22
「…………」
目覚めると、あたりはまだ暗闇の中だった。隣の布団ではリーヌが静かな寝息を立てており、外からはかすかに夜鳴き鳥の声が聞こえてくる。と、不意に扉の開く音が耳に届いた。
窓から伺うと、連れ立って歩いていく両親の後姿が見えた。
――こんな時間に何処へ?
好奇心に駆られ、こっそりと後をついていく。
二人の向かう先は、
「……集会場?」
しかも、戸の隙間から明かりが漏れている。
誰かがいるのだろう。
両親は、あたりを憚りながら足早に中へと入っていった。
気配を殺し、そっと中を覗き込む。
「……あの二人はどうしておる?」
尊大な声音。中にいたのは、長老たちだった。
「家で寝ています」
「そうか。――で、決心はついたのか?」
「あの……何とかならないのですか? まだ、あの子達が何かしたわけでは……」
何かを真剣に訴えている母。あの子たち、というのはわたし達のこと?
「今までなら、それでよかった。しかし、あの二人が魔術を覚えてしまった以上、もはや一刻の猶予もない」
「そうだ。『何かあってから』では手遅れだ」
「災いの芽は、摘まねばならん」
「その通りだ。本来ならもっと早く、こうしておくべきだった」
「これまで育ててやっただけでも、十分すぎる恩寵だろう」
「…………」
口々に告げる長老たち。
父は、終始無言。
母は、何か反対しているようだが、はたで見ていてもわかるほどに迷っていた。
「やるしか、あるまい」
「そうだ。お前たちが出来ないと言うのなら――まあ、その気持ちはわからんでもないが、われ等がやろう」
「全ては、里の為だ」
「ですが……」
「言ったはずだ。もう、猶予はないのだ」
反論しかけた母を遮り、長老のひとりが言う。
「リーナとリーヌを、あの二人を殺せ」
「――――っ!」
声が漏れそうになり、あわてて口を押さえる。
私とリーヌを殺せ? 何故? たかだか、魔術を覚えたくらいで。それを、身を守る為に使ったくらいで。何故!?
しかも――
「……わかり、ました」
母は、頷いた。
「私が、あの二人を殺します」
父も言う。
「……!」
限界だった。中へと飛び込む。
「…………うそ、だよね…?」
物音に驚いて目を向ける両親に問う。
「リーナ……」
呆然とわたしの名を呼ぶ母。
「うそ、でしょ。お父さん。…………お母さん!?」
「…………」
両親は答えない。気まずげに視線を逸らし、わたしの顔を見ようとしない。
「そう……。ほんとう、なんだね? わたしも、リーヌも…………殺すんだね」
涙が流れた。悲しさと、悔しさが入り交じった涙だった。
「許してくれ。もう……そうするしかないんだ」
血を吐くような父の言葉。
「許して。許して、リーナ」
母は涙声で。
「………………っ!!」
そして、理解した。理解してしまった。せざるを得なかった。もう、自分はここには居られないのだと。
「……わかった。」
共存など、不可能なのだと。
「リーナ……」
だったらせめて、
「わたしは、殺されてもいい。だから、だからリーヌは、あの子だけは助けてあげて。お願いだから、リーヌは見逃して」
わたしの全霊をかけた懇願は、
「駄目じゃ」
長老の無慈悲な一言で退けられる。
その答えは、半ば予想できたことであり、それ故に、残された選択肢は一つしかない。
「…………そう」
歯を食いしばり、
「じゃあ……」
血が滲むほどにこぶしを握り締め、
「……じゃあ、あなたたちが――死んで」
言葉を、
「リーヌは絶対、殺させないっ!!」
しぼりだす。
「…………」
相手は五人。同年代の下らないちょっかいをあしらうのとは、わけが違う。ましてやこの前、慢心して失敗したばかりだ。手加減する余裕は……ない。
瞬時に魔力を練り上げ、展開する。
「! リーナ、やめろ!!」
「くっ……」
それを察知した長老たちがあわてて呪を唱えだす。
でも――
「……遅い」
わたしが魔女から教わった魔術は、呪を必要としない。
「いざという時の為の切り札として」
サラさんの言葉が頭をよぎる。
あの人は、こうなることを見越していたのだろうか?
わからない。でも、おかげでこうして戦える
リーヌを、守ることができる。
「炎花」
解放の言葉を呟く。
現れたのは、純白の花を咲かせる炎の桜。
「……散りて舞え、雪桜」
呼び出した火精に命じる。それに応えるように、はらはらと花弁が散る。幻想的とさえ呼べる光景。でも、その花弁は凶器だ。一枚一枚が鋭い刃となって、長老たちに襲いかかる。
「…………」
残されたのは、床に転がる無数の残骸。かつて父であり、母であり、村の長であった者たちのかけら。あっけない、実にあっさりとした結果。半ばわかってはいた。自分と彼らが争えば、こうなるだろうということは。
でも、だからといって。
「…………つっ。ううぅぅぅ……」
悲しみが薄れるわけではない。
「お父さん、お母さん……」
けっして優しい親ではなかった。自分たち(双子)を産んでしまったことに負い目を感じ、かといって冷徹にもなりきれず、長老たちに憚り、周囲の視線に怯え、娘達に愛を注ぐことも出来ず。優柔不断といってしまえばそれまでだ。でも――それでも、彼等は親であることにかわりはなく。彼らがいたからこそ、自分も、リーナも、生まれてこられた。
争いたくなどなかった。殺したくなどなかった。
だから、何を言われても、何をされても、ずっと耐えていた。
「ぅぅうぅっ」
堪えようもなく、嗚咽が漏れる。
ただただ慟哭し、このまま彼らの亡骸とともに自分も死んで燃え尽きてしまおうと、そう決心したそのとき――
「……カトリーナ。よくも、よくもぉぉぉ…………」
背後から、呪詛の声が聞こえた。
振り向くと、額から血を流しながらもしっかりとした足取りで立ち上がる長老の一人。
「死ねぇぇぇっ!!」
技術も何もなく、ただ殴りかかってくるだけの男。だからこそ、その姿には言い知れぬ原初的な恐怖があり、
「ひっ!」
金縛りにあったかのように動けなかった。
その頬を、容赦なく長老のこぶしが殴りつける。
床に叩きつけられ朦朧としている隙に、腹部に爪先がめり込む。
「っ! ごほっ…ぐ……」
せきこんでいるところに馬乗りになられ、後はもうめちゃくちゃに殴られるだけだった。
「殺してやる。殺してやるぞ、カトリーナあぁぁぁ」
吐き出される怨嗟の声。そこにはもはや、長老という威厳も尊厳もなく、生に執着した醜い老人の姿があるだけだった。
「ひゃっ、ひゃはっ。ひゃはははははははは、ひーーー」
口から泡を吹き、奇怪な声を漏らし狂ったように拳を振い続ける老人。
――こんなやつが、里を治めていたのか。
その感情は、諦観とともにわたしの胸にわきあがってきた。
――こんな男が、わたしを、リーヌを、両親を縛り付けていたのか。
「……そうだ。お前の目の前で、妹を殺してやろう」
無抵抗に殴られるだけのわたしを見下ろし、長老は残虐な笑みを浮かべる。
「まずは慰み者にして、その後じっくりと、一思いには殺さず、じわじわと嬲り殺してくれる。爪をはがれ、指を切り落とされ、つま先から刻まれ泣き叫ぶ妹の姿を見ながら、わしに逆らったことを後悔するがいい!!」
その一言は、わたしの中の何かを決定的に断ち切った。
「……そう」
もれ出る言葉。
そういうことを言うんだ、この男は。
言うに事欠いて、そんなことを。
「殺すんだ? リーヌを」
一切の感情を排したが故に、逆に睦言を交わすかのように甘やかに響いたわたしの声は。
「カトリーナ……?」
次の瞬間――爆発した。
「殺すんだ? リーヌを!!」
「ぎゃあああぁぁ」
語尾を、長老の絶叫が塗りつぶす。
「ひっ、ひぎゃあああ!!」
生爪をはがされた長老が、指先を抑えのた打ち回る。
「そんなこと、わたしがさせると思う?」
殊更ゆっくり立ち上がり、長老を見下ろす。たおやかな仕草で手をとり、そんな仕草とは裏腹に、さらに一枚、爪をはぎとってやった。
「ぎああぁあああぁぁああ!!」
響き渡る絶叫。
「……煩い」
さらに、一枚。
上がる叫び。
「煩いって、言ってるの」
なんて醜い声。思わず顔をしかめてしまう。
「まだ十七枚も爪は残ってるんだよ? いちいち叫ばないで」
「……リーナ、カトリーナ。わしが悪かった、もう許」
言葉をさえぎるように、また一枚。
「爪の次は指を切り落として、そのあとつま先から刻んでくんだっけ?」
一枚。さらに一枚。爪をはがしながら、わたしは静かに問いかける。
対する答えは、絶叫のみ。その声は、ひどく癇に障り、
「煩い」
長老の喉を締め上げ、無理やり引き起こす。
「殺すんでしょう? リーヌを。さんざん嬲って、爪をはいで、指を落として、つま先から刻んで! ……そんなこと言われて、わたしが許すと思う? 許せると、思う?」
自分より相手を優先しているのは、なにもリーヌだけじゃない。わたしだって、自分よりリーヌの方がずっと大切だ。
「……もうやめてくれ、カトリーナ。これはお前たちの為と思って…………」
「わたし達の為?」
何故こうも、この老人はわたしの神経を逆撫でるのか。
「里中から疎まれて蔑まれて、あげく殺されるのが、わたし達の為なの?」
「ひぃ…………」
長老は、怯え引きつった顔をさらに強張らせる。
「まあいいや。……ならわたしのこれも、あなたの為」
怒りにまかせて指の骨をへし折った。
くぐもった悲鳴が漏れ出る。
実に不愉快だ。
「黙って。もう、あなたの声は聞きたくない」
喉を絞める手に、一層力をこめる。
「いい? 二度とリーヌに手を出そうなんて考えないで。でないと、楽には殺してあげないよ?」
返事はない。もとより、聞くつもりもない。一気に首の骨をへし折ろうとさらに力をこめた、そのとき――
「リーナ、お姉ちゃん……?」
今一番聞きたくない声が、聞こえた。
「…………リー、ヌ……?」
振り向くのが怖かった。幻聴であってほしいと、そう願った。こんな、人を殺している、殺そうとしている自分の姿など、見せたくなかった。たとえそれが、カトリーヌを守るための行為だとしても。
全身から、力が抜ける。
「どうして、ここに……」
おそるおそる振り向いた先には、カトリーヌが呆然と立ち尽くしていた。
「リーヌ、カトリーヌ。助けてくれ。あいつはわし以外の長老たちを皆殺しにした。それどころか実の――お前の両親さえ殺したのだ! このままでは、お前も殺されるぞ!」
解放された長老が、必死の形相で妹のほうへとはいずっていく。
なんて薄汚い。先まで殺そうとしていたものに、助けを求めるなんて。
「――ひっ!?」
リーヌの悲鳴が耳に届く。
あの屑のせいで気づいてしまったのだろう。部屋の惨状に。そこに転がる、死体の正体に。
「お母さん……?」
「そうだ、お前の母親だ。殺したのはリーナだ。カトリーナが殺したのだ!」
「うそ……」
「嘘ではない。早くカトリーナを殺すのだ、リーヌ。呪われた双子の片割れであるお前なら、ヤツの魔力にも対抗でき……」
――リーヌ。ごめんね、リーヌ。酷いものを見せてしまって。これからさらに、人を殺すわたしの姿を見せることになってしまって。でも、あなただけは、守ってみせる。
「風花」
何事かをわめき散らしながら、リーヌに向かって伸ばされていた長老の手を断ち切る。
――リーヌは、殺させない。
見苦しくのた打ち回り、それでもなおリーヌに向かってはいずる長老を蹴り飛ばす。
「汚い手でリーヌに触らないで」
「おねえ、ちゃん……」
こちらを見る妹の視線が痛い。疑問と恐怖がない交ぜになった、それでも自分を信じ、すがり付いてくるような視線が、心を抉る。
「……リーヌ…………ごめん、ね。ごめんね、リーヌ」
耐え切れず、視線をさえぎるようにして抱きしめる。
「ごめんね、リーヌ」
いやなものを見せてしまって。
両親を、殺してしまって。
そして――これから先、一緒にいることができなくなってしまって。
「ごめんね、リーヌ。愛してる。いつまでも、いつまでも。たとえ離れたって、ずっと――」
そっと、抱きかかえる妹の首筋に手を当て、意識を刈り取る。
もう、これ以上は見せられない。これ以上は耐え切れない。
「だからごめんね。カトリーヌ」
そっと額に口付けして、意識を失った体を抱きかかえる。
燃え盛る集会場を後にし、リーヌを家へと運ぶ。布団に寝かし終えたところで気が抜け、倒れそうになった。今更のように殴られた全身が痛みを訴え、立て続けに大きな力を使った反動か、めまいや吐き気、頭痛に襲われる。
だが、まだ倒れるわけにはいかない。まだ、やることが――やらねばならないことが残っている。
家を囲む人の気配。ざわめき。恐れ、戸惑い、怒り。交じり合い膨れ上がるさまざまな感情。
大方あの老害が呼び集めたのだろう。――好都合だ。彼等には、きちんとわたしを恨んでもらわねばならい。そう、わたし、だけを。
視線を下げれば、かすかな寝息を立てるリーヌの顔。
そっと額を合わせ、頬を撫でる。
「リーヌ。あなたは、わたしが守る。守ってみせる」
決意を新たに、顔を上げる。
いい加減出て行かないと、あの困った老人はこの家を焼き討ちしろと言い出しかねない。
正面から、堂々と家を出た。
集まっていたのは二十人ほど。里の大人たちの三分の二程度か。残りは消火活動にでも当たっているのだろう。
「観念しろ、カトリーナ。もう逃げられんぞ」
人垣がわれ、間から長老が姿を現す。数に力を得てか、その顔には余裕がもどっている。口調もいつもの尊大なものに戻っていた。
「……数を集めれば、何とかなると思った? わたしに、勝てるとでも思った?」
だから、精一杯の皮肉をこめて言ってやる。
「さっきまであんなに泣き叫んでいたのに、たいした変わりっぷりだね。器が知れるよ」
頭痛を、目眩を、今すく倒れ込みたいほどの疲労をこらえて、精一杯の嘲りを込めて嗤う。
「黙れっ! 皆、あやつを殺せ。他の長老達や、実の両親さえ殺してのけたカトリーナを許すな」
顔を真っ赤にして怒鳴り散らす長老。
呼応して、次々と呪を唱え始める里の大人たち。その行動には、ためらいというものがまるでない。
――嫌われているのは知ってるつもりだったけど、まさかここまでとはね。
胸中で、独りごちる。
息を吸い、小さく呪を唱える。もう、無詠唱で魔術を発動させるだけの余力はない。
「……水花」
目の前に展開した水の壁が、大人たちの放った魔法を受け止め、弾く。
すべてを捌き終えた後。
「いけ」
わたしの呟きとともに、水は幾千の槍となって襲いかかった。
あちこちで悲鳴が上がる。水の槍は、彼らが張った結界をやすやすと貫き、大小の傷を負わせていた。
「――はっ――、っ―――――」
体に力が入らない。立っていることすら辛い。流れる汗が、止まらない。ふと肩口にかかる髪を見ると、真っ白に変わっていた。魔力を使いすぎたせいだ。――人事のようにそう思う。
「――はっ――はっ、ふっ―――」
乱れる呼気を無理やり押さえつけ、呆然と座り込む長老へと歩み寄る。
「これで、わかったでしょう。あなたじゃあ――あなた達じゃあ、わたしには勝てない」
かくかくと、壊れた人形のようにうなずく長老。
「だったら二度と、リーヌに手を出さないで。誓える?」
再び、うなずく長老。その顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになり、なおかつ、
「……失禁してるの? これだけのことをしておいて、なんて情けない」
もはや侮蔑の感情すらわかない。
「ひぃぃ、頼む…殺さないでくれぇ……」
口から漏れるのは哀願の言葉のみ。
そこへ、最後のだめ押しをかける。
「安心して。わたしは出て行ってあげる。でも、許せないと思うのなら、この期に及んでまだ勝てるなんて思い上がっているのなら、追っ手を出せばいい。――もっとも、そのときは全員殺すけどね」
そこで一度言葉を切り、そこここに倒れふす全員に聞こえるように、声を大きくする。
「でもね。監視の目は残していく。この後、もしリーヌが死んだりしたら、殺したりしたら――――わかるよね?」
ことさらゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「みんな、殺すよ? この里の、老人も、大人も、子供も、赤ん坊も。一切の例外なく容赦なく。わたしには、それができる。できるだけの、力がある」
長老の胸倉を掴み、目を見据え、
「だから――だから二度と、カトリーヌに手を出すな」
思い切り長老の顔を殴りつける。
「じゃあね」
決別の言葉を最後に、わたしは里を出て行った。




