プロローグ
夜の9時を少し回った所であった、11月、これから寒さもさらに厳しくなる時期であるが、すでに十分に冷え込んでおり、暗くなるこの時間になれば自ずと震えが来ていた。
「いらっしゃいませ」
コンビニに入ると雑誌コーナーに寄る、駅前すぐのコンビニは雑誌にも紐が掛けられ立ち読みが出来なくなっていたが、少し離れたこのコンビニは自由に読むことができた、店員が面倒に感じ、手を抜いているのかもしれないが有り難い事であった。さすがに条例が厳しいせいか18禁雑誌にはしっかりと封がされて読めなくなっており、ここも手を抜いてくれればいいのにと感じてしまったが、そこは手を抜くと本当に罰則までついて厳しいのかもしれない、そんな事を考えてしまった。
雑誌コーナーには先客がおり、頭髪にチラホラと白髪の混ざり出したような冴えない中年であった、手に持つ雑誌は少年漫画雑誌であり、いい年した大人が立ち読みで読むものではないように感じ少し軽蔑に似た思いを感じたが、自分もその雑誌を手に取り読み始めた。
「いらっしゃいませ」
また誰か客が来たようだが、気にならなかった、コンビニ強盗が来る可能性もあるのかもしれないが、今までそのような経験など一度もなくむしろそんな非日常が訪れはしないかと期待すらしているくらいであった。もっともそれも日本であるからのゆとりなのかもしれない、コンビニ強盗といってもせいぜいナイフ程度であり、拳銃が出てくる事など稀で、自分には被害が及ばない、人生で一度あるかないかの現場を特等席で見物できるかもしれない、そんな期待からの空想であった。
塾の帰りにコンビニで漫画を立ち読みするくらいしか目下の楽しみはない、来年はいよいよ大学受験が控えているが現在の成績だとレベルの高い大学は絶望的で将来に対してもまるでいいビジョンは浮かんでこなかった。
ひたすら退屈でつまらなく感じていた、好きなゲームも勉強の妨げと言い禁止され、女性には興味もあり、性欲を持て余している傾向すらあるが彼女はおらず女性経験もない、少ないこずかいでは漫画もエロ本もそうは買えず、不自由さの中に楽しみを発見する事も出来ずただひたすらに退屈で鬱々とした日々を送っていた。
好きだった長期連載が終わってからも惰性で読み続けているが、面白いと感じなくなってきていた、昔読んでいた時は中年のおっさんがゲームをしたりラジコンで遊んだり漫画を読んだりしている姿を同級生達と「こんなおっさんになりたくねぇ」と笑い合っていたが、気付けばその年齢を超えてしまった今もゲームや漫画に興じている自分がいた。
漫画の主人公は安定した公務員であったが、自分は現在無職、もうすぐ失業保険も切れるというおまけ付きである、生活保護か富士の樹海かとそんな自虐的な冗談も出るが、自分のこれまでのキャリアや年齢で次があるとも思えず全てがどうでもよく感じていた。
感性の劣化のせいかもしれないが、やはりどの漫画も面白く感じることができず、雑誌を戻すと何気なく週刊誌を取り上げ読み始めて見た、不倫、汚職、そんな中に混じって掲載されたセレブ婚の記事に並ぶ数字は景気が良く、その一割でももらえれば残りの人生細々と生きていけるのにと思うと口惜しさよりも、バカバカしさを諦観に似た感情と共に感じてしまった、さらにパラパラと読み進めていくと核開発や国際緊張に纏わる問題が長々と掲載されていた、いっその事核戦争でも起きてなにもかも灰にしてくれればスッキリするのに、金持ちも貧乏人もみんな仲良くあの世行き、そう考えると愉快にすらなってきてしまう。
どうせ現実は、適当なところで手打ちにして、独裁者はのうのうと生きて行きのだろう、人生の展望に先がない自分にとっては羨ましいというよりは、みんな仲良くあの世行きと言う方がよほどシックリ来る表現に思えた、全部リセットされるなら多くを持つ者の方が何倍もその口惜しさは大きいいであろう、甲子園に行けなかったとしても、最初から一回戦負けがほぼ確定しているチームと優勝候補筆頭と言われたチームでは口惜しさがまるで違うのと同じようなものかもしれない、そんな事を考えてしまった。
今夜は吐くまで飲みたい気分だった、しかし醜態を誰かに見られるのは死ぬほど嫌であった、だからこその宅呑みのための買い込みを行おうと、寄ったコンビニであった、なんでもよかった、アルコール中毒で死んでもかまわない、そんな気分だった。
栄転と言う名の左遷の内示だった、理由は分かっている春の人事異動で専務昇格が確定した部長の身辺整理だ、五年に渡る愛人生活で飽きたというのもあったかもしれない、別れ話と同時に来たタイミングではどうしても疑ってしまう、しかも移動先が海外であれば尚更である。
名門大学を出て一流企業に就職し、高給を取り、世間では勝ち組と言われていた、今回の人事でも出世コースと見ることも出来る人事であるだけに異論は挟みずらいが、全くの畑違いの分野であり、撤退を視野に入れての事業縮小計画まで出されているのだから、立て直すには奇跡的な状況の変化が必要であり、立て直せなければ失敗者として懲罰人事のような扱いを受けるという状況では、斬り捨てる事業に切り捨てる人事を重ねたと捉えるのが妥当としか思えなかった。
今までの自分の歩んできた道は決して苦労知らずなものではなかった、大学合格のため寝る時間を惜しみ恋愛もせずひたすら勉強した、大学に入ってからも就職まで視野に入れた資格取得を目指し、さらに海外も視野に入れた語学の上達にも余念がなかった、入社後もエリートを捕まえて結婚する事しか考えていないような同僚の女を尻目に同期には絶対に負けないように努力を積み重ねてきた、その結果がこれである。
どこにでもある話、能力=出世ではない、そんな事は分かっていた、派閥争いに巻き込まれ辞めて行った人間を何人も見ていた、そりの合わない上司からあきらかな嫌がらせとしか思えないような仕打ちを受け辞めて行った人間を何人も見ていた、しかし自分がその対象になると悔しくてたまらなかった、全てを壊せる力があるなら全てを壊してしまいたい、そう思わずにはいられなかった。
女性がカゴにワイン数本、ビール1ダースを詰めレジに向かい、中年と学生がほぼ同時に立ち読みに飽きて立ち去ろうとした時、異変は起きた、猛烈な揺れであった、立っている事は不可能でありレジの中にいた初老の夫婦も含め皆転倒した、棚は全て倒れ倒れるだけにとどまらずバウンドするかのように跳ね上がり、皆亀のように縮こまり飛散し、降り注ぐ商品から身を守るようにしていた、巨大なスチール製の棚も激しい音を立て地面に衝突したかと思うと、再度跳ね上がりまた落下する、全員生きた心地もせずわりと大きめの商品が体に降り注ぐ際の痛みも棚の直撃を受けたらどうしよう?という恐怖心の前では気にならなかった。
縮こまり頭を抑えて地面に伏せていてもあまりの揺れで自分の身体までが宙に浮く事も何度もあり、まるでジェットコースターに安全ベルトなしに乗ってしまったかのような錯覚を受けつつもそんな悠長な感想を感じるまでもなく極めて激しい嘔吐感が襲ってきた、自分の内側が全て溶かされて再構築するような心地悪さ、身体の中を巨大な蛞蝓が這いまわるような気色の悪さ、さらに襲ってきたのは今まで感じた事のない程激しい頭痛だった、脳の中に直接針を何本も差し込まれるかのような痛みに、皆思わず悲鳴を上げた、しかしその悲鳴も嘔吐した吐瀉物にまみれ非常に汚い音と合わさり、正に阿鼻叫喚といった情景であった、しかも揺れは一向に止むことなく続き、商品も棚も激しく飛散し続けていたが、もう皆自分達を襲った異変でそれどころではなくなってしまっていた。
いつしか皆気を失い、気付いた時には揺れは収まり、吐瀉物にまみれ、商品の散乱したコンビニの床の上で意識が戻ってくると、その目には何も映らず、ひたすら暗闇が広がっていた。
「すいません、無事な方いらっしゃいますか?」
女性の声がした、その声に誘われるように、男の声もした。
「はい、なんとか」
二人の声に応じるように答えた。
「あ、ここにいます」
その声の掛け合いに少し安堵したが、自分の手さえ見えないような暗闇の中ではどうしていいのかまるで見当もつかずにいると、小さな明かりが灯りその明かりに中年の男が浮かび上がった。
「あ、携帯見たんですが、圏外になってます、巨大地震で中継局が被害を受けたのか、あちこちで一斉に電話をしていて使えなくなってるのかもしれないですね」
その言葉に触発され二人も慌てて自分の携帯を確認するが、結果は男の言葉が真実であろうという事を確認する事しかできなかった。
携帯から漏れる小さな明かりで辛うじて見えるが、足元は商品が散乱したひどい状況であり、いくつかのスチール製の棚も積み重なっていたりして、立ち上がり歩くのはかなり難しく、危険なように感じられた。
「停電が、復旧しないと厳しいですかね?」
オズオズと尋ねる学生の言葉に、女性が少しだけ間をおいて答える。
「厳しいかもしれないわ、外も暗いでしょ?この店の電源だけじゃなく、町全体が停電してるって事は発電所や送電線に深刻なダメージがあった可能性が高いわね、私も実体験はないけど、阪神、東北に匹敵するかそれ以上だったのかもね」
その言葉に事態の深刻さがよりハッキリと伺えた、ニュース映像でしか見た事がなく、実体験としては分からないが、被害の状況や死者の数など、物語の絵空事のように思えるほど現実離れしているとさえ感じてしまったのを覚えている。
「外がどんな状況だかわかりませんが、せめて明るくなるまでここで待機がいいかもしれませんね」
中年の言葉であった、覇気のなさそうな風貌をしており、あまり凶暴な印象は受けなかった、その風貌通りで喋り方は丁寧なものであった。
「そうですね、それがよさそうですね」
理知的な風貌の女性も、素直にその言葉に賛同の意を示した。そんなやり取りのなか男は携帯を付けたり消したりして明かりを確保しながらゆっくりとレジの方にむかって行った、二人は冴えない風貌の男がこの隙にレジから金を盗もうとしているのでは?と考えたが、男の目的は別の所にあった。
「大丈夫ですかー」
携帯の明かりで照らしながらレジカウンターの内側に大声で話しかけているが返事はない、その時になって男の目的が自分達の話に一向に入って来ず、返事もしないカウンターにいた店主夫婦らしき二人の安否確認にあったんだと思い、案外気遣いの出来そうな人なのだと少し感心してしまった。
返事がないのを確認すると携帯で左右を照らしカウンター内への入り口を確認するとカウンター内へと侵入して行った、助けに行くべきなのかどうか迷っていたが、女性も動く気配がないのでそれを言い訳として黙って座り込んでいた。
ほとんど時間を置くことなくカウンターの出入り口から男は出て来て、呟くように言った。
「二人ともお亡くなりになっているみたいでした」
ハッキリと断定しなかったが、脈や心音、呼吸など素人が全く明かりのない暗闇の中で確認をとるなど困難であり、しかも死体のそばにはあまり長くいたくないという心情も理解できたので何も言わなかった。
女性も無言であり、疲れというか疲労感、倦怠感などからまるで活力が沸かない状態だった、死体のあるところに長々とは居たくないが、明かりが全くない道を家まで歩けるとは思えず、ここにいるしか方法はないと思えた、とにかく夜が明ければ解放される、そんな事を考え後数時間の我慢だと自分に言い聞かせ、耐えていた、最も頭ではコンビニから出ても家までの道路はニュース映像で見た大震災の跡のようになっており、住んでいるマンションもどうなっているのかなど想像もできず、場合によっては避難所暮らしかもしれない、等という事をとりとめもなく考えひたすら夜の明けるのを待った。
『夜が明けるとそこは森林だった』有名な文学小説の冒頭部分をパロディにでもしたようなそんなフレーズが頭に浮かんだ、明かりが差してくるとそこは正に森林であった。