綻び
近付かない方が良い。
それが紅魔館の場所を聞いた時に里人に言われた言葉だ。
何故妖怪が巣食う森の中目立つように真っ赤な洋館を建てたのか?
答えは単純かつ明快。
それだけの『自信』があるということだ。
そしてその自信の裏付けとなる強大な勢力。
紅魔館は、里人からはかなり恐れられている存在のようだ。
だが、実際に紅魔館の場所を聞いても、殆どの里人は知らぬと答える。
『紅魔館の恐怖』は人から人へ伝えられ、徐々に大きく恐ろしいものに変わっていっているようだ。
『紅魔館』という言葉が恐怖の代名詞となっている気さえする。
だが、火の無い所に煙は立たぬ。
実際に紅魔館が恐ろしいのは確かであろう。
ただでさえ恐ろしい紅魔館が、更に人々から『恐怖の存在』と『認識』
されれば……?
紅魔館の場所を知っている人は中々現れない。
雲竜は、霊夢に聞いておけば良かったと後悔しつつ、里人に対する質問を変更することに決めた。
具体的に言えば、『紅魔館の場所を知っているかという質問』から、『幻想郷の地理に詳しい人を知っているかという質問』に変えたのだ。
これは、『紅魔館の場所は知っているが、その恐ろしさのあまり口外することを控えている事例』や、『飛び火を恐れて教えない事例』に対応する為である。
効果はすぐ現れた。
「いかにも。私が上白沢だが」
雲竜の目の前に立っている白髪の女性が、幻想郷の地理に詳しいという人物、『上白沢 慧音』だ。
場所は寺子屋。人里唯一の教えの庭である。
慧音はそこの教師として働いているらしい。
今は授業の休憩時間。子供達が教室内で走り回っている。
彼女は白髪だが、老いている訳ではない。妖怪なのだ。
妖怪が人間の教師をしているとは、何とも奇妙な関係である。
妖怪の中には人と交遊的な者もいるようだ。
その場合、尊厳を保つことによって『畏れ』を集めているらしいが、詳しい話を聞いている時間はないので、直ぐに本題に入る。
「紅魔館が何処にあるか、教えてくれないか」
「紅魔館……危険な所だぞ」
「十分承知の上だ。俺はそこに『行かなきゃならない』んだ。それが俺の『進むべき道』」
「何か理由があるんだな……生憎私は忙しい。案内は出来ない…………だが、大まかな位置は教えてやろう」
「! 本当か!?」
紅魔館は直ぐに見つけることが出来た。
緑と茶の秋の森に、真紅に染まった洋館が立っていれば、誰だって見つけることが出来る。
雲竜は、燃えるような赤に恐怖というよりも感動を覚えた。
そんな館の門前に辿り着くと、一人の少女がそこにいた。
緑色で中国風の服を着た少女。
その少女が門の前で立ちはだかるように、堂々と『寝ている』。
門番…なのだろうか。
「おい」
肩を叩いてみるが、起きる気配はない。
声をかけても、まったく起きない。
立ったままここまで熟睡出来るとは、中々器用な少女である。
肩を揺すってみる。
起きない。
雲竜は彼女を目覚めさせる自信は無かった。
仕方ないので、起こすのは諦めて、門を飛び越す事にする。
力を使って宙に浮き、門を飛び越そうとした。瞬間。
「侵入者、ですか」
「ッ!?」
いつの間にか少女が『目の前に』いた!
さっき門を飛び越そうと、彼女を飛び越した筈だが、その彼女が、目の前にいる。
かなりの速度だ。
雲竜には何とか視認することが出来た。彼女は雲竜が飛び越す瞬間に起き、即座に素早い動きで道を塞いだのである。
門の上で対峙する二人。
「レミリアお嬢様の命により、侵入者はお通しすることは出来ません」
「……聞いてくれ、門番。俺は侵入するつもりなど無かった。お前が起きないから仕方なく……」
「問答無用!紅魔館の門番、『紅 美鈴』の名にかけて、これ以上先には進ませない!」
そう言って美鈴は構える。
雲竜は思わず大きく後ろに飛ぶ。
先程まで呑気に寝ていた彼女とはまるで違う。
強者の気迫。
「何を言っても無駄なようだな。だがここは通る。俺はその為に来た」
「なら、弾幕ごっこです。戦闘不能になるか、降参した方の負け。スペルカードは二枚まで」
「スペル……なんだって?」
「行きますよ!」
美鈴は弾幕を展開する。
細く色とりどりの美しい弾幕だ。
雲竜は距離を詰めようとするが、かなり濃い弾幕に圧倒され、中々近付くことが出来ない。
妖怪の森で戦った小妖怪達とは明らかに格が違う。
少なくとも、雲竜が何回戦っても勝てなかったあのアリスと同等の力は持っているだろう。
「(だが、今の俺には能力がある……!)」
雲竜は美鈴のカラフルな弾幕を避けつつ無理にでも前進する。
止むを得ず被弾しそうな時は、能力で『飛ばして』いく。
美鈴は、自分の弾幕が見当違いの方向へ飛ばされていくのを見て、一度弾幕の放出を止める。
「貴方の能力……『跳ね返す程度の能力』とか……その辺りの能力のようですね。軽い弾幕はほぼ無意味……と」
「……」
「そして、距離を詰めてきているという点、自分の近くの弾幕だけしか跳ね返していない点から、その能力は近くの対象にしか効果がないようで……それなら」
「!?」
美鈴は、雲竜に目掛けて一直線に『突っ込んで』くる。
先程自分で近付くのは危険と観察したばかりなのに、だ。
何を企んでいるかは分からないが、距離を詰めたかった雲竜には寧ろ好都合。
集中して能力を使う準備をする。
美鈴は徐々に近付いてくる。
その距離、20m……
10m……
5m……
「ぐゥっ!?」
美鈴は雲竜から5m程離れた位置で急停止し、片腕を前に力強く出す。
すると、殷殷たる音を立てて雲竜の身体が強い衝撃によって後ろへ大きく吹っ飛ぶ!
無論、美鈴の腕は彼には触れていない。
美鈴は、吹っ飛んでいく雲竜を見ながら
「『気』というモノをご存知ですか。丹田で生成され、日本拳法や中国拳法に用いられる摩訶不思議な力のことです。幻想郷では『気力』と呼ばれますが……今のは気力を使って波動を発生させた攻撃です。5m程からの攻撃は防ぐことが出来ないみたいですね」
「くっ……(マズいな……今ので『間合い』を見極められたか……それにこの攻撃……妖力や魔力で作られる弾幕より遥かに『重い』……気力は射程距離は短い分、パワーのある力なのか……)」
美鈴の冷静な判断力と大胆な行動力によって、雲竜は窮地に立たされる。
雲竜は吹っ飛ばされそのまま落ちていくが、なんとか地面に着く瞬間に受け身を取った。
そして雲竜が体制を立て直し、上にいる美鈴を見上げると同時に、彼女が雲竜に向けてまた距離を詰めていく。
美鈴は5m程の間隔を空けて雲竜と対峙する。
雲竜は動かない。美鈴の出方を待っている。
そして。
美鈴が雲竜に向けて気力を放出すると同時に、激しい攻防戦が始まった!
雲竜は斜め前に出ることで回避と同時に距離を詰めようとする。
しかし、美鈴は冷静に雲竜が詰めた距離の分だけ後ろに下がって距離を保つ。
雲竜は素早い弾幕を幾つか展開するが、美鈴の気力による波動にすべて打ち消されてしまう。
美鈴は両腕と両脚による気力のラッシュをかける。
しかし、雲竜は苦しそうにそれを避けていき、一瞬の隙をついて、『自分を前方に飛ばす』。
能力による超人的な加速に、美鈴は一瞬戸惑うが、しかし。
それでも美鈴の冷静さがそれを上回る。
彼女は飛んでくる雲竜に気力を放出しカウンターを決める。
それは直撃し、雲竜は再度吹っ飛んでいく。
最初の距離の保ち方から予想外の出来事への対処まで。
美鈴のその冷静さは、彼女が拳法の達人だということを明白にしていた。
雲竜は、地面に叩きつけながら消え入りそうな意識をなんとか留める。
そしてヨロヨロと、なんとか起き上がる。
「……降参してはどうでしょうか。近距離の貴方と中距離の私では相性が悪い。貴方の動きの良さは認めますが、近接戦闘に長けた気力を身に纏い扱う私には及ばない」
「はぁ……はぁ…………誰が……魔力が、気力に劣ると決めた……? 『魔力にしか出来ないこと』が……ある……!」
雲竜は、強い言葉を放ち自分を奮い立たせる。
首に巻いていたマフラーを上に投げ、羽織っていた里人の服も投げ捨てて上半身裸になる。
そして雲竜は雄叫びを上げて、大きく『真後ろに』飛んだ!
近距離では勝ち目がないと悟り、遠距離戦に持ち込んだのである。
「うぉぉおおおおおぉおおおおお!!!!」
そして、魔力で作った弾幕を、大量に展開する!
紅魔館の周りの森の色に合った、深い緑の弾幕。
小さいモノから大きくモノまで、多種多様の大きさの弾幕が、大量に、美鈴目掛けて襲ってくる!
「……遠距離でもここまでの攻撃力があるとは、正直驚きました……ですが、『それでも』……『それでも私には敵わない』!! 光符『華光玉』!!!」
美鈴が何か紙のようなものを取り出し、技名を言い放つ。
そして、美鈴は一瞬にして巨大な弾幕を放つ!
雲竜の弾幕を一方的に破壊していくパワー、そしてその大きさ。
とてもじゃないが、一瞬で作り出すことが出来る弾幕ではないが、そんな弾幕が、雲竜の目の前で瞬間的に現れたのだ。
雲竜の弾幕は虚しくも全て消え去り、美鈴はトドメとばかりに距離を詰める。
どんどん距離を詰めてくる美鈴に対して雲竜は……
構えを解いた。
「……!?」
突然の不可解な行動に思わず美鈴は動きを止める。
雲竜は両腕をだらんと下に伸ばし、身体に力も入っていない。
まるで隙だらけである。
だが、いや『だからこそ』、美鈴は雲竜に近付くことが出来なかった。
何かある。美鈴はそう思った。
警戒して動かない美鈴。
構えを解いて動かない雲竜。
時間にして10秒程だろうか。
永遠のように思えるその時間は雲竜の笑みによって崩れた。
雲竜はニヤりと口角を上げ、もう一度構える。
そして今度は雲竜から距離を詰めていく。
美鈴は、先刻の超加速にも対応出来るように、冷静に雲竜を見据えながら気力を溜める。
次の一撃で決める。
そう美鈴は心に決め、雲竜が5mまで近付いた瞬間ーーーー
「な……っ」
美鈴は強い力で『何か』に後ろから、『押し出された』。
流石に後ろから何かがくるとは思っていなかった美鈴は、動転し、前に押し出されると同時にバランスを崩す。
雲竜はそんな美鈴に更に近付き、美鈴の腕を掴む。
美鈴は慌てて雲竜に対し乱れた精神で気力を放つが、雲竜はダメージを食らいつつもその手を離さない。
そして雲竜は、『捉えた』。
「『間合い』の中に……入ったぞ…………!! 『跪拝したまま:動かない』ッ!!」
「っ!?」
美鈴の身体が、地面へめり込む程強く叩きつけられる。
何とか立ち上がろうとするが、全く立つことは出来ない。
雲竜は、そんな美鈴の背中に手を向けて、息を整えながら苦しそうに話す。
「これでお前は……もう、動くことが…………出来ない。降参、しないのなら、戦闘不能になるまで、弾幕を叩きつけるだけだ……」
「………………どうやら、本当に動けないみたいですね……分かりましたよ、降参です」
美鈴が降参すると同時に能力が解除され、彼女は自由になる。
美鈴は起き上がると、『ある一つのこと』に気が付いた。
雲竜の首元。
「その『マフラー』は……投げ捨てた筈の……」
雲竜の首元には、上着と一緒に投げ捨てた筈のマフラーが雑に巻きついていた。
雲竜は服に付いた砂や泥を落としながらようやく息を整え
「……このマフラーは、『マジックアイテム』。魔力を使うことによって効果が発揮される道具だ」
「……『魔力にしか出来ないこと』、ですか」
「このマフラーは、『所有者から離れた時、所有者に戻っていく』」
雲竜がマフラーを首から外し投げ捨てると、マフラーは『地面に着くと同時に』黄緑色の光を発して雲竜の首元に戻っていく。
雲竜がマフラーを真上に投げ後ろに下がったのは、追いかけてくる美鈴を、『強い力で着地と同時にまっすぐ雲竜の首元に移動してくるマフラー』で後ろから押し出す為だ。
上着を脱いだのはやる気を出す為などではなく、『マフラーを投げる』という行為を不自然に思わせない為である。
全てが計算上の行動であった。
たった一つの誤算は、マフラーが地面に降り立ち美鈴を押し出すまでの時間稼ぎとして放った弾幕が一瞬にして消されてしまったことだ。
そこで雲竜は『賭け』に出た。
無の構えーーーー
「あれはハッタリだった訳ですね」
「美鈴、お前は常に冷静沈着だった。だが慎重になりすぎたんだ……約束通り、ここを通らせて貰う。勝ったのは俺だ」
「はい、構いません……が、門番の私に苦戦しているようでは、紅魔館の実力者達に追い出されるのが目に見えてますよ?侵入者さん」
「だから、俺は侵入者じゃない。ここの図書館に用があるだけだ」
「あれ、そうなんですか?」
「初めから言ってるだろう……門を黙って越えようとしたのはお前が寝ていて起きなかったからだ」
「なんだそういう……痛っ!?」
突如。
美鈴の頭にナイフが突き刺さる!
美鈴は弾幕を出すことが出来ているので、人間ではないのだろう。
頭にナイフが刺さっても、『痛い』だけで済んでいるのが何よりの証拠である。
だが、それよりも。
「い、今起こったことをありのまま話す……美鈴の頭に一瞬でナイフが……というよりも、『美鈴の頭に刺さったナイフが一瞬にして現れた』…………何を言ってるのか分からないと思うが俺にも分からない……もっと恐ろしい紅魔館の片鱗を味わったな……」
ナイフが刺さったのなら、飛んでくるナイフが見える筈だ。
目に見えない程の速度でナイフが刺さったのなら、美鈴の帽子が跳ねる筈だ。
これは、間違いなく『時が止まった』現象。
霊夢の話にあった、メイド長の能力だろう。
雲竜がそう推測すると、目の前に急に少女が現れる。
「何事かと思えば、また中国の勘違いですか……失礼しましたお客様。私が紅魔館のメイド長を務めさせて頂いている、『十六夜 咲夜』で御座います」
「…………いきなりの訪問かつ、こんな格好で済まない。俺の名は雲竜。要件はさっき美鈴に話したとおり、ここにある図書館にいる、パチュリーという女性に会いたい」
「成る程。少々お待ちください」
そう言って咲夜は目の前から消える。
時間を止めて移動したのだろう。
時を止める、聞いても見ても反則級の能力のような気がする。
弾幕ごっこになっていれば、勝率は高くはならなかっただろう。
雲竜は、咲夜が美鈴と違い話の分かる人で助かったと思った。
脱ぎ捨てた上着を拾い、土を落とす。
そして上着を羽織ると同時に、咲夜がまた目の前に現れる。
かなりの仕事の速さ。
やはり時間を止めることが出来ると作業が捗るようだ。
「こちらへどうぞ」
咲夜は門を開け雲竜を敷地の中へ招き入れる。
どうやらパチュリーの返事は快いものだったらしく、弾幕ごっこによる強行突破にならなかったことに雲竜は再度安心した。
雲竜は敷地の中に入り更に案内に従って紅魔館の中へ入る。
暗い。紅い。
通常の屋敷というものは、煌びやかな装飾電灯が室内を眩い程に照らしている『もの』だろうが、紅魔館はそれと違う。
真っ暗という訳ではない、薄暗いという程度の明度がメイド長を照らしている。
室内の配色は、もちろん紅。
だが館の外壁の紅よりも深く暗い色合いで、外部が緋色なら、内部のこの色は深紅色といったところか。
そんなクリムゾンの色調もまた、館の内装を暗くする為に一役買っていると言えよう。
極めつけには、この館には、何故か『窓が無い』。全く。一つも。
建築基準法など知った事ではないと言う程に無い。
こんな建物で生活していれば時間の感覚が麻痺してしまうだろう。特に目の前を歩いて案内しているメイド長は、時間を止めて仕事をしているだろうし尚更。
そんな事を分析していると、いつの間にか図書館へと辿りついた。
咲夜は軽く一礼し、また消える。
紅魔館内であるにも拘らず、図書室ではなく図書館と銘打っているところから、容易にその広さは想像することは出来た。
が、実際に来てみて雲竜は改めてその広さが並並でない程度ということを思い知らされる。
パチュリーがこちらまで来るかも知れないと入口で身構えて待っていたが、来る気配は無いので雲竜は適当に歩を進める。
雲竜は独特の心地良い紙の香りに包まれながら歩いていると、開けた場所に出る。
その中央にはかなり大きな丸い木の机が置いてあり、それを囲むように椅子が設置されている。
恐らく、ここで本を読むのだろう。
そしてその机の一角、机上に大量に本を積み上げ読書に耽っている紫色の少女。
「こんにちは」
その少女は本から目を離さずに無愛想に挨拶をする。
紫の髪に紫の服。
話に聞いた通りだと、彼女がパチュリーである。
「こんにちは」
雲竜が挨拶を返すとパチュリーは本を区切りの良い所まで読んだのか、本を閉じ、眼鏡を外して漸く彼の方を見やる。
そして彼女が口を開けると同時に本棚の影から紅い髪で黒い服を着た少女が現れた。
「私の名前は『パチュリー・ノーレッジ』。この子は私の使い魔の『小悪魔』よ」
「小悪魔です。よろしくお願いしますね」
「使い魔……」
「そう、貴方と同じ」
「……何故それを」
「貴方の事は魔理沙から聞いているわ。ところで、何の用?」