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「おまたせ」


日吉の背中に声をかけると、日吉はゆっくりと振り向きながら不機嫌に言う。


「10分遅刻なんだけど」

「ごめん」

「まあ、良いけど。金、持って来た?」

「ええ」


――嘘だ。はなっから払うつもりはなかった。


「早く渡して!」


不機嫌に眉間にシワを寄せて、日吉は「くれ!」と掌を出した。


「その前に、聞きたいコトがあるの」

「なによ?」


そう聞きながら日吉はあからさまに「早くしてよ!」と睨んだ。


「あなた、私が高村を殺すように――仕向けたでしょ?」

「はあ!?」

「とぼけないで」


私が強い口調で言うと、日吉はむっとしたように黙った。


「だったらなんでコンビに行くなんて嘘ついたの?

どうして私に高村と会うのって聞いたの?

私は高村の言っていた脅迫文なんて出してないわ。

出したのはあなたでしょう?

そして出したのは私だって高村に吹き込んだ! 違う!?」


そう問いただした私に向かって、日吉は一言つまらなそうに呟いた。


「で? それがなに」

「え?」


――なにって!

私が驚きを通り越して、怒りを覚えていると、日吉は不敵に微笑んだ。


「撮ったのは本当なんだし、問題ないんじゃない?」

「問題って……大有りよ!!」


思わず叫ぶ。


「あなたがあんなこと言わなければ――私はあんな事しなかったわ!!」


想いに任せて怒声を上げると、日吉は表情を一変させた。


「はあ!? ふざけんじゃないわよ!」と叫んで、私を責め立てた。


「あたしが言わなかったら、あんたはやんなかったって!?

そんな確証はどこにあんのよ!

あんた、あたしが声かける前すっごい顔してたの、知ってた?

張り詰めちゃって、青い顔で、いかにも「あたし追い詰められてます」って顔してさ、〝窮鼠猫を噛む〟って手前のツラしてた!!」


そこまで息巻くと、感情の高ぶりを抑えるように、深く息を吸う。

そして、バカにしたように笑って続けた。


「あたしはぁ、自分の意見を言っただけでしょ?

それを「そうだ」と思うか「違う」と思うかはあんたしだいでしょ

――勝手に高村押したのはあんたでしょう! 違う!?」


――確かに、押したのは私だ。


でも、そうさせるように仕向けておいて……開き直るの?


(なんであんたにそんな事言われなくっちゃいけないの!?)


私は悔しくて言葉が出てこなかった。

そんな私を、日吉は鼻で笑った。


「あんたさぁ、脅迫文出してないって言ったわよね? でも――覚えはあるでしょ?」


その言葉に、私はぎくりとする。


――まさか、こいつ……!


「ねえ、なんで私があいつに脅迫文出したと思ってんの?

あんたが出そうとしてたのを、引き継いでやったんじゃない」


驚いて目を丸くする私を、さもおかしそうに日吉は嘲笑した。


「あたし、あいつと帰り道同じなのね。

もっと言えば、家が近所なのよね。

あの日、あたしは部活で遅くなって家路についたのが暗くなってからだった。あいつの家の前に、あんたいたよね?

なにか、紙を持って――」


日吉の言葉を聞きながら、私の中で不安が広がる。


「あんたは何かを悩んだ後、その紙を丸めて近くのゴミ捨て場に捨てた。あたしはそれを拾って見てみた。そこにはこう書かれてあったわ――いつでも見てる――って」


頬から冷たい汗が伝った。


「始めたのはあんたじゃない」

「違うわ! やろうとは思った、でも私は結局一通だって出してないのよ!?」

「そうね、そうかも知れないわね」


――本当よ!


叫ぼうとした時、日吉はにやりと口の端をゆがめた。


「どうしてそんなもの出そうとしたの?

ねえ、私が言った事覚えてる?

〝案外、正解だったんじゃないの〟」


――なにを言う気!?


ドクドクと鼓動が早くなるのを感じた。


「――あんたに、霊感なんてないのよ。

だから、そんなもの出して、自分の価値を高めようとしたんだわ。

ねえ、感謝してよ。

私のおかげであんたのその嘘っぱち、みんな信じてくれたのよ?」


「わ、私はそんな事望んでない!」


声を荒げた私を、日吉は軽蔑したように見て、また鼻で笑う。


「でも良かったわ」

「え?」


突然の言葉に、私は戸惑った。


「あなたが高村を殺してくれて。正直助かったのよねぇ~」

「……っ」


(あんたのせいでしょ!?)

悔しくて日吉を睨むと日吉は、そんなに睨まないでよと言って気だるそうに続けた。


「私もねぇ、アンタが優梨に問い詰められる前から、あいつをいじめただろうって責められてたの。

それであの日、話があるから一緒に帰りましょうって優梨に言われて、ついに脅迫文に感づかれたかなって思って、榎木に聞きにいったのよ。

あんたが優梨に呼び出されてたら、優梨の事だから、カマかけに呼ぶんだって事は解ったからね、あたし含めて」


言って遠くを見つめる。


「だから、全部教えたのよ。

あんたがあいつの家の前にいたのを見たことがある、

捨てた紙には脅迫文が書かれてた。

だから、きっと榎木は霊感なんてないんじゃないか――って。

もちろん、あたしが出した事は黙ってたわよ? でも、全部事実でしょう?」


だから良いでしょう、と言うように日吉は私を見た。


「でも、まさかあんたが本当にあんな一言で人を殺すとは思ってなかったけど――せいぜいあいつの時みたいに嘘並べるとか、脅すとかして学校にこれなくしてくれるだけで良かったんだけどね」


言って、日吉はぽつりと呟いた。


「優梨も優梨だわ……自分だけがつらいみたいな顔して――」


私が怪訝な顔を浮かべると、日吉ははっとなって咳払いをした。


「まあ、そんな事はどうだって良いのよ。早くお金、出しなさいよ」


手を伸ばす日吉の手のひらを私は見つめた。


「持ってこなかったわ」

「はあ!?冗談ぬかすんじゃないわよ」

「本当に持ってこなかったの」


日吉の目を見つめると、日吉はカァ――として喚き散らした。


「ふざけんじゃないわよ!? 何よそれ!

早くもって来なさいよ!

本当にあんたって嘘つきなのね、金持って来たっていうのも霊感あるってのも、み~んなウソ!

みんなを騙すそのテクニック教えて欲しいものだわ!」


すると日吉は私を鋭い目つきで睨んだ。


「警察に行くのは簡単だけど、そんなに簡単に楽になると思わないでよね!! アンタの秘密、みんなにバラしてやる!! せいぜい苦しめばいいのよ!!」


そう言って、嘲りの笑みを浮かべる。


「アタシを騙しといてタダで済むと思わないでよね!!」


――日吉の高笑いって、とても耳障り。


私を嘲笑う声の中で、私はふとそんな事を考えていた。

そのまま、脱力するように心が止まったのを感じた。

黒い虫が私の腕に巻き付いて、私の腕は自然にポケットの中の、果物ナイフへと伸びた。

そのままそれを取り出し、折りたたみ式のそれを、起こす。

足にも黒い虫が絡み付いて、私は走っていた。


 ブスッ ――

鈍い音がすぐ下から聞こえると、すぐに

 ゲフッ!!

耳に障る音と、くさい鉄の臭いが耳の側で鳴った。

――あれ?


そこで、ふと我に返った。

小刻みに震える腕を引くと、ドサ と音を立てて、日吉が倒れた。

私は瞬きもせずに、頭は真っ白なままで、ほんの数秒、立ちすくんでいた。


「ううっ、ううっ」

と唸ってうずくまる日吉を見て、私は、はっと我に返った。


(携帯!消去しなきゃ!)


ハンカチを取り出して、手をハンカチで覆うと日吉の胸倉を掴んだ。

ジャケットの内ポケットを探ると、日吉に強く腕をつかまれた。

驚いて強く振り払う。

胸が苦しい――鼓動が煩い。


(はやく、はやくしなくちゃ!)


日吉が先程とは反対に倒れてうずくまる。

スカートのポケットを探ると、硬い物に行き当たった。


(携帯だ!)


すぐに取り出すと、それは白い携帯電話で、私は一気にほっとする。

するとその時!


「今日は残飯も残ってねぇなんて、ついてねぇなぁ」


鼓動が一瞬止まった。

声の方向を見る。

影が、見える。

――誰か来る!!

急に、身体が大きく震えだした。

そして日吉の胸倉を放し、私は一目散にその場を後にした。


 *


「まさか、あの時、お守りを落としていたなんてね」


はあ、と息を吐き出した榎木は、視線を落とした。


「日吉先輩は多分、あなたが立ち去った後、

あなたのお守りを握って傷口付近につけたんだと思います。

じゃなきゃ、あんなに血が付着するわけがありませんから。

そして、あなたが戻ってくる可能性を考えて、懇親の力を振り絞ってお守りを茂みに投げたんでしょうね。

助け舟が来ているのも分からずに、死を覚悟して、

あなたに一泡ふかせようと思ったんじゃないですかね。

「ただじゃ転ばないわよ!」ってね」


ニコリと要が笑うと榎木は「ふっ」と噴出して、自嘲した。


「日吉らしいわね」


言って、榎木は虚空を見つめた。


「本当、日吉は、そういうやつなのよね。ずる賢くて、卑怯で、負けず嫌いで、臆病で……そして、誰一人信じることが出来ない――哀れな女」


――まるで、もう一人の私みたいだ――。


浮かんだこの言葉を、榎木が口に出す事はなかった。

そして、吹っ切るように無理に笑った。


「日吉はね、写メなんて撮ってなかったのよ」

『ええ!?』


満場一致で驚愕すると、榎木は「してやられた!」という表情をして、鼻をシワクチャにした。


「しばらく走って、人目のつかない場所で確認したの。

何度も何度も目を通したし、SDカードも見てみたけど、

証拠写真なんて一枚もなかった。

――携帯はデータを全部消して、念のため折って壊して、川に沈めて捨てたわ。

ナイフは川の水できれいに洗って、指紋もふき取って、

ゴミ捨て場にあったゴミ袋の中に紛らわせた。

日吉に捕まれて血がついた上着は幸い薄いパーカーだったから燃やしたわ」


言って榎木は自嘲する。


「私、一応安心したのよ。なのに、まさかあの呉野に感づかれるなんてね。

お守りの事なんて、呉野はとっくに忘れてるんだと思ってた……。

だって、話の流れで出ただけのたわいない話だったのよ? 

私自信だって、呉野に見せた事なんてとっくに忘れてたもの――」


 *


あの後、家に着いてから、お守りが無いことに気がついて、現場に戻ったけど、警察がいたので、警察が引き上げるころを見計らって、お守りを探しにいった。


でも、やっぱり見つからなかった。

警察に持って行かれたんだろうと、思った。

――不安だった。

そんな矢先に、沢松から、私のお守りの写真を見せられた。


とても、驚いた。

まさか、彼女たちが持っているなんて。

だけど、警察に持っていかれなかっただけ、まだマシだわ。

あのお守りの事を知っている人なんて、この学校ではいないもの。


そう思っていた私のところに、呉野がやって来た。呉野はなんだか落ち込んだ様子で、私を裏庭に呼び出した。


「あのですね、榎木」

「なに?」


呉野は言いづらそうに、目線をキョロキョロと動かす。


「榎木、お婆さんに貰った、お守りどうしたですか?」


――お守り?

呉野に聞かれて初めて思い出した。

昔、転校したばかりの頃に、呉野にお守りを見せた事があったのを――。

息が詰まるのを感じた。


「――どうしたって?」

「今も、持っているのですか?」


なんとなく、その言葉の端に切実なものを感じる。


――嫌な予感がする。


「……家に、置いてきているけど、それがなにか?」


私の言葉を聞いて、呉野はほっとした表情で一息ついた。


「そうですよね。良かった……。そうですよね」

「いったいどうしたの?」


不安を隠して、わざと明るく振舞った。

すると、あまりにも、意外な答えが返って来た。


「榎木、嘘ついたです」


呉野の表情が変わる。私を鋭い目で睨んだ。

ギクリとして、体が一瞬震えた。

――何だろう?

この、感じ。

血が凍る……。


「……は? 何が?」


私が言えたのは、それだけだった。


「榎木、あのお守りは榎木のです。

ボクに前、見せてくれたコトがあったですよね?

南春枝さんという人と、ボクにしか見せた事はないって言っていたですよね?」


毅然とした態度を崩さない呉野を私は見据えた。

――いつもの態度を崩してはいけない。平常心を装わなきゃ!


「……確かに、そうだけど。

もしかして「あのお守り」って、沢松達が聞いて回ってたやつのこと?

だったら、あれは私のじゃないわよ。

あんなに汚れてないし、私のは本当に、家に置いて来てるんだから」


「だったら、見せて下さい!」

「え?」

「今日、榎木の家に行くです!」

「ちょっと待って――」

「榎木!」


めったに大声なんて出さない呉野が、大声を出して私の言葉を遮った。


「榎木、沢松達が持っていた「あのお守り」どこにあったと思いますか?」

「……さあ?」


心臓が波打つのを感じた。

――落ち着け!


「日吉の……殺害現場です」

「え!? 日吉って……学校は「亡くなった」としか言ってなかったけど?」


今のは、わざとらしくなかっただろうか?

私はちゃんと、笑えているだろうか?

そんな考えが頭を過ると、呉野は不審そうに私に尋ねた。


「顔の広いあなたが、聞いてないですか?」

「な、なぁに? そんな意外そうな顔しなくても――」

「みんなが言ってるですよ? 日吉は殺されたって!

近くの公園に取材の人も来てるです!」


「それが、そうだとしてなんの繋がりがあるっていうの?」

「榎木、日吉が殺された場所に、榎木のお守りにそっくりなお守りが落ちている。――何か、関わっているんじゃないですか?」


呉野の真剣な眼差しを受けて、焦燥は加速するばかりで、私の声は思わず震えた。


「……なんで? なんでそんな事言うの?」

「何でって、心配なんです」

「余計なお世話よ! 私は何も関係ない! 変な勘ぐり止めてちょうだい!」


私はそう吐き捨てて、その場から早足で去った。

その足ですぐに、怪しまれないために部活に出た。

その最中に、呉野が何か言いたそうな表情をして私を見つめてから、その場を去ったのを、私は尻目で見ていた。

そして部活の最中も、家路につく時も、部屋にこもってからも「どうしよう」か考えていた。


やっぱり、殺す?

でも、これ以上は……。


――ナニイッテルノ?

アンタハモウ、フタリモコロシテンダヨ?

モウヒトリクライ、ワケナイサ。


――だけど――。

呉野は、友達だし、もしかしたら私のこと、本気で心配してくれてるんじゃないかな?


――ソンナノハ

タダノ、タテマエダネ!!

キット、真相ヲハナシタラ「ケイサツニ行コウ!」ッテ連レテ行カレテ、ソノ後ハ、ミンナノ、ネタニ言イフラサレル。


「エノキッテ、コンナコト考エテタンダッテ!」

「エノキッテ、――ダッタンダッテ!」

「エノキッテ、ソンナ理由デヒト殺シタンダッテ!」

「バカダネ!」

「クズダネ!」

「アンナヤツハ死ンダアホウガ良イノサ!」


「アンナヤツハ――イラナイヨ――」


ゼ~ンブバラサレタ挙句、罵ラレテ、ポイッ!!サ。

ソレニサ、捕マリタクないジャナイ。

少年院ニ入レラレテ、何年カカル?

私ノ将来、ドウナル?

全部オ終イニナッチャウ。


――ソレニネ――アノコロニモドリタイノ?


……そんなのイヤ。


自問自答を繰り返して、私は部屋の天井を見上げた。明かりをつけていない部屋は、窓からの光しか入らずに薄暗い。

本来白い天井が、灰色になっていた。いつの間にか、夜が深まっていたんだと、その時になって気づいた。

そんな灰色の天井を見ていると、ふと、想いがこぼれた。


――ああ、拳銃が今、手元にあれば良いのに。


あの時の、あの感触が忘れられなかった。

背中を押した時の、あの重量感、あの高村の最後の声……。

日吉の肉体を刺した時の、あの、感触。ズブ、という音と、何とも言えない、やわらかさ。

でも、鉄が骨にあたるのが、手に届いて、自然と震え出す


――あの恐怖。

遠距離からなら、拳銃なら、あの感触を感じなくて済む。

だから拳銃が、欲しいと思った。

だけど無理、だって早めに、始末しなくちゃ――。


このときの私の目は、きっと虚ろだったんだろうと思う。心が空になるのを私は知らないふりをした。

それから私は計画を練った。

練り終わると、呉野の家の近くの廃ビルに下見に行った。ヤンキーがバイクで出かけていくのを外で待って、計画を試してみた。


――案の定、出来た。

あとは、時が過ぎるのを待つだけ。

私はいったん家に帰り、眠りに着いた。


「眠った? 眠ったんですか? これから人を殺そうっていうのに?」

「そんなに、信じられないって顔、しないでくれる? 吉原」


そう言って少し自嘲気味に微笑んだ榎木に、要は嫌悪感をあらわにした。


「笑うの止めてくれませんか?」

「何でそんなに怒ってるの?」

「怒ってない。呆れてるんだよ!」

「ムキになっちゃって、いつもオチャラケてる吉原らしくないんじゃない?」

「要じゃなくったって怒るわよ! 呆れ果てるわ!」


あかねがそう怒鳴ると、秋葉も由希も頷いて侮蔑する。


「信っじらんねぇ」

「はっきりした。やっぱりこんな奴に、霊能力なんかないよ」


哀しそうに美奈が呟く。


「どうしてそんなことが、出来るの? 同じ人間なのに……」


それらを聴いた榎木は「何よそれ」と苦笑して、感情を吐き出した。


「信じられない? 人間なのに? 人間だからよ!!

人間だから出来るのよ!!

兵士は人を殺すでしょ? 何のためらいも無く殺せるのよ!!

知った風な口聞かないで! 正義感なんて振りかざさないでよ!! 

――信じられない? でも、実際私はそうだったの。

そうだったのよ!!

初めて人を殺した時、とても恐くて怖くて、何日も何週間も眠れなかった。

でも二回目、日吉を殺した時は、三日で眠れるようになった!

呉野の時なんかその日の内に眠れた! そういうものなのよ!!」


「……おかしいんじゃない?」


あかねは信じられないという顔をして涙をうっすら浮かべた。

由希、美奈、秋葉も信じられないという驚愕と嫌悪が入り混じった表情をしていた。

要と三枝だけが、ただ榎木を見つめていた。

その表情からは感情をうかがい知ることは出来なかった。

あらゆる視線を送られた榎木は、俯いて呟く。


「……解らない事よ。その行為をしたことのない者には、解らないことだわ」


その姿を見た要は、ゆっくり口を開く。


「でも、あたし、思うんですけど『なれ』っていうのは人間の中でけっこう恐い部分なんじゃないかって。

あたしにも秘密がありますけど、それを始める時スゴク緊張して、すごい悪い事してんじゃないかって思ったりもしてたんですけど、いまではすっかりそんな感情も『なれ』ちゃってんですよね。

『なれ』ちゃってて、『麻痺』しちゃってて、でも確実にそれは、他の者から見れば、『悪い事』なんですよね」


「……悪い事」

「ええ。そして『悪い事』をする時に、まず考えるべきことって『自分』じゃなくて『他人』なんじゃないですか?」

「そうよ! 榎木先輩は自分勝手よ!!」


あかねが泣きそうになりながら、感情的にそう吠える。


「他人?」

「そうです。先輩のお話を聴く限りじゃ、先輩は『自分』のことしか考えてないみたいでしたね」

「自分の事を考えて何が悪いの!?」


〝わけが分からない〟という表情の榎木に、冷たい視線を送りながら由希が口を開いた。


「やっぱりこんな奴に霊能力無いって言ったの覚えてる?

美奈はね、小さい頃から幽霊が見えてたんだ。

それは決して良いもんばかりじゃなく、醜いもんだっていた。

「苦しい」「助けて」血みどろの奴らが美奈に群がった。

でもそんな奴らから美奈を守ってくれる幽霊もいた。

だから美奈は優しさも、誰かを傷つける怖さも知ってる。

幽霊見える奴らはみんなそうなんじゃないかってウチは思う。

だから、自分の都合を狂気で押し付けるアンタには霊能力なんてあるはずないよ!」


由希がそう言って冷たく睨むと、美奈は由希を感謝の想いで見つめた。


――私が嘘をついてるって言うの?私には霊能力があるのよ!!


榎木はそう叫びたかった。けれど、それをする事は出来なかった。


(――私は、なんのために『それ』に固執してきたんだろう?)


自分の望むものがなんなのか、彼女は解らなくなっていた。

そして、叱責された榎木は床に視線を落とした。すると、彼女はふと思い出した。


「……呉野は、あの時なんて……?」



 *



私は、殺人の決意をした翌日に呉野に電話をして、あのビルの中で待ち合わせをした。

「私の知っている事を話すわ」と言って。

私は早めに行って、隣のビルの女子トイレを確認した後、少しの間、呉野が来るのを隠れて待った。


呉野がビルへ入るのを確認してから、すぐに後を追った。

もちろん、誰にも見られないように細心の注意をはらって。

私が中に入ると、呉野は亡霊のように階段の前に立っていた。

中はとても薄暗く、そう見えた。

呉野も同じだったようで、私の気配に気づくと、身体を小さくビクッと震わせた。


「何だ、榎木ですか。ここ、陰気すぎです。幽霊じゃないかと思ってちょっとビックリしました」


そう、安堵の顔を浮かべて微笑んだ。


「ごめんね。ここなら呉野の家から近いし、それに、人にあまり聞かれたくないから」

「分かりました」

「ごめんね。――ねえ、屋上に上がらない? ここじゃ、呉野の言うように、陰気だし」

「良いですよ。実はボクも、ここはちょっと……怖くて」


そう言って照れて笑う。

この人はなんて可愛いんだろう。

臆病で、照れ屋で、思わず誰もが庇ってやりたくなる。それでいて自分の意見はきちんと言って、正しいと思う事を通そうとする。呉野はそういう女だった。

私が何度、うらやましいと思った事か、彼女は知らないんだろう。

私は口の端を無理やり持ち上げた。

――作り笑いにはとっくになれた。


「じゃあ、行こうか?」

「はいです」


その返事を聞いて、私は目線を下に向ける。

靴を見つめて、思った。


(――ああ、ここが夜、不良の溜まり場になっていて良かった)


ホコリが溜まったこの場所での、私の足跡も、呉野の足跡も、紛れさせてくれる。

ああ……私は本当に『なれ』てしまったんだなぁ。

悲しかったわけでも、自分が哀れだったわけでもなく、ただ私は、そう思った。


「何ボーとしてるですか、榎木?」


その声に私は顔を上げた。

呉野は階段を上り始めていた。


「ああ、何でもない」


私はそう答えて、呉野の後を追った。

屋上の扉を開けると、太陽の光が目に差し込んで来た。

クラクラする頭を揺すって、屋上に出ると、風が私達を吹き飛ばしそうにふいた。

しかしそれはすぐにおさまって、呉野は「風、強かったですねぇ」と笑った。


「――さっそく、話して良いかしら?」

「あ、はい。お願いするです」


私はその返事を聞いてから、わざと屋上の端に歩いて行った。

呉野なら、私の後を追って、端近くまで来るだろう。

端まで来ると、クルリと振り返る。

すると呉野は、私の予想した距離までは来ていなかった。

警戒しているのだろうか?


「ねえ、もうちょっとこっちに来れば? 聞き取りにくくない?」


私がそう言うと、呉野はコクリと頷き、私の予想した範囲に入った。

大丈夫、この距離なら体格差も入れて、十分に、落とせる。


「……呉野言ったわよね?「何か関わっているんじゃないか?」って」

「言いました」

「ええ、関わっているわ」


私が頷きながら言うと、呉野は〝やっぱり〟という悲しそうな顔をつくった。


「私が、殺したのよ。二人とも」


それを聞くと呉野は、私に尋ねた。


「……どうして、殺したりしたんです?」


その表情は、とても辛そうに見えた。

私には、それが理解できなかった。

何故、彼女はこんなにも辛そうに顔を歪めるんだろう?


「私の秘密を知っていて、それでいて『ばらす』と言ったから」


(呉野には、冷淡に聞こえたかも知れない)


そんな事を思った私に、呉野はさらに尋ねた。


「秘密って、何ですか?」

「それは教えられない」

「どうしてですか!?」

「どうしてもよ」

「榎木……その秘密は榎木にとって、どれほど大きい、重要な秘密だったですか?」


――人を殺すほどに。

呉野の顔には、そう書いてあった。その表情に、つい、自嘲したくなる。


「あれが無いと、私は生きていけない……それほどの秘密よ」

「その秘密を守るために、人を殺しても良いほどの秘密なのですか?」


彼女は、悲痛な表情を崩さずに言った。

言い方はあくまで静かだったけれど、私を責めた事に代わりはなかった。

責められたくないわけじゃないけど、でも、呉野には一生解らない。

――誰にでも愛される、あなたには――。

そう思ったら、無性に腹が立った。


「今言ったじゃない! あれがないと、私は生きていけないのよ!!

あれがないと、あれをなくしたら……あんな生活に私が戻る事なんて私は許さない!!」

「生活? 生活ってどんな――」


言いかけた呉野を私は睨みつけた。

彼女は身震いをして、鬼を見たかのように顔を、身体を、硬直させた。

狂気が、あらわになる……。

高村を殺して

日吉を殺して

最近感情のコントロールが上手くいかない。


「虐げられた生活よ!! 誰も私を人間として生きものとして見ない生活よ!!」


私が叫んだ後、呉野が何かを言った気がした。

でも、覚えてないし、思い出せない。

あの時、呉野は何て言ったんだろう?


覚えているのは、呉野の首を掴んで、肩を手すりに押し付けて、落としたあの感触と、落ちていく前の、あの哀しそうな……顔。


私は、呉野に罪を被せるために、遺書まで用意したのに、何故かその紙を地面に置く事が出来なかった。


――何故?

いったいどうして?

分からない……。

解らない……。

分からない……。

何故置けなかった? 呉野は何て言った?

何故呉野は、私に驚いた表情や、怨みの表情を見せなかったんだろう?

何故、あんなに哀しそうな顔をしたの?


 *


沈黙が、ただ流れる。

要達は哀れだった。

榎木の事が、ただ、哀れだった。

榎木が思い出せない呉野の言葉を、彼女達は、見つけたんだろう。

そして、想ったのだ。ひとつの人間の虚しさを……。


「……先輩、これ見えますか?」


そう言われて榎木は顔を上げる。

要は、呉野のメッセージの紙を掲げた。


「何でこんなもの残したんだと思います?」


榎木は黙って首を振った。


「呉野先輩は『ゑ』に……榎木先輩に、早くこんな事は止めて欲しかったんですよ。

それに、あなたが呉野先輩にお守りの事を言った事を忘れていても、

呉野先輩が覚えていたのは、嬉しかったからなんじゃないですか?

秘密を分け合えたことが。

春枝さんも言ってましたよ。

自分にだけ打ち明けてくれた事が、嬉しかったって――友達だから嬉しかったんだって――」


その言葉を聞いて榎木は驚いた表情をし、何かを考えた後、一滴の涙を流した。


「なんで、涙が出るの?」


榎木は自分の行動に驚きながら頬に流れた涙を拭った。

そんな榎木に、美奈はおずおずと話しかけた。その声は、どこか優しく響く。


「……先輩は、否定なさるかも知れないですが、

わたしは、人間は罪を犯し『なれ』てしまった時、

心を凍らせるんじゃないかと思うんです。

……自分の醜さと、罪と……いろんなことに、押しつぶされないように……。

心を凍らせて、狂わせて……動けなくするんじゃないかって、思うんです。

だから、先輩も……きっと……」


美奈を一瞥し、榎木はゆっくり瞼を閉じた。

その時、携帯の着信音が鳴り響いた。

皆が一瞬ドキリとし、自分のじゃないかと確認すると、あかねが電話を取った。


「はい、もしもし!」

「お前、携帯ぐらい切っとけよなぁ」


秋葉が小声で言うと、あかねはいきなり叫び声を上げた。


「ええ!!本当ですか!?」

その声に秋葉は思わず耳をふさぐ。


「何だ!?」


あかねを睨むと、あかねは嬉しそうに「はい、はい」と答えていた。

そんなあかねを要達は何事かと見つめていた。そんな要達を尻目に、三枝は榎木に声をかけた。

「榎木、一緒に警察に行きましょう。自首ならば、罪は軽くなりますから」


榎木は何かを考えるように、三枝を見つめた。

そして、深く頷いた。


榎木の顔は、先程までの剣のある顔ではなくなっていた。

憑き物が落ちたような、穏やかで、罪の意識をどこかで感じているような、そんな表情だった。

榎木も心のどこかでは、自分の罪を暴いて欲しかったのかも知れない。

ただその気持ちを、受け入れる事が出来なかっただけで……。


あかねの周りに集まり、あかねに注目している事を確認するように、要達を凝視しながら三枝は榎木を部屋の外に連れ出した。


要達は結局わけが分からないまま、あかねは電話を切った。

するとあかねはもの凄い勢いで振り返って、歓喜の叫びを上げた。


「呉野先輩がぁ! 目を覚ましたぁ!」

「本当かよ!?」

「うそ!?」

「マジでぇ!?」

「……良かった」


思い思いに言葉にすると、要達は言葉を飲み込み、パワーを溜め込み、爆発させた。


『ヤッタぁ――!!』


その歓喜はすでに階段を3階程の段を下りた榎木と三枝の耳にも届き、榎木は心の底でほっとした気持ちを見つけた。

不意に三枝が歩みを止めた。

つられて榎木も止まると振り返った。

ちょうど、三枝の胸の位置で止まり、三枝を見上げる形になった。




その頃、要はある事に気づいてはっとした。

「三枝先輩と榎木先輩は!?」

「え?」

問われたあかねは戸惑いの表情を要に向けた。

いつになく要が焦っているのが解ったからだ。

要はすばやく辺りを見回すが、2人の姿はない。


「――やばい!」


要はそう小さく叫んで、急いで部屋を出た。


「ちょ、ちょっと待ってよ!」


その後をあかね達は戸惑いながら追った。




…… …… ……




三枝は、ゆっくりと口を開いた。


「呉野、助かったみたいですね」


言った三枝の目に色はなかった。


「――私、本当はずっと呼びたかったんですよ」

「え?」

「『優梨』『綾香』って――でも、なんだか気恥ずかしくていつまでも苗字で呼んでた」

「……」

「裏庭の温室は、よく優梨と綾香とお昼に一緒に過ごしたんですよ」


言って、懐かしそうに優しく微笑む。


「私、確かに貴女の言うように、優梨が死んでから貴女をずっと疑ってた。

でも、証拠はなにもなかったんですよね」

「……」


複雑な気持ちで榎木は三枝を見つめる。

――ごめんなさい。本当に――。

榎木がそう、謝罪をしようとした時だった。

三枝はゆっくりと、榎木の肩に手をかけた。


「だから、優梨と綾香と親しくないふりをしたんです。

だって、そうすれば吉原達が〝犯人〟の元へ導いてくれる――」


にこりと微笑んだ、三枝の瞳が冷たい。

三枝は、榎木の肩に置いた手に力を入れた。

榎木の体がバランスを取ろうと斜めにねじれて、足がもつれた。


「――っ!」


抵抗むなしく、榎木はバランスを崩して、声も上げられず階段を転げ落ちて行った。

螺旋階段を転げ落ちた榎木は、二階分転げ落ちて、踊り場でやっと止まった。


そしてそのまま、ぴくりとも動かなかった。

榎木の姿が見えなくなった階段を、三枝は見つめていた。


「貴女は『それがないと生きられない』と言った。

私にとっての『それ』は優梨と綾香だったの」


その瞳は、まるでなにも写っていないかのように、なんの色もなかった。



…… …… ……



――落ちる――解った瞬間、私の身体は妙な浮遊感に包まれた。

視界がぐるんと上へ向くと、吉原が螺旋階段の手すりから身を乗り出して、何かを叫ぼうとしているのが見えた。

だけど戸惑いからか、声にならず口をパクパクさせているだけのようだった。


そんな事を考えられるなんて、意外と冷静なのね。

私は自分自身にそんな事を思った。

身体が階段に叩きつけられる瞬間に、私の頭にとても優しい声が響いた。


―榎木―。


「榎木は、哀しいんですね。哀しくて、さびしいんですね。何も、誰も、信じられなくて、苦しくて……。その〝秘密〟を取り上げられたら、どうしようって、恐いんですね……」


――呉野だ。


私の記憶の中の呉野は続けた。


「榎木は、日吉と同じです。

もしかしたら本当にいじめたかったのは、殺したかったのは、

自分自身なんじゃないですか?

こんな自分を殺して、変わりたかった――こんな自分を叱って欲しかった。

日吉は、ううん、榎木も、きっと〝愛されたい〟んです。

ボクには、解るですよ。

榎木、榎木の〝秘密〟が無くっても、きっと、榎木なら、愛されます。

僕には解る――」


――ああ、そうだ。


私はあの時、呉野の言葉を遮って、呉野の首を掴んだ。

――聞きたくなかった。

だって、それを聞いて、認めてしまったら――私のしてきた事はなんだったの?


――苦しい。

――苦しい。

――苦しいよ。


呉野、あんたの言った言葉は、私にとってなによりの真実だった。


――そうよ。私は愛されたかった。


自分に自信が無くて、疑心暗鬼にいつも陥って。

霊感が無きゃ、嫌われる。

霊感が無きゃ、独りになる。


――孤独ひとりは怖い!


孤独は怖い……でも、私が孤独に陥るのは、霊感が無いからじゃない。

自分が弱いからだ。

人を信じず、なにも、愛さなかったからだ。


そうだよ、呉野……私は自分を、殺したかった……。

こんな私を、止めて欲しかった。


――ごめん、ごめんね。こんなに、身勝手で。


愛してくれと、狂気を他人に押し込んで。

解ってくれと、狂気を他人に突き刺して……。


――ああ。

――ああ……でもね、呉野……変色してゆく感情を、止める事など出来なかった。




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