VS“吸血姫”
キルヒは焦っていた。
当然だ、自分を殺し得る敵が目の前にいるのだから。
キルヒは永い時を生きる吸血鬼である。その永遠にも近い寿命の中で鍛練を続けてきたのだから、能力が高いのは当然だ。強くなり続けることはできず、途中で頭打ちを迎えてしまってはいるが、それでも永い時をかければ徐々に強くなっていく。
なにが言いたいのかと言えば、永き時を生き抜いてきた自分が、ぽっと出の小僧に負けるなどあり得ないのだ。
相手が例え全種族最強とされる黒帝であっても、齢二十もいかぬ若輩に負ける道理はなかった。
確かに妙な怪物を倒した時の雷は凄まじかった。ただ所詮は大した時を生きていない若者と思っていた。
それがどうだろう。
「っ、あっ……!」
今こうして正面から戦ってみて、押されているのはどちらか。
「……紫電の雷鎚」
淡々と呟かれた一言によって、天から膨大な量の紫電が叩きつけられる。なんとか逃げ出そうとするも間に合わず直撃した身体の九割が一瞬で灰と化した。空白になった思考が自動的に修繕されていく中で意識が戻った途端に敵の手が迫っていることに気づいた。ぱり、と紫電が迸ったことで悪寒が走り反射的に血を一滴だけ遠くへ飛ばす。次の瞬間意識と共に再生しかけた身体も消し飛んだ。血の一滴からでも魔力さえあれば瞬時に全身を再生できる。服も形成できるのだが、こうも追い詰められては優先度を下げる必要があった。やけに血の美味しい男とはいえ無闇に肌を晒すわけにはいかないのだが、命には代えられない。
全身を再生させ手を伸ばした体勢のカイトを注視して集中していた、はずだったのだが。
こちらを無感情な紅い瞳が捉えたかと思ったら景色が回っていた。景色が回ったのではなく自分の首が刎ねられたと気づいたのは、彼が愛用の剣を振り切った姿勢だったのと自分の頭と胴が切り離された感覚を得たからだ。切り離されても胴体を動かせるキルヒだが、知覚できなかったことに驚き次の行動が遅れてしまう。そうでなくとも避けることはできなかった。
カイトの振るう剣がいくつも閃いたかと思うとキルヒが八つ裂きになり、細切れになり、微塵となり、液体になるまで切り刻まれる。血液で刃を絡め取ろうにも速すぎて対応できない。血液はそのままなのですぐ元の姿に戻るが、その瞬間腹部を爪先で蹴っ飛ばされた。内臓があっさりと潰れただし貫けない程度の威力だった。キルヒの身体はゴムボールのように勢いよく吹き飛び、周囲にあった木々を薙ぎ倒しながら進んでいった。血を出させることで攻撃の機会を与えない徹底振りだ。そこまでしなくても反撃できるような暇がないというのに。血を吐き出す頃には既に遠くまで飛んでいた。
確実に格上だとわかる。本能が今のままでは絶対に勝てないと告げてくる。
それなら、奥の手を使うしかない。
倒れた状態で頭上に大量の魔力を感知。片腕の先を血液へと変えて効果範囲から逃れた瞬間、紫電が身体を焼き払った。
……ふざけた強さじゃな。
自分がここまで来るのにどれだけの時間を要したと思っている。それを赤子同然に扱うなど、並み大抵の黒帝ではあり得ない。
黒帝は確かに種族としては最強とされているが、キルヒはこの世で唯一純血の吸血鬼。加えて永年を生きてきた知恵と経験もある。
それがただ絶対的なまでのステータスの差で圧倒されていた。
黒帝が生涯で得られるステータスを明らかに超えている。本来であればキルヒでも黒帝と一騎討ちをすればいい勝負ができるはずだ。相手が若輩なら勝ちを拾える機会は大きいはず。
しかし目の前の相手はどうだろう。全力を出しているはずが圧倒されている。あり得ない。理不尽な強さだ。キルヒも幼い見た目で敵を蹂躙した時は化け物だなんだと称されていたが、目の前の怪物に比べたら優しいモノだ。
再生が完了したキルヒは魔力を探り動きのなさそうなカイトがなにを企んでいるか考える。すぐ攻撃してくる気はなさそうだが。
「……若造に嘗められっ放しというのも気に食わん。使うしかないようじゃな」
呟いて、彼女は自らの腕に噛みついた。そして吸血する。
芳醇な香りと濃厚な味わいが口いっぱいに広がる。寿命を縮める結果となる行為だが、それには癖になりそうなほどの快楽とこれほどまでにない力を発揮することになる。
キルヒの身体が褐色に染まり、目が赤く輝き出す。と同時にこれまで以上の力が湧き上がってくるのを感じた。
知覚範囲も広がりより明確にカイトの位置を捉えることができた。ぐっと膝を曲げて力を溜め跳ぶことで瞬時にカイトの前まで移動する。先程よりも速くなったせいかカイトが反応できていない。思い切り心臓目がけて手を突き入れた。生温かい液体が手を覆いまだどくどくと脈打つ心臓が掌の中にあった。手を引き抜き、握った心臓から血液を口の中へと吸い込んで魔力を回復する。カイトの血は一度飲んでいたが様々な生物の生き血を混ぜ合わせたような独特の味わいを持っている。しかし雑魚共の血を混ぜただけのミックスとは違い、色々な血が混ざりつつも一つの血液として味わい深く形作られている、比類なき血だ。心臓を抉り出して大量に吸血したためにより力が高まってくるのを感じた。
「……かなりステータスが上がってるな。見た目も変わったか」
カイトは心臓を貫かれたというのに顔色一つ変えずに言った。キルヒが手を引き抜いた後彼の穴が自動で再生していた。見たところただの『再生』などとは違うようだ。高難易度ダンジョンでも上半身が消し飛んでいたが元通りになっていた。『再生』は所詮生きている間だけに発動するモノだ。心臓を貫かれる、脳を破壊されるなどをされた場合は機能しない。若しくは機能したとしても死んだ後に身体だけが『再生』するので、生き返るようなことはない。
つまり『再生』ではない能力によって戻していると考えられる。キルヒは不死の吸血鬼とされているが、カイトに暴かれたように完全なる不死というわけではない。厳密な不死は存在していないとさえ言われているくらいなので、殺せはする、と思うのだが。
「『自血』……己の血を吸うことで格段に力を上昇させる吸血鬼の秘技よ。まさかこれを使う羽目になるとは、何年振りじゃろうな」
長い時を生きるキルヒにとっては年単位でも僅かな時間に感じるくらいの感覚がある。正確には覚えていないが、四、五年前くらいだっただろうか。
「……それで、俺に勝てるとでも?」
「知らんの。ただ勝つには必要というだけじゃ」
正直なところ、こうして相対していてもカイトの底が知れない。『自血』を使っても勝てなかったことがないからこそこうして生きているわけだが、勝てると慢心できないモノが胸中を這っていた。
「ッ!」
拳を振るう。身体能力が上がったおかげか、直撃して右肩を吹き飛ばした。すぐに再生していき吹き飛んでいない左で拳を叩き込んでくる。今度はキルヒの右肩が弾けるように粉砕された。しかし粉砕された直後に飛び散った肉片が集まって元通りになる。カイトの再生よりも断然速い。身体能力や再生力などあらゆる能力が『自血』によって高められた結果だ。
一発ずつ殴って互いの差を見た二人は、そのまま正面からの殴り合いを始める。
身体が後ろに吹き飛ぶことはなく、当たった箇所が吹き飛ぶためにずっと距離を保ったまま殴り合うこととなっていた。一撃の破壊力はカイトの方が大きいが、再生速度はキルヒの方が上だった。
カイトの思惑はどうなのか、純粋な殴り合いに身を投じている。このままでは限りなく無限に近いとはいえ有限の再生をしている彼の方が死んでしまう。キルヒは吹き飛んだ身体をすぐに元に戻しているので魔力の消費はなく、疲労を考えるようなこともなかった。
「……紫電の十字架」
殴り合いを続けながらぽつりと呟いた。その言葉に悪寒を感じたキルヒは直前で吹き飛んだ血液を遠くへ避難させる。次の瞬間、カイトの身体から一筋の紫電が迸りキルヒの身体へと伸びる。当たったと思った時には既に発動し、紫電が彼女の胸の真ん中を交差点にして十字架のように焼いた。十字架が直撃した箇所はもちろん、周囲も焦げて灰と化す。避難させた血液から魔力を消費して再生させなければ、確実に死んでいただろう。
「……流石に判断が早いな。あんたが考えるより早く動かないと、一方的にならないみたいだ」
褒めてはいるがなんの感情も抱いていない瞳がキルヒを捉える。全く以って厄介なことに、死を予感させる攻撃によって精神的なダメージを受け呼吸を乱すキルヒとは対称的に、全く息を乱していない。というかこいつが乱されるようなことが存在するのだろうか。
自分を殺せる敵に出会ったのは初めてだった。
キルヒとしては、カイトに思うことなど一つ。好みではあるからコレクションの一つとして置いてやってもいいか、というだけ。
彼女は自分の屋敷に顔立ちが整っていて自分の言うことを従順に聞く感情のない男達を飼っている。種族は問わず、見た目が良く従順で血が美味しければそれで良かった。
カイトはその条件に合致する。むしろもし誘って屋敷に来ることがあればモノにしてやろうと思っていたくらいだ。
だがこうして対峙していると、ヤツが得体の知れない化け物に見えて仕方がない。必死に戦っている自分とは異なりまだ余力を残しているようにも思える。
「……少し本気を出す。SSS級冒険者の実力は、大体わかった」
カイトはそう言ったかと思うとキルヒの眼前の突如として現れ腹部を拳で貫いた。全く反応できなかった速さに思考が空白になってしまう。
「……ほら、逃げないと死ぬぞ」
彼の言葉とぱりっという放電の音を聞いてぞっとし血液を飛ばした。直後、紫電によって全身が焼き払われる。
「ああぁ!!」
全身を再生させて体内の血液を操りカイトへと血のトゲを伸ばしたが、届く頃には彼の姿が消えごきりと視界が回転する。そこにカイトが見えた。首を折られ反対を向かされたと気づいたのはその後だ。
「……遅いな」
たった一言呟き紫電によって再び全身を焼かれる。伸ばしたトゲを切り離して逃れるが、二回の攻防で圧倒的な力の差を感じ取ってしまった。
……バカな……。儂の、儂の全力じゃぞ!? なんでこんなに……!
あり得ない。今まではこんなことはなかった。先代の黒帝を見たこともあるがここまで圧倒的ではなかった。
それがなぜ。
「……もっと早く行っても良さそうだな」
ただ確かめるような言葉に絶望しか感じない。カイトの姿が消えたかと思ったら、前後から攻撃を受けた。内臓が潰れ骨が砕けて血を吐き出す。目で追えないならまだしも、身体で知覚しても前後から同時に二発当たったとしか思えない。
「……死ね」
紫電が襲う。指先の欠片だけ残ったおかげで生き延びるが、もう勝ち目がないと理解してしまった。させられてしまった。
だからキルヒが戦っている相手から背を向けて逃げ出したのは、仕方のないことだった。だが逃げ出した瞬間にも紫電が身体を消し飛ばし、死が迫っていることを告げてくる。
……嫌じゃ。
彼女の中にあるのは生まれて初めて覚える、恐怖。
……嫌じゃ!
死にたくない。死にたくない。死にたくない。それだけの感情に身体を動かされるのは初めてのことだった。身体を再生しても再生しても消し飛ばされる痛みなんてどうでも良かった。兎に角今はヤツから逃げなければ――。
そうしてどれほどの時が経ったのだろう。
「あ……?」
キルヒは消し飛ばされた下半身が再生せず、森の中で勢いよく倒れこんだ。上半身だけの状態でごろごろと転がり土だらけになって制止する。気がつけば成人の身体から幼女へと戻ってしまっている。
「……あ、あぁ……」
なぜ身体が再生しないのかを、彼女は理解した。こんなこと今までなかったからわからなかったが、魔力が尽きたのだ。今心臓か頭を消し飛ばされたら、確実に死ぬ。
そう思うと涙が溢れてきた。何年も生き長らえて初めてかもしれない。
ぱき、と枝を踏み折る音が聞こえた。
「……嫌じゃ、嫌じゃ……儂はまだ、死にたくない……!」
完全に心が折れてしまい、ただ喚くだけになってしまっている。そんな彼女を摘み上げるように、カイトは持ち上げた。
「……それでいい。お前は使えるからな。生かしてやる代わりに、俺の頼みを聞いてくれ」
達成感もなにも感じさせない声音でそう告げた。頼みとは言っているが、脅迫や命令に近い。死の恐怖とプライドが折れたことで泣きじゃくっていても、彼は気にすることがない。
「……」
カイトはなにも思ったのかキルヒを地面に下ろすと、剣で掌を裂いて自分の血を彼女の顔にかけるように垂らした。
こんな時でも美味しいモノは美味しい。死ぬ直前まで追い詰められたことで生を欲しがった彼女は、かけられた血を浅ましく飲んだ。屈辱よりも死にたくないという恐怖が勝った結果だ。
「……さて。これで次の段階に移れるな」
キルヒの身体が再生していくのを他所に、カイトが感慨なく呟いた。