能力覚醒
三人とも言葉もなくコンビニのガラス壁の向こうに広がる森林を見つめていた、何が起こったのかまるで理解できなかった、正確には中年の男と学生の頭にはあるキーワードが浮かんでいた、しかしその言葉を口にするのはあまりにも荒唐無稽に感じられ声に出すまでには至らなかった。
女性もまるで何が起きているのかは理解できなかったが、理解できないような状況が発生しているという事だけは理解していた、そして自分に落ち着くように言い聞かせたが、心拍数の増加は抑えきれないものであった。
三人とも無言であったが、共通認識として外に出る事の危険性を感じていた、訳の分からない状況で森林にズカズカと進んで行く人間がいるとしたら、よほどの考えなし、バカと断じられても仕方ないように思われる、レンジャー技術に自信のある人物という可能性もなくはないが、例外なく熟知している人間ほど未知のものに対して慎重であったりする。
女性は二人の人物をゆっくりと凝視しないように気を付けながら観察した、中年の男はダウンのブルゾンとスラックス、スニーカー、夜にふとコンビニに来たといういで立ちであった、先入観で判断するのは危険かもしれないが、エリートと言われるような人間には見えない、しかしホームレスやチンピラといった雰囲気も持っておらず、小市民という言葉が一番ピタリと当て嵌りそうな人間に思えた。
学生らしき青年は塾帰りくらいの時間であろうか?自分にも塾に通った経験があるから分かるが、しかし帰りにコンビニでのんびりしている所を見ると、余裕があるのかあまり熱心ではないのかのどちらかであるように感じられた、帰ったらすぐに復習、そんな意気込みで勉強に取り組んでいた自分から見ると非常に怠慢な行動にしか見えなかった、しかし風貌を見ると校則もあるのだろうが、茶髪でもピアスをしている事もなく、それほど凶暴な人間にも見えない事は救いであるように思われた。
二人の男に共通しているのはあきらかに暴力的で凶暴な印象を持たない事であるが、昨今の社会事情を考えると、無害そうな人間がなんのはずみで凶悪犯罪を犯す可能性もあるため、うかつな行動は自分にとって大きなリスクを招きかねないだけに、慎重を要する必要性はあるため、言葉を選びながら切り出した。
「すいません、状況がよく飲み込めないんですが、とりあえず、自己紹介などいかがでしょうか?『あなた』『そちらの方』というのでは、ちょっとお互いに呼びずらいと思いますので、私は戸田加奈子と申します」
そんな彼女の言葉を聞き二人はほぼ同時にしゃべり出した。
「すいません、自分は・・・」
「あ、僕は・・・」
ほぼ同時に喋り出したため、お互いに邪魔になると思い途中で喋るのを止め、相手に『お先にどうぞ』と言う感じに譲り合いを開始した、自己顕示欲やアピールが強すぎる人間もあまり好きになれないが、一歩引いて人と接するような人間もこういう場面では弊害に感じられた、もっとも所謂DQNと言われるタイプの人間で『てめぇ何勝手に仕切ってんだ、ああ!』等と言って一々絡んでくるようなタイプの人間でなかった事だけはせめてもの救いであったと思われた。
「ええと、自分は早川雅夫と言います」
「僕は上田慎一です」
二人とも丁寧にフルネームで回答した、普段は苗字だけを名乗るであろうが、彼女が率先してフルネームで名乗った事に触発され名乗った形だった。
「最初は大地震かと思ったのですが、目の前の森林を見ると明らかに違う場所としか思えず、どういう事なのかまったく分からない現状です、お二人はどう思いますか?」
加奈子にもこの状況を二人が理解し、明確な回答を出せるとは思えなかった、しかしとりあえずのコミュニケーションをとる切っ掛けにしたいと言う思いからの質問であった。
「いい歳したおっさんが言うと頭がおかしいと思われそうだけど、ワープとかタイムスリップとかじゃないのかな?」
普通であれば、冗談を言っているか頭がおかしいか、どちらかしか考えられないような回答であったが、大きな揺れを体感し、一夜明けたら目の前が森林に変わっていた、その状況を理論立った説明が出来るとは到底思えず、その意見もあながち外れていないように考えられた。
三人に共通している事だったが、基本的に超能力否定派であり、オカルトに関してもテレビに出ている霊能力者という存在を詐欺師か芸人程度にしか見ていなかった、しかしこの現状を超常現象以外のきちんとした科学的考察を元にした推論を述べよ、と言われてもまるで万人を納得させる回答を用意できる自信はなかった。
「最初は植物の異常促進を促すバイオテロみたいな事も考えたんですが、整合性がなさすぎますしね」
彼の言葉に皆が頷く、仮にそうだったとしたら、周りにあった建物や標識、信号機などが瓦礫や残骸すら残されていない事に対しての説明がつかず、さらに言えばこのコンビニの建物だけが無事な理由も全く説明できなかった。
「仮にワープみたいなものだとしても、店内に散乱しているもので食事にしませんか?体力がなくなると何もできなくなる可能性が高くなる気がします」
雅夫に言われるまでもなく、皆空腹感を覚えていた、なにしろ揺れの最中に襲ってきた嘔吐感により胃の内容物は派手にぶちまけており、そこから夜が明けるまでなにも口にしていなかったため、非常に空腹を覚えていた。異論もなく皆でそう広くない店内を物色していると、雅夫が遠慮がちに加奈子に声を掛けた。
「あ、スナックとか密封されている物よりお弁当とかおにぎりを中心にした方がいいと思うんです、賞味期限が近いものから食べないと、いざと言う時に長持ちする物は残しておいた方がいいと思ったもので」
加奈子が手にしていたスナック菓子を見咎め、なるべく穏便に言った言葉であり、指摘されて彼女にもその言っている事が正論である事は理解できた、話し方もけっして高圧的な物言いではなく、あくまで穏便であった、しかし彼女はどうしても散乱して床に落ちたお弁当を食べる気にはなれず、その意見に賛同しかねていた、もちろん非常事態に何を言っているんだ、と言う指摘を受ければ自分に非がある事は十分に理解していた、しかし潰れたおにぎりはなんとも不潔な印象があり、食べたくなかった、これは完全に我儘に近い物であると自覚していたが、嫌でしょうがなかった。
「たしかにそうですね、しかし非常事態に食中毒や下痢になったらそれこそ危険だとも思うんですよ、そういった危険性を回避する方がいいのではないでしょうか?」
「まぁ、そうですね」
あっさりと引き下がりそれ以上議論や追及をしようとは思わなかった、彼にも何が正解かなど分らず、極めて不確かな状況で争いたくないという心理が働いたのと、元来争い事が嫌いだったのが大きかった。
皆が食べられそうな食料と飲み物を探し出し、食事となった、雅夫は言い出した通り、比較的形の整ったおにぎりと生菓子コーナーにあった大福などを食べていた。
加奈子も自分の態度が少し強引であったと言う反省はあった、雅夫の言う事は正論であり、しかも自分は黙々と言った事を実践している態度を見ると、少し後ろめたい感情にも囚われてしまっていた。
「甘い物がお好きなんですか?」
ご機嫌取りとまではいかないが、後ろめたさを隠すための会話の切っ掛けに彼の食べていた大福を見ながら加奈子は尋ねた、彼女も決して甘い物は嫌いではなかったが、嘔吐したあとの朝から食べる気にはなれなかった。
「それほど好きではないんですが、遭難した時に甘い物の方がカロリーが高く、腹持ちがいいみたいな事を聞いた記憶があったものですから」
そこまで考えているのにお前は何も考えていないのか?そんな風に言っている気がして、少し腹立たしく感じられた、そんな事は一切考えておらず、困った事態に際してできるだけ合理的に考えただけのつもりであったのだが、その発言内容に彼女は外見の平静とは違い内心少し苛立ちを感じてしまっていた。
「出発する事になったら、飴とかガムは持っていった方がいいでしょうね非常食として所持した方がいいと言うのを聞いた記憶があります」
たしかに昔、学校の林間学校などの際に聞いた記憶があった、遭難した際の非常食であると言う説明を「ありえない」と笑い飛ばした記憶もあったが、実際に自分が遭難より更に厄介そうな状況に巻き込まれるとは夢にも思っていなかった。
「どうなるんでしょうね?」
今まで黙々と食料集めをし、黙々と食べていた慎一が口を開いた、しかしその口調に二人は微妙に違和感を感じてしまった、若干だが弾んでいるように感じられたのだ、この異常な事態を楽しんでいるような気配すら感じられた、もちろんウキウキしているという程ではなく、微妙に感じられる程度の違和感だった、気のせいかもしれない、そう思い今後について考えるも、明確なビジョンなど見えてくるはずもなかった。
「物事を単純化して考えればまずは二つかしら、留まるか移動するか、本来なら留まるというのが正解なんでしょうけど、ここで救援を待っても救援が来る可能性は全く未知数どころか来ない可能性の方が高そうね、かと言ってこの森林に足を踏み出す勇気もない、どうしたものかしらね」
彼女の言葉は皆の意見を代弁しているかのようであった、こんな森林に近所のコンビニに出かけるような格好で挑める度胸のある奴はよほどのバカとしか思えない、ジッと考えてもいい案は出ないどころか、鬱な雰囲気に拍車がかかりそうであった。
「食事も一応終わったし、店内でいざと言う時の食料を今のうちに集めておきませんか?あとはライターとか雑誌は燃料になりそうだし、髭剃りとか生理用品とか必要になりそうなものをまだ明るいうちに回収整理しときませんか?」
賛成と言うよりは、特に反対する理由がない、といった雰囲気だった、ジッとしていると落ち着かない、かといって名案が浮かぶわけでもない、そんな状況で提案される雅夫の提案は反対する理由も特にないし、まぁそれでもいいか、といった感じの消極的な賛成を引き出す程度のものでしかなかったが、一定の指標が見つかる事はありがたい事でもあった。
コンビニも近年は極めて多様な物品が販売されるようになってきたと改めて感じさせる品揃えであった、食料のみならず、下着なども売られている事はこのようなサバイバルを想定したわけではないのだろうが、非常に役立った。
「早川さん、この下に飴とかガムが散乱しているみたいなんですけど、三人で持ち上がりますかね?」
慎一の問い掛けに応じ、三人がかりで倒れたスチール製の棚を持ち上げようとした時、異変をを感じた、棚が吹っ飛ばされたのだ、吹っ飛ばしたのは明らかに位置関係から見て加奈子であった、キョトンとした顔で何が起きたのかまったく理解できないでいる加奈子に対し、加奈子の力を見た慎一と雅夫の脳裏には一つの単語が浮かんできた『チート』と。