犯人登場
30分後・時計塔内部――
時計塔の頂上、時計の機械部分が赤裸々に見える狭い部屋に、30分前、要達はお守りを無造作に隠した。
誰も来ないだろうと、部屋の中央に置かれた古びた一つの机の中に入れた。
その机に今、触れようとしている者がいた。
その者は、静かに、慎重に、しかし素早く中の物を取り出した。
掌に固く握り締められた物を想って、ニヤリと笑う。
「そんなに、それが大事ですか?」
突如部屋の入り口から声がして、その人物は振り返り、声は続けた。
「――榎木先輩」
そう言うと同時に声の主は姿を現した。
――要だ。
「な、何のこと?」
「声がうわずってるぜ」
そう言いながら、秋葉も部屋へと現れた。
「すみません先輩」
そう謝りながらあかねも現れると
「カメラで撮ってました。先輩がそれを取り出すところ」
言いながら、ビデオカメラをちらつかせた。
「ちなみにその机は撮りやすいように、部屋の隅に捨てられてたのをそこに置いたんだぜ」
得意げに秋葉が机を指差しながら言うと、由希が秋葉の影から出て来て、美奈のふりをして弱々しく微笑んだ。
「な、何なの!? あんた達!」
当惑しながら榎木が叫ぶと、要は誇らしげに笑った。
「あたし達ですか? あたし達は――」
要の言葉を合図にして、4人は勢い良く一斉に叫ぶ。
『怪事件・捜査倶楽部・略して怪団!』
――そんなことを聞いてるわけじゃないのよ! という顔の榎木を無視して、要は話しを始めた。
「すみませんね、先輩。先輩を少し、罠にかけさせて頂きました。
呉野先輩からのメッセージがあったもので」
「なに言ってるのよ? 呉野はまだ面会謝絶じゃない」
「ええ、そうですよ。体の治療は一応済んだみたいですけど、目が覚めない。
このまま目が覚めなければ、一生目覚めないかもしれないと言われてますね」
要は平然そうと答えると、榎木は訳がわからないといった様子で、呟くように言う。
「一体何なの? :::帰らせてもらうわ。私には何も関係はないでしょう?」
言って歩き出そうとする榎木に、要はにこりと微笑みながら言った。
「それがねぇ、先輩、あなたは関係があるんですよ。
なぜなら、一連のこのドッペル事件は、あなたの仕業だからです」
「……なに、どういう意味よ!?」
榎木がそう吼えると、要はにやりと笑った。
「では、順を追って行きましょうか。
先輩、先輩の手の中の物、見せてもらって良いですか?」
促されて榎木は手の中をそっと覗いた。そして、はっとする。
その姿を見つめながら、要は問う。
「見覚え、ありませんよね?」
この問いに、榎木は答えなかった。押し黙って眉を顰める。
「先輩、実はそれ……私のなんです」
あかねが申し訳無さそうに言うと「連次くんからのな」と秋葉があかねの横で茶化した。
「うるさい!」
あかねが秋葉を怒鳴りつける。
そんな二人を無視して要はポケットからジッパー付きのビニール袋を取り出して、こう続けた。
「先輩のお探しの物は、ここにあります」
そうして、ジッパー付きのビニールをかざした。
その中には、折れ曲がったお守りが入っていた。
それを目にした榎木は「あっ……」とだけ呟いた後、絶句して言葉が出てこなかった。
「ご存知ですか?」
わざと窺うようにして聞く要に、榎木は気持ちを立て直すように
「ええ」と言って続けた。
「……知ってる、知ってるわ。私のよ。
でも――失くしたの。多分、誰かに盗まれたのよ!」
そう強く主張した榎木を、要は一瞥≪いちべつ≫して
「へえ~」と感情のこもらない声で小さく言った後、にやりと口の端を僅かに歪めた。
「……そうですか、盗まれましたか」
「ええ、そうよ!」
榎木が真っ直ぐに要を見つめながら強く言うと、要は即座に冷静に言う。
「じゃあ、何故「見たことも無い」って言ったんですか?」
「――え?」
ひやりとした空気が榎木を飲み込んだ。その空気を要は逃さなかった。
嬉しそうに、にやりと頬を緩める。
「言ったでしょ? そう聞いたんだよねぇあかね?」
「ええ、確かにそう聞いたわ」
「そ、それは……ただの聞き間違いよ!」
明らかに焦った様子の榎木を、要はここぞとばかりに問い詰める。
「聞き間違いだとしても、後ろめたい事がなければすぐに自分の物だと言えたはずじゃないんですか!?」
その詰問に、榎木はグッと顔を引いて視線を床に落とした。
「……関わりたくなかったのよ」
ポツリとこぼすようにそう漏らした榎木は、捲くし立てた。
「解るでしょ!? あなた達は事件の事を調べてる!
そんなあなた達が私のお守りの事を聞いて周ってるんだもの、もし私のお守りがどちらかの事件に関わってたら――そんなの困るでしょ!?」
「確かに、そういう心理が働く事は理解します」
冷静に要はやわらかに肯定すると、ちなみに――と質問を促した。
「先輩は呉野先輩の落ちたビルに行った事はありますか?」
「あるわけないでしょう!」
榎木が息巻くと、要はそうですかと一言だけ言った。
すると、代わりに秋葉が「でも」と言って軽蔑を含んだ瞳で榎木を見た。
そして、毅然と言う。
「呉野先輩を突き落としたのは――先輩だろ?」
秋葉の唐突な言葉に、榎木は驚愕して声を荒げた。
「何を言ってるの!?
今、私はあのビルに言った事はないって答えたでしょう!?
それに、呉野はどうして落ちたのかまだ解ってないのよ!?
それを――私が突き落としたですって!?」
憤慨して肩で息をする榎木に
「まあ、落ち着いて」と要が言うと、由希がとりあえずと言って、ある写真を取り出した。
「これを見ていただけますか? 見覚えがあるはずです」
その写真は、あかねと秋葉と由希(あるいは美奈か――)が、見たことの無い人物と会話をしている様子の写真で、その人物は真面目そうな印象を受ける、あかね達よりも少し年上に見える少女だった。
その写真を見た榎木は一瞬目を丸くし、くやしそうに顔を歪めた。
「知ってらっしゃいますよね?」
あかねは静かにそう言うと、榎木の返事を待ったが、榎木は口をつぐんだ。
そんな榎木に構わずに、要が話を進める。
「この白女(白石女子学園)はさ
中学から大学までエスカレーター式じゃないですか。
先輩は確か、二階堂中学からの転校生で、中3の2学期から白女に来たんですよね?」
答えを促された榎木は、渋々「……そうよ」とだけ答えた。
その返事を聞いて、要がニヤリと笑うと、秋葉がスッと前に出て、持っていた折りたたまれた紙を開いて、榎木に向って見せた。
「これ、見えるか?」
「!?」
――それは、呉野の事件現場にあった紙だった。
ゑ
二階のかい堂ゆくと中、学ぶこともおおかれど。
陸にうちあげられた、うつくしひ貝をひらうごとく、高みをみるならば。
南にゆかん、さすれば春にであひ、枝にはなありけり。
y。
k・s・k・r・k・d。
「なによ、これ?」
榎木が不審そうに言うと、秋葉に代わってあかねが言う。
「これは、呉野先輩が落ちたビルにあった物です」
このあかねの言葉に、要はにやりと笑いながら補足した。
「呉野先輩のメッセージだよ」
その言葉を聞いた榎木は一瞬、目を丸くする。
その直後に「ちょっと待って」と切り出した。
「私には……ただのおみくじに見えるわ。呉野の事とは関係がないんじゃないの?」
榎木は首を傾げた。そんな榎木に、要はにこりと笑った。
「これは、まあ、一種の暗号です」
「暗号?」
「なんなら訳しましょうか?」
要に不信な目を向ける榎木に、要はそう生意気に言って話し始めた。
「まず、このゑと言うのが重要です。このゑはひらがなを抜けと言う意味です。抜いてみますね。はい、あかね」
話を振られたあかねは迷うことなく訳し、秋葉、由希が続いた。
「二階堂中学」
「陸貝高」
「――南春枝」
最後の由希の言葉に、榎木は一瞬身を震わせた。
そんな榎木を見逃さなかった要は、にやりと不敵に笑む。
「南春枝さん……先ほどの写真の方です」
どや顔を決めた要に、榎木は冷静にきりかえした。
「……そう、それで?
それがどうして呉野のメッセージになるの?
呉野と春枝は知り合いじゃないのよ、顔も合わせたこともないはずだわ。
そんな人の名前をどうして呉野が書くのよ?
おかしいじゃない。やっぱりただのイタズラで、暗号なんて深読みよ!」
榎木の言い分に、要はぽつりと「それがそうじゃないんだなぁ」と呟いて、紙のある部分を指差した。
「ここ、見てください」
それは、最後の文の横に、目立たないように書かれていたアルファベットだった。
――y。
――k・s・k・r・k・d。
「それがなに?」
榎木は怪訝そうに顔をしかめながら、迷惑そうに言った。
すると要は、真剣な表情でこう、きりかえす。
「この紙は、間違いなく呉野先輩からのメッセージです。このアルファベットが証拠です」
「……」
黙り込む榎木の表情には僅かに不安の色が映る。
「yは幼子のy。kは怪事件、S,捜査、k、クラブ。r略して、k怪、d団――です」
真剣な眼差しで明朗に言った要に対し、それを聞いた榎木は呆れ果てたように、はあ……と長いため息を吐き出した。
「そんなの、こじ付けじゃないの!」
きっぱりと言ってのけた榎木に、要はおちゃらけるようにして訊く。
「先輩、〝こじつけ〟ついでに一つ良いですか?」
「なに?」
言って、少しむっとしたように、榎木は要をねめつけた。
「このヒントとなる『ゑ』ですが、別にひらがなを指すのなら『か』でも『あ』でも良かったわけです。
古風なおみくじみたく見せかけたかったのなら『ゐ』でも良かったわけじゃないですか。なんで『ゑ』だったんだと思います?」
「……知らないわよ」
榎木はうっとうしそうに視線を外す。
そんな榎木を見て、要はニヤリと笑んだ。
「私が思うに、これは犯人の頭文字だったんじゃないかと」
「……は?」
「つまりは『ゑ』=『え』=榎木夕菜」
この言葉を聞き、榎木の表情が一変した。
呆れを通り越して怒りに変わったのか、眉間にシワを寄せて要を睨みつける。
「いい加減にしなさい! そんなに私を犯人にしたい!?
仮にゑが人物を指しているんだとして、どうしてそれが犯人だという事になるの!?
大体、それは本当に呉野の残したものなの? 証拠は!?」
怒鳴りつける榎木の言葉を聞きながら、要は軽く頷いた。
「はい、私達もゑっていう人が犯人とは限らないと思っていましたし、呉野先輩は殺人未遂ではないのかも知れないということは考えました。
もちろん、これが呉野先輩の残した物なのかについても疑いましたよ」
「だったら!」
声を荒げた榎木に対し、要はあくまでも冷静にこう続けた。
「そこで、出てきてもらうのが『南春枝』さんです」
*
あたし達は、とりあえず陸貝高校に4人で行ってきました。
もちろん休日に行っても会えない可能性が高いので、平日に、早退して行って来ました。
もちろんあかねは「皆勤賞があ~!」と嘆いていたけれど
秋葉の「だったらついて来なくても良いんだぜ」の一言で「行くに決まってんでしょ!?」とヤル気になりました。
――あかねはツンデレですからね。
そして、陸海高校の正門にて
「南春枝さんはご存知ですか!?」と聞きまくった結果、南春枝さんを見つけることが出来ました。
第一印象の南春枝さんは、落ち着いた雰囲気のある方で、肩まであるゆるい天然パーマの黒い髪を風に揺らしていました。
呉野幼子と南春枝の関係を探りたかったあたしは、不躾に南春枝さんに訊ねました。
「あの、呉野幼子という女の子をご存知ですか?」
「え?……いえ、知りませんけど、あのどちら様?」
南春枝さんは怪訝そうな顔をして、苦笑しながらあたし達に向かって訊ねた。
――ああ、そうだ。自己紹介もまだだった。
気持ちが先行しすぎたあたしをよそに、あかねが取り繕ったように微笑う。(わらう)
「私達は白石女子学園から参りました。ちょっと南さんにお伺いしたい事がありまして、あの、呉野幼子さんはご存じないのですよね?」
窺うようにして言うあかねに、南春枝さんは申し訳なさそうに「ええ」とだけ答えた。
そこですかさず、私はある人物の名を ババ~ン! と言ってやろうとしたわけです。
ところがその矢先、南春枝さんからその人物の名を聞くことになったんです。
南春枝さんは、何かに気づいたように、はっとした表情をした後、こう言いました。
「白石女子学園って、埼玉にある学校?」
「えっ、ええ」
突然の事にあかねが驚いて答えると、あたしはピン!と来ました。
「そこ、私の昔の友達も通ってるのよ。多分今でも通ってると思うわ。中学の時にね、転校して行ったの。榎木夕菜っていうのよ、知ってる?」
(ほらほらキタ、キタ―――!!)
聞きたかった名前が聞けて、あたしは内心踊りまくりましたよ。
そこですかさず、あたしは携帯で撮ったお守りの写真を、南春枝さんに見せました。
「すみません。こんなの見たことないでしょうか?」
言いながら、携帯の画面を南春枝さんに向けると、南春枝さんは画面を覗き込んで「ああ」と呟いた。
「これ、知ってるわ。ほら、さっき言った榎木夕菜って子のよ」
――やぱりね!
あたしの予想が確信に変わり、あたしは内心興奮しましたよ。
あたしの横で、秋葉と由希が驚きを隠せずにいたけれど、あかねは冷静そうに見えた。
そんなあたし達をよそに、南春枝さんは続けた。
「随分汚れちゃったのね。前も薄汚れてはいたけれど……でも、これがどうかしたの?」
「いえ、ちょっと……」
あかねはそう言葉を濁してから、こう質問をした。
「それより、このお守り、何で榎木さんのだって分かったんですか?
こんなに折れ曲がってしまっているのに……」
すると、意外な返事が返って来た。
「だってこのお守り、元々折れ曲がっていたのよ。
えっと、確か……おばあさんから貰った物だって言っていたわ」
「え!? そうなんすか?」
秋葉が驚いて聞き返すと、南春枝さんは「ええ」と頷いた。
「なんでも、戦時中にポケットに入れていたんだけど、
警報が鳴って急いで逃げている最中に転んでしまって、
その拍子にお守りが落ちて踏んづけて曲がっちゃったんだって。
そのお守りはおばあさんにとってはすごく大切なものだったらしいから、
ショックでそれをしばらくその場で見ていたらしいの。
でも、その場所が空中からちょうど見えない所だったみたいで、空襲から助かったって言ってたわね。
戦争が終わった後は大事に保管しておいたんですって。
そのおばあさんがくれた物って言ってたわ。それに、ほら」
そう言ってあたしが持っていた携帯写真のお守りの紐部分を触った。
「ここ、紐の色が一部違う所があるでしょ?」
「え?」
そう言われてあたしは携帯の写真を確認した。
「……あっ! 本当だ」
――確かに、一部色が違う。
紐の一部が他の紐よりも弱冠白く、きれいに見えた。あたし達が驚いていると、南春枝さんはこんな事を教えてくれた。
「その写真じゃ、汚れててよく見えないけど、夕菜が誤って紐を切ってしまった時に、まだ生きていたおばあさんが付け加えてくれた部分なんですって」
そうだったのかと、あたし達は思いました。
お守りの謎が解けて、あたしは次の謎を解くべく、南春枝さんに訊ねてみようと思いました。
その謎とは、呉野先輩のメッセージに書かれていたから、私達は南春枝さんに会いに来た。だから、てっきり南春枝さんと呉野先輩は何らかの繋がりがあったんじゃないかとあたしは思っていたんです。
でも南春枝さんは呉野先輩を知らないという……だったら何故、呉野先輩は南春枝さんを知ることが出来たんだろう?
そこで、あたしは南春枝さんに呉野先輩の写真を見せてみました。
「南さん、これも見てもらっていいですか?」
南春枝さんは、パソコンからプリントアウトした呉野先輩の写真を見て「ああ」と一言呟いた。
「もしかして、この人が呉野さん?」
「はい!そうです!」
あたしが勢いよくそう言い放つと、南春枝さんは「そうなんだ」と呟いた。
「確か、夕菜が転校して行った数ヵ月後くらいに、お守りの事を話した子がいるって、その子と一緒に写った写真を送ってきた事があったのよ」
懐かしむようにそう言う南春枝さんは、納得するように、噛み締めてこう言った。
「ああ……確かにこの子だったわ」
名前は書いてなかったんだけどね、と付け足すと当時を懐かしんだ。
「お守りの事は、私にしか話したことないし、見せたことないって言ってたのよ、夕菜。お守りを見せてくれた時にね、でも転校して別の子に見せたって手紙に書いてあって、当時はなんだかちょっと、嫉妬したのよ」
そう恥ずかしそうに南春枝さんは語った。
――そんな南春枝さんをシャッターに収めたのが、あの写真です。
*
「あたしの証言が気にくわないんでしたら、こんな物もありますよ」
語り終えた要がそう言うと、由希はオズオズとボイスレコーダーを取りだした。
スイッチを押すと ジジッという音がして要の証言と同じ内容が流れ始めた。
適当なところでストップボタンを押すと、榎木は呆れ交じりにため息を吐いた。
「……録ってたの……。用意周到ね、怪団さん」
「ええ、まあ」
要は少し誇らしげに言って、軽く頷く。
そんな要を見て、榎木は「だけどね」と言って続けた。
「それがなんだっていうの? 呉野がそれを書いたという証拠にはならないはずよ?」
「証拠になりますよ」
言ったのはあかねだった。
「筆跡鑑定をしてもらえば、一目瞭然ですね」と、要が付け足す。
この要の発言に対して、榎木は少しの間沈黙をし「そうね」と肯定した。
「確かに、筆跡鑑定をしてもらえば、呉野のものか、そうでないかは明白ね。
仮に呉野の物だったとしましょう。
――それで? 呉野の事件と何の関係があるの?
今の春枝の証言で判ったことは、お守りが誰の物であるかという事と、春枝は呉野の顔を知っていたという事だけね」
冷静に現状を分析して言う榎木に、要は「そうですね」と答えた。そんな要を一瞥して、榎木は続ける。
「呉野は事故か、自殺未遂よ――殺人未遂じゃないわ」
そう吐き捨てるように言った榎木に、要は「果たしてそうでしょうか?」と投げかけた。
「事故ならばわざわざあんな閑散としたビル、しかも夜には不良の溜まり場に一変するビルに、あの怖がりな呉野先輩が行くでしょうか?
自殺未遂なら解らなくもないですが、そんな予兆はありましたか?
少なくともあたしの目には自殺するようには見えませんでした」
冷静に言う要に、榎木もまた冷静に答えた。
「自殺の予兆なんて、よっぽど親しくったって見逃す事はあるわ。
自分の心が弱っている事を、人は隠したがるものじゃない?」
「確かに」と要は言って、続ける。
「そういうものかも知れません。しかし、呉野先輩は違います――これを見てください」
言って、かざした物は例のお守りだった。
「これ、どこにあったと思います?」
要の問いに、榎木は――分からないわ、とだけ答えた。
「日吉先輩の殺害現場に落ちていたんです」
一瞬ぎくりと肩を震わすと榎木は、一言呟いた。
「……そう」
「これ、初め血が大量に付着していたんですよ。
洗い流すさいに、その血の欠片を採取して、あたしの知り合いに刑事がいるんですけど、そいつに極秘に調べてもらったんです。そしたら案の定、日吉淳子のものでした」
要は「そして」と言って続ける。
「呉野先輩にこのお守りを見せた時に、彼女は明らかに様子がおかしかった。
何かを知っていて隠しているようでした。
その直後に、呉野先輩はあのような事になりました」
強い瞳で榎木を見る4人に、榎木は思わず視線を落とした。
そして「呉野が……」と呟いて、顔を上げる。
「呉野が私のお守りを盗んで置いておいたんだわ、きっと、そうよ!
それで、後ろめたくて……自殺しようとしたんじゃない?」
「テメェ! いい加減にしろよ!?」
同意を求めるような榎木の瞳に、思わず秋葉は吼えた。
榎木に飛び掛りそうになった秋葉を、あかねが必死に止める。
そんな2人を横目に、要はニヤリと口の端をゆがめた。
「もし呉野先輩が盗んで、あなたに罪を着せようとしたのなら、呉野先輩がわざわざ狼狽する必要はない――でしょ?」
おちゃらけるように言って、要は首を傾げた。その要の横に由希が来て、切り出す。
「先輩、あのビルに行った事はないって言いましたよね?」
「ないわ――私は、何もしてないのよ!」
秋葉の牽制が効いたのか、榎木は興奮したように息巻いて声を荒げた。
そんな榎木に、今度は要が口元に笑みを称えながら切り出すが、その目に色はなかった。
「これ、なんだと思います?」
そう言いながら、榎木に向かって見せたのは黄色い封筒だった。
その封筒の中から、要は書類のようなものを取り出し、紙をめくってまた、榎木に向かって見せた。
そこには、指紋検査結果と書かれていた。
「見てください」
促されて、榎木は要の持っている書類に目を走らせて行く。
――指紋結果――。
吉原要・95%一致――
藍原美奈・99%一致――
――壁の指紋結果――
榎木夕菜――99%一致――。
「え?」
なに――? と、思わず唇からこぼれる。
榎木はそのまま、無意識に目線をキョロキョロと動かした。
やがて、ごくりと生唾を飲み込むと、やっと一言口にする。
「吉原さん、これ――どういう事?」
「指紋結果というのは、お守りに付着していた指紋の事で、こちらの『壁の指紋』と書かかれているもの、
これは――呉野先輩の事件現場となったビルの壁なんですよ。
知り合いの刑事に『現場』や『お守りの指紋』って言わずに調べてもらったんで、指紋や、壁の指紋とだけ書いてあるんですけどね」
「なっ――え?」
混乱して二の句が告げない榎木を一瞥して、要は書類を黄色い封筒に戻した。
そしてそんな要の代わりに、落ち着きを取り戻した秋葉がぶっきらぼうに言う。
「アンタ、このビルに行った事ないって言ったよな?
じゃあ、なんでアンタの指紋が出るんだよ」
「それは――」
榎木は一瞬押し黙った。その後、気持ちを立て直すように強く言う。
「呉野は事故か自殺だわ! だって、あんなところから人が出られるわけないもの!」
「あんなところ?」
要が訝しがって効き返すと、榎木は「実はね」と続ける。
「あのビルに行ったことがないって言ったのは、嘘よ。
行ったわ。でも、それは呉野があんな事になった後に行ったの!
私だって、呉野の事件を疑ったのよ、人に突き落とされたんじゃないかって――でも、あのビルから人に見られないように抜け出すのは不可能だったの。
あなた達だって、行ったのなら分かるでしょう!?」
榎木の言葉を聞きながら、ふんふんと頷いていた要は、興奮したように同意を求めた榎木をにこりと笑って一蹴した。
「――この謎なら、とっくに解けてるんですよ」
「……なに?」
訳が分からないと言うように、目を丸くする榎木にかまわず要は続ける。
「解けてるんです。
――まず犯人は呉野先輩を落とした後、正面入り口が騒ぎになることを予想していたました。
だから犯人は二階に向います。
そして二階のある窓に片足をかけ、三階の窓に手をかけました。
そして体を持ち上げ、そのまま隣のビルの三階の窓のサッシに片足を引っ掛けて、また体を持ち上げます。
そして廃ビルの三階窓に座るか立つかします。
するとちょうど、隣のビルの三階、その場所は女子トイレです。
そのビルの人に話を聞くとそのトイレの窓はいつも開けてあるそうです。
もし開いていなくても、あらかじめ開けに行けば済むんですけどね
――犯人はそうやってその女子トイレに移って、逃げたんですよ!」
「……そんなの出来るかどうか何て分からないじゃない!!」
そう怒鳴る榎木にあかねが「出来るんです」と静かに言ってこう続けた。
「私達も実際試しました。
危険ですから一階で試して、隣の二階の窓を開けておいてもらいました。
私達は秋葉意外全員165㎝以下な上運動なんてあまりしませんから、出来なかったんです。
でも、何と秋葉は楽々こなしてしまったんですよ。
先輩と同じだけタッパがあって、分野は違うけど先輩と同じだけ運動している秋葉だから出来たんです」
「ちなみに」と言って、秋葉が話を割った。
「要がさっき見せた壁の指紋は、二階と三階の間の『外側』の壁にあった指紋なんだぜ。
先輩よ、なんで外側の壁にアンタの指紋があるんだよ。
おかしいだろ? 現場を見に行っただけで――そんなところに指紋がつくかよ!!」
そう怒鳴った秋葉を、また飛び掛るのではないかとあかねは内心、心配して秋葉の服の裾を軽く握った。
「――証拠映像もありますよ」
言ったのは要で、要はスカートのポケットから、SDカードを取り出した。
「あたし達が試してる時の映像と――」
言いながら、SDカードを軽く振る。
「――あなたが、呉野先輩が落とされる前に隣のビルへ、ロングのかつらを被り、眼鏡をかけるという変装して入っていくのを、監視カメラが捕らえた映像と、その後、かつらと眼鏡を取り、帽子を深く被り、上着を着て、呉野先輩が落とされる十分ほど前にそのビルを出ていく姿が映っています。――あなたは、多分隣のビルに窓の鍵を開けに行った、もしくは開いているかどうか確認しに行ったんでしょうね」
言って、にやりと笑う。
「もちろん、呉野先輩が落とされた後にも、あなたが同じロングに眼鏡の変装で、ビルを出た映像も映っています……観ます?」
この質問に榎木は答えなかった。
俯いていて、要達からは榎木の顔を窺う事は出来なかったが、榎木は明らかに狼狽していた。
そんな榎木を知ってか知らずか、あかねが立て続けに質問をした。
「先輩がこの事件を起こしたとして、分からないこともあります。
高村先輩の事件があった時、こんな証言が出てるんです
「ショートの女とアップの女と高村先輩は会っていた」らしいですけど、
高村先輩に何を言われたんですか? アップの女は誰なんですか?
いきなり日吉先輩が皆元先輩を押し入れたという噂が広まったのは何故ですか?
高村先輩は殺人ですか? 日吉先輩と呉野先輩を襲った理由は?」
あかねがそう聞いても、榎木は黙ったままだった。
「あかねちゃん」
すると突然、由希が言葉を発した。全員が由希に注目すると、由希は意外な言葉を言い放った。
「榎木先輩の動機なら――ウチ解る」
『え?』
要以外の全員が一斉に呟くと、由希は淡々とこう言った。
「先輩には、霊能力はないんでしょ? ――幽霊は見えないんだよね」
「……な、に?」
不安の色を色濃く映した榎木が、思わず声を上げたが、その殆どが聞き取る事が出来なかった。
そして一瞬ののちに蒼白になった顔を由希に向ける。
そんな榎木を思いやる気持ちがないのか、由希は冷淡に言ってのけた。
それは明らかに軽蔑を含んでいる。
「先輩には霊能力はないんですよ」
由希が冷たい瞳を榎木に向けると、いつもの由希とのあまりの違いに、あかねと秋葉は戸惑った。そんな2人と由希を見て、要はある人物の名を口にした。
「――美奈、そこにいるよね?」
要に呼ばれた人物名に覚えのないあかねと秋葉は、不思議そうに首を傾げる。
すると入り口の影から、見覚えのある顔が出てきた。
――由希こと、美奈だ。
おずおすと、不安そうに、後ろを気にしながら出てきた彼女を、あかねと秋葉は驚愕して見つめた。もちろん、榎木も驚いて美奈と由希を交互に見つめる。
あかねと秋葉はあまりの事に唖然として口を開けたまま呆然としていた。
そんな2人に美奈は弱々しく笑いかけた。
「――え?」
やっと、出たのがこの一言で、その後関を切ったように2人は要に詰め寄る。
「なんなの!? 誰なの!?」
「おい! 要、なんだこれ! 由希が2人いる!!」
「落ち着いて~」
要が軽くそう言って、簡単に説明を始めた。
「美奈は、由希の双子の妹で、2人は入れ替わりながら登校してたの」
『はあ!?』
理解不能と言うように驚いた2人を「まあまあ」となだめて、要は榎木に視線を戻す。
「今は、それどころじゃないでしょ。全部終わったら詳しく説明するからさ」
その要の言葉を合図にしたように、由希が美奈を連れて前に出た。
「美奈――ウチに成りすました美奈が、どうしてそのお守りを見つけられたと思いますか? ――以前美奈が、榎木先輩を見て、驚いた理由は何だと思いますか?」
「……知らないわ」
喉を鳴らす榎木は、不安そうに胸の前で手を握った。
そんな榎木に凛とした視線を送る由希と、毅然としようと必死に榎木を見つめる美奈をあかねと秋葉は静かに見守った。
――終わったら、ちゃんと説明してよね。
そう、あかねは要に呟いた。それを要は静かに頷いた。
そして由希は美奈の代わりに口を開く。
「……先輩の後ろに、高村先輩がいたからですよ。お守りも先輩が教えてくれました」
「はあ!? 何言ってるの!?」
意外な言葉に、榎木だけでなく秋葉もあかねも驚きを隠せないでいると、要がにこりと笑いながらフォローをした。
「先輩、この子の言ってる事は本当ですよ」
あかねと榎木は、あからさまに怪訝な表情で要を見つめる。
秋葉は苦い顔で頬を掻いていた。
「実は日吉先輩にも憑いてたんですよ。
日吉先輩の場合は高村先輩よりも、皆元先輩だったんですけどね」
その発言にあかねと秋葉は話題に取り残されたような気持ちで由希と美奈を見つめる。
いまだに怪訝な表情から抜け出せない榎木に、要は楽しそうに笑う。
「信じられませんか?
あかね達ならともかく、霊感少女のあなたが信じられないわけないですよね?」
その一言に、榎木はぐっと顔を引く。
何かを言おうとするが、言葉が上手くまとまらない。
その時、美奈が由希の傍から離れて要の傍に寄った。
静かに耳打ちする。
「あのね……要ちゃん、実は入り口に……もう一人――」
言いかけると、要は美奈の顔の前に手のひらを出して、やんわりと止めた。
そしてやわらかく笑う。
その時、やっと榎木は言葉を口にする事が出来た。
放った言葉は自分でも信じられないくらいに、大きな声となって響いた。
「わ、私は認めない! ――私には、霊感があるのよ!! その子は偽者だわ!!」
自分の声ではっと我に返って、榎木は初めて自分が冷や汗を大量に掻いていた事に気がついた。
額を腕で拭う。背中が汗で気持ちが悪かった。
荒い呼吸を整える。
榎木の叫びに、由希は身を乗り出しそうになったが、美奈が由希の袖をそっと引っ張ってそれを止めた。
おずおずと、弱々しく、しかし瞳は凛とした強さを保とうとしながら、美奈は言う。
「せ、先輩が、信じなくても……良いです。
でも、見えちゃったからには、ちゃんと……応えなきゃって、思ったんです!
伝えたい事があるなら、ちゃんとそれを生きてる人に伝えなきゃって、ちゃんとメッセージを受け取らなきゃダメなんだって!」
美奈の思いを受けて、その場にいるものがやわらかく暖かい気持ちに包まれた。
彼女の真剣な、優しい思いが伝わったからだ。
ただひとり、榎木だけは違った。
彼女は襲いくる切迫感から逃れる事は出来なかった。
黒い、渦のような、這い回る虫のような不安や焦燥が、榎木の中でうごめく。
それによって膨れ上がる心を抑えられそうもない。
どうしようもない――この状況を突破するために、発狂して机を振り回して、5人を殴り倒して逃げ出したい!
あと一歩で泣き喚きそうな榎木を、我に返したのは秋葉の怒号だった。
「証拠は挙がってんだよ! いい加減認めろよ!」
秋葉が言ったのは犯罪の方で「霊感」の方ではなかった。
話を事件に戻そうと言った事だったが、榎木は一瞬訳が解らなくなった。
そのフリーズした状態は榎木を正気に戻した。
5人はそれぞれが感慨深く、榎木を見つめる。
沈黙が流れて、榎木は何かを諦めたように、長い息を吐いた。
「そうね――呉野を落としたも私。
日吉を殺したのも、高村を殺したのも――私」
ぽつり、ぽつりと、こぼれるように言った榎木のその自白に、4人は何となく心が痛んだ。
要だけが、心に何の余波も広がらなかった。
そんな要から、冷静に言葉が並べられる。
「先輩、理由と、経緯は?」
「そうね――理由は言わない。良いでしょう? 黙秘権ってあるのよね?」
何かを覚悟したような榎木の表情に、要は問いかける。
「死んでも?」
「ええ――死んでも」
強い瞳の榎木に、要は「こりゃダメだ」と言って促す。
「では、経緯は?」
「良いわ。経緯は、教えましょう」
そう言って、榎木は自嘲した。
「順を追った方が良いかしら?」
「ぜひとも」
要の返事を聴いて、ぽつりと話し始めた。