殺戮の女神、誕生
お久し振りです。だいぶ遅くなってしまい、申し訳ありません。
合間にちょくちょく書いてはいたんですが、ちょっと区切りがつかずに長めになった感じです。
不定期更新にはなりますが、今後ともお付き合いいただけると幸いです。
「これで、退治した証拠になるか?」
諌山さんが山賊退治の依頼から戻ってきた翌日、私達は時元の女神アルディの下へやってきていた。
アルディは初めて会った時と同じ恰好をしていたが、髪型が違っている。薄い赤色の長髪を後頭部で一括りしていた。所謂ポニーテールという髪型だ。
アルディに諌山さんが見せたのは、冒険者登録をした時に貰えるギルドカードだ。ランクや名前もわかる、冒険者の身分証といったところだろうか。
小柄な彼女は黒いふかふかのソファーからぴょんと飛び起きると、諌山さんの前に歩み寄ってギルドカードを手に取った。
「ふむ。目撃情報通りの冒険者のモノじゃの。依頼達成、ご苦労じゃった」
ギルドカードを受け取ったアルディはそれを確認すると、退治完了をあっさりと認めてくれた。
「シズカが派手に野営地を燃やしおったからの。消火がてら見に行っておったのじゃ」
どうやら既に諌山さんの成果については確認済みだったらしい。
「それで、盗賊退治は終わったのだが。これからどうすればいい?」
諌山さんが話を先に進めるべく尋ねた。
「ふむ……お主らに山賊退治と塔の停止を頼んだ。その代わりにわしの生涯の目的の話と伝手の紹介をするんじゃったかの」
改めてアルディが私達の取引内容を口にする。
「ああ。だが山賊退治程度でこの塔を百年停止させられるだけの実力が手に入るわけではない。そうだろう?」
諌山さんがそう言ってアルディに不敵な笑みを向けると、アルディも同じように口端を吊り上げた。
「その通りじゃ。わしら女神がお主らのような異世界人ではない――この世界の住人を倒したところで、得られる経験値なぞたかが知れておる」
人を経験値呼ばわりするなんて、この人はこんな幼い見た目でも人を超越した精神の持ち主ということだろう。
長生きしているからこそ段々感覚が通常の人間とはかけ離れていくのだろう。それか、元々普通ではいられなかったのかもしれない。
「要はわしがお主を鍛えてやろうというわけじゃな」
あっけらかんと言い放つ。どうやら元から諌山さんを鍛えるつもりだったらしい。まぁ転生したての新米女神にそれほどの力は求めていなかったということだろう。
「それは有り難いが……いいのか?」
流石にアルディ自身が鍛えてくれるとは予想していなかったようだ。
「もちろんじゃ。わしのためでもあるしの。一週間でシズカをこの塔が停止できるくらいには鍛えてやろう。その滞在期間分の生活費やらなんやらはわしが用意してやるからの、好きに過ごしてくれればいい」
「破格の条件だな。鍛えてもらえる上に生活まで保証してくれるとは」
「まぁこの塔はわしが幾年も過ごした愛着ある城じゃからのう。崩れたら人目も憚らず泣き喚くじゃろうな」
冗談めかして笑うアルディだったが、その前に一瞬見せた懐かしむような目が大きな愛着を持っていることを物語っていた。
「ふっ、そうか」
諌山さんにもそれがわかったのだろう、優しく笑っていた。
「んんっ。まぁわしの代わりに山賊退治をしてくれたことと、この塔を停止させること。この二つ以外にわしのして欲しいというのはないのでな」
少し頬を赤らめて咳払いをしつつ新たになにかを頼むことはないと告げてくる。
「しかしまぁ、お主らが余分だと感じたのなら、いつか返してくれればそれで良い」
「わかった。今回の取引はこれまでにしよう」
アルディは私達を、恩を売っておくに値する者達だと判断したのだろうか。諌山さんも取引としてはこおこまでにして、また今度恩を返すつもりのようだ。今の私達にこれ以上アルディへ与えるモノはないということだろう。
私が考えても、特に有益な情報もなくアルディに与えられるモノはなさそうだった。
「うむ。ではシズカの特訓に一週間。その間他の者達はこの街に滞在してもらう。滞在期間中はゆっくりしてると良い。伝手に対してもう書状を送ってあるからの。物資の補給は手配しておくから心配せずとも良いのじゃ」
特に問題なく取引は終わりそうだった。
あと一つ、アルディの生涯の目的を残して。
「――では、わしの生涯の目的について語ろうかの」
そう言ってアルディは、小柄な体躯にそぐわぬ大きなソファーに深々と身体を預けた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
わし――アルディリアは生まれつき強大な魔力を持っていた。
家名を持たない平民の子としては異常までの力を持って生まれてきた。貴族、という言葉は当時存在しなかったが、それに類する才能に秀でた優秀な一族はおった。
じゃが、そやつらを一笑に伏すほどの力を持って生まれたのじゃ。
地位を危ぶむ存在なれど、淘汰するには惜しい才能。
人はわしを神の子として崇め奉った。
しかしその茶番もわしが生まれて二年の間しか持たんかった。
さらに優秀な、妹が産まれたのじゃ。
わしが神の子とするならば、妹は神そのもの。それだけの差がわしらの間には出来ていた。
崇め奉る対象がわしから妹に移っただけのこと。
と言ってもわしに妹を羨む気持ちはないし、無邪気に姉として面倒を見るぐらいはしておった。
わしが自身の時を操り、次元を操ることに長けていたのに対し、妹は総てにおいて超越した才能を持っておった。わしの得意分野ですら霞むほどの才能の持ち主じゃった。
しかし、今は存在していない。
女神に選定されたわしをも超える力を持っていた妹がそう簡単に殺されるわけもなく。
事実、妹は誰かに殺されたわけでも自殺したわけでもなかった。……ある意味では自殺とも取れるのじゃが。
「お姉ちゃん、世界の魔法ってこれだけなの?」
人、エルフ、果てはモンスターまで。粗方全ての魔法を会得した妹は、ある日わしにそう言った。その時わしはなんて答えたか、正確にはもう覚えておらん。じゃがきっと、「世界は広いからまだまだ知らないことがある」なぞと嘯いたのじゃろうな。
妹は「ふぅん」と言って、次の日から世界中の魔法を収集し、習得し始めた。
種族さえ越えてあらゆる魔法を会得していく妹に、わしは畏怖していた。
妹が人の形をした別のなにかに見えてきた。
やがてわしが十、妹が八になる年に、
「お姉ちゃん。世界ってつまんないね」
と妹は悲しそうにわしに告げた。……もう妹が会得していない魔法はないに等しかったのじゃ。
突出しすぎた才能を持って生まれた妹は精神の成熟速度も早く、わしには二つ年下の彼女が大人びて見えていた。
「もう魔法、ないんだって。まだ私八歳なのに。もうほとんど覚えちゃった」
魔法を習得し始めてからは三年も経っていないはずじゃ。それだけの時間で、他の者が魔法を極めるような時間で、妹はあらゆる魔法を会得した。
さぞかしつまらなかったのじゃろう。
さぞかし他の者が愚かに見えたじゃろう。
「――つまんないの」
ぞっとするほどなんの感情も込められていない声で、妹はそう言った。
「だからね、お姉ちゃん。私はもうこの世からいなくなろうと思うんだ」
どこか寂しそうな笑顔だった。
もちろんわしは止めた。しかし妹には確固たる決意があったのじゃ。
「大丈夫だよ、お姉ちゃん。ただ自殺するだけじゃお父さんもお母さんも心配しちゃうし。ちゃんといなくなるから、大丈夫」
なにが大丈夫なのか。妹がなにをしようとしているのか。天才と言われていただけのわしには理解できなかった。
「ワールド・レボルーション」
世界を変革させる魔法を創ったのだと、わしに説明してくれた。
「私の創ったこの魔法はね? 今の“この世界”に“私の生まれなかった世界”を割り込ませる魔法なの。“もしもの世界”に移るって言うのかな。まぁ、お姉ちゃんにはわからないよね」
わしには妹の言葉の半分も理解できなかった。
「この魔法は使い方によってどんな願いでも叶えられるようになる魔法なんだよ。例えば――“お姉ちゃんが私よりも才能を持って生まれた世界”に移ったら、とかね」
そんなことを願うつもりはない。
確かに才能を羨ましく思ったことはある。だが自分より才能のある妹を恨めしく思ったことなどなかった。
周りにもっと頑張れだのと言われようとも、わしは妹を誇らしく思っている。
「多分そんなに使える人は出てこないと思うけど。世界が変わったら、お姉ちゃんにはわかるようにしてあげる。……それがいいことかどうかは微妙だけど」
妹は少し憐れむように笑った。そして、幾重にも複雑に絡み合ったわけのわからない魔方陣を展開する。
その魔法が例の世界を変革させる魔法なのだと本能的に理解できた。わしが待て! と叫んだところで止まるわけでもない。わしと妹は仲が悪いわけではなかったが、特別仲がいいわけでもなかった。原因は少し負い目を感じていたわしにあると思うのじゃが。
妹の小さな身体を包み込むように、縦横無尽に魔方陣が描かれていた。妹に比べると少ない魔法しか覚えていないわしでも、それらの魔方陣が一つの魔法を構築しているのだと思うとその異常さが理解できた。
「我の声に応え、我の望む世界へと理を変えよ――ワールド・レボルーション」
詠唱を行い、魔方陣達がより一層輝きを増す。発動間近の兆候だった。
「じゃあね、お姉ちゃん――」
最後に妹は笑って別れを告げる。わしが手を伸ばし身体に触れるその直前で、世界にノイズが走った。
妹の身体が白黒に変わり、姿が揺らぐ。わしの手が届く頃にはもう、妹の姿は消えていた。
まるで今までのことが夢であったかのように。
わしは無我夢中で家に戻った。妹が消えてしまったという事実から目を背け、母に妹がどこに行ったのか尋ねてみる。
「妹? あなたは一人っ子でしょう?」
不思議そうに、母は妹のことをいないモノとして扱った。
「そんなことよりどこへ行ってたの? 今日は禊の日でしょう?」
禊の日。それは神の子と呼ばれていたわしが行っていた儀式だった。妹が成長してからは妹がやっていたはずだった。
思わずわしは家を飛び出した。村中の人に、妹はどこかと聞いて回った。
誰も、妹を知っている人はいなかった。
わしは疲れてしまい、禊が終わった後にすぐ寝床へ入った。
暗い部屋で一人になると、途端に頭が冷静になってくる。
『“私の生まれなかった世界”に移る』
妹はそう言っていた。
つまり妹の魔法は発動され、そして成功したのだ。今のこの世界においてはわしに妹なぞ存在しない。
おかしいのは世界ではなく、わしの方じゃった。
「……」
姉失格じゃと思った。
わしはその日に決意を固めた。
――妹に会って謝って、叱って、笑い合って。
妹に世界は広いのだと、魔法だけが世界の全てではないのだと教えてあげなければならない。
わしには妹の気持ちが少しわかった。そして、妹の知らない楽しさを知っている。
言い方は悪いが妹のおかげで禊などの役目から解放されたわしは、遊ぶということを学んでいた。
妹が知り得なかったそれらをわしが姉として教える。
そのためにわしは――。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「何年かかろうとも妹のいる世界を取り戻す」
アルディが私達に語った話はシャフルールの持つ書物にもなかったことだった。
「わしの生涯の目的はそんなとこじゃな」
アルディはそう言って疲れたようにソファーに深く身を埋める。
「世界変革の魔法か……。流石は異世界、なんでもありだな」
流石の諌山さんでも衝撃的だったらしい。
「魔法の可能性は無限大じゃが、その無限大の可能性を手にできるのは一部の才能ある者だけじゃな。それも多方面に才能のある者でないといかんの。特化型の女神では無理じゃ」
アルディは私達では無理だと断言した。無数の魔法の特色を繋ぎ合わせて創る必要があるのかもしれない。
「妹のそれが、わしの体験した初めての変革じゃったな」
ぽつりと呟いた彼女の言葉に、諌山さんが即座に反応した。
「初めて? 他にもワールド・レボルーションを創ったヤツがいたのか?」
「ん? そうじゃな。発動前後の状態から考えて、黒帝という種族が現れたのもこの魔法じゃ」
「黒帝が……?」
アルディがなんでもないことのように口にしていく新たな事実に、諌山さんが顎に手を当てて考え込む素振りを見せた。
「他には何代目かの黒帝が使った時、白皇が出現したのじゃったか。孤高に過ぎた黒帝が自分に見合う番いを求めた結果じゃろうな。他はわしの預かり知らんところで行われておるからの、誰がやったかもわからん。無論、誰にでもできるわけではないから候補は絞られるのじゃがな。黒帝なぞというわしの知らん種族がいきなり出現して、それが世界に受け入れられていればわかるのじゃが。……ただわしの知っている限りでは、独特のノイズがあったのは妹が使ったのも含めて四回じゃからな」
アルディの妹が生まれなかった世界への移行。
黒帝のいる世界。
白皇のいる世界。
そしてアルディの知らない変革。
今までに世界変革は四回行われているということらしい。
「まぁわしの生涯の目的やらなんやらの話はこの辺りで終いかのう。なにか質問は?」
アルディはそう言って私達を見回す。
……少し考えてみたが、特に質問はなかった。疑問というならたくさんあったけれど。
「……特には、ないな」
諌山さんも同じような考えらしい。
疑問は尽きない。
残る一回の世界変革も気になるが、私が気になったのは誰が黒帝を創ったのかだった。
全ての種族を統べる最強の種族。同時期に一人しか存在することのない特異な種族。
一体誰が、なにを願ってそんな世界に変えたのか。
それは黒帝という種族がなんのために存在しているのかという、存在意義に関わることだと思った。
「いや、悪い。一つだけあった」
諌山さんが思い立ったようにアルディへ質問を投げかける。
「初代黒帝は、なにを成した?」
諌山さんも私と同じことが気になっていたようだ。……しかし、私よりも諌山さんが一歩前を行く。同じ考えを持っていても答えを得るために頭を働かせるまでのタイムラグが少ない。その差は明確で、致命的なモノとなるだろう。
「初代黒帝が、かのう」
アルディは小首を傾げて天井の灯りを見上げる。
「――ヤツはなにもしておらんの」
私や諌山さんが固唾を呑んで答えを待つ中で、彼女は惚けた声でそう言った。
これには諌山さんも驚いたようで、
「な、なにもしていないだと?」
珍しく動揺した声を上げていた。
「うむ。なにもしておらん」
アルディは堂々と言ってのけた。
「と言っても本当にただの一村人で終わったわけではないがの。少なくともわしの耳に届くぐらいには有名じゃった。確か……なんじゃったかの。一万じゃったか十万じゃったかの軍勢をたった一人で消し飛ばしたとかなんとか……。じゃがその一回だけじゃったかのう。他の黒帝に比べると随分地味じゃろう?」
アルディは平然と告げる。確かにシャフルールの持つ文献から読み取った歴代の黒帝達の物語とはかなりの格差があるように思えた。自分の国を築いたとか、神に戦いを挑んだとか、数百万のモンスター達を全滅させたとか。
それらに比べると確かに初代黒帝の成した所業は大したことがないと言えるのかもしれない。
それでも万単位の軍勢をたった一人で全滅させられるほどの力を持っているのだろう。
そういう存在が欲しいと願う誰かのために、黒帝は創られた。
……その辺りの理由は本人を当たるか、歴史を紐解いていくしかないのでしょうね。
少なくとも現在の黒帝がなにを成すように強制されるのか、現段階ではわかりそうになかった。
謎は深まるばかりだが、アルディが知らないことを聞いても仕方がない。
今日はこれでお開きとなり、一週間の出発猶予が与えられた。
考えることは多いが、私達にはなにが起きても大丈夫なように己を鍛えるしかないのだった。
◇◆◇◆◇◆
「あ、あのっ、少しお話があるんですけど」
同行していた少女の一人が、諌山さんを含む私達にそう切り出した。
『浮遊』持ちの娘だ。遠慮しているのか要領を得なかった彼女の話をまとめると、
「これ以上の同行は遠慮したいので、この街に残ります」
ということだった。
先日の一件で警戒こそしていたが、監視しておきたいわけではない。彼女には悪いが、別行動を取るならそれでも良かった。
そして、出発当日。世話になったアルディに挨拶しようと塔へ向かった。
アルディは最後に、同じ女神のよしみとして忠告をくれた。
「魔女には気をつけろよ」
真剣で鋭い言葉だった。
魔女と言えばシャフルールを女神にした人物だったか。
アルディは、シャフルールもそうらしいが、魔女について知らないらしい。
どう探っても正体が掴めない魔女。
彼女がなにを企んでいるのか、なぜ誰かを女神にする力を持っているのか。
シャフルールのように元の種族を持ったまま女神になる魔法や現象を、アルディは知らないらしい。
物知りなシャフルールと長生きなアルディが知らないとなると、相当なものだろう。
謎はいくつか増えたが、早い段階でアルディと会えたのは良かった。
おそらくシャフルールも、私達に有意義だと判断したからここへ向かうよう指示したのだろう。
世界変革と黒帝の存在意義。魔女の正体。
頭の片隅に置いておく謎が増えただけで、話を聞く価値はあったのだろう。
そんなことを思いながら、私達はイルデニアを出て次の街へ旅路を進めるのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
七人の女神を含む異世界人の集団が街を去ったその夜。
「はぁ……はぁ……っ」
少女は一人、暗い夜道を彷徨っていた。
その少女こそ、異世界人の集団でたった一人イルデニアに残った水上乃彩である。
呼吸が荒く頬は上気している。薄っすらと汗を掻いて前髪が額に張りつく様はどこか妖しくも見えた。
「お、おい。お嬢ちゃん、大丈夫か?」
既に夜も更けた時間帯であり、裏路地に年若い少女がいること自体不自然だ。しかも呼吸荒く壁に手をついている少女を見かければ、なにかあったのかと訝しんでもおかしくはなかった。
「は、はい。大丈夫です」
水上は話しかけてきた男性の声に小さく顔を上げる。自然と上目遣いになり、前傾姿勢になっているせいで胸元の谷間が男の視界に入った。
こんな時間に人気のない裏路地に迷い込んだ少女相手に、下心を抱かない者はいない。時元の女神がいる街と言えど、治安の悪い地区はあるのだった。
「大丈夫そうには見えないし、ちょっとその辺で休もうか」
優しさを見せるフリして誘っているのが丸見えだったが、そっと肩を回された水上は抵抗せずに男についていく。
――ここまではよくある光景だった。
「ん?」
ふと、男が怪訝な声を上げる。
ふわり、と男の身体が淡い光に包まれて宙に浮いていた。
「……ああ、やっぱり。男の人って釣られやすい」
ぞっとするほど愉快そうな声が、男のすぐ隣から聞こえた。
「な、なんだよこれ!?」
地面から一メートル離れた高さまで『浮遊』してようやく男は困惑を声に出した。
「ふふ、あはははっ……」
淡い光に包まれ宙に浮いた状態でじたばたする様が滑稽に映ったのか、水上は笑う。その様子を見て騙されたと自らの危機を悟った男は、確率は低くとも助けを呼ぼうとした。
「だ、誰か! 助け……っ!?」
夜更けの路地に助けを求めようとするが、歯と歯がぶつかってがきんと音を立てるほど急に口を閉じた。彼が目を白黒していることから、彼自身の意思ではないことは確かだった。
「無駄ですよ。あなたのステータスでは私の力から逃れられません」
楽しそうに唇を歪めながら、水上が男を見上げた。その瞳には、絶対的優位に立っているという優越感が宿っている。
「さぁ、お楽しみの時間です」
にっこりと、薄暗い裏路地に似合わぬ笑顔が見えた。
と思った次の瞬間だった。
べきり。
「えっ――ぎゃあああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?」
男が今までの人生で聞いたこともない、耳に残る嫌な音が人気のない路地に響いた。戸惑いの視線を向けると男の左腕が関節部分で逆に折れている。困惑は一瞬で、ただただ激痛が襲う。
わざわざ押さえつけていた口を開かせてまで、悲鳴を聞いていた。
「あぁ……」
とうっとりした表情をするほどだ。
「前の男性は引き裂いても操れるかどうか試してしまったら終わりましたが。あなたはそうですね……全身の骨がバラバラになるくらいに、捻じってあげましょう」
目から涙、口から涎、左腕の半ばから血が流れる悲惨な姿を見ながら、楽しそうに語る。
しゃくり上げるようにひっと男の喉が鳴っても気に留めない。
完全に自分だけが良ければ相手のことなどどうでもいいようだった。
「こう――雑巾でも絞るように」
雑巾を両手で縦に持ってゆっくり絞るような動作を取る。すると男の身体がその動きに合わせて捻じれていく。
ゆっくり、ゆっくりと身体が捻じれていく。
ぎしぎしと骨が軋む音が聞こえ、徐々に男の顔が恐怖一色から苦悶に変化していた。身体が捻じれたことで徐々に苦痛が全身を蝕んでいるのだろう。
じわじわと襲う苦痛から逃れようともがくこともできない。
全ては目の前の少女の掌の上。
やがて限界を迎えた男の身体から、ごきりという音が聞こえた。
「あ――ぎゃああああぁぁぁぁぁぁ!!」
堪らず喉から出た大きな悲鳴。しかし彼女にとってそれこそがこの残虐行為で欲しかったモノだった。
うっとりと頬を染めて悲鳴を聞きながら、男の身体を捻っていく。興奮のあまりややペースが早まってしまい、悲鳴が聞こえなくなるまでの時間は短かった。
「あーあ、もう終わりですか」
ぐちゃぐちゃに捻れて動かなくなった男性を下ろし、ごみを見るような目で見下ろす。
「でも、いい死に様でしたよ」
悲鳴と殺害。
元の世界では到底楽しむ余裕もなかった二つに、今までにない興奮を得られる性分をしていた。
ざりっ。
余韻に浸る水上の耳に、靴で地面を擦ったような音が聞こえた。水上が振り返ると青ざめた顔の男性が物陰からこちらを窺っている。
恐怖で足がすくんで動けないのか、男は手近なモノに寄りかかって動かない。
「ふふふっ」
次の獲物を見つけたとばかりに、水上は嬉しそうに笑う。
「ひっ!」
やっと喉を振り絞って悲鳴が声に出るが、もう遅い。
淡い光が彼の身体を覆い、足が地面を離れる。
「今の、見てましたよね? どうでした? 最高だったでしょう? あんなに無様な悲鳴を上げて、無惨に死んでいくなんて!」
狂ったように語る水上とは反対に、男はがたがたと震えていた。当然だろう。次に殺されるのは自分なのだ。
「愉しいですね……最高ですよね。こんな非現実的な状況の中で、自由に自分の好きなことをしていられるなんて! どこの誰がやったのかは知りませんが、それだけは感謝したいぐらいです」
気分がいいのか、聞いてもいないことをぺらぺらと喋っていく。
「……わざわざスキルを偽ったっていうのに、彼ったら酷いんですよ? モンスターを虐めて殺せ、だなんて。まぁ、立候補した私も悪いんですけど。ただあれが私の心の奥底に、炎を灯したんです。この世界で生きる意味を与えるくらいの強烈な炎を」
男にはなんの話なのか全く理解できない。
わかったのは目の前の女が狂っているということだけ。
「最初は頑張って我慢しようとしたんですけどね、無理でした。血を噴き出して生物が死に絶える様が脳裏にこべりついて離れなくなったんです。だから私は生徒会長さん達の前で血を見て気持ち悪くなったと思わせて離脱したんですけど。ホントは興奮して興奮して、周りにいる生物皆殺しにしたくなっちゃっただけなんですけどね」
異世界に来て歯車が狂ってしまったのか、それとも元々片鱗があったのか。それは定かではないが、確実に今の彼女は狂っているのだろう。
「……そろそろ終わりにしましょうか」
ようやく宙に固定された男を見据える。
「知ってますか? 人を両側から同じ強さで引っ張ったらどうなるか。男女で違いがあるらしいんです。まだ女性は試してませんが、今はあなたがいますもんね。男性は試せるというわけです」
水上は男性を大の字にすると、ぎちぎちと左右に引っ張っていく。同じ力で左右から引っ張るという行為自体加減の難しいものであるが、水上にとっては容易かった。
「男性は真っ二つに裂けるそうですよ。女性だとそうはいかないんですけど」
テレビかネットかで見た情報を口にしながら、水上はそれを実験しようと力を使う。
男性が泣き喚いても緩めるようなことはしない。
彼女は虐めるのが好きなのではなく、無様な悲鳴を上げて死んでいく様を見るのが好きなのだ。
「いい悲鳴ですね。でも、あぁ、やっぱり彼の悲鳴が聞きたい……っ」
水上は背筋を駆け上がるぞくぞくとした快感を味わいながら、懐から一本のナイフを取り出す。金属ではあるが黒く、同じ材質の鞘に収まっていた。
「あんなに虐められていたのに全く悲鳴を上げず、複数人にリンチされても顔色一つ変えない彼。死にかけても悲鳴すら上げないなんて、最高につまらない」
つまらないなどと言いつつも、その表情はどこか恋する乙女のようにも見えた。
「しかし! だからこそ! 彼の悲鳴が聞きたい! 彼が苦悶の表情を浮かべて命乞いをするのが見たい!」
高揚しているのか加減を誤って男性をすぐ真っ二つに引き裂いてしまう。そしてそんな実験結果には目もくれず、
「……私は普段の全く以ってつまらない彼が大嫌いですが、だからこそ悲鳴を聞きたいんです。それはもう、恋い焦がれるぐらいに」
ああ、と熱っぽく吐息を漏らす。
「これが恋なのでしょうか」
両手に頬を当ててうっとり微笑む姿は確かに妖艶ではあったが、前後に男性の死体がある現状ではそれも台無しである。
「いいわね、貴女」
不意に澄んだ女性の声が聞こえた。
水上は声のした方を見やり、怪訝そうな顔をした。
「……誰ですか、あなた」
鍔の広い黒いとんがり帽子に黒いローブを着た女性だった。帽子の鍔で顔は見えないが、身体つきから女だと推測できる。
艶やかな金色の長髪をしている。右手には木製の杖を持っていて、水上からしてみれば「私は魔女ですよ」と言っているようなものだった。
「私? 私は“魔女”。貴女も聞いているでしょう?」
女は口元に笑みを浮かべて名乗る。
「はぁ。あの魔女さんが、こんな近くにいるなんて思いませんでした」
水上は嘆息した。彼女もアルディから“魔女”には注意しろと言われたことは覚えていたようだ。
「それで、魔女なんかが私になんの用です?」
「用なんて決まっているわ。聞いたでしょう? “賢者”を女神に変えたのは私だって」
「ええ、まぁ。目的も正体も不明らしいんで、ここで捕らえればとりあえずいいんでしょう?」
「乱暴な考え。でもだからこそ貴女なのよね」
「ごちゃごちゃ煩いですよ」
水上は余裕ぶった態度の“魔女”に対して、『浮遊』と偽っていた『念動力』を発動する。淡い光が彼女の身体を覆う――直後に光が霧散していった。
「なっ!」
「そんなに驚かなくてもいいじゃない。貴女が言ったのでしょう? ステータス差があれば対抗できる、って」
水上の信じられないモノを見る目に応えるように、余裕そうな態度で微笑んだ。
……確かに水上は身体を捻った男性に対して「あなたのステータスでは逃れられない」と告げている。つまり相応のステータスがあれば逃げることは可能なのだ。
「さて。私の方が強いと理解してもらえたところで、本題に入りましょう」
かつん、と“魔女”が一歩踏み出した。水上は反射的に半歩下がる。
「そんなに怯えなくてもいいわ。私は貴女に力を授けに来たの」
“力”。おそらくシャフルールをそうしたように、水上を女神に生まれ変わらせるつもりなのだろうが。
「……私に力を授けることに、なんの意味があるんですか」
捕らえられないとわかった今、口頭で尋ねるしかなかった。
「女神の枠が一つ埋まる」
魔女は応え、滔々と語り始める。
「私には全ての女神を揃える使命がある。世界には女神と認められなくても、女神になる素質を持った者が存在する。そういう人の中から、空席の女神を埋めていくのが私の使命なの」
「つまり、あなたは黒帝に味方する、ってことですか?」
女神が揃う――すなわち、シャフルールの言っていた予言が現実となる第一歩だ。
「私が、この“魔女”が、黒帝の味方?」
それはもう可笑しそうに、口元を歪めて微笑んだ。そんなことあり得ないという笑みだった。
「……黒帝の味方じゃないのに、女神を揃える必要があるんですか?」
「ええ、そうよ。予言は予言。実現するかどうかは実際の生きている人々に委ねられる。それに、女神が集うと言っても貴女だって黒帝の味方につくわけじゃないでしょう?」
「……」
反論できず、思わず押し黙る。水上の欲望を叶えるには、彼の味方をするわけにはいかないからだ。
「さぁ、気を取り直して始めましょうか」
自らの目的に関わる部分だからか、魔女は強引に話を引き戻す。語る気がないなら、今の水上に聞き出すことは難しいだろう。
「……なにか必要なことでもあるんですか?」
「いいえ、ただ素質があればいいだけ。全ての女神にはそれぞれの素質があり、その素質を満たしていることこそが女神へと成る条件なの。貴女は充分に素質を持っている。あとはその後押しをするだけ」
魔女は怪しく微笑み、目元を隠す鍔を右手で持ち上げる。赤い光を放つ瞳が現れた。その瞳には幾何学的な紋様が浮かび上がっている。
「っ……!」
辺りを照らす赤い光に包まれた水上は身体が硬直してしまう。なぜか魔女の瞳に意識が吸い寄せられてしまい、呆然と突っ立っていた。
「さぁ、今日から貴女は殺戮の女神よ。その力を以って、思うがままに楽しむといいわ」
“魔女”は大きく両腕を広げて嗤う。
なんの詠唱もなく、なんの魔方陣もなく、ただ女神へと変貌する。
それは諌山や四姉妹が女神へと変化した時のようであったが、水上を包む光は赤くどこか禍々しい様相であった。
変生自体に違いはなかった。胸が豊かになり、髪と瞳の色が変わる。血のように赤い瞳。骨のように白い髪。この二つこそ、殺戮の女神たる特徴であった。
「……ふっ、あはははははっ!」
殺戮の女神となった水上は歓喜を高笑いに変える。
『殺戮女神』のスキルを授かり、殺戮の女神となった途端、ありとあらゆる殺害方法が思いつくようになったのだ。もちろんそれらを実行するための力も備わっている。というよりも、それらを実行するためだけの能力だった。
それこそ水上の望んだ力。
「これはいいですね! これならなんでもできそうです!」
水上が喜ぶ様――というよりも、新たな女神が誕生した様を眺めて、“魔女”も喜んでいた。
「ああ……これで残る女神の席はあと三つ。あともう少し、あともう少しで私の夢が叶う……」
各々が、各々の欲望を叶えられるだけの力を手にし。
各々が、各々の欲望を叶えようと行動する。
数多の欲望と人が絡み合い、これより世界は混沌の様相を呈することとなるのだった。
そして。
その第一歩として。
イルデニア周辺のありとあらゆる生物が何者かに死滅させられた、という一報が世界を駆け巡ったのは、これより七日後のことであった――。
以前諌山さんの一人称で書いた時、「女神の種族は愛情に狂気孕んでるのか?」という感想をいただきました。
「違うんです、抑制されてた分諌山さんがはっちゃけてるだけなんです!」と言いたかったのですが、この展開を書く予定だったので言えず……(笑)。
という、余談。