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「……ふぅ」

 カトリーヌが去るのと見届けると、詩歌は大きく息を吐いた。

「レイン。巻き込んで、悪かったね」

 力なく木の根元へ座り込む詩歌は、ずいぶんと疲弊しているようだ。顔は青白く、息も荒い。

「怪我はない?」

「……うん」

「そう。よかった」

「……うん」

「レイン?」

 僕の反応が鈍いのに気付いたのだろう、心配そうに声をかけてくる。

「……うん」

 でも僕は、それしか返せない。

「……ああ…」

 そんな僕の様子から、何を察したのか。僕に向けて伸ばした手を止め、胸元に抱え込み握りしめる。

「わたしが、怖い?」

 そう問いかけてくる。

「もう、一緒にはいたくない?」

「……詩歌」

「なに」

「どうして、殺したの?」

 杭に穿たれ、立ったまま絶命している男達を見て問う。

「襲われたから」

 詩歌の返答は簡潔だ。そこに、罪悪感のようなものは感じ取れない。

「カトリーヌは、殺さなかったのに?」

「そりゃあね、……わたしにだって殺したくない相手くらいはいるよ。――あの子は妹だし」

「ご両親は、殺したのに?」

 その言葉に、詩歌は眉をひそめる。

「……リーヌからいろいろ聞いたみたいだね。――でも、そのことには触れないで」

「どうして?」

 それは、答えたくないから? それとも――答えられないから? カトリーヌが言っていたように、理由も無く虐殺したから?

「レインが言いたいことは、まあわかるよ。でも、そうじゃない。理由は、言えない。なんで言えないのかも、言いたくない」

 あるのは、明確な拒絶の意思。

「じゃあ、これだけ教えて。――僕のことも、いつかは殺すの?」

 飽きてしまったら。必要、なくなったら。

「そんなことしないっ!」

 返答は、即座に返ってきて。

「そんなこと、しない……」

 繰り返されたそれは、悲愴感に満ちていた。

「わたしは、殺したくて殺したことなんて、一度もない」

 項垂れ、力なく呟く詩歌。

「そう。……そう、だよね」

 当たり前だ。詩歌が喜んで殺していた訳がない。今だって、自分の怪我を差し置いて必死に僕を気遣ってくれている詩歌が。

 カトリーヌから聞かされた話や、初めて目の当たりにした人の死で、僕は多分に混乱しているようだった。

「ごめん、詩歌。助けてくれてありがとう。――怪我、平気?」

 詩歌の左腕からは、今も血が滴っている。

「うん。だめ」

 ちらりと傷を一瞥し、詩歌は簡潔に答えた。

「――え?」

「さっきから感覚なくてね、全然動かせないの。そのくせ痛みだけはしっかり残ってるんだから嫌になっちゃうよね。……毒ってあの子は言ってたけど、なんの毒だか見当もつかない」

 何でもないことのように付け加える。

「なっ! すぐに解毒を……」

「無理だよ。なんの毒かもわからないのに薬を飲んでも、悪化する可能性の方が高い」

「じゃあせめて傷の手当だけでもっ!」

「それも、しない方がいい」

「どうして!?」

「こうして血を流しておいたほうが、身体の中に入る毒の量が少なくて済むからだよ。だから、失血死しない程度には、血は流しておいたほうがいい。――ま、それでも早いか遅いかの違いしかないんだけどね」

 淡々と語る詩歌の声は、ひどく覚めていた。

「でもそれじゃあ――」

「うん。結局は助からない」

 他人事のように、自分の死を口にする。

「詩歌!」

「……いいんだよ、これで」

 カトリーヌの去って行ったほうへと目を向ける。

「わたしが死ねば、リーヌが助かる。あの子が助かるなら、わたしはそれでいいよ」

「どうして……?」

 問いに、詩歌は自嘲混じりの苦笑を漏らす。

「わたし、こう見えても里中の嫌われ者で、おまけに親殺しに長老殺しの大罪人だよ? そんな悪人を成敗したんだから、あの子には里での信頼と居場所が手に入る」

 虚空へ向かって手を伸ばす。そこにはない何かを、そっと慈しむかのように。

「あの子にはなにもしてあげられなかったから、せめてこれくらいはね」

「詩歌……」

 そんなにも妹のことが大切なら、なんで両親を殺したの? なんで、彼女を捨てて出て行ったの? なんで、あんなにもカトリーヌに恨まれるようなことをしたの?

 信じると決めたのに、疑問は止め処なくあふれてくる。

 けれど、同時に思う。これはきっと、僕なんかが立ち入っていいような問題じゃないんだ。

 唇を噛み締める。

 詩歌は、そんな僕を見て困ったように笑った。

「レインが、そんな顔する必要はないよ」

「でも……」

「巻き込んで悪かったね」

 告げられたそれは、僕の求めている答えじゃない。

 言えない、と詩歌は言う。言いたくない、と彼女は言う。そして黙ったまま、全てを抱え込んで死んでいこうとしている。それでカトリーヌが助かるから、と。

「二年前、里で何があったの?」

 かろうじて絞り出したその問いに、

「ごめん」

 詩歌はやっぱり、答えてくれない。

「詩歌、僕は――」

「ごめんね」

 僕の言葉を遮るように、詩歌は言う。

「ごめんね」

 繰り返される謝罪。

「ごめんね、レイン」

 そんな言葉が、聞きたいんじゃないのに。

 僕は無力だ。

 あっさりとカトリーヌに捕まり、逃げることさえできず、詩歌に庇われ、あまつさえ怪我まで負わせて。

 今だって、毒に耐え血を流す詩歌を、治療することさえできない。

「僕にできることは、もう何もないの?」

「……あるよ」

「なに」

「……わたしが死んだら、死体を燃やしてから埋めて。動物が食べたら、大変だから」

 少し躊躇った後、詩歌は申し訳なさそうに口にした。

「詩歌っ!」

 思わず大きな声が出る。

「大切なことだよ。毒を含んだ肉を食べたら、その動物が死んじゃうかもしれないから」

 睨み付けた僕をなだめるように、穏やかな笑みを浮かべる。

「あとね、もうひとつ、お願いがあるんだ」

 きいてくれる? と、上目遣いに僕を見る。

「……うん」

「ありがと。――えっとね…わたしの名前、もらってくれないかな?」

 じっと、僕の目を見詰めてそう言った。

「名前?」

「そう。名前。詩歌っていうのはね――」

 そして、彼女は語った。


 詩歌というのは、ある種の通り名で、同時に魔術の名前でもある。その効果は、対象に自身の知識と記憶を引き継ぐ、というもの。

 初代の詩歌が、自分が生きた証を遺そうとして組み上げたそうだ。

 私は――この世界に確かに存在した。

 そんな想いが、結晶した魔術。

 そしてそれは、始まりの詩歌の願い通りに受け継がれていき、二年前に今の詩歌が先代から譲り受けたらしい。


「……だからね、詩歌っていうのは、わたしの本当の名前じゃないの。わたしの本当の名前は――カトリーナ」

 そこまで話し、彼女は咳き込み、血を吐いた。

「詩歌!」

「レインはわたしを、そう呼ぶんだね」

 目を細め、彼女は呟く。

「そうだよね。レインにとってのわたしは、詩歌だから」

「カトリーナって、呼んだほうがいいの?」

「ううん、詩歌でいい」

 リーナって呼んでほしいのは、あの子にだけだから。

 囁くように口にして、詩歌はまた血を吐いた。

「はは、そろそろみたい……」

 力ない呟き。

「そういうわけで、レイン。――わたしの名前…もらってくれる?」

 僕を見上げ、再度問う。

「うん」

 頷き、

「でも、僕は詩歌とは名乗らない。僕にとっての詩歌は、詩歌だけだから。それでも――いい?」

 付け加える。

「……いいよ」

 ちょっと驚いたように目を見開き、詩歌はゆっくりと頷いた。

「じゃあ――手、握って」

 言われるまま、そっと詩歌の手を両手で包み込む。


「此の者に、名と想いを継承す。願わくば此の名が、永遠に継がれん事を」


 詩歌の手から、暖かい何かが流れ込んでくる。

「…………」

 問いかけるような詩歌の眼差し。返答が、必要なのだろうか?

「……受け継ぎます」

 答えた、瞬間だった。

 詩歌からものすごい勢いで記憶がなだれ込んでくる。

「……ぐ…」

 呻き声が漏れた。

 処理しきれないほどの情報の渦は、僕に激しい頭痛をもたらす。

 記憶の奔流は十秒ほど僕を翻弄し、


 ――そして僕は、詩歌となった。

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