長い長い刹那のプロローグ
「第3大隊第19連隊第2小隊、本日10:00、総員5、軍令部勅令により、訓練所配置完了いたしました」
「よし、訓練を開始する」
俺の立っている場所は、訓練所の第2訓練邸。辺りを囲う金属塀は、高度工業都市のみでしか生産できない、防弾スチール製。天井も同じ素材で覆われ、地面は砂地。所狭しと並べられた廃材が遮蔽物となる。
これから行われるのは実技演習、敵役の教務官を模擬弾で制圧する訓練だ。
「おい、イアン。始めるぞ」
小隊長のリクヤからの投げかけに我に返った俺は、視線で返事をする。頷き返したリクヤは、手に取った信号弾を打ち上げた。中空で弾けたそれは、鋭い音響と眩い光を放って、ルーナの希望を示すように見えた。
「部隊展開、目標発見次第制圧せよ」
「了解」
リクヤの指示とともに、5人の隊員は3つのグループに分かれた。全体の指示を出すリクヤは後方待機。その他は、2つに分かれ、指示に沿って敵の制圧に向かう。
コソコソと動き回り、索敵を続ける。いくら模擬弾とはいえ当たれば痛いし、実戦なら、死んでる。見つからないことが生き残る道だ。しかし、時と場合にもよるが。
「お前が投げろ」
仲間のひとり、頼れる男のリタの指示によって、俺はベルトポーチから、信号球を取り出した。マットブラックのこの球体は、時限によって、信煙を吐き出す。その場で煙を焚けば敵にも自分の場所を知らせることになる。よって、この球体を転がして、信号を送る。
「わかった」
ベルトポーチから取り出した信号球のピンを引き抜き、音を立てないように転がす。プシュ、と排ガス音がして、敵発見を知らせる赤い煙が空に向かって上がる。数瞬後、後方からリクヤが交戦を指示する黒い煙を上げる。俺はリタと頷き合い、曲がり角に隠れる敵に向かって、リタが掃射。走りながら辺りを伺う敵を見つけ、突っ込む。訓練用の短木刀で、頸動脈から斬り込む。腕は、音速に迫る速さで動き、目標を沈黙させる。その旨を青い煙で知らせる。その後は作戦に沿って、行動再開。
一時間ほどすると、
「終了する」
号令がかかり、本日の訓練終了。この後は、各個人での調整が行われる。イアンは、訓練兵団の訓練の手伝いをするため、第8訓練邸へと足を向ける。訓練兵の訓練相手をして、一日が終わる。
この日、兵舎に行かず、ヒエラの元へ帰ったのは、ほんの気まぐれだった。後にイアンが神に感謝することがあれば、この事しかないだろう。
静かになった居住区は、僅かな音でも闇が吸い取っていく。ただ、それぞれの家から漏れる明かりは、その温かさを外に伝える。この辺りの居住区は、きちんとした計画に基づいて作られたものなので、道に迷うことは、まずない。もう少し下級家庭の居住区は、煩雑としていて、騒がしく、人々の熱気が辺りを覆っている。イアンはそんな街の方が好きだが、ヒエラの家は、閑静な住宅街の中にある。コンコン、とノックしたドアの叫び声は控えめで、届いているのか毎回不安になる。が、
「あら、イアンじゃないの。今日は来たのね」
きちんと出て来てくれる。
「ノックしなくても上がっていい、って言ってるのに」
「いえ、そんなことは…」
ヒエラの母親のキリノはヒエラソックリだ。ただ、性格が比較して、ややおおらかだが。
「あの子、上にいるから、晩御飯にすると言ってきてくれないかしら」
「はい」
階段を登る音が響く。この家は、基本的に木で造られている。床も、板張りだ。お値段は結構かかるはずだが、さすが、王政府高官の家だけあって、定期的に張り替えもしているようだ。イアンも、板張りは気に入っている。階段を登り切ったイアンは、迷うことなく、一つのドアの前へ。
「ヒエラ、入るぞ」
「どーぞ」
返事を確認して、ドアを開ける。兄弟同然で育ってきたが、いつからか、お互いに距離を取るようになった。まあ、その距離がイアンにとれば心地よいのだが。
「メシだってよ。行くぞ」
机に向かって何かを綴っているヒエラの襟を引っ張って、
「行くぞって言ったろ」
少し強めに言う。
「分かってるよ」
懲りないヒエラは、そのまま立とうとせず、引きずられて行く。イアンが、階段からヒエラを落とそうとするとようやく、
「わ、わ、ゴメン、行くから、行くよ」
自分の足で歩き出した。食卓についた一同は、食事を開始する。イアンが帰ると必ず、食卓には塩漬け肉が出る。調理法は様々だが。
対面に座ったヒエラは、普通にしてれば美人だろうな、とイアンは思う。母譲りのかなり明るいブラウンの(茶色掛った銀髪とも言う)髪は、ボッサボサで整ったはずの顔は、半分寝たように目が閉じかかっている。滑らかな白磁のような肌は、不健康を表すかのようにくすんでいる。足もスラッとして、スタイルも悪くないのに、残念だ。
「なんだ、ヒエラ。また籠ってたのか」
父親のコルは、政府内政部の技巧局長官というポストに収まっている。技巧局というのは、王政府が開戦に備えて組織した機関で、内政部の管轄の元、新技術開発や新兵器開発を進めている。特に、開戦予測期日まで1ヶ月を切った最近では、内政部に占めるポジションは大きくなりつつあると本人から聞いている。ただ、コルはありがちな傲慢さや横柄さがなくて、人柄が素朴だ。おそらく、その性格も長官任命の要素になっていると思うが、何はともあれイアンはそんなコルを父親として、尊敬していることは間違いない。
「いいでしょ、別に」
コルの何時もの詰問を何時もの流れで受け流したヒエラは、もそもそと食事を摂る。コルはそんな娘を見て、何時もの呆れ顔をして、キリノ、俺の順に顔を見て、俺たちは、苦笑いを返す。
そんな日常も、此処まで。
平凡は、毎日に別れを告げ、音もなく立ち去った。
代わりにやってきたのは、血の色に染まった、残酷で絶望の世界。
ビリビリビリ、と窓ガラスが微細に振動し、ポッ、と火の手が上がった。
(爆発-⁈)
続いて、ドン、という低く唸る爆発音。これが本物だとすれば、かなりの火薬量だ。
突如、カンカンカンカンカンカンカン……
鳴りだした鐘の音は、敵襲を告げる。
「なんだ⁉︎」
コルは大きな声を張った。ヒエラはキリノと共に何が起きたかわからないといった風体だ。
「敵襲だ!みんな避難して!」
「何言ってるの、まだ、一ヶ月あるんじゃ…」
キリノがようやく出したような細い声を出す。
「なに言ってんの⁈おじさん、早く!」
コルは、理解したようだ。
「早く、準備しろ!」
キリノは、ヨロヨロと奥へと消えた。コルも、後を追って、準備にかかる。ダイニングに残ったヒエラは、悲痛な顔で、
「イアンは、行っちゃうの?」
涙を湛えた眼が俺の姿を写す。
「ああ……、俺は、兵士だから」
どんな顔をしてるか、自分でもわからなかった。ただ、後になって思えば、なんて不器用な男だろう、と。
数瞬、言葉を詰まらせたヒエラは、
「そう、だよね。それが、イアンが選んだ、道、だもんね」
次第に俯いたヒエラの肩は、小刻みに震えていた。その肩のなんて寂しげなことか。
「…お願い……一つ約束」
母によく似た、普段のヒエラらしくない、細い声は、イアンの心を強く揺すった。
「生きて、帰ってくるって」
瞬間、俺は、目の前のヒエラを、胸に手繰り寄せた。消えそうなヒエラの心音が直に伝わる。肩にあるヒエラの顔は、イアンには見えない。
「約束する。俺は、お前のところに、戻ってくる」
腕の中で上がったヒエラの顔は、本当に、綺麗だった。ふっと微笑んだヒエラと、つられて、笑った俺の顔が、どちらからともなく、近づいた。
その瞬間、世界から、音が消え、光が消え、二人だけが残った。
心地よかった二人の距離は無くなった。
ほんのわずか触れ合った唇は、ヒエラの強い想いが伝わって、俺の願いも、伝わった。
腕を解いて、頷きあう。ちょうど、御二方が戻った。
「イアン、職務を全うする事。これも遣る」
コルは、小さな直刀を二本、寄越した。
「最新鋭の加工技術を駆使した剣だ。試作品だがお前にやる。存分に働いてこい」
こうやって送り出してくれることは、すごく嬉しかった。
「任しといて。行ってくる!」
最後にちらりと見たヒエラは、目を合わせ、微笑んで見せた。
勢い良く、俺は、飛び出した。
これほどまで地獄という形容が嵌まる世界があるだろうか。
南部へ逃げる人の群れ。怒号。悲鳴。何処かからか、子供の泣き声。火の手は眼前に迫り、運の悪い人は、瓦礫の下敷きに。染み出す血液に、慌てふためく医者。……、これが、人々が忘れていた過去。血で血を洗う日々。
「急げ」
独りごちて、走り出す。敵襲来時の作戦は事前に周知されている。イアン含む第3大隊は、作戦本部にて待機、という指示が出されている。決して長い道のりでないはずの基地までの道のりが、様々な不安要素によって、引き伸ばされる。グルグル廻る思考の果ては、ヒエラが無事なら、それでいい。ヒエラの為なら、この命も惜しくない。
だが、そんな破滅的循環思考は、視覚情報によって、強制シャットダウンさせられた。
「作戦本部が…狙われたのか…?」
目の前の作戦本部になるべき建造物は既に、瓦礫の山と化していた。
作戦本部になるべき建物は、街の北側に位置していた。国境はこの街の北端であり、敵襲であっても、直接攻撃を受けないよう決められたはずだ。今晩の警邏は第25大隊だったはずだが、この惨状を見る限り、やられたのか…?だとすると、大隊一つ制圧するだけの部隊がここまで来たのか…?
「イアン!」
聞いたことのある声に振り向くと、
「リタ!」
頼れる大男、リタが完全武装で手招きしていた。
「どうなってるんだ⁈25大隊の奴等は⁈」
駆け寄り、現状確認をすべく、質問する。
「落ち着け、イアン。どうなってんのかは、誰にも分からん。取り敢えず、小隊が揃うまで、隠れてるところだ。ほら、お前の装備だ」
リタは落ち着いた様子で、ゆっくりと話す。俺も次第に落ち着き、ようやく、周囲が見えるようになった。
「すまん。焦ってた。他の連中は来てないのか?」
装備を整えながら、尋ねる。
「ああ、俺も今来たとこだ。お前が最初さ。ただ、一番北側の兵舎は、やられた。もしかしたら、リクヤ小隊長は…」
リタはそこで言葉を飲み込んだ。カチャカチャと装備品を身に纏った俺は、腰のホルスターに入っていた短刀をホルスターごと捨て、おじさんにもらった双剣を両の腰に括る。
「なんだそりゃ」
「試作品なんだと」
「なるほどな。お前は、試験台になったわけか。でも、銃がない今は、俺たちはお前の剣の腕に頼るしかねえ。頼むぜ」
リタがニヤリと笑った。釣られて笑う。
「敵はどうした?おとなしく帰ってくれたわけじゃあねえよな」
「さあな。隠れてるからな、殆ど周りが見えないんだ。たまたま、顔を出したら、お前が見えただけさ」
つまり、今、この瞬間、襲われてもおかしくないわけだ。
イアンは半分崩れかかった家屋から、顔を出す。
「あ……!」
「なんだ」
思わず声が出た。
「リクヤ小隊長だ!隊長!」
リクヤはすぐこちらを認めると、駆けてきた。
「お前らか。今どうなってんのか分かるか?」
リタが答える。
「いや、全く。作戦本部は壊滅。作戦指揮権は、軍令部の北部中枢拠点に移ったということくらいか。敵襲来時対応作戦は失敗、軍令部は今ここにいる人間だけで、どうにかするつもりらしい」
やっぱコイツは凄え奴だ。
「どこで聞いた?」
情報の信頼性を確かめる質問がリクヤからリタへ。
「軍令部直属の19特殊部隊の伝令を聞いた」
ふむ、と唸ったリクヤは
「お前はなんで生きていて、みんなの装備を持ってんだ?」
疑いの眼差しを持った。
「自分の装備の点検中に襲撃された。その時には、もう、壊滅的だったから、小隊全員の装備を抱えて逃げた。流石に銃は重くて無理だったがな」
「まあ、いい。ん、いつの間にお前ら揃った?」
隊長が話してる間ですよ。そう、隊員のアテネが言う。
「よし、これから俺たちは生存者の確認と敵部隊の殲滅を目標に動く。ただし、充分な情報がない今、別れての行動は避ける。死ぬ時は一蓮托生だ。生き延びたいのなら戦え。守りたいなら勝つしかない。わかったか」
全員が一斉に頷いた。これから、ルーナとガロウの戦争が始まる。