ただの下準備
俺が懸念している問題のために、下準備をする必要があった。
なのでギルドへ来たのだが、
「あれ、カイトじゃん。こんな時間に会うなんて珍しいな」
酔いが回り切ったルグルスのパーティが目につく。四人で飲んでいるらしく、なにかいいことでもあったのか普段よりペースが早いように思う。
「……ああ。なにかいいことでもあったのか?」
世間話を装って探りを入れてみる。
「おう、まぁな。実はよ、一回失敗して逃げ帰ったクエストにリベンジできたんだ!」
酔っ払っているからかいつもより気安い。ばしばしと肩を叩いてきた。……なるほど。一度敗走した相手に勝利を収めたから、そんなにも上機嫌なのか。
「いやぁ、俺達も地道に強くなってるもんだな。お前がアドバイスしてくれたってのもあるけどよ」
成長を実感できたからいつもより浮かれているらしい。……これは、使えるかもな。
俺の下準備のためには、ルグルスの協力が不可欠だ。今の酔いが普段以上に回った状態の彼につけ入るのはいい手と言える。
「……そうか。なら奢ってやる。もっと飲むといい」
「マジか! じゃあお言葉に甘えて。おい、お前ら今日はじゃんじゃん飲むぞ! なにせ英雄たるカイトの奢りだ!」
そういうノリには巻き込まれたくないが、今回は目を瞑ろう。久しく存在していなかったやる気というモノがおそらく俺の中にあった。この程度なら多少は構わないと思えている。
そして周囲をも巻き込んで飲めや歌えやの大騒ぎ。酔いが回り切った人は勝手に盛り上がっていくので、俺がなにをしようとしなくても問題ない。
やがて解散した急遽の宴会後、運良くルグルスと二人きりになった。自分達の足で帰れた他の仲間とは違い、飲みすぎた彼は自力で歩けないほどだった。対して俺は付き合い程度には飲んだが酔うほどでもないので、ルグルスに肩を貸している状態だ。
「……あー。悪いな、肩貸してもらって」
「……別にいい」
俺のステータスならルグルス程度を抱えたところで苦にもならない。指で摘まみ上げても持ち上げられるだろう。
「しっかし、カイトは戦いも強いのに酒にも強いんだな。人じゃないんじゃないかと思うくらいだぜ」
正しくは黒帝だが、一応まだ一般には知られていない。……これなら、自然な流れで切り出せそうだな。
「……それも当然だな」
「ん?」
「……俺が生まれ持ってるスキルの内、『蠱毒』は倒した相手の力を自分のモノにする。だから人じゃないってのは半分正解だ」
この世界に来た当初は人の血だけが流れていたが、今となっては今まで殺してきたモノ達の血が無数に混ざり合った状態だ。今の俺を人と表現していいかは悩むところではある。
「……そりゃ、凄ぇな。英雄になるべくしてなったってわけだ」
なぜか彼には凄いと言われてしまった。ルグルスの心の広さを表しているようだ。
「……へへっ。ちょっと嬉しいな、カイトからそういう話をしてくれるなんてよ」
「……酔ってるってことにしておいてくれ」
妙に喜ばれてしまったが、まぁ想定内ではある。
きっとルグルスはこの話をしたことで俺と信頼関係を築いていると、そう思っているのだろうな。
◇◆◇◆◇◆
数日が経ち、下準備は完了した。
「……ルグルス。お前達に受けて欲しいクエストがあるんだが」
俺は彼らにそう声をかけた。
「ん? なんで俺達が? カイトが受ければいいだろ?」
「……この間リベンジできて強くなったとか言ってたからな。実際にどう変わったのか見たいってだけだ」
ただのそれなりに強いヤツを討伐するだけの依頼だ。
「……まぁ少し遠出にはなるから、受ける受けないは自由だ。受けなくても害はないしな」
「カイトからの試練ってことか。面白い、やってやろうぜ」
俺の言葉は聞いているのかいないのか、ルグルスが笑って仲間達に声をかける。仲間達もやる気に満ちた表情をしていた。
そして俺とルグルスのパーティは、少し遠くにいる敵の討伐へ赴く。
それなりに強い、と称したように俺が見た限りで四人が力を合わせればなんとか勝てる程度の敵だ。このためにギルドでどのランクならどのクエストを受けるのが適切なのかを聞いていた。俺が戦っても残念ながら一定以下の敵はどれも同じような強さにしか感じない。見た目で強そうか弱そうかなどの判断では正確性に欠けるだろう。
結果から言えば、ルグルス達は見事にそいつを討伐した。全員汗だくで、怪我をした瞬間もあったし、楽な戦いではなかったのだろう。討伐が確認できた瞬間、四人共へたり込んでしまった。
「なんでこんな、ホントにギリギリのヤツ見つけてくるんだよ……っ」
文句を言うような口調ではあったが、顔から達成感が滲み出てくる。
「……受付嬢に色々聞いたからな。まぁ、倒せるだろうとは思ってた」
「よく言うぜ。いやけど危なかったよな、流石に死ぬかと思った」
笑うルグルスと仲間達が達成感に包まれて先の戦闘について談笑し始める。
そこへ。
「「「……っ!?」」」
膨大な魔力を持った反応がやってきた。遥か遠くからでありながら物凄い速度で瞬時にこちらへ到達する。
近づいてきたヤツはルグルスに狙いをつけており、凶悪な爪を振り被った。座り込んでいたというのもあるが、ヤツの速さに全く目が追いついていない。俺は右腰に提げた剣を抜いて間に割り込み爪を受け止めた。だが押し負けて吹っ飛ばされる。空気抵抗に逆らいながら着地し、ヤツがもう一度爪を振るうのに対して先程よりも強く地面を蹴り、蹴りを放った。ヤツは素早く両腕を交差してガードする。そのせいか、十メートルくらい後退させただけに留まった。
かなり思い切り蹴ったつもりだったが、相当なステータスだということがわかる。
そいつは三メートルくらいの体長をした二足歩行の獣だった。長い凶悪な爪に加え、脚はそこまで長くないが腕が太かった。肩が岩のように盛り上がっており、背中には黒い鳥のような翼が生えている。全身は薄い毛に覆われていて薄茶色だ。顔つきは獣のようだが狼とも狐とも似つかない。焦げ茶色になっている三角耳に赤い瞳を持ち、獣にしては鱗のように硬そうな細い尻尾が生えていた。
少なくとも俺は見たことのないモンスターだが。
「な、なんだよこいつ……! こんなヤツ見たことねぇぞ……!」
我に返ったらしいルグルスが叫ぶのを耳にして、混乱を感じ取る。
「……疲れてるとこ悪いが、走れるか?」
「おい、カイト! まさかお前一人で戦うって言うんじゃないだろうな」
「……ああ。全力で戦うには邪魔だ」
「っ! くそっ、死ぬ気じゃないんだよな!?」
「……ああ。それに、お前は知ってるだろ」
俺の言葉を受けてルグルスがはっとしたような顔になり、表情を引き締めてなにかを決意した顔になった。
「……行くぞ、お前ら。俺達があいつの、足手纏いだ」
落ち着きを払った声ではあったが、微かに震えていた。理由が俺を置いていくことに対しての感情なのか、それとも自分の無力さへの感情なのかは俺にはわからない。
どちらにせよ、仲間達も彼と同じ気持ちだったのだろう。疲労した身体に鞭を打って立ち上がり、暗い面持ちで駆け出した。
「絶対に死ぬなよ!」
最後に残ったルグルスがそう叫んでくるのが聞こえた。そして彼も走り出して足音が遠ざかっていく。俺は目の前の獣と一対一になれたところで、大きく一息をついた。
そして全身から『紫電』を迸らせて、獣へと一歩踏み出した。
◇◆◇◆◇◆
最初に死んだのはヘイザックだった。
カイトの誘いで俺達がギリギリ勝てるくらいの敵に挑みに来た。カイトには前に俺達の戦闘を見てもらっていた上に、実力が俺達より遥か上だ。俺達があいつのようになれるとは到底思えなかったが、最近は高難易度ダンジョンの攻略に出て、そして大半が死んだ俺達より強い冒険者達のことを考えて普段より慎重に依頼を選んでいた。飛び級でBランクに上がったというのもあったが、実際俺達にのしかかってくる比重が重くなったように感じていた。だから俺達まで死ぬわけにはいかないと、確実に勝てそうな相手だけを選んでいた。そこにカイトからの申し出があって、久し振りに腕が鳴る依頼になると意気込んでいた。
そこまではいい。
それから一通りモンスターの種類は頭に入れているはずだが、全く見たこともない上に特徴すら被るヤツのいないモンスターが現れた。しかも油断していたとはいえ、全く反応できない速度で襲いかかってきた。
カイトがいなければそこで死んでいただろう。だから足を引っ張るばかりの俺達はあいつにモンスターを任せて逃げ出した。悔しい気持ちでいっぱいだった。
だがそこを、また見たこともないモンスターに襲われた。こんな不幸な偶然があってたまるか。逃げ出すために戦おうにも、俺達の中でヤツの動きに反応できたのは最も身体能力に優れたヘイザックだけだった。治療の才能があるから普段前衛に出さないとはいえ、本当ならもっと上のランクのパーティでもやっていけるだけの戦闘力も持っている凄いヤツだ。
だから自分を回復しながらヤツと戦い殿を務めてくれたあいつに報いるために、俺達は逃げ延びなければならなかった。
逃げた俺達三人の中で、最も身体能力の低い魔術師であるガナートが殺られた。口元と両手の鉤爪を大量の血で染めた、ヤツに。
目の前で仲間を殺されて黙っているわけがない。普段冷静沈着で俺達が焦っている時ほど頼りになるナグレスは、初めて見るくらいに激昂してヤツに襲いかかっていた。俺も戦おうとした。戦いたかった。だがナグレスは俺に生きてくれと頼んできた。それが最期の頼みになることはわかっていた。だから必死で走るしかなかった。
……俺が、俺が殿を務めていれば良かったんだ。
そんな後悔が逃げている最中頭の中を駆け巡っていた。他の三人とは違って特筆すべき才能がないとはいえ、一応パーティの壁役だ。鎧を脱ぎ捨てた今となってはそれも叶わないが、少しくらいは時間を稼げたかもしれない。
けど俺は、俺のために死んでいったあいつらのためにも逃げることをやめられなかった。生きて帰って、あいつらの墓を作ってやり、あいつらの家族に頭を下げて回らなければならない。本当はあいつらと一緒にずっと冒険者をやっていたかった。それももう、叶わないのだ。
「……はぁ……はぁ……はぁ……っ!」
気づけば俺は、カイトと別れた地点に戻ってきていた。カイトは俺達と違う。英雄になるために生まれてきたような存在だ。俺達と一緒に酒を飲んでいたことが不思議なくらい、超常の存在だ。そんなカイトなら、最初に襲ってきたあいつを倒して、その上でヤツも倒せるかもしれない。そんな期待を無意識に抱いていたのかもしれない。
辺りを見回して目立たない恰好の青年を探し、見つけた。胸中から湧いてくる安心感に力が抜け、膝から崩れ落ちる。
見たところ怪我もない。やっぱりカイトなら勝てるんだ、という安心が生まれた。
いつもと変わらない無表情で俺の方へ歩み寄ってくる。表情は読み取りにくいが、俺が一人で戻ってきたことから、なにかを察しているのかもしれない。
「カイト……っ!」
安堵したせいか少し涙腺が緩んでしまったらしい、景色が歪む。合流できた喜びからそう呼びかけ、しかし仲間達のことを想って視線を落とす。
「そうだ……ヘイザックも、ガナートも、ナグレスも、皆……っ。見たこともないモンスターが現れて……っ。俺はあいつらを、守れなかったんだ……」
三人のことを想うと後悔が湧いてきてしまう。後悔だけが俺を支配して、ただ地面をぼーっと眺めるだけになった。これから俺が、どう生きていけばいいのかわからなかった。あいつらとずっと一緒に冒険者としてやっていくつもりだったから、当然だ。戻ったところで俺になにができるのか、全然思いつかなかった。
そうやって自分のことばかり考えていたから、全く気づかなかった。いや、気づいていたとしても反応できたかはわからない。
「……えっ?」
一瞬視界になにかが映り込んだ。次に感じたのは痛みだ。右肩から左の脇腹までに燃えるような激痛を感じた。俯いていた俺の視界に赤い血が噴き出て色づく。
頭が空白になった。身体から力が抜けて仰向けに倒れ込む。どちゃっと水気の多い音がした。
なにが起こったのか理解できない。いや、状況から考えれば理解できる。
自分が斬られて倒れたのだ。なら斬ったのは誰か。簡単だ。目の前には独りしかいない。
「……死んでくれないと困るな」
いつもと全く変わらない無感情な口調で、声が降ってきた。その声の主と言葉に、死に行くだけだった身体に僅かな熱が戻る。俺が滅多に抱くことなんてなかった、怒りという熱が。
激痛なんて知ったことか。死にそうだからなんだ。そんなことはどうでもいい。
ただ目の前の人物に対しての怒りだけが俺の命を僅かに繋いでくれた。
「カイトォ……ッ!」
怨嗟を口にする。自分の口からこんな声が出るのかと、不思議に思うくらいの声だった。
……自分で考えておいてなんですが、どっちが主人公なんだか。