21
「上手く、いったみたいだね」
記憶の奔流から解放され、ゆっくりと顔を上げた僕に詩歌は言う。
「…………」
「レイン?」
答えない僕に、詩歌は不安げに声をかける。
「どうしたの?」
「…………」
再度の問いかけに、それでも僕は答えられない。
どうして。どうして。どうしてどうしてどうしてどうして!
頭にあるのは、それだけだった。
どうして! どうして!!
「レイン?」
詩歌を見詰める。
毒に犯され、未だ左腕から血を流し続ける彼女の顔は、白を通り越して蒼白になっていた。
「……どうして…………」
かろうじて、それだけを絞り出す。
「……? ……あ…しまった」
そして詩歌は、察したのだろう。
僕が、二年前の真実を知ったことを。
ぬかったなあ、と困ったように笑い、囁いた。
「あの子には、内緒だよ?」
「どうして、伝えなかったの?」
そうすれば、妹からあんなにも恨まれることなどなかっただろうに。
「話せば、あの子が苦しむから」
「でも!」
あれほど愛した妹の憎悪に晒され、命を狙われ、孤独な旅をする必要だってなかっただろうに。
「レイン」
詩歌は穏やかに語る。
「本当のことを話せば、あの子はきっと里を憎む。里の人たちを、皆殺しにしてしまうかもしれない。少なくとも、長老は確実に殺しちゃうだろうね」
「でも、あんな奴らなら――」
「レイン」
諭すように、続ける。
「人殺しはいけないこと――そんなきれい事は言わないよ。でもね、人を殺すっていうのは――痛いんだよ。とても、苦しいことなんだよ。わたしの記憶を見たなら、わかるでしょ」
「…………」
頷く。詩歌は、里を出たあと、人を殺したという事実に耐えかねひたすら吐いていた。吐いて、吐いて、胃液すら出なくなるまで吐き尽くして、昏倒した。その後、三日三晩昏睡している。
「人を殺すっていうのは、そういうことなの。わたしはあの子に、そんな思いはさせたくない」
だから、黙っていて。
そう言う詩歌に、僕は何も答えられなかった。
「ねえ、レイン」
咳き込み、血を吐いたあと、詩歌は力なく言葉を紡ぐ。
「わたしは、満足してるんだよ。後悔もほとんどない。ちゃんと、あの子にわたしを殺させることなく、でもあの子の手柄になるように死ぬこともできる。レインとも出会えた。レインとの旅は、短い間だったけど楽しかったよ。だからね、レイン」
詩歌は静かに、繰り返す。
「満足、してるんだよ」
「……詩歌…」
「うん」
「僕も、詩歌と出会えてよかった。助けてくれて、ありがとう。いろいろ教えてくれて、ありがとう。
今までほんとに、ありがとう」
「…………」
わずかに目を見開く詩歌。
「――僕は、詩歌のことが大好きだよ」
詩歌を抱きしめる。彼女からは、むせかえるほどの血臭と、それに混じってわずかに、梅の花のような甘い匂いがした。
「わたしも、レインのことが、大好きだよ」
背中に回される右腕。
「レイン……」
僕を抱き返した詩歌の力は、驚くほど弱々しいものだった。
「出会ってくれて、ありがとう」
耳元で囁かれる言葉。
そして詩歌は、目を閉じた。
夜と朝がせめぎ合い、山際がわずかに白み始めたころ、詩歌は逝った。
猛毒に犯されていたにも拘らず、苦声ひとつもらさずに。
最後まで、妹を気に掛けながら。
「あの子を、怨まないであげてね」
と。そんな言葉を遺しもした。
でも――
その言葉に素直に従うことは、どうしても出来そうにない。
僕の中には依然としてカトリーヌへの恨みがあり、それはそう簡単に忘れられるものではなかった。だからといって、詩歌が命を懸けてまで守った彼女を、敵と狙うことには躊躇いがある。どの道、真正面から戦いを挑んだところで勝ち目はないのだ。
だから僕は、彼女に対して、一つだけささやかな復讐することにした。
それは詩歌の願いに反することで、けれどこれだけは譲ることはできなかった。何より。このまま妹に憎まれたままでは、あまりに詩歌が哀れだと思った。浮かばれないと、そう思った。
――いや。これはただのいい訳だ。
詩歌は最後まで隠し通すことを決意し、その通りに生き抜いた。
だからこれは、やっぱり僕の身勝手な復讐なのだ。
あれから――詩歌の死から、引き継いだ彼女の記憶をたよりに隠れ里を目指し、カトリーヌの姿を求めて彷徨った。
目的を果たしたカトリーヌは、まっすぐに里へ帰るはずだ。その推察は外れておらず、程なくして、僕は彼女との邂逅をはたした。
「何の用だ、小僧」
幾ばくかぶりに見た彼女は、相変わらず詩歌とそっくりで。
薄紅色の唇。小作りな鼻。菫色の瞳。それらを包み込むように流れ落ちる、銀糸のような髪。
でも――彼女は詩歌ではない。
当たり前だ。詩歌は死んだ。この女に、殺された。
湧き上がる怒りを抑え、努めて冷静に答える。
「あなたに、渡すものがあって」
「渡すもの? お前が私にか?」
「ええ」
「私が素直に受け取ると思うのか?」
「無理やりにでも、受け取ってもらいます」
目に力を込める。
「ふん…で、何を渡すつもりだ?」
興味なさげに、カトリーヌは問う。
「あの時の、真実を」
「あの時の真実?」
「そうです。二年前の、真実を」
「そんなものはとっくにわかっている。あいつは……あいつは両親と長老達を虐殺し、里を出て行った。それだけだ」
忌々しげに吐き捨てる。彼女の中では、相変わらず詩歌に対する怒気が渦巻いているようだ。
「そう、ですね。確かに、その通りだ」
そう。確かに詩歌は、自分の両親と長老達を殺し、里を出奔した。でも、それは。その理由は――
「僕は、ある魔術で詩歌の記憶を受け継いでいます」
「その魔術なら知っている。昔、聞いたことがある」
「そうですか」
好都合だ。これで、疑われずに済む。
「……では、『胡蝶の語部』と言う魔術は知っていますか?」
「自分の見た過去を再演するものだろう。それが何だと……」
「じゃあ、」
リーヌの言葉をさえぎるように、さらに質問を重ねる。
「その魔術は、自分の見たものを、見た通りにしか再現できないものだと、知っていますね?」
「…………?」
問いかけるような眼差し。それは、質問に対する肯定だろう。ならば――
――後は、自分の眼で確かめればいい。
あの時の、真実を。詩歌の、想いを。
詠唱を始める。
やり方は、詩歌の記憶が教えてくれた。
わずかにカトリーヌが身構える気配。
かまわず、続ける。
ややして、カトリーヌは構えを解いた。彼女も気付いたのだろう。僕が使おうとしているのが、本当に過去を再演する為の魔術だということに。
やがて詠唱はは完了し、
「胡蝶の語部」
魔術が、発動した。




