19
「これが、二年前にあいつが犯した罪だ」
僕は呆然と、カトリーヌの話を聞いていた。
「私が目を覚ましたとき、あいつはもう里にはいなかった。――逃げたんだ。親を殺し、長老を殺し、その混乱に乗じて」
まだ信じられない。詩歌が、あの詩歌がそんなことをしたなんて。
「私はその時の事が原因で魔術を使えなくなった。故にこの二年間、ひたすら剣術を磨いてきた。あいつは――この手で必ず斬る」
拳を握りしめるカトリーヌ。その手は、抑えきれない怒りに打ち震えていた。
「なんで…どうして詩歌は、そんなことを……?」
「さて、な。私達は里で嫌われていたから、その復讐か、或いはまったく別の理由があったのか。私だって知りたいさ」
低く抑えられた声は、それが彼女の本心であると言うことを如実に表している。けれど、
「…………嘘だ」
僕は、認めない。認められる、わけがない。
「何?」
詩歌が人を殺した? それも、実の両親を?
「嘘だ! 詩歌がそんなこと、するわけない!」
叫んだ僕を、カトリーヌは覚めた目で見下ろしていた。
「上手く誑し込んだものだな……」
忌々しげに呟き、
「なら、本当かどうか、直接訊いてみるといい」
視線を、木々の向こうへと向ける。
「…詩歌……」
その視線に応えるように、木々の影から詩歌がゆっくりと姿を見せた。
「お待たせ、レイン。でも、勝手にいなくなるのはいただけないよ?」
そして、視線をカトリーヌへと向ける。
「……レインを返してもらえるかな、リーヌ。その子はわたしの大事な弟子なんだから」
いつもと変わらない仕草と表情。でも、その声音に混じる、確かな怒り。
「黙れ、偽善者」
対し、カトリーヌは嫌悪感たっぷりに吐き捨てる。
「このガキがそんなに大事か。……父も母も、長老達さえ殺しておきながら、このガキは助けたいのか」
「そう…だね。わたしが殺した。――母さんも、父さんも、長老達も」
つぶやかれる、肯定の言葉。
「詩歌……」
嘘だ、と言ってほしかった。そんなことはしていない、と否定してほしかった。でも、詩歌はあっさりとその事実を認めてしまう。
「でもわたしは、後悔していない。あの時は、ああするしかなかった。ああしなければ――」
「黙れっ!!」
独白のように続く詩歌の言葉を、カトリーヌは怒気も露わに遮る。
「あの後、どれほど里が混乱したと思う。どれほど皆が困惑したと思う。どれほど、どれほど私が……! 必死に耐えていたのにっ!! みんな飲み込んでいたのに!! お前が全てを破壊した! お前が全てを台無しにした! お前が! お前が! お前さえいなければ…………」
飲み込まれた言葉には、どのような想いが込められていたのか。
うつむいたまま言われるがままになっていた詩歌は、小さく、しかし毅然として告げる。
「でも。あなたがいたから、わたしは生きられた」
「っ!!」
「ごめんね、リーヌ。あの夜、あなたを連れて行けなかったことだけは、今でも後悔してる。あなたを連れいければ、そんなに苦しむこともなかったと思う。そんなふうに歪んでしまうようなこともなかったと思う。でも…………ごめんね、リーヌ。わたしには、あなたを守りきる自信がなかった」
「何を……今更。ならば何故、何故……何故あんなことをしたっ!?」
「……リーヌ………………」
ぎりっ、と奥歯をかみ締め、言葉を飲み込む。悲しげに、苦しげに。切なげに、寂しげに。何かを振り払うように、諦めるように。小さく、小さく首を振り、
「リーヌは、知らなくていいよ」
それだけを、口にした。
そんな詩歌の態度は、カトリーヌの怒りをさらに増長させた。
「またそれだ! なぜ語らない! なぜ弁解しない! 自身に非が無いというのなら、なぜ口を閉ざす!」
「言ったでしょ。リーヌは、知らなくていいからだよ」
激昂するカトリーヌとは対照的に、詩歌は常と変わらぬ落ち着いた声音で続ける。
「……………………もういい」
やがて、諦めたようにカトリーヌは呟く。
「何も語らぬのなら、もう、そのまま死ね」
行動は、言葉と同時。
瞬時に間合いを詰め、カトリーナは詩歌へと斬りかかった。
それを予期していたように、詩歌は一歩下がって斬撃を躱す。
「やめて、リーヌ。わたしはあなたと戦いたくない」
「黙れっ!」
跳ね上がる刃。詩歌はさらに下がってそれを躱し、何かに耐えるように唇を噛み締め右腕を上げる。
「…………っ」
一瞬、魔力が詩歌を取り巻き、でも、すぐに霧散してしまった。
「っ! 莫迦にするな!!」
カトリーヌは叫び、刀を大きく薙ぎ払う。
「言ったでしょ。わたしは、あなたと戦いたくない」
詩歌は静かに繰り返す。
「だからもう、やめよう?」
答えは、首筋を狙う白刃の煌めき。
「リーヌ!」
詩歌の呼びかけは、届かない。
それほど、カトリーヌの抱く殺意は強いのだろう。父を殺され、母を殺され、長老たちをも殺され。それを成したのは最愛の姉で、理由さえ教えてもらえず。しかもその姉からさえ捨て置かれ。残された彼女はもう、殺意を積み上げるしかなかったのだろう。
「……くっ」
カトリーヌの猛攻を耐えかねた詩歌は、大きく下がって距離をとる。
瞬間。
「やれっ!」
命令とともに木陰から姿を現した男達が、詩歌に向かって一斉に攻撃を放った。その大半は魔術によるものだったが、中には弓矢や投げ槍といった物理的なものも含まれていた。
「詩歌!」
思わず声を上げる。
「風花」
つぶやきが漏れる。それが解放の言葉だったのだろう。瞬時に展開した障壁は、男達の放った攻撃を鎧袖一触にはじき飛ばした。
そして詩歌は、僕の方を見て少し困ったように笑い、
「……地花」
新たな魔術を発動した。
それは次々と地面から鋭い杭を生み出し、男達を襲う。
貫かれ、立ったまま絶命する男達。
僕はその光景を唖然として見ていた。
詩歌が人を殺した。
それもあっさりと、なんの躊躇いもなく。
「どうして……?」
声が漏れた。それは、誰に向けたものでもなかったが、
「それが、この女の本性だからだ」
聞き咎めたカトリーヌが吐き捨てる。
「己にとって邪魔な者は容赦なく殺す。それが、この女だ」
「人を殺人狂みたいに言わないで」
詩歌が呆れたように苦言を呈す。
「違うとでも言うつもりか?」
「もちろん」
「これだけ殺しておいてよく言えたものだ」
詩歌は目を伏せる。
「……襲われたから反撃した。何もしなければ、わたしだって何もしない」
それを鼻で笑ったカトリーヌは、皮肉たっぷりに言い返した。
「では、何故長老達を殺した。まさか、それも襲われたからとでも言うつもりか? 父や母も、襲われたから殺したのか?」
「…………」
黙り込む詩歌。
「ふん。やはり答えんか」
答えなど期待していなかったのだろう。カトリーヌは刀を下段に構え、走り出す。
「リーヌ! やめて!」
「煩いっ!」
カトリーヌは怒りのままに詩歌を責め立て、詩歌はそれをかろうじて躱し続けていた。
防戦一方。詩歌は決して反撃しない。そんな態度も、カトリーヌの怒りを駆り立てる一因となっていた。
「戦え! 腰抜けが!」
怒鳴りつけるカトリーヌを、詩歌は瞳に憂いを滲ませ見詰める。
「リーヌ……」
両腕を広げ、無防備にその身をさらし、
「やめよう?」
哀しげに、言葉を紡いだ。
「…………!!」
その姿を見たカトリーヌは一瞬身を硬直させ、
けれど刀を振り上げた。
「リーヌ!」
「煩い!!」
叫ぶ。
「今更、今更なんだというんだ!!」
悲痛な叫びだった。
振り上げられた刀は、持ち主の心情を代弁するかのようにカタカタと震えている。
「リーヌ……」
そんなカトリーヌに向かって、詩歌は小さく一歩踏み出す。
「ごめんね、リーヌ」
対照的に、カトリーヌは大きく一歩後退る。
「私は…私は――」
唇を噛み締め、きつく目を閉じ、
「――それでもお前が、許せない」
それが、彼女の答えだった。
「この期に及んでまだ惑うか。使えん女だ」
その声は、唐突に背後から聞こえた。
あわてて振り向くと、今まさに魔術を発動させんとする男の姿が目に入った。
対峙する二人に嘲りの目を向け、口元にいやらしい笑みを刷いている。
その目を見て、確信した。
こいつは、詩歌が動きを止めるのを待っていたのだ。
「レイン!」
男の魔力に気づいた詩歌が叫ぶ。
けれど今更どうしようもない。
ただ目を見開くことしかできなかった僕は、衝撃とともに地面に転がった。
鮮血が舞う。
「つぅ……」
切り裂かれた左腕を押さえ、詩歌は小さく呻く。
僕は、詩歌に庇われていた。
「詩歌……」
「レイン、怪我してない?」
男から目を離すことなく、背中越しに問う詩歌。
「……うん」
「そう」
答えを聞き、肩の力を抜く詩歌。
奇襲に失敗した男は、懐から大ぶりなナイフを取り出していた。
「…………」
無言のままそれを振りかぶり、詩歌に襲いかかる。
「――っ」
躱そうとした詩歌は、そこでぴたりと動きを止めた。
背後に、僕がいたせいで。
「……んっ!」
傷ついた左腕にわざとナイフを受けて相手の動きを封じ、
「風花!」
カウンターの魔術を零距離で叩き込む。
男の首が飛んだ。
血飛沫上げ倒れ込む男には目もくれず、詩歌はカトリーヌに向き直る。
「リーヌ、どういうつもり?」
発せられた声は、明確な怒気を帯びていた。
「さあな。大方、そいつを狙えばお前が庇うとでも思ったのだろう」
口の端を釣り上げ答えるカトリーヌ。
「……それも、あなたの指示?」
「知らん。だが、有効な手だ。私も見習うとするかな」
「あなたはっ!」
声を荒げた詩歌は、やにわに右腕を持ち上げた。
詩歌を中心に、魔力が渦を巻く。
「ちっ」
それを見てカトリーヌは、舌打ちを一つ漏らすと大きく飛び退り距離をとる。
「氷花!」
追い縋るように飛来した氷の礫を切り捨てたカトリーヌは、しかし反撃に転じる間も無く横殴りの風にはじき飛ばされた。それもまた、詩歌の魔術だ。
「ぐっ」
背中から立木にぶつかり咳き込むカトリーヌ。
「雷花!」
さらに容赦なく、詩歌は追撃を叩き込む。
落雷が、カトリーヌを直撃した。
「――――!」
衝撃に声も出せずにいるカトリーヌを見て、詩歌は我に返ったように大きく息を吐き、気を静めると語りかけた。
「もう、やめよう。リーヌ」
それは、懇願に近く。
「お願いだから、もうやめて」
続く言葉は、微かに震えていた。
「…………」
カトリーヌは答えない。
樹にもたれるようして立ち上がり、鋭い視線で詩歌を窺っていた。
「リーヌ!」
「……ふん。まあ、いい」
呼吸を整え、カトリーヌは答える。
「どうせお前は、もう助からない」
「……毒、かな?」
未だナイフの突き立ったままの左腕にちらりと視線を落とし、詩歌は尋ねる。
「そうだ。最近開発されたばかりの特製品でな、ゆっくりと対象を蝕んでいく。せいぜい苦しむといい」
「そう」
ナイフを引き抜き、至って冷静に答える詩歌。まるでその答えを予期していたかのようだ。
「解毒薬があるなどと期待するなよ? そんなものは、作っていない」
「だろうね」
詩歌は動じない。ただ、哀しそうにカトリーヌを見詰めるだけだ。
「この手で直接殺せなかったのは残念だが、仕方あるまい」
「リーヌ」
それを聞いても、詩歌は。
「それでもわたしは、あなたのことを愛しているよ」
優しく、そう言った。
「戯けたことを抜かすな」
対するカトリーヌの返答はにべもない。迸る殺気を隠そうともせず詩歌を睨み付ける。
「今回の件も、レインを巻き込んだこと以外は気にしなくていい」
それを気にするでもなく、詩歌は続ける。
「あなたは、悪くない。なにも、悪くない」
「当たり前だ。毒が回って気でも触れたか?」
「だから、わたしが死んでも、気に病まなくていいよ」
「元より、病むつもりなど無い」
吐き捨て、カトリーヌは背を向ける。
「リーヌ」
そこへ、詩歌は最後の言葉をかけた。
「わたしは、あなたのお姉ちゃんでよかった。愛してるよ。――――じゃあね」
返答は、無い。
カトリーヌは何も言わず、森の奥へと消えていった。




