10日目。
ピピピピピピピピピピピピピ・・・・・。
聞きなれない目覚ましのアラームに、僅かに目を開けて布団から顔を出す。
「・・・頭、いたい・・・」
昨日は飲み過ぎたな・・・水飲みたい。
もぞもぞとベッドから起きだそうとするが、何かががっちりと腹を押さえていて動けない。
なんだこれ、固い感触がする。
諒子は次第にはっきりしてきた視界で確認する。
手だ、男の人の手。
誰の?
寝返りを打ち、至近距離の寝顔を見る。
「しっ・・・・・・」
そこには、無防備に寝ている代田の顔があった。
「なんで?あれっ?昨日どうしたんだっけ?」
ぼやけた記憶を最大限に掘り返そうとして、ぶつぶつと呟いていると。
「・・・お前朝から独り言うるさいぞ」
代田がいつの間にか起きて、諒子を睨んでいた。
「代田さん・・・どうしてこんなことになっているのでしょうか・・・?」
「お前、忘れてるとはいい度胸だな。
もう二度と忘れないように再現してやろうか?」
代田は掠れた声で囁き、諒子の腹にあった手を胸に移動させてやわやわと動かす。
「あっ、なに・・・」
唇も塞がれて声をだすことができなくなった。
何度も角度を変えられて貪られるように続けられるキスに、昨夜の記憶が断片的にひきだされる。
「・・・思い出したか?
それと、代田じゃなくて昨日は壱人と呼べって教え込んだはずだが・・・」
まだ思い出しきれてないな、とにやりと口角をあげて、諒子の身体を本格的に攻め始めた。
「あん、ちょっとっ・・・思い出しました!!
もうわかったからやめてぇぇぇぇ・・・・」
結局朝から1ラウンド終えて、すっきりしている代田もとい壱人とぐったりしている諒子は会社の傍にあるカフェで朝食をとっている。
「今日が休みじゃなくて残念だな。もうあと2~3回できたのに・・・」
「休みじゃなくて良かったです!」
英語圏とはいえ、日本語で話していても恥ずかしい、と諒子は真っ赤な顔で壱人の言葉を遮る。
すっかりオーストラリアの国柄にも慣れ、仕事も順調というときに昨日突然鳴った携帯。
相手は俊樹だった。
自分の秘書とできちゃった結婚をすることになった、待てなくてすまないと悲痛な声で電話をしてきたときには笑っておめでとうと返しはしたが、その後の仕事はぼろぼろだった。
バカだな、ちょっと期待してたんじゃない?
あれだけ一緒にいた俊樹だからこそ、いつまでも待っててくれるだろうって。
時間も距離も離れたら、そりゃ無理だよね。
進まない仕事の最中、頭の中ではそんなことばかり考えていた。
そんな諒子の様子を見かねて、壱人は終業後に強引に呑みに連れだした。
普段は飲まないバーボンのロックを早いピッチで飲んだのは覚えている。
最後は一気飲みして怒られたのも覚えている。
その後だ。
「忘れたい・・・全部・・・」
ロックグラスを両手で力強く握りしめ、ぼろぼろ泣きながらそう呟いたのは、自分。
「・・・なら忘れるようにしてやる」
と、壱人は言っていた。
壱人の部屋に到着した途端、廊下の壁に押し付けられてされたキスまで思い出してしまった。
「代田さ・・・」
「壱人。呼べ」
「・・・い、壱人さん」
「よし、いい子には褒美をやらなくちゃあな」
は、恥ずかしすぎる・・・。
「なに真っ赤になって百面相してるんだ・・・。
あ~昨日の事思い出してるんだろ?やらしい奴」
にやにやと壱人は諒子にそう言い、コーヒーのカップをソーサーに置いた。
「思い出すのはいいが、仕事はちゃんとしろよ。行くぞ」
「うぅ・・・はいぃ・・・」
早足で歩き出す壱人の後を慌てて追い、会社に着いてエレベーターに乗り込む。
「諒子」
壱人はエレベーターの扉をまっすぐ見つめたまま、こっそりと小声で諒子を呼んだ。
「なんですか?」
諒子も小声で応える。
「そんなに思い出すほどよかったのか?」
「ばっ・・・!」
その時ちょうど扉が開き、光っている階数の文字を見て降りる階に到着したと知った。
先に壱人はエレベーターから降り、
「元気でたようだな。ほれ、今日も仕事仕事~」
と笑って行ってしまった。
降りたエレベーターの前で、諒子は声にならない憤りを込めて扉を思い切り蹴っ飛ばしたのだった。
なんとかその日は痛む腰を隠して仕事をこなし、終業時間になり即座に帰ることにした。
明日は休日だ。壱人に捕まったらいけない気がする。
彼は今、上司に呼ばれて席にいない。
逃げ出すなら今の内だ、と同僚たちにお疲れ様と声をかけ、逃げるようにフロアから立ち去った。
しばらくして、壱人が予定より長引いた会議を終えてデスクに戻る。
「・・・逃げたなあいつ」
いつもは残業している諒子の姿を見つけられるはずがデスクの上は資料が何もなく、デスクトップのパソコンも電源が切られている。
鼻で一蹴し、壱人は片づけなければならない案件をさっさとこなして帰ることにした。
ピンポン。
インターフォンが来客を諒子に教える。
諒子はやっぱり来てしまった・・・、と来客の予想が当たってしまうことを恐れつつ、インターフォン用のTVモニターにある通話ボタンを押した。
「はい」
「開けろ」
モニターには壱人が無表情で映っていた。
「嫌ですって言っても・・・」
「あ・け・ろ」
「はい・・・」
有無を言わせない一言に負け、仕方なく諒子は玄関のドアの鍵を開ける。
ガチャッとドアが開いたかと思うと、壱人がずかずかと入ってくる。
「・・・何かいうことはないのか?」
「・・・お仕事お疲れ様です」
昨日の事を敢えて避け、諒子はにっこりと労いの言葉をかける。
「それはそれで嫁さんみたいでいいが・・・それなら、お帰りなさいだろう」
壱人は手刀で軽く諒子にチョップをする。
「いたっ、事あるごとにチョップしないでくださいよ。
ところで何しに来たんですか?」
諒子が頭の天辺を撫でながら聞くと、目の前にビニールの袋が差し出された。
「メシと酒買ってきたから付き合え。一人で食べると味気なくてな」
長く独身でいるからな、と苦笑しつつ壱人は靴を脱ぎ始めた。
テーブルに広げられたピザ、サイドメニューらしき揚げ物、チーズ、クラッカーにワインボトル3本。
「代田さん、うちにはワイングラスはないんですが」
「飲めれば何でもいい」
スーツのジャケットを脱いで、諒子に無言で渡すと壱人はラグの上に直に座り込んだ。
諒子も受け取ったジャケットを何も言わずにハンガーにかける。
そしてキッチンの括り付けの食器棚から、マグカップを2つ出してテーブルに置いた。
「お前・・・何でもいいとは言ったが、ワイン飲むのにマグカップって」
「誰も来ないですし、私普段缶ビール派なのでグラス関係はほぼ買ってないんです。
日本に帰るときに邪魔になりますし」
「倹約というか・・・堅実というか・・・。
まぁいい。ほれカップ寄越せ」
壱人は呆れた息を緩く吐き、マグカップにワインをどぼどぼと注いだ。
年齢の割に、壱人は揚げ物等に拘らずよく食べる。
ピザも殆ど壱人がたいらげてしまった。
「いい食べっぷりですね」
「仕事終わって何も食ってないからな。お前は食べないな」
クラッカーにチーズを乗せて、大きな一口でぱくりと食べる壱人に、
「帰ってからお茶漬け食べちゃったんです」
と諒子はマグカップを傾ける。
「お茶漬け?」
漫画だったなら耳がぴくっと動いただろうな、と言わんばかりのしぐさで反応する壱人。
「代田さんまだ食べる気ですか?」
「日本食聞いたら食べたくなるだろう」
「じゃあ作ってきます」
キッチンに行き数分して戻ってきた諒子が壱人に差し出したお椀には、ほかほかと湯気がのぼるお手製のお茶漬けが入っていた。
焼いてほぐした鮭にちぎった海苔、わさびまでついている。
「おおお~、インスタントかと思った」
手を合わせ、いただきます、と日本式の挨拶をしてから彼は一気にお茶漬けを食べてしまう。
「御馳走さん」
「早っ。お粗末様です」
「久しぶりにちゃんとした日本食食ったなぁ。どうしたんだこれ」
きっと材料の事を言っているのだろう。
「たまに日本に帰るときに緑茶の茶葉とか海苔とか白米は持ってくるんです。
鮭はマーケットに売ってますから焼くだけですし」
日本食食べたいですもんね~、と諒子はのんびりと応えてワインを飲む。
「やっぱいいな、お前。日本帰ったら結婚してくれ」
「うっわあ、冗談にしたってひっどいプロポーズですね~。
お茶漬けで結婚できるなら、とっくに私は結婚してますよ。
ほら飲み終わったんだから帰って・・・」
諒子は空になった最後のワインボトルを振り、食べ散らかしたテーブルの上の片づけを始めるが、その手を掴み壱人は言う。
「誰が帰るか」
「慰めてもらって感謝はしてますけど、同情はごめんです」
「同情じゃなければいいんだろ?
あと、さっきから代田さんてなんだ?壱人って呼べって言っただろう」
射抜くような真剣な表情に諒子は顔を逸らすことができず、壱人の顔が近づきキスを受け止めた。
じりりりりりりりりり・・・・。
聞きなれた目覚まし時計の音。
布団から腕だけ出し、バン!と叩いてそれを止める。
「うぅ~ん・・・。・・・動けない」
また腹をがっちりとホールドされているようで、もぞもぞと小さく動くしかできない諒子。
「おはよう」
「・・・オハヨウ、ゴザイマス」
横向きに寝そべりながら肘をつき、頭を手に靠れさせて諒子を見つめている壱人。
「今日はさすがに記憶があるようだな」
「・・・うう・・・。ない方がいいです・・・」
こんにちは、英です。
やっと諒子さんを出せました。
最後まで書けるように頑張ります。