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 月の綺麗な夜だった。

 闇の中、鮮やかに浮かび上がる真円は、見ているだけで心を落ち着け、様々なことを忘れさせてくれた。

 里に、きわめて重要な客が訪れる。そういって父に外出禁止を言い渡されたのが二日前のことだ。水汲みや薪拾いといった日々の労働から解放されたのはいいが、正直言って少し退屈していた。

 だから、夜になって私がこっそり家を抜け出したのは、ある意味では必然だったのかもしれない。いつも一緒にいるわたしの片割れは、けれどしっかりと眠りこけて起きそうになかったので、めずらしいことにわたしは独りきりだった。そのことに一抹の不安とわずかな高揚を抱き、大きく夜の空気を吸い込む。

 月明かりを頼りに歩き出すと、足は自然と通い慣れた道をたどった。

 向かう先は里から五分ほどの位置にある小さな泉で、共用の水場として利用されている。せっかくだから水を飲んでいこうと、今度は明確な意思を込めて道を進んでいった。と、微かな歌声が風に乗って聞こえてきた。

「…………っ!」

 見つかったら叱られる。

 先客の存在を知ったわたしがとっさに踵を返そうとしたとき、ふいに泉の方が優しい光に包まれた。精霊がざわついている。いや、ざわつくと言うよりは――喜んでいる? こんなことは初めてだ。

 好奇心に負け、わたしは息を潜めながら泉への道を進んだ。

 木陰から様子をうかがうと、一人の女性が泉の上で舞っていた。水の精霊の力を使っているのだろうが、一体どのような術なのか見当もつかない。

 長い黒髪をなびかせ、泉の中心で歌い舞う彼女の姿に、わたしは言いようもなく魅せられた。さらに驚くべきことに、光を発しているのは彼女自身のようだ。その光に精霊たちが同調し、周囲を淡く、幻想的に照らし出している。

「……きれい」

 こんな光景は初めて見た。

 やがて舞を終えた彼女は、ゆったりとした足取りで岸へと上がる。

「こんばんは」

 少し低い、でも、聴いていて心地いい声音。

 始め、それがわたしに向けられた挨拶だとは気づけなかった。何しろ、里中から忌避されているわたしに罵倒か仕事の言いつけ以外で声をかける――ましてや挨拶をしてくれるものなど、片割れを除けば存在しなかったのだから。

「こんばんは」

 繰り返される挨拶。

「……こ、こんばんは」

 おそるおそる、挨拶を返す。

「あなた、あの里の子?」

「うん……いえ、はい」

「そう」

 軽く頷く彼女。

「こんな夜中にどうしたのかしら?」

「…………」

 わたしは何も言えずにうつむくしかない。両親の言いつけを破ってこの場にいるのだ。叱られるに決まっている。その思いが、わたしを萎縮させていた。

「まあいいわ」

 黙りこくっているわたしに別段腹を立てた様子もなく、彼女はつぎの質問を投げかける。

「私はもう戻るけど、あなたはどうする?」

「…………え?」

「里に戻るのなら、一緒に連れて行ってあげるけど?」

「あの……ごめん、なさい」

 小さくなって謝るわたし。何を言っていいのかわからず、出てきた言葉がこれだった。

「謝るようなことじゃないわよ。どうしたの?」

 不思議そうに首をかしげる彼女。仕草にあわせて、肩に掛かっていた髪がさらりと流れた。

「あの、えっと……」

「ごめんなさい、驚かせてしまったみたいね」

 先に戻っているわ、そう告げると彼女は里へと歩き出す。

「あ、あのっ!」

 その背中に向けて必死に声を出す。

「なに?」

「あの、わたしがここにいたこと、里のみんなには黙っていてくれませんか!」

 これだけは言っておかないと、わたしだけではなく、あの子にまで迷惑がかかる。

「わかったわ」

「…………え?」

 淡泊な返答に、かえって戸惑ってしまう。

「ここであなたに会ったことは黙っていればいいのでしょう? 第一、告げ口しようにも名前も知らないもの」

「……あ、ごめんなさい。リーナ、カトリーナです」

「そう。わたしは『悪い魔女』よ」

「悪い、魔女?」

 思わず聞き返したわたしに苦笑する彼女。

「そうか、知らないのか」

 小さく漏らす。

「ごめんなさい……」

「謝ってもらうようなことじゃないわ。むしろ、知らないのならその方がうれしいわね」

「…………?」

「じゃあ改めて。サラよ。サラ・フミノ」

「……よろしく、お願いします」

 差し出された手をおずおずと握り返す。

「ええ、よろしく」


 これが、魔女との出会いだった。

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