新たな被害者と由希の秘密
――1週間後の深夜――
「でも、良かったわ」
薄暗い、緑に囲まれた場所で、女の声が聞こえた。
その声はこう、続けた。
「貴女が、高村を殺してくれて。正直助かったのよねぇ~」
女は嬉しそうに浮かれた声でそう言うと、もう一人の驚いた声が聞こえた。
最初の女よりも少し声が低い。
すると、2人の女の口論する声が夜の闇に響く。
一人の女が感情的に喚き散らした。
「警察に行くのは簡単だけど、そんなに簡単に楽になると思わないでよね!! アンタの秘密、みんなにバラしてやる!! せいぜい苦しめばいいのよ!!」
声は、そこで一息つくと、嘲りの笑みを浮かべる。
「アタシを騙しといてタダで済むと思わないでよね!!」
女の高笑いが闇に響くと、――ブス 耳に障る低い音が伝わる。
「ゲフッ!!」
何かを吐き出すような音が聞こえ、ドサッ という低音が耳についた。
…… …… ……
真夜中、パソコン画面に向いながら、要はお菓子をほおばった。
すると、ガタっと物音がし、部屋のドアをそっと開けると、想一郎が何処かへ行こうと玄関で靴を履いていた。
「あに、どうしたの? 事件?」
「ああ、みたいだな。……起こしちゃったか?」
「ううん、起きてたから」
「そうか、早く寝ろよ」
「え~!」
「え~!じゃない!夜更かしすんなっていつも言ってんだろ!そんなに可愛い顔がクマだらけになったらどうすんだよ!」
「うざ!」
要が軽くそうぼやくと、想一郎は膝を抱えてその場にうずくまった。しかも泣いている。
「要が……要がう、うざい……何て……言うなんて……!」
「ご、ごめんアニ。そんなに落ち込むな……」
言いながら、背中に手をかけると、想一郎は振り向き、口をすぼめてすねたように言う。
「……ほっぺにチューしてくれたら立ち直る」
そんな想一郎を「気持ち悪っ!!」と足蹴にして強く言った。
「いいからさっさと行け!」
想一郎が渋々立ち上がると、要はふいに真剣な面持ちになった。
そして、呟くようにして聞く。
「ねえ、あには……なんで刑事になったの?」
問われた想一郎は、困ったように笑って、振り返るようにして要を見る。
そしてそのまま押し黙る。そんな想一郎に要は静かに言う。
「警察は、何もしてくれなかったよね? お母さんとお父さんが死んだ時。――高村先輩だって、事故じゃないんでしょ?」
「……俺は敏腕だって言われても、まだ、下っ端なんだよ。要」
悲しそうに笑って、想一郎は出て行った。その背中を、哀しいような、怒りを帯びたような複雑な感情で見送る。
「それって、上までのぼったら警察を変えてやるって意味? ――それともただの言い訳?」
呟いた言葉は、誰にも届く事はなかった。
*
要の両親は、要が9歳、想一郎が19歳の時に他界した。
自宅の庭の物置で、母が腹部を刺されて倒れており、その隣で胸を刺して倒れている父が見つかった。
父の胸には包丁が突き刺さっており、その柄を父が握っていた事から、死因は無理心中だと断定された。
しかし、要も想一郎もそれには納得がいかなかった。
周りがうらやむほど仲が良く、金銭のトラブルだってなかった。
それに、翌日は要の誕生日だったのだ。
その日の朝、両親は嬉しそうに何が欲しいのか聞いていた。
そんな人達が、無理心中などするものか! と、要も想一郎も何度も何度も警察に言ったが、聞く耳を持ってはくれなかった。
しかし、1年ほど時間が経ってから事態は急変した。
犯人が自首してきたのだ。彼は当時30歳で、中小企業で働く、普通のサラリーマンだった。
訪問販売で、要の母に出会い、好きになってしまった。
何度も何度も告白したらしいが、その度にふられ、そして事件当日、彼は家に押し入り、台所でお昼を作っていた母を襲おうとしたが、抵抗にあい、出ていた包丁で脅そうとしたが、母は物置に逃げた。
物置の鍵をかけようとして間に合わず、そこで腹部を刺された。
そこに、ちょうど会社の書類を忘れた要の父が帰宅した声が聞こえ、彼は妻の姿がないのを心配し、物置を覗きにきたところを、ブスリ――と一突きにして殺されたのだった。
第一発見者は、他ならぬ要だった。
父と母の最期を思い出したのか、要は哀しそうな瞳を虚空に向ける。それを吹っ切るように「よし!」と一言吐いて、再びパソコンの画面に向かった。
*
翌朝・早朝――
「おはよ」
要は短くあいさつをすると、一緒に歩いていた秋葉とあかねに合流した。
「おす! どうしたんだ? あかねだけじゃなく、要までこんな朝早く。あかねに聞いてもブス~としてるだけでよ。ま、低血圧だからしゃーねーけどな」
「まったくよ!「おはよ」じゃないわよ! こんな朝早くから起こして「今から学校行こう」ってどういう事?」
あかねは不機嫌に言って、一人で前に出て歩き出した。
「何だそれ?」
「あははは、秋葉は部活だから、電話しなくても会えるなぁと思って、しなかったんだぁ」
「そうなんか」
「そうなんよ。ちょっと、よって行きたい場所があるんだよ。良い?」
「良いけど、由希は呼んだのか?」
「うん。呼んだ」
数メートル進むと、家のカドに由希が立っていた。
由希は指を合わせてモジモジさせながら、あいさつをする。
「おはよう」
すると、すぐに友人の異変に気づいた。
「どうしたの? 要ちゃん、何となく、元気ない。……あかねちゃんは、すごい、ブス~って、してるね。……怒ってる?」
「あったりまえよぉ!! 何か、要が行きたい所あるからって、起こされちゃってさっ!」
「あ、それで電話あったんだ。何かと、思っちゃった」
いくら、どんな用事なの? と聞いても要は答えてくれなかったので、3人はその場に行くまで違う話題をしながらそこへ向った。
着いたその場所は、学校の近くの公園だった。
その公園は、人工的な深い森があった。
公園を覗くと、その森の奥のほうに黄色のテープが見えた。
そこに向ってズカズカと歩いていく要の後を、訝しげに3人はついて行った。
テープの前まで来ると、あかねはそのテープの文字を何気なく読んだ。
「……KEEP OUT……」
自分で読んだ直後に、自分の口から放ったその言葉に驚いて目を丸くした。
その間に要はズカズカとテープの内に入り込んでいた。
「あっあっ、アンタ、ここダメよ!! 入ったらダメだって! 要!」
「知ってるよ。それぐらい」
しれっと言ってのける要を、あかねはさらに急かす。
「知ってるんだったら早くこっちに来なさいよ!」
由希もあかねの意見に賛成して何度も頷いた。
秋葉は訳が分からずに首を傾げる。
「あかね、何でダメなんだよ?」
「ここは、警察が来るほどの事件があった場所なのよ!」
「そうなのか? 要、それはやめといた方が良いって、お前いちおう犯罪者だろ」
「そうよ!」
「ハッキングがバレるようなヘマは致しません! しかも、今関係ないし!」
要は突っ込みを入れると、突然由希が「要ちゃん!」と叫んだ。
そして、ある場所を指差す。
由希のその表情は強張り、指した指先は微かに震えている。
そんな由希を、あかねは心配そうに、あるいは怪訝そうに見つめた。
その場所を見ると、大量の血痕が地面に付着し、白いチョークで人がうずくまっているような形の線が描かれていた。
要はその血痕の前にしゃがみ込むと、くやしそうにこぼした。
「……やっぱり」
「やっぱり? やっぱりってどういうことなの要?」
あかねが強い口調で問う。
「……歩きながら話すよ」
そう言って要はスッと立ち上がった。
それと同時に由希が何かに気づいたような表情をして、一目散にテープをくぐると、要の側にしゃがんだ。
すると草陰の中に手を伸ばし、何かを掴み出す。
慌てて後を追ってきたあかねと秋葉に向けて、拳を差し出すと、掌をゆっくりと開いた。
「……これ……」
その物体をよく見ようと、要達は由希の掌を覗き込んだ。
「何これ?」
第一声にあかねが呟くと、秋葉が意見を述べる。
「……お守り、じゃねぇか?」
「見えないけど?」
「いや、秋葉の言うとおりかもしれない」
要は言って、静かに物体を見つめた。
その物体は、赤黒く、いびつ歪な形をした3㎝程度の片手に治まる小さな物だった。
ふと、視線を由希に向けると、口元に手をやって具合が悪そうに見えた。
「由希、大丈夫?」
要が心配そうに由希の肩に手を乗せる。
向けられた由希の顔は蒼白で、今にも倒れそうだった。すると案の定、由希は嗚咽を漏らしながらしゃがみこんだ。
「うっ……!」
「ちょ! 大丈夫!?」
あかねと秋葉も由希の傍に寄る。
「ううっ!」
「ああ、どうしよう!」
「救急車呼ぶか!?」
あかねと秋葉がうろたえる中、苦しそうに口を押さえる由希に、要は密かに耳打ちした。
「トイレ行ってきな。――それと携帯貸して、あたしが連絡しとく」
一瞬驚いた表情の由希が要を見上げた。見上げられた要は、にこりと優しく微笑む。
「ごめん、ね……」
一言そう申し訳なさそうに告げると、由希はそっと気づかれないように要に携帯を手渡した。
そのまま立ち上がって、一直線にトイレに駆け込む。
その様子を心配そうに見つめるあかねと秋葉をよそに、要は神妙な面持ちで立ち上がり、静かに由希の携帯を片手にその場を離れた。
一方で、トイレに駆け込んだ由希は嗚咽を漏らしながら震えていた。
(もしかして……やっぱり、要ちゃん気づいてる――?)
暫くして戻ってきた要に、不謹慎だと言わんばかりにあかねが叱責した。
「どこ行ってたの!?」
「あ~ごめんごめん、ちょっと電話」
軽いノリの返答に「もう!」とあかねは憤慨する。
「ちょっと様子見てきたほうがいいかな?」
「あ~!止めといた方がいいよ」
「なんでよ?」
「誰だってゲロってるとこなんか聞かれたくないでしょ?」
要のこの発言にあかねは「汚いこと言わないでよ~!」と怒ったが、秋葉は「そりゃそうだ!」と笑った。
そんな会話から10分くらいして、由希がふらふらとトイレから出てきた。
「大丈夫?」
あかねが心配して駆け寄ると、由希はにこりと笑った。
「大丈夫だよ。もう、平気」
そう言って自分の腕を組むようにして触る。
そんな由希を要はじっと見つめ、その視線に気づいた由希は要を見つめ返した。
すると突然怒鳴り声が辺りに響き渡った。
「コラ! お前らそこで何やってんだ!?」
驚いたあかねと秋葉は素早く振り返り、由希と要はゆっくりと前を向く。
するとそこには警官が二人立っていた。
それを見た由希は条件反射で素早く掌を閉じた。
「ここは入っちゃいけないんだよ!」
「は~い。すみませ~ん」
「ご、ごめんなさい」
そう言って、要と由希はテープの中から出た。
「ったく! キミ達ココで何してたの?」
「すみません、お巡りさん。珍しいなって見ていたら、友達が悪ふざけで入ってしまって」
しおらしく振舞うあかねをシラ~とした瞳で一瞬三人は見つめた。
「そうなんですよ! すみませんでした!」
「ご、ごめんなさい……」
要と由希があかねに便乗すると秋葉も「後で叱っとくんで!」と言って、要と由希の肩を引いて出口方面に押し出した。
そのまま由希を除く三人は「ははは」と苦笑しながら歩き出した。
公園を出ると秋葉とあかねは「ふう~」とため息をこぼす。
すると何かに気づいたように、あかねは はっ! となる。
「ねえ!由希、まだ変な物体持ってるんでしょう? さっきの警察官に渡さなくて良いの?」
「良いの良いの」
由希に変わって要が答える。
「良いのって――」
あかねが何か言おうとすると、秋葉が「別にイイじゃん」と気楽に言う。
「それより入った時とか警官に見られなくて良かったな」
「まあ、そうよね。でも、どうして警察がいなかったのかしら?」
あかねがそう言って考え込んでいると、由希はニコリと笑った。
「……要ちゃんでしょ?」
その言葉に、要は目を丸くして驚く。
「よくわかったね由希!」
「何、どういうこと?」
あかねが怪訝そうに聞くと、要は得意げに答えた。
「実は、どうしても調べたくなってこの現場に行ったんだ。
でもその時まだ警察が現場検証しててね。
しかも取材陣がワラワラいてさ。
でも、そこでピンッと閃いたのだ!
警察と取材陣が減るのを待ってから、家から下剤を持って来て、
コッソリお茶に下剤入れちゃえ! って。
んで戻ったら丁度あの警官二人残して警察と取材陣が引きあげて行くとこでさ。
あらかじめのホームレスの格好してたから、茂みに隠れて簡単に入れられたよ」
そう、えっへん。と胸を張る要をまじまじと見つめながら、秋葉とあかねは絶句した。あかねの口からやっと出た言葉は
「……凄い事するのね」だった。
コホンと咳払いをして、あかねは気持ちを切り替えた。
「さっきの現場に関して聞きたいわ。あと、私昨日思いついた疑問があるの。部室に行ったら聞いてね」
「分かった。……じゃ、さっきの現場について、話すね。
私があの現場の事を知ったのは、深夜、3時頃だった。
例のあのサイトを見てたら、目に飛び込んで来たの。
それでいてもたってもいられなくなって、現場に行ったんだけど、
まだ警察がいて……まあ、それは、さっき話したので、良いとして。
あの現場はね……ある、一人の少女が刃物で刺された場所なの。
刺されてすぐにあの公園のホームレスが見つけて救急車を呼んでくれたんだけど、刺された場所が場所だっただけに……助からなかったみたい」
「そんな事があったのか……」
「驚くのはこれからだよ秋葉。実はその殺された女の子が――日吉淳子だったのよ!」
『え?』
「日吉よ、日吉! あのカンシャクもちっぽい、ヒステリーな日吉淳子だったのよ。まあ、多分、学校に行ったら、ホームルームで知らせを受けると思うけどね」
言い終わると同時に学校の門を潜った。
そのまま4人は部室に入るまで無言のままだった。
部室に着いた途端、誰ともなく口を開き一斉に要に向って激しく捲くし立てる。
「ちょっとさっきの本当なの!?」
「どういうことだよ!?」
「犯人は誰!? 目撃者は!?」
「……皆さん落ち着いて~」
要は両手を前に出し、苦笑しながら3人をなだめた。
落ち着いたのを確認すると、要は咳払いをして答え始める。
「まず、犯人は分かりません。
ホームレスが『走り去っていく誰か』を見たらしいけど、
暗くて男か女かも分からなかったって。
だけど日吉先輩が殺されたのは本当。間違いではないと思う。
証拠の品は、現段階で濃厚なのは、由希が持ってる血だらけの物体、かな」
「――あの赤黒いのって、血なの!?」
あかねは驚愕して思わず、一歩踏み出した。
「うん。多分そうだと思うよ。あんなに物体が血に染まるなんて、かなりの大怪我じゃないとありえないよ」
「……なるほど」
呟いたのは秋葉で、あかねに静かに訊ねる。
「なあ、あかね、何か気づいた事あるんだろ? どんな事だ?」
「あ、うん……」
あかねはと少し言いよどんで「あのね」と切り出した。
「実は呉野先輩が去った時から気づいてたんだけど、呉野先輩
「高村と皆元と三枝は三人で良くつるんでた」って言っていたじゃない?
なのに何で、三枝先輩に「高村先輩を知っていますか?」って聞いた時、
「あの事故にあった子ね」ってまるで知り合いじゃないみたいに答えたのかしら?」
そう3人に向って尋ねると、秋葉は数回軽く頷いたあとあかねを軽く責める。
「……怪しいじゃねえか! 何で早く言わないんだよ! あかね!」
「そう言われるから、言いたくなかったのよ。特に秋葉には!」
「何だと!?」
「あの人は、体面を気にする人だから、きっと他人みたく答えたかったのよ! きっとそうよ!」
「そう思いながらも、あかねちゃんは私達に言った、ってことは、あかねちゃんも、少しずつ三枝先輩を疑って来ているんじゃ……?」
由希が遠慮がちに言うと、あかねは確信をつかれたとばかりに下唇を噛んだ。
「だけど、まだ私は信じているわ! だからこそ、先輩のかかった疑いを晴らしたいのよ!」
「なるほどね」
要が意味深に呟いた要は由希から物体を預かって、授業が始まる前に家庭科室に行き、ホームルームと一時間目の授業をサボった。
一時間目の始まりを知らせるチャイムが鳴ると同時に、薄いビニールの手袋をはめ、理科室をキョロキョロと覗く。
幸い、今の時間はどのクラスも理科室を使ってはいないらしく、理科室は静まり返っていた。
要は誰もいない理科室で、家庭科室にあった針で物体の血を削って、少量をチャックつきのビニール袋に入れた。これも家庭科室にあったものだ。
それから、理科室の薬品棚に手をかける。当然ながら、鍵が掛かっていて開かないはずなのだが、要は百も承知と、ヘアピンを取り出した。
黒いヘアピンを伸ばして折り曲げ、鍵の穴に入れる。――ガチャガチャ としばらく動かすと、扉に手をかけた。
薬品棚の扉は、ゆっくりと音もなく開く。
「よかった。ちょっと古いタイプの鍵で」
言って要は、アルミニュウムの粉末が入ったビンを取り出した。
それを少量、小皿に盛って、新しい筆につける。その筆を物体にポンポンとつけていく。
すると、指紋が浮かび上がってきた。
「まあ、大半は由希とあたしのだろうなぁ」
そう要は呟いて、浮かび上がった指紋を携帯のカメラで撮り、セロハンテープを指紋部分に貼り付けた。
そうやって指紋を採取して、真新しい紙に貼り付ける。それをビニール袋に詰めた。
それから、物体を水で流してみたが、固まった血は中々落ちなかった。お湯で落とす事も考えたが、固まった血液はお湯で落とすと余計に固まるというのを聞いたことがあった事を思い出し、これを止めた。
要は、ふうっと息を吐き出した。
「しょうがない、待つか」
それから放課後になるのを待って、部室前のトイレの洗面台で水を張り、これまた家庭科室から拝借した漂白剤を垂らして入れた。
「1時間は待たなきゃなぁ」と呟いて、要はトイレのドアに『故障中・入るべからず』と書いた紙を貼り付けた。そして誰も入らないように、トイレのドアの前で待った。
途中何人か生徒がきたが「故障中だってさぁ」と言って他のトイレへ促した。そうやって1時間が過ぎ、物体を覗いてみると、物体の正体が判明した。
それは、何の変哲もない、ただのお守りだった。
しかし、よほど強い力で握られたのか、はたまた踏まれたのか、お守りは斜め半分に折れ曲がっていた。
「ふむ……」
要は頭をひねりながら、とりあえず物体、お守りをドライヤーで乾かす。これは、おしゃれに命を捧げる、いかにもギャルなクラスメートの宇野さんに頼み込んで(半ば脅して)借りてきたものだ。
乾いてきたら、要は拝借していたアルミニュウム粉末が入っているビニール袋を取り出し、先程と同じようにして指紋採取を試みた。
しかし、漂白剤を使ったためか、指紋は採取出来なかった。
「……ああ、やっぱりね」
要は残念そうに呟いて、軽く肩を落とした。
それから、みんなが待っている部室に戻っていった。
要はお守りのヒモを持ち、見上げる形でお守りを睨んだ。
「こんなどこにでも売ってるようなお守りじゃ、誰のか何て分かんないよ」
「ねえ、要、指紋検査って出来ないかしら?」
言ったのはあかねで、要はお守りを持ちながら、あかねを仰ぎ見る。
「指紋検査?」
「ええ、そのお守りの」
「それは無理だねあかね」
「何でよ?」
不審そうに顔を傾けるあかねに、要は椅子にもたれかかるように背伸びをして答える。
「だって、このお守り洗っちゃったんだよ? 指紋なんかとっくに消えてるよ。あるのはうちらの指紋くらいじゃない?」
「そっか、それもそうよね。っていうか血液検査とかもあるんだから、やっぱり警察に渡しておくべきだった――」
「今更でしょ~」
あかねの言葉を途中で遮った要に、あかねは「もう!」と息を吐いた。
どうやら要は、こっそり指紋採取や血液採取をしたことを仲間に言うつもりはなさそうだった。今はまだ――なのだろうか。
そんな要の手にあるお守りを、秋葉が取り上げて、お守りに書いてある文字を声に出して読み上げた。
「未奈月神社・合格祈願」
言って秋葉は、適当に頷く。
「受験生の誰かじゃね? 1年か3年だな」
「秋葉、適当なこと言わないでよ! それだったら2年生だって考えられるわ。高校受験の時の物を捨てずに取っておく人だっているもの」
「現にココにな。お前まだ、あれ持ってんだろ?」
「あら、持ってちゃいけないのかしら?」
あかねがすまして言うと、秋葉は呆れた。
「普通は神様に「ありがとう」って返しに行くもんだろ。それをしに行かないのは〝連次〟クンに貰った物だからか? あんな男に貰った物、よく持ってられんなぁ、俺だったら即捨てるね! 絶対!」
「うるさいわね! 私は〝思い出の品〟として持ってるのよ!」
ふん! とそっぽむくあかねに、要は「あ~あ」と頷く。
「何の話かと思ったら、あの中学の時有名だった〝プレイボーイ連次〟の話ね。あの時は大変だったよね、あかね~♪」
「なに?」
「ああ、由希は知らないんだっけ。中学別だもんね」
「由希は高校からのダチだもんな」
首を傾げる由希に、要は「あのね、実はね~」とにんまりと笑うと、あかねが顔を紅くし、慌てて要の前に立ちはだかった。
「ちょ!やめなさいよ要!! 由希、こんな話し聞かなくていいから!」
言って振り向いたあかねの隙を突いて、要はまたにんまりと笑う。
「秋葉、あかねをおさえろ!」
「あいあいさ~!」
号令を受けた秋葉が、あかねの後ろから抑えて口を塞いだ。
あかねの体をよけて覗くようにして、要は由希に向かって必要以上に大きな声で言う。
「あのね、中学の時にね――」
「(やーめーてー!)」
あかねはの叫びは言葉に成らず、結局赤っ恥を由希に知られる事になった。
その赤っ恥とは、外面は良く、顔も美人なあかねは中学の時中々モテた。
しかし、特に「付き合う」ということに意味を見出さなかったあかねはことこどくふりつづけた。
そんな中、連次くんだけは何度も何度もあかねにアタックし続け、あかねも次第に彼を好きになり付き合う事にしたが、わずか5ヶ月で破局。
実は連次くんは、たんなるアッタックマニアで、数々の女性にアタックしてはモノにし、モノになると興味がなくなるという最低のプレイボーイだったのである。
「ああ、もう最悪!」
頬を真っ赤に染めながら、あかねはうなだれた。
「まあまあそれも思い出ってね♪」
「うっさいわよ!」
そう要を怒鳴りつけてあかねはさらに顔を赤くさせた。
そんな様子を「へえ~……」と言いながら平然と見ていた由希が、秋葉からお守りを受け取ると、じっくりと眺めた。
「あの……思い出の品っていうのは、一理あるかも知れないと、思うの。血でまだ薄ら汚れているけど、新品にしては、ボロボロみたいだし……」
オズオズと言う由希の言葉を聞いて、すぐに要はお守りを取り上げて見つめた。
目を細めながら暫く見た後、静かに言う。
「確かにそうだね……。1年ちょっとじゃ、こんなに汚れないよね」
「じゃあ、2年生か? 3年生は新しい物買うだろうし」
「それはどうかな。あかねが言ったように〝思い出の品〟だったら学年なんて関係ないんじゃない?」
「じゃあ、どうするのよ?」
「……こうなったら、しらみつぶしに探すしかないね! 犯人は絶対自分のとは言わないと思うけど、知ってる人なら「誰々さんのよ!」って言ってくれるハズだよ!」
この要の提案に、あかねと由希は顔を引きつらせた、が、秋葉はヤル気十分という顔をしていた。
そんな秋葉を見て、あかねと由希は大げさにため息をつき、首を横に振った。
…… …… ……
4人は別れてお守りの持ち主探しを行っていた。
お守り本体を持ったのは要。あとの三人はお守りを携帯のカメラで撮って、それを見せて回っていた。
「なあ、このお守り誰のか知らねぇか?」
秋葉が聞きまわっていたのは、運動部が集まる体育館や、武道館、グラウンドが中心だった。
今は、グラウンドにいる人達を聞いてまわっているところだった。
ちなみに、今聞き込みをしている相手は、黒い髪を二本に縛っている、多分、2年生の女子で、陸上部だと思われた。
「知らないわよ」
そっけなく返されて、秋葉はぼやく。
「んだよ、感じ悪りぃな」
そのまま歩き去っていく彼女を「ケッ」と軽く睨んで、振り返ると偶然、三枝の姿が飛び込んできた。
三枝はグラウンドの倉庫を覗いていた。
そのままそろそろと三枝に近づき声をかける。
「よう、先輩」
突然声をかけられて驚いたのか、三枝は肩をびくっとふるわせた。振り向いて、相手が秋葉だと分かると、迷惑そうに片方の眉を上げる。
「……なんですか?」
「先輩こそ、ここで何してるんすか?」
「倉庫の備品のチェックです。足りないものがあると言うので、申請書を受け取ったのですが、本当に足りないのか、確認をしにきたんです」
「はぁ~……なるほど。大変っすね」
「ええ、生徒会はつねに忙しいので。優秀な沢松を変なクラブに取られるのは迷惑甚だしいんですが」
思いっきり嫌味を言い放った三枝だったが、秋葉に通用するはずもなく「あいつがそんなに優秀なわけないっすよ~」と笑われただけだった。
そんな秋葉を引きつる笑顔で見つめて「じゃあ」とその場を去ろうとした三枝に、秋葉は
「ああ!」と声を上げた。
「肝心な事忘れてたわ! 先輩、コレ見た事ないっすか?」
お守りの写真を見せられた三枝は、眼鏡をくいっと上げて、無表情で答えた。
「さあ……知らないですね」
「そうっすか」
秋葉がそう答えると、三枝はゆっくりと秋葉を見ながら、くるりときびすをかえして歩き去っていった。
「あのこれ、どなたのかご存じないでしょうか?」
あかねが声をかけた少女は2人組だった。
「……知らないよね?」
「うん、見たことないね」
2人はそう言い合うと「じゃあ」と言ってその場を去った。
「ありがとうございました」
2人の背中にあかねはお礼を言うと「ふう」と一息つく。
あかねが担当したエリアは校内で、人が集まっている文化部の部室近くの廊下で聞いて回っていた。
さすがに部活中の部室にズシズシ入っていく勇気はなく、廊下で出てくる人を待っていたり、通った人に聞いたりしていた。
「こういう時、要ならズシズシ入って行っちゃうんだろうなぁ」
うらやましくもあり、恥ずかしくもあるな、とあかねは思う。
また「ふう」と息を吐いて、窓から外を眺めると、中庭で要が聞き込んでいる姿が見えた。
要は次から次に気楽に声をかけては「知らないなぁ」と言われていた。
時には、ベンチで本を読んでいる生徒の横に座って、本を読むのを邪魔しつつ、聞き込みをしていたり、時には「毒蜘蛛だ!」と逃げられたり、逃げた少女達を捕まえて楽しそうに、にやにや笑いながら聞き込みをしたりしていた。
「……なにやってんだか」
半ば呆れながら、あかねは苦笑した。
すると、そんなあかねに声をかけてきた人物がいた。
「沢松さんじゃない」
「え?」
振り向くと、そこにいたのは榎木だった。
「榎木先輩」
「こんなところでどうしたの? 生徒会とか、クラブとかは今日はおやすみ?」
「いえ……違うんですけど」
生徒会の仕事をはやく切り上げてきたので、後ろめたい気持ちであかねは苦笑する。
「先輩は、どうして文化部の部室に?」
「ああ、友達がいるのよ。なんだか、ご自宅で霊現象があるそうだから、ちょっと相談にのってから剣道部に行こうと思って」
「そうなんですか」
あかねが言うと、榎木は思いついたかのように「ああ、そうだ」と言って、微笑む。
「あなた達、また変な事やってるんですって? 何かを聞きまわってるって聞いたわよ。なんなの?」
「あ、いえ……それが……これなんですけど」
歯切れ悪く言って、あかねが携帯を取り出すと、榎木は覗き込むようにして写真を見つめた。
「……」
「ご存知ですか?」
「いいえ、見たこともないわ。なんなのこれ? お守り?」
「ええ、多分――」
また歯切れ悪くあかねが答えると、榎木は「あなた達も大変ね」と言って、手をふって茶道部の部室へ入っていく。その姿を見送るようにして、あかねは礼を言った。
「ありがとうございました」
「あの……これ……知りませんか?」
「え?」
あまりにも弱々しい由希の声に、聞かれた少女は聞き返した。
「あ、あの! これ! だ、誰のか知ってますか!?」
今度は少し大きめの声で言うと、聞かれた少女は「ああ」と言って写真を見た。
「ごめんね、知らないや」
言って歩き去る。その姿を眺めながら、由希は「はあ~」と疲れたようなため息を吐いた。
そこに、聞きなれた音楽が流れた。由希の携帯の着メロだ。
由希は慌てて着信の表示画面を見ると、呟いた。
「なんだ、あいつか」
キョロキョロと辺りを見回す。
由希の担当は裏庭なため、あまり人は来ないが、念のため由希は人のこなそうな温室に入った。
入るとすぐに電話をとる。
「もしもし」
『……もしもし』
携帯からくぐもった少女の声が聞こえた。
「どうしたの? なるべく学校にいる時は電話しないで、メールでって約束でしょ?」
『……ごめん』
「別に良いけど、どうした? 具合悪い?」
『ううん……。あの、今平気?』
「うん。温室入ったから大丈夫」
由希がそう答えると、携帯電話の向こうの少女は驚いた声を上げた。
『そこ、高村先輩が、いたところだよ!?』
「うん、言ってたね。でも今はもういないでしょ?」
『……わかんないよ、そんなの』
不安そうに少女が言うと、由希はなだめるように、勇気付けるように言った。
「でも、高村先輩、怖い感じはしなかったんでしょ? だったら大丈夫よ」
『……かな?』
半信半疑に問う少女に、由希は力強く言う。
「そうだよ! 悪さする奴ばっかりじゃないって、あんたが一番良くわかってんでしょ?」
『……うん』
それでも弱々しく答える少女を、さらに励まそそうと由希は続けた。
「それに、あの時、日吉先輩がお守り何処にあるか教えてくれたんでしょ?」
『そうだけど……わたし、悪さはしないって分かってても……あてられちゃうから』
言った少女の声は哀しそうだった。
自分のふがいなさを恥じているような声だった。
だから、由希はそれ以上何も言わず、話題を変えた。
「で、どうしたの? なんか帰りに買ってくものあったっけ?」
『ううん、違うの。なんだか、不安で……声が聞きたくなったの。ごめんね』
そう申し訳なさそうに言う少女に、由希は優しく笑いかけた。
「良いんだよ、そんなの。ウチはあんたのお姉ちゃんなんだから」
2時間が経過して、辺りに誰も通らなくなると、4人は中庭に集合した。
「収穫は?」
あかねは中庭に行くと、先に来ていた3人に話しかけた。
3人はほぼ同時に首を横に振った。
「そう……」
ため息混じりに言うと、俯く。
すると、独り言を言うように、要がポツリと喋りだした。
「実はさ……ずっと引っかかってることがあるんだよね」
「どんなこと?」
あかねが尋ねると、数回軽く頷いてからまた喋り始めた。
「日吉先輩の事。一週間くらい前、日吉先輩にみんなで事情を聞きにいった時、あたし当時の美術準備室の部屋の様子も知りたかったから「その時の部屋の様子を教えてください」って言ったの覚えてる?」
要の顔を見ながら3人が頷くが、秋葉は覚えていないようで、とりあえず頷いておくかという感じが見え見えだった。
そんな秋葉を突っ込む事もせず、要は真剣な顔のまま続ける。
「だけど、あの人答えなかったでしょう? 何となく気になっててさ。そしたら4日くらい前の放課後、偶然日吉先輩と廊下で会ったの」
――回想。
あたしが廊下を歩いていると、前方から日吉先輩がやってくるのが見えた。
気づいたのに声をかけないとまた面倒な事になるかな、と思ったあたしは声をかけてみたわけ。
「日吉先輩、こんにちは」
「……ああ、吉原さん。こんにちは」
挨拶を返した日吉先輩は何だか上機嫌に見えた。
だから、ちょっと質問してみようと思ってさ。
上機嫌中なら、答えやすいかなってさ。
「ちょっと先輩に聞きたい事があるんですけど、良いですかね?」
「……なに?」
一瞬ピリッとした気もしたけど、続けてみよう。
「この前、あたしの質問に答えませんでしたよね?」
「なんのこと?」
「美術準備室の、部屋の様子についてです」
「……ああ、そうだったかしら?」
日吉先輩は穏やかに答えて、腰に手を当てる。
「あの部屋は今と変わってなかったわ」
そう言ってニコリと日吉先輩は微笑んだ。
「もう良いかしら?」
「はい。失礼しました」
あたしのその返事を待って、彼女は歩きだした。
――回想終了
「ここでもあたし、なんか引っ掛かったんだよ」
「なにがよ?」
「俺も、何か引っかかんぜ」
「秋葉も? 一体何が引っかかるのよ?」
あかねは怪訝に、二人にそう質問をした。
すると二人は同時にこう答えた。
『返答が穏やか過ぎる』
訳が分からずにあかねは首を傾げる。
そんなあかねに要は説明を始めた。
「あの人は短気で、感情の起伏が激しいタイプなんだよ。
ガキ大将みたいな感じで、気に入らない事とか言われると激しく捲くし立てる。ほら、あたしらが初めて事情を聞きに行った時「なめてんの!?」とか「刑事ゴッコでもしてるつもり!?」とか言われたじゃん?それが今回はなかった」
それを聞いてあかねは「なるほど」と呟いた。
「確かに、そんな人がそんな穏やかに話しに付き合うなんておかしいわね。だけど、事情を聞きに行った時だけ機嫌が悪かったって事はないの?」
このあかねの質問には秋葉が答えた。
「それはねぇな。あの人、感情的で短気って、運動部のなかじゃ有名なんだぜ」
「そうなんだ……」
あかねが納得すると、要は「それにね」と言って話を続ける。
「その次の日、先生に聞いてみたんだ。「2年前と今の美術準備室って何か違う所ありますか?」って。そしたら意外な言葉が返って来たのよ」
「どんな?」
あかねが聞くと同時に由希と秋葉は身を乗り出した。
「……鏡が違うんだって。
元々ペア風の鏡だったんだけど、一つ捨てて新しく要らなくなった鏡を一年前に入れたんだって。
一つは同じ鏡でもう一つは新しい鏡。
ドッペルの時使う鏡なんだから、いくらなんでも気づくでしょ?
でも日吉先輩は「変わらない」と言った。
しかも1年前はその話、ちょっとの期間だけ有名な話だったんだって」
「そっか。だから高村先輩は別々の鏡を使ったのね。でも、おかしいわよね? 日吉先輩、嘘ついたってこと?」
「だと思う。あとさ、呉野先輩と三枝先輩と榎木先輩にお守りの事、誰か聞いた? あたしは捕まらなくてさ」
そう要が言うと秋葉が手を上げた。
「俺、偶然三枝先輩に会ったから聞いてみたんだけど「知らない」ってさ」と言った。
それに続いてあかねが言う。
「私は榎木先輩に会ったんだけど榎木先輩は「見た事もない」だって」
「そっか。……呉野先輩に会った人はいないの?」
要が質問すると、全員が首を横に振った。
その時、突然声がふってきた。
「ここで何してるです?」
穏やかな声がしてあかねは振り向き、要と秋葉と由希が正面を向き、声の主を見た。
その声の主は、呉野幼子だった。
「先輩、ちょうど良かった!」
「な、何です? 吉原、突然「先輩」なんて気色悪いです」
ぱっと顔を上げて喜んだ要を、呉野は不審に思い、顔を引きつらせて一歩後退した。
そんな呉野を「まあ、まあ、見て欲しい物があるんですよ。呉野先輩」と言いながら呉野の腰を持って自分達の中心に引き寄せる。
そして「これ」と言いながら、お守りのヒモを持って、呉野の顔の前に吊るして見せた。
「知りませんか?」
呉野はそれを見た瞬間、ほんの一瞬目を見開いた。
「これ、どこで手に入れたですか?」
平然とした顔でそう聞く呉野に対し、要はちゃかしながら逆に聞き返した。
「心当たりがおありですか? 呉野ちゃん」
「年上に向って「ちゃん」づけするなです! 吉原!」
「じゃあ、呉野先輩。これ知ってるんですか?」
「……どこにあったか教えてくれたら、教えるです」
「ふ~ん、イッチョマエに言うときゃ言うんだね、呉野先輩。良いっすよ、教えます」
まるでケーキ屋を教えるかのように軽く言った要に「ちょっと待って」とあかねが止めに入ろうとすると、要はあかねの体の前に手を出し無言のまま制止した。
「これは、日吉淳子の殺人事件現場に落ちてたんですよ」
その言葉を聞いた呉野は一瞬目を丸くし、そのまま沈黙した。
「……」
「さあ、今度はそっちの番ですよ」
ニタリと要が笑うと、呉野は目線を斜め下に逸らした。
「し、知らないです」
「おいおい、嘘つけ。そんな脂汗掻いて「知らない」はないだろ」
秋葉が呆れ混じりに言うと、呉野は大声をあげた。
「し、知らないです!」
言ってからはっとなって、そのまま焦るようにきびすをかえし、瞬く間に走り去って行った。
数十秒と経たないうちに呉野の姿は見えなくなる。
「はやっ!」
その場には要のこの呟きだけが残った。
「……しょうがないっか! 今日はもう解散にしよう」
要が気持ちを切り換えるようにして言うと、あかねは不満そうに「え~!?」と叫ぶ。
「なんで? 絶対怪しいじゃない!」
「あやしいけど、しょうがないでしょ~。月曜日また聞いてみるしかないでしょうよ~」
「でも――」
「あ~もう! 帰るぞ!」
食い下がろうとするあかねの言葉を秋葉が遮り、ずるずると引きずっていった。
「ちょ! 秋葉! 腕はなして一人で歩けるわよ!」
「お前はちょっとしつこいとこがあんだよ!」
「うっさいわね! ガサツ!」
やいのやいのと騒がしくその場を去るあかねと秋葉の背中を見送って、要は由希のほうに向かってくるりと振り返った。
「さて……由希――解るよね?」
要の見透かしたような目を見て、由希は微動だにせずに頷いた。
…… …… ……
学園から徒歩約二十分、十階建てのマンションの五階の門の部屋が、由希の自宅だった。由希と要は特に会話もせずに由希の自宅のドアの前まで歩いてきた。
ガチャと、鍵を差し込んでドアを開けると、由希は一言呟くように言って要を促した。
「入って」
「おっじゃましま~す」
要は軽く言って玄関に入った。室内は薄暗く、静かだった。
「ただいま」
由希が短く言って「こっち」とまた要を促した。少し小さめのリビングを通って「美奈」と書かれた可愛らしいプレートが掛かっている部屋の前に通される。
要は少し真剣な表情に変わっていた。
「美奈、入ってもいい?」
「……うん。大丈夫だよ」
部屋の中からくぐもった弱弱しい少女の声が聞こえた。
ガチャリと音を立てて、由希が部屋のドアを開く。
電気の消えた室内に、布団を頭まで被り、ベッドの上にうずくまっている少女らしき人物が見えた。
「……え?……要ちゃん?」
その少女は戸惑った様子で要の名を呼んだ。
要は薄く微笑んで「そうだよ」と一言呟く。
「な、なんで!? なんで連れてきちゃうの? 由希!」
少女は弱々しく言うものの、由希を責めた。由希は一息ついて降参したように言う。
「しょうがないでしょ! コイツにばれたらはぐらかしたりなんか出来ないって!」
「コイツ呼ばわりはひどいなぁ由希」
言って「ははは」と要は笑う。
「……ねえ、美奈? 別に怒ったりしない。あたしは多分、ほぼ全てを知ってる。だから、布団を取ってくれない?」
要は優しく語り掛けるように、少女に促した。
「・・・・・」
少女は戸惑った様子で、しばらく手を触ったり、指を合わせたりしていた。そんな様子を見て、由希も少し強めの口調で促す。
「美奈!」
「……わ、わかっ……た。わ、わかったよ……」
少女はおずおずと答え、ゆっくりと布団に指が伸びる。
ぎゅっと布団を強く握り締めて、引いた。布団がするりと落ちる。
するとそこにいたのは、由希とまったく同じ顔、同じ髪型の少女だった。
「やっぱりねぇ」
要は腕を組み、息を吐くようにして言うと、ニヤリと笑った。
そんな要を眉をひそめながら、由希は見ていた。
「いつから気づいてた? うちらが双子だって」
「それは随分まえだよ。
入学式で由希、いや……「美奈」に出会ってから二週間くらいだったかな? ちなみに「美奈と由希が入れ替わって登校してる」って気づいたのは出会ってから1ヶ月くらい経ってからだったかな?」
「そ、そんなに早くから!?」
「……」
びっくりして何も言えない美奈と、驚きを隠せない由希を面白そうに要は交互に見て、ニヤニヤといやらしく笑う。
「あたしは情報の毒蜘蛛だよ~? 甘く見ちゃいかんよ」
そう得意げに言って、話を続けた。
「あたしが何で由希と美奈が双子でしかも「入れ替わって登校」してるって気づいたかというとね、入学式で美奈と初めて出会ってから3日くらいした時に、上級生に声かけられてたでしょ? 長野の空手の県大会で優勝しなかったかって」
「……確かに声かけられたけど。え、見てたの!?」
「見てたよ」
要は頷いてまたニヤっと笑った。
「由希は「人違いです」って言ってたし、由希の大人しい様子を見てその先輩も間違ったのかな?ってあっさりひいてたけど、あたしはちょっと気になってね。ネットさらったらあっさり解ったんだ。藍原由希は中学2年の時に長野の県大会で優勝してた。ちなみにこれ、その時の写真ね」
そう言って要はA4サイズの印刷した写真入りの記事を見せた。そこに映っていた少女は紛れもなく由希だったが、おどおどした様子は微塵もなく、凛々しい立ち姿で堂々とトロフィーを掲げていた。
「用意周到だね……」
由希は呆れた様子で呟いた。その呟きに対し、要は「ありがとう」と小声で返す。
「で、何で隠すんだろう?とは思ってたんだけど、まあ、スランプなのかなぁって思ってたわけよ。でも、何だか時々違和感があってね」
要の話を聞きながら、由希は腕を組んでドアのふちに寄りかかり、美奈は辛そうに両手の指を絡ませて俯く。そんな美奈を見つめながら、要は話を続けた。
「例えば「癖」」
「癖?」
「?」
不意の言葉に二人はパッと顔を上げて要を見た。要はニコリと笑うと、得意げに人指し指を差し出す。
「由希は腕を組んで、片側に体重を預ける癖があるし、美奈は手を組んで指を絡ませたり、両手の指先を合わせる癖がある」
『!』
二人は驚いて、今まさに自分達がしていた「癖」を慌てて解いた。
「いっつもオドオドして、指をいじってる由希が、腕組んで片側に体重預けて仁王立ちって」
言いながら要は「ははは」と笑い出した。
「う、うるせえよ!」
笑われた由希は顔をほんのり赤く染めながら悪態をつく。
一方美奈は、カァ――っと顔を極限まで真っ赤に染め、指を合わせながら俯いた。
「まあ、そんなわけで変だなって思って調べたわけよ。そうしたら藍原由希の双子の妹がいることが解ったの。それが藍原美奈――で? なんで入れ替わる事になったわけ?」
「……」
核心に触れる質問に、由希と美奈は押し黙った。
そのまま暫く重い沈黙が流れた。その沈黙を破ったのは、美奈だった。
「……ごめんなさい」
「……あたしが聞きたいのは、別に謝罪じゃないんだけどな」
優しく言う要に、美奈は押し黙った。また沈黙が続くのかと思われたが、直後に由希が「はあ」っと息を吐いた。
「……美奈はさ――」
「やめて!」
言いかけで、美奈が強く制止した。
初めて美奈の大声を聞いた要は少しびっくりして目を丸くする。
そんな要を見ずに、由希は美奈をじっと見つめた。そして静かに語りかける。
「美奈、もう要はきっと気づいてるよ」
「……」
「それでも要が自分から言わないのは、うちらに言って欲しいからじゃないの?」
「……」
「あの時、要が自分の秘密を暴露した時、ウチは嬉しかったし、同時に何だか申し訳なかった。美奈にも話したでしょ?美奈だって、心苦しいねって言ってたじゃん」
「……だけど」
「そんなに信用できないんだ?」
「違う!」
言って、美奈は押し黙る。そんな様子を見て、由希は深いため息をついた。
「違うって言うなら、言ってもいいのね?」
「……」
美奈は不安そうに顔をゆがめながら、小さく頷いた。
「美奈はね、要。生まれつきある能力があるんだ」
「……能力」
「うん。いわゆる――「霊感」ってやつ」
「――そう」
要はやっぱり、と優しく微笑む。
「やっぱり、気づいてたんだね要」
「薄うすだよ」
二人の何だか安堵した様子を感じ取った美奈は、戸惑いながら要を見詰めた。
「――美奈はね、小さい頃から死んだ人が見えてて、その人達に会うたびにあてられて体調を崩してたの。だから当然、学校にも中々いけなかった」
由希は伏し目がちに、床を見つめ、悲しそうに微笑む。その様子を見て、美奈は申し訳なさそうに俯いて、静かに頭まで布団をかぶった。
「――両親はね、何とか美奈の体質を良くしようとお払いに行ったり、零能講座とか訳分かんないとこ行ったりしたんだけど、結局良くならなくて、中学に入ってからは不登校になって、全然学校に行かなくなったの」
「ふう」と息を吐きながら由希が微笑うと、美奈が勇気を振り絞るようにして、話に入ってきた。
「……由希が――由希が、こ、このままじゃいけないって……! わ、わたしは、通信高校にすることに、決まってて、て、手続きも済んでたんだけど――このままじゃいけないって!」
美奈は一気に言って、いったん息を吐きだした。そして今度は落ち着いたのか、ゆっくりと話出した。
「由希は、一人でここに引っ越して、白石女子学園に通うことが決まって、たんだけど、わたしも一緒においでって、それで、たまに入れ替わろうって。
人にも、死んだ人にも慣れなくちゃいけないよって……。
じゃなきゃ、美奈はずっと苦しいまんまだからって」
「……ウチも、両親もいつまでも一緒にいられるとは限らないから、せめて自分のことくらいは守れるようになってもらわなきゃって思ったのよ。外に出て、じょじょにでも免疫をつけられたらって、ね」
「美しい姉妹愛だねぇ」
要はほろりと感動し、心底思った。
(家とは大違い!)
「ま、それで、入れ替わるようになったってわけ。入学式を美奈に行かせたのはさ、すぐ終わるからちょうどいいと思って。人が多いとこにも美奈はなれてないけど、短時間なら大丈夫かなって思ったんだけど――」
「……ごめん」
「謝ることじゃないよ、姉ちゃんも初っ端から無理させたかなって思ってたんだ」
由希はそう優しく言ってほほ笑む。すると美奈が握っていた自分の手を解いて、布団をはがすと、勢いよく要の名を呼んだ。
「要ちゃん!」
不意なことに要は少し驚いて、軽く肩をびくっとさせた。
「お? え、はい」
曖昧な返事をすると、美奈は少し俯いて、自分の手を握り締める。そして、ぎゅっと噛んだ下唇を解いた。
「あ、あのね……あの時、入学式の時、わたし人と、人に憑いてきてた死んだ人にあてられて、気分が悪くて、すぐにでも逃げ出したかった……でも、席を立ち上がろうとした時、要ちゃんが「大丈夫?」って声をかけてくれて、何だか、少し落ち着けたの」
そう言って、ぎこちなく微笑む。
「わ、わたしね、その後やっぱりきつくて、急いで家に帰って、それで寝込んじゃったんだけど、翌日由希から「吉原さんっていう人に、昨日大丈夫だったかって聞かれた」って聞いて、わ、わたし嬉しくて……いままで、家族以外に、心配してくれる人なんていなかったから……み、みんな何だか、わたしのこと……怖がったり、気味悪がったりしてて」
ぎこちなく笑いながら、悲しそうに瞳を伏せる。
「そ、それで、由希と入れ替わりながら、は、初めて友達が出来て……もっと、ずっと一緒にいたいって思うようになって、だから最近ちょっとは耐えられるようになってきたんだ――けど、もう、やだよね。こんな……気味の悪いやつ……」
「なんで?」
苦辛に歪む美奈に、要はあっさりと「訳が分からない」と言うように返した。
「なんでって……だって――死んだ人が見えるとかおかしいし、変なやつだって、思うでしょう? それに、わたし由希に入れ替わって、嘘ついてたんだし」
さらに心痛を露わにし、落ち込む美奈に、要はあっけらかんと笑った。
「美奈は嘘なんてついてないでしょ~! だってあたし達がしってる「由希」の性格は美奈そのものじゃん! 嘘ついてたってゆうなら由希の方でしょ~!」
「うるさいわ。美奈がウチの性格真似出来るはずがないでしょ! 人物統一しなきゃいけないんだからしょうがないじゃん」
「そ、そうじゃなくて――」
戸惑う美奈に、要は続けた。
「あたしはさぁ、美奈が好きなんだよ。もちろん由希も。まあ、由希がこんな性格だとは思わなかったけどもさ♪ でも、本当の由希を知ってもっと好きになった。それは、美奈――キミも同じだよ」
要の言葉に、美奈の瞳からは思わず涙が溢れていた。
「美奈はまず優しいし、何だか頼りないとこが構いたくなっちゃうんだぁ。霊能力だって、美奈の個性じゃん。別に気味悪がることはないし、あたしだってよく「変なやつ」扱いされるしね~。ただ体調崩しちゃうのは大変だと思うし、心配はするよ。友達だもの」
「……と、友達だって、思ってくれるの?」
戸惑いと期待を隠せない美奈の問いに、要は毅然と答えた。
「出会ってからも、今も思ってるよ。美奈も由希も、大事な友達だって」
その答えに美奈は嬉しそうに頬を少し紅く染めて微笑み、由希は「ふっ」静かに嬉しそうに笑って腕を組んでドアに寄りかかった。
「……ありがとう」
「――きっと秋葉とあかねもそう言うと思うな」
「……あかねちゃんと秋葉ちゃんにはまだ言わないで」
「美奈」
不安が残るのか、美奈は低く沈んだ声で呟いた。
そんな美奈の名を少し強めの口調で、由希は呼んだ。
どこか叱咤するような、促すような言い方だ。
そんな由希に向かって「違うの」と言って美奈は顔をあげた。
その顔はどこか吹っ切れたように見え、今度はさっきとは対照的に、声を張って由希や要の目をまっすぐに見つめながら言った。
「じ、自分から、言いたいの! た、大切だから!」
カアア――と顔を赤らめ、美奈は俯く。そんな妹の心境の変化を由希はぽかんと見つめた。一方要はニヤリと不敵に笑い、人差し指を唇の上に持って行くと楽しそうに微笑んだ。
「わかったよ。じゃあ、暫くはあたし達だけの――秘密ってことで♪」