祭様は気付いてないんだか。
「ではフィノさん、これから村の案内でもしましょうか」
司祭様が私の手を取ってそう声を掛けると再びジーナさんの目が怖くなった。