15
翌日、僕達は次の村へとたどり着いた。
前回立ち寄った村と似たような感じの、小さな集落だった。
「お、詩歌じゃないか。久しぶりだな」
「うん、久しぶり、マルスさん」
「あら詩歌ちゃん、今回はずいぶん間が開いたわねえ」
「ごめんね、ヤマブキさん。色々あって」
「詩歌! 待ってたんだ! 酔い止めくれよ、酔い止め!!」
「カールさん、飲み過ぎは毒だよ?」
「あ! 詩歌だ!」
「しーかだー!」
「ルー坊、ユズちゃん、久しぶり。大きくなったね」
この村でも、詩歌は歓迎されているようだ。
「とりあえず、宿を確保して村長のところだね」
村人達に挨拶を返しながら、詩歌は隣を歩く僕に言う。
「また許可をもらいにいくの?」
「そ。勝手に商売するとひんしゅく買うからね」
「みんな歓迎してくれてるみたいだけど?」
「それはそれ、これはこれ。礼儀は大切だよ」
「ふうん……」
大きな街では商業ギルドなるものがあって、そこの許可を得ないと罰金、最悪捕まることもあるそうだ。大人のやることは汚らしい。どこで何を売ろうと自由だろうに。
「レインもいつか独り立ちしたら気をつけなよ」
顔をしかめる僕に、詩歌は笑って忠告した。
「ま、僕が独り立ちできる日なんて当分先だろうけど。――と、何だあれ?」
村の中心に、変な物が立っていた。
十字に組まれた丸太を、ツタか何かで編まれたものであろう環が囲っていた。大きさは大人の背丈で一人半ほど。所々に生花が活けてある。
「ああ、円十字の紋章だね」
僕の視線をたどり、詩歌が答える。
「円十字って?」
見たまんまの名前だ。
「怪しげな宗教団体。正式名称は聖アルマリア教だったかな?」
「それがなんで円十字なんて呼ばれてるのさ」
「掲げてる紋章が見ての通りだから。あとは、そっちのほうが言いやすいからじゃない?」
「なるほど」
実にわかりやすい。
「興味あるなら信者の人に話聞いてみたら? あの紋章があるってことは、それなりの数の人が信仰してるってことだろうし。――ただし、わたしは関わらないからね」
最後に嫌そうに付け加える。
「? 何かあったの?」
「わたしじゃ、ないんだけどねえ……」
曖昧に言葉を濁す詩歌。
「ふうん…ま、いっか。僕も興味ないし」
「それはよかった」
大きく息を吐く詩歌。よっぽどこの教団が嫌いらしい。
「ほら、あそこが村長のい、え……」
言葉が不自然に途切れる。詩歌が指さす家の戸には、例の円十字が掲げられていた。
「よくお出でくださった、詩歌さん」
村長は五十がらみの太った男だった。夏でもないのに汗をかき、それを忙しなく手拭いで拭いている。
「お久しぶりです。ウォーレンさん。また、商売の許可をいただけますか?」
「もちろんですとも! 皆詩歌さんが来るのを心待ちにしていたのですよ!」
「ありがとうございます」
「ところで、私はこの度、聖アルマリア教に入信したのです」
突き出た腹を揺すりながら、村長は語り出した。
「アルマリア教は素晴らしいですぞ! 女神アルマリアに感謝し、日々祈りを捧げることで、心が洗われていくのが実感できます。詩歌さんもぜひ入信なさっては?」
「わたしは、興味ありませんから」
やんわりと断りを入れる詩歌。
「むう、残念ですなあ。――では、お連れの坊ちゃんは?」
「僕も、興味ないんで」
今度は僕の方に矛先が向いたので、同様に断る。
「そうですか。分かりました。無理強いはしません。信仰とは他者から押しつけられるものではなく、自ら目覚めるものだからです。そのお手伝いが出来なかったことは、残念でなりませんがね。そもそも私が信仰に目覚めたのも、この村を訪れたイルマンが切っ掛けでした。あ、イルマンというのはアルマリア教の教えを説いてまわる方々の総称です。何でも兄弟、という意味だとか。彼の言葉に、私は目が覚める思いでした。それまでの私の、なんと愚かだったことか。彼は言いました。『信じ、祈るのです。さすれば救いは訪れる』と。以来私は、敬虔なるアルマリアの徒として恥じない生き方を――」
その後も村長の宗教談義は、止まることなく延々と続いた。
這々の体で村長宅を辞した僕等は、げっそりと肩を落とす。
精神的疲労が酷すぎた。
結局この日は、とても商売など出来る状態ではなく、這々の体で宿へ逃げ帰った。
「ひどい目に遭ったね……」
今後一切、円十字には関わるまいと心に誓う。
「ほんとに、ね」
「それにしても、――信じ祈れば救われる、か」
胡散臭い、都合のいい言葉だ。
僕は両親を信じていた。
でも、彼等は戻ってこなかった。
「――ねえ、レイン」
そんな僕の心中を見抜いたかのように、宿の窓から見える円十字を見下ろし、詩歌はぽつりと呟く。
「信じて祈ってるだけじゃ、なにも変わらないんだよ」
重く、実感のこもった声だった。
「何かを変えたいと願うのなら、何かを成そうと望むなら、自分で動かなきゃいけないんだよ」
とても、哀しそうな声だった。
夕食を摂り、部屋へと戻ってきた僕は、ベッドの上に寝転がる。詩歌はいない。商売は明日からと告げたにもかかわらず、大挙して押し寄せた村人に半ば拉致されるようにして連れていかれたからだ。
その際詩歌は、
「レインは先に休んでていいよ。疲れたでしょ」
と言ってくれたので、昼の宗教談義の影響から完全には立ち直れていなかった僕は、ありがたく撤退させてもらったのだ。
「詩歌も大変だなあ……」
あの調子では解放されるのはいつになることやら。困ったように笑う詩歌の姿が目に浮かぶ。
それにしても。
「信じて祈るだけじゃ、なにも変わらない、か……」
何を思って、詩歌はその言葉を口にしたのだろう。あの時の詩歌は、とても哀しそうだった。その言葉には、実感がこもっていた。それだけの何かを、詩歌は経てきたのだろう。
そういえば、僕は詩歌のことをなにも知らない。助けてもらって、一緒に旅をして。その間詩歌は、自分のことをほとんど語らなかった。
「まあ、お互い様か」
僕だって、自分のことを語りはしなかった。
窓からは、月が見えていた。その月に向かって、手を伸ばす。手のひらは月の姿を覆い隠し、そのまま握り込めば掴めそうな気さえした。
でも。
僕の手は、月には届かない。それどころか、すぐ近くにいる詩歌の思いさえ、掴めないままだ。
「ただいまー。――って、レインなにやってんの?」
僕が感傷に浸っていると、詩歌が戻ってきた。
「月が掴めそうだなあって」
「ふうん……」
窓を開けた詩歌は、身を乗り出し手を伸ばす。
「……うん、届かないね」
「そうだね」
「ま、そんなときもあるよ」
軽く肩をすくめて詩歌は言う。
「ねえ、詩歌」
「なに」
「ずいぶん、早かったね。もっとかかると思ってた」
「きりがないから逃げてきた」
苦笑が漏れる。実に詩歌らしい。
「ねえ、詩歌」
僕はまた、呼びかける。
「詩歌はどうして、僕を助けてくれたの?」
「……助けないほうが、よかったかな?」
ちょっと寂しそうに、詩歌は言う。
「ううん。そんなことない。ありがと。感謝してる」
「じゃあよかった」
「詩歌」
さらに、問う。
「ん」
「僕に会う前、詩歌は何をしてたの?」
「今と一緒だよ。あちこちふらふらして、薬を売って暮らしてた」
「その前は?」
「その前?」
「薬師になる前。旅に出る、前」
「今日はやけに食いついてくるね」
苦笑を浮かべる詩歌。
「教えて」
「そうだねえ……」
数秒、目を閉じ、
「あんまり、思い出したくないかな」
小さく、呟いた。
「そう」
僕は目を閉じる。
――拒絶された。なんとなく、そう思った。
だからだろうか。その言葉は、意図せず僕の口から零れ出た。
「なんだか、詩歌と出会ってからの日が夢みたいだ。本当の僕はまだ、あの洞窟で母さん達を待っているのかもしれない」
それは、いつも心のどこかで思っていたこと。詩歌と出会ってからの日々は、楽しくて、楽しくて。でも、だからこそ、漠然とした不安を感じた。この日々は、死ぬ前に見ている夢なのではないだろうか?
「レイン……」
窓を閉め、僕の方へと歩いてくる詩歌。
「胡蝶の夢って知ってる? 今のレインみたいに、夢と現実の区別がつかなくなっている状態を言うの。――でもね」
詩歌は僕の頬を両手で包み込む。
「あったかいでしょ?」
「うん」
頬をつねる。
「痛いでしょ?」
「うん」
胸に手をあてる。
「心臓が動いてるの、わかる?」
「うん」
僕の頭を撫でる。
「ね? あったかいって感じて、痛いって思って、それを司る心がある。ここが――今が、レインの現実だよ」
「……うん」
詩歌は僕を抱きしめる。
「両親に捨てられて、辛いと思う。苦しいと思う。でも、それでも、レインは生きているんだよ」
温もりを感じる。梅の花の匂いが、鼻腔をくすぐる。詩歌の匂いだ。僕を助けてくれた匂いだ。確かに感じる、現実の臭いだ。
不安が薄らいでいくのを感じる。
詩歌は過去を、話してくれない。
でも。
詩歌はここに、いてくれる。
なら、それでいいや。
そう、思うことができた。
「ありがとう、詩歌」
「うん。――お休み、レイン」
「お休み、詩歌」
詩歌が静かに歌い出す。
いつも歌っている、あの歌だ。
喪った世界で手にしたもの
始った世界で無くしたもの
どちらも大切で、どちらも無価値
喪ってようやく気付き
手にしてはまた忘れる
廻り廻って得ては失い
その繰り返しの果てに、辿り着く場所は何処?
その歌を聴きながら、僕は眠りに落ちた。




