探り合い
朝食の席であったが、雰囲気は微妙なものがあった、何があったのか?と問われれば何もないとしか言いようがないが、会話が全くなかった。
慎一は昨日の結果を雅夫が言い出す事に期待していたが、何も言わず、適当に菓子パンをもしょもしょと食べ出すだけの状況にそれに倣うしかなかった。
加奈子にしてもそれは同様で、同じように行動するのみで、まるで会話がなかった。
「あの~、今日はどうしますか?」
その沈黙に耐え兼ね真っ先に音を上げたのは慎一であった、この中で最も若いだけに、堪える事もなかなかできず、つい一石を投じてしまった。
しかし、その一石に反応する者はおらず、結果的に無視されるように沈黙は続いた。
「昨日まではわりと率先して提案されていましたけど、今日はどうされたんですか?」
加奈子が次に口火を切った、これまでの経緯で雅夫は率先して提案を行っており、皆もその提案内容に特に反対するような理由も見いだせないが故に賛同して進行していたという節があった、しかし今日はまったくそう言った事が見られず、疑わしい目で見ればいくらでも疑わしく思えてしまった。
「昨晩ね、寝付けなく色々考えてしまったんですよ、戸田さんのすごい力を見た後色々とその力を使えば、森林から脱出して人のいる所まで行けるんじゃないか?とかも考えていたんですけど、あまり力の実験に乗り気ではない様子でしたよね?理由を横になりながら考えたんですよ、もしかしたら勘違いかもしれないんですが、スポーツ選手とかって体を酷使したが故に晩年不自由な思いをするとか、現役時代からあちこちに故障を抱えながらやってるって話を思い出したんですね、そういうのを恐れているのかな?って思ったんですよ、そうなると無理に協力も仰げないし、ここから脱出する手段も思い浮かばないし、どうしたもんか次の一手がまるで思いつかず、手詰まりみたいな状態なんですよ」
一気に言うと、手元のペットボトルのお茶を飲み一息入れた。その説明は理に適っているように感じられたし、事実慎一の目にも加奈子が非協力的であるのはハッキリと見えていた、そうなるとこの状況で次に何をやるのかは正に手詰まりとしか思えなかった。
「では、私の力はないものと考えて次にどうするかは考えられなかったんですか?」
その言葉を聞くと、この戸田加奈子という女性の本性が分かる気がした、やはり自分の事を最優先に考えている、しかもこのような異常な事態で二夜を過ごし段々と自制が効かなくなり体裁さえ気にしなくなりつつあるのを感じた、焦りからのみなのか、それとも切り捨てる腹を固めたのかは分からないが、危険な兆候としか思えなかった。
「自分はコンビニ店内の食べ物をまず確保しようと提案しました、次に食べ物も賞味期限の迫った物から食べようと提案したくらいで、目先をどう切り抜けるかくらいしか分からないですよ、ビジョンはここまでで、あとは一か八か森林の踏破は狙うか、なんらかの助けが来ることに賭けるかの二択しかないのではないでしょうか?」
こんな状況下で先々まで見通すビジョンを持っていたらそれこそ怖いくらいであり、黒幕である事を疑いたくなる、しかしその発言は聞きようによっては無責任に聞こえ彼女の苛立ちを募らせる結果になった。
彼女が苛立っているのは分かっていた、しかしこれ以上にヒステリックになりつつある彼女を怒らせる事無く宥める方法など思いつくわけがなく、多少挑発的でも言い切るしかないと判断しての回答だった、そして仮に彼女が激高して襲ってきても勝てる自信があっての話であった、仮に締め上げられたとしてもその体の重要部位、首や心臓を灰にしてしまえばどんなに強靭な肉体でも活動を停止せざるを得ない、自分を一撃で気絶させるような強烈な打撃を打って来る可能性は低く、もしそんな攻撃に出たらギリギリで踏みとどまり体の一部に触れて灰にすればかなりのダメージになり実際の胴体の一部を灰にすればそれだけで死にい至る可能性は高いように思われた。
彼女もそれ以上に明確な反論も出来ず次の案を言えと強要する事も出来ないのは分り切っていたため黙ってしまい、また沈黙の時だけが流れ出した。
「どんな感じなのか少しだけ外に出て見ませんか?ここに閉じこもっているより少しづつ探検して、食料や体力と相談して一気に踏破を目指すってのじゃダメですか?」
沈黙に耐え兼ねての慎一の提案であったが、その提案に二人は素直に応じ、外出に同意した。
外へと続く自動ドアは電気の供給が停止している時点で完全に死んでいたが、横にスライドさせていけば、特に問題なく開き、まだここに帰る事を前提にしているため破壊しないようにしつつ開けて行った。
森林はかなり広く先々まで木が続いており、しかも人の踏み込んだ形跡はないように感じられた、三人とも山歩きや自然と親しむような趣味を持っていないため、詳しい事は分らなかったが、道らしいものは発見できず、定期的に近くを人が通る可能性は皆無である事が予想できた。
樹高の高い気が多く茂っているためか地面の草は高くても膝くらいまでの高さであり、そこまで歩行の障害にはならなかった、野山の草花にそれほど詳しくはなかったが、ファンタジーの世界特有の見た事もないような草花や、見た事もない動植物を見かける事もなく、黙々とした進行は1時間に及んだ。
「休憩にしませんか?」
最初に音を上げたのは意外な事に加奈子であった、筋力の増強に伴い、もっとも有利ではないだろうか?と考えられていただけに意外な気もしたが、足を見て納得した、スニーカーを履いていた男性二名に対して彼女はパンプスを履いており、野山を歩くような靴とは到底言い難い物であった。
休憩になったが、皆黙ったままでまた沈黙が流れた、その空気は慎一には特に耐えがたく感じたが、雅夫と加奈子はもうあまり目も合わせないようにしていた。
加奈子も観察するように雅夫を見ると自分の回りにいる男達とは明らかに違う部類の人間である事が確認できた、普段はそんなものなのかもしれないが、アラフォーの男がスニーカーを履いている姿にかなりの違和感を感じていた、自分の知る男達はたとえ休みの日でもカジュアルな革靴を履いており、薄汚れたスニーカーなど履いている者は一人もいなかった、腕の時計も高級時計とは言い難く学生にはそれなりに需要のある丈夫で武骨なイメージのものであった、薄給で生きる人間、落伍者、そんな印象を受けると彼女のエリート意識からすれば言葉を交わす相手ではなく、本来一方的に支持を出すだけの相手であるとしか思えなくなってきていた、それでもこのような現場ではある程度助け合わなければどうにもならないが故に、決定打になるような事は避けていたが、感じる嫌悪感は拭えないものとなっていた。
彼女が力を得た事により、結局はこの世界での法則や社会がどういうものであるのかがまったく未知の状態でありながら、自分が一番元居た世界では偉かったのだという事を再確認してしまい、それが増長を生む結果になって行ってしまったのを本人も潜在意識下で起きた事なので自覚してはいなかった。
雅夫は自分に向けられた悪意や敵意には敏感だった、故に加奈子が自分を見る嫌悪感に対しても気づいていた、そして無視していた、もし昨晩自分にある力に気付いていなければ不安感からさらに自分の有用性をアピールすべく色々な提案を行ったかもしれないが、もうどうでもよくなってきていた。
彼の推察した彼女が力を出し惜しみする理由はほぼ当たっており、彼女が力を使いたがらない理由は副作用や反動ともいうべきものを恐れての出し惜しみであった、しかし彼は違った、どうせ生きていても残りの人生は半分を切っており、それもたぶん碌でもない事は目に見えていた、だからこそどうでもよかった、明日死ぬ人間が健康に気を使わないかのように人生をすでに半ば投げている彼にとっては、副作用が仮にあったとしても恐れるほどのものではなかった。
目下の気になっている事はこの能力のフルスペックというものだった、手に持った物や触れた物だけに作用するのか?それとも射程距離のようなものがあるのか?例外は存在するのか?生き物には通用するのか?考え出すときりがなく、二人に隠れて実験するには現在の環境は最悪と言ってよかった。
そしてもう一つ気にかかるのは慎一の存在いだった、自分と加奈子に力が備わり慎一に何も備わらないと考えるのは不自然に感じ、どのような能力が備わったのか?まだ気付いていないにしろ強力な能力であり、しかも慎一の性格がどのような性格なのか分からない事には対応は非常に難しく感じた、いっそ別々に行動を分けた方がいいのかもしれないと思うようにすらなって来ていた。
「そろそろ行きませんか?」
いつまで経っても立ち上がる気配もなく会話もない二人に痺れを切らし、慎一が声を掛け再出発となった。やはり会話はないが立ち止まらず進行して行くだけにさっきよりマシに感じてしまう。
先ほどより長く歩き日が真上に来る頃に雅夫が声を掛けた。
「ここでお昼を食べて引き返しますせんか?暗くなると道に迷う可能性も出ますし、少し余裕を持って切り上げた方がいいと思います、探検初日ですしね」
皆異論はなかった、特に成果らしい成果はなかったが、あえて言うなら危険な動植物がウヨウヨいるような環境ではない事が確認できたのは大きかった気がする、一歩扉を開けたらドラゴンが居た、では話にならないどころか初手で詰んでいるような印象である。
「ちょっとトイレ行ってきます」
食事と言っても持って来た菓子パンを食べてペットボトルのお茶を飲んだだけだったが、それをいち早く終えると立ち上がり少し離れた所へと歩き出した。
その食事風景も加奈子には無作法この上なく感じた、飲み込むように食べる姿は下品そのものであり優雅さの欠片もなかった、最も半分は言いがかりであり、彼女の同僚とて忙しい時は形振り構わぬ様に搔き込む事も珍しくなかった、彼が食事を急いだ理由も正にそこにあった。
ここまで彼らは相互監視をしていたわけではないのだが、一人になれる空間はトイレくらいであった、それさえも水の供給切れにより悪臭を放ち、長く留まれる場所ではなくなっていた。そして一人になった時に能力のテストをほんのわずかでもできればと言う思いからの行動であった、まさか少し離れた位置にまで覗きに来ることなどありえないだろうという考えからのものであった。
どのようなテストをするのかは移動中に考えていた、まずは生物に有効かどうかというテストであったが、これは草に触れ実験を行った結果、有効である事が確認できた。次に手が離れていても有効かどうかというテストも成功だった、目線を足元の草に合わせ『灰』をイメージするだけでボロボロと崩れて行った。手で触れずに行えるなら極めて有効な攻撃手段として使え、かなり使えると内心喜んだものであった。次に触れなくていいのであれば防御に使えるかどうかのテストとして、自分の周囲にバリアーのように張り巡らし、迎撃するようなイメージを持ってみた、何かが自分に向かって来るわけでもないため低木の茂みになっているようなところに背中を向けながら後退して行きぶつかる手前で振り向いてみた、すると一部が抉られるように無くなっており、下に灰が少し堆積していた。最後の実験はかなり大きかった、常にバリアーを張り巡らせるようにして突撃をかければモーゼが海を割るかのように敵の軍隊さえ一人で壊滅させられそうに思われた、しかも背後から攻撃して来ようと自動迎撃とも言うべき能力で全て無効化できるのであれば正に無敵であるように思われた。最後の懸念材料もあったが、そればかりは実験する事もできないため、今後の課題としたが、それでも間違いなく加奈子の能力よりはるかに強力であり、あの程度で天狗になっている加奈子が滑稽にさえ思え、思わず笑いが洩れてしまいそうになった。
実験の手順は最初から思い描いて物をサクサクと終わらせたため、問題ない時間で終了し、皆と合流し、そのままコンビニに帰宅してその日は終了となった。彼の行動や実験は見られたわけではなかったが、帰りの道中で少し顔に笑みが浮かんでいるのを慎一は見逃さず、微妙に違和感を感じてしまった。