1日目。
「お。工藤さん、先週渡したアレは見てくれたかい?
ちょうどよかったよ、先方からも誰かいないかとせっつかれててなぁ。
会うだけでもいいから宜しく頼むよ」
そう言って軽快な笑い声を発しながら大きな腹を揺さぶるのは、ビジネスバッグに突っ込んだままの釣書を渡してきた張本人の金谷部長である。
諒子は溜息をつきたいところをぐっ、と我慢して、無理矢理笑みを作った。
・・・突っ返せるモンなら、今この場で即返したいわ。
「お疲れ様です、部長。じゃあ会うだけでしたら・・・」
「そうか!すまないねぇ。うちの部署はみんな既婚者ばかりで君しか独身はいないしなぁ・・・。
うちの娘もまだ高校生だし・・・。相手には全く不足はないんだがねぇ・・・」
部長の世間話が始まると、長い。
とても長い。5分やそこらならいいが、このまましゃべらせると30分は余裕で続くことを、諒子はこの課に来て1年目でもう存分に味わっている。
どうやって話をぶった切ろうかとタイミングをはかっていると、部長の背後から呼び声がかかる。
「部長~。〇〇商社からお電話です~」
よし!誰だ、どうでもいいがよくやった!
と、ここぞとばかりに、
「じゃあ、私もミーティングがありますので」
と、部長の返事も聞かずに脱兎のごとく逃げ出した諒子であった。
見合い相手のご両親(主にに母親)が、こちらの返事に即座に動き始めたらしく。
件の見合い話は、瞬く間に明後日の日曜日に迫っていた。
あれ、部長と話したの今週の話だったよね?
金曜の夕方、確実に残業居残り決定花金なんて遠い昔だよこのやろー、な諒子に向かって、
「今度の日曜日絶対空けといてくれよ」
と、まるでお前は彼氏かなにかか、とつっこみたくなるような言葉を諒子に投げかけ、部長はるんるんとスキップでもしそうな勢いで帰って行った。
どうやら、久しぶりに娘さんが一緒に食事に行ってくれるようだ。
この間も、「娘が最近構ってくれなくなって・・・云々」と、同じ部署の後輩の女の子に愚痴っていたのを耳の端に捉えた気がする。
諒子は捕まらないように目線をそらして、ひたすらパソコンと睨めっこしていたのだが。
その後後輩の女の子は、先輩だけ逃げるなんてずるいです~、と抗議してきていた。
そりゃそうだろう、20分も娘談義をされてはな。
2時間以上はかかりそうな企画のまとめを、諒子は必死にそう、鬼気迫る勢いで1時間で終わらせた。
理由は当然、デート・・・と言えないところがとても残念な30代。
「遅い」
と、諒子は待ち合わせの寿司屋に着いた途端、男性特有の低い声で叱り飛ばされた。
「あんたね・・・。あたしに文句言える立場なの!?
そこは百歩譲っても、いつもありがとう諒子。今日は今までのお礼に気兼ねなく食べてね。
位言えないわけ!?・・・あ、すいません、ビール下さい」
諒子はカウンターに腰かけ、店員から「いらっしゃいませ」とおしぼりを貰い手を拭きつつ、、既に隣に座って冷酒を嗜んでいる自分の幼馴染みに向かって一息で言い放った。
「待ち合わせは7時だったろう」
「残業で遅れるっていいましたー」
冷えたビールの入った竹製のタンブラーが諒子の前に置かれるのを尻目にとらえつつ、幼馴染の俊樹は言葉の応酬の最中に冷酒のグラスをこつん、とタンブラーに軽くぶつけた。乾杯のつもりらしい。
「何か頼んだの?何食べようかな~。あ、白子あります?」
「それ、さっき頼んだ」
「じゃあ・・・あ、カレイの唐揚げは?」
「それも」
「・・・じゃあ・・・秋刀魚の刺身」
「それも」
「・・・(イラッ)」
今述べたメニューは、全て諒子の好みのもの。
確かにメニューにあって、しかも高級鮨屋で俊樹の奢りとあれば諒子が絶対に頼みそうなものを、幼馴染みであるだけに俊樹になんでも知っているかのように先に頼まれる事に納得がいかない。
「・・・あんた、時々マジでむかつくわ・・・」
「ふん。俺に楯突こうってのが間違いなんだよ」
そう、この幼馴染みは人気心理カウンセラーとは聞こえのいい腹黒精神科医という肩書を持っている。
諒子が小学校4年生の時に俊樹の家の隣に引っ越してきてから、その片鱗は既に現れていた。
言葉巧みに諒子を操作し、俊樹の思うような言動を導く。
いや・・・私だけじゃなかった・・・。こいつは、担任の先生すら思い通りにしてたっけ・・・。
そんな二人に甘酸っぱい青春、つまり好いた惚れた等のラブな展開など全く芽生えず。
高校までは地元の学校に通っていたが、大学はそれぞれ別の土地に別れた。
お互い大人になり就職先が偶然同じ街だったことから再会を果たし、部屋を掃除した見返りに食事を奢らせる幼馴染みという今に至る。
「あ、お前明後日どうせ暇だろ?買い物付き合えよ」
「いや、だからなんでそう上から目線な誘いなのよ。明後日は・・・あ、だめだ。ごめん用があって」
諒子はぐびっ、とビールを煽り、目の前に置かれた白子のポン酢和えをつつく。
「お前が休日に用事?珍しいこともあるもんだな」
「うん。見合いが「がちゃん」あ・・・って、なにやってんの、あんた!?」
諒子が発した言葉に俊樹は持っていたお猪口をカウンターに落とし、諒子は慌ててお猪口から飛び散った日本酒をおしぼりで拭いていく。
「あーあー・・・お酒勿体ないなぁ」
「お前が、見合い?」
俊樹を見ると、彼は目を丸く見開き口までぽっかりと開けている。
お猪口を落とした手もそのままだ。
その様子につい吹き出した諒子は、今度はカレイの唐揚げに手を出し始めた。
「ははっ・・・。あんたのそんな顔久々見たわ。老け顔だけど、そんな顔すると年相応よね~」
「どうでもいいことで話を逸らすな。
それで、なんで今見合いなんだ?そんなに結婚焦ってなかったろう」
心なしか、不機嫌そうに声を低くする俊樹。
その彼を見もせずに即座に切り返す。
「別にいいじゃない。俊樹には関係ないことなんだから・・・あ、ビールおかわり下さい」
「お前にもまともに結婚したいなんて願望があったとは・・・」
「うっさいわね。ほっとけっつぅの・・・あんたも彼女の『か』の字もないって、こないだおばさんがぼやいてたわよ」
俊樹は眉を顰めて、日本酒を飲み込んだ。
「・・・いつ帰ったんだ?」
「先月」
「・・・お前、もう大丈夫なのか?」
その瞬間、二人の間にピンとした空気が張り詰めた。
諒子は顔を強張らせ、彼を睨む。
「・・・それこそ、ほっとけって話よ」
ビールの残りをぐいっと煽り、諒子はごちそうさま、と席を立った。
「あんたもそろそろ部屋掃除してくれる女探しなさいよ」
ひらひらと手を振り、店を出ようと足を一歩踏み出す諒子の手首を俊樹が大きな右手で掴んだ。
「・・・・・・お前は・・・・・いや、送る」
タクシーの中で無言の威圧を感じ、気まずいまま諒子たちは諒子の部屋があるマンションに到着した。
手首に感じる体温は、いまだ離れない。
いい加減、離してほしいんだけど・・・。
「明後日、どこだ?」
きっと・・・言わなかったらずっと離さないんだろうな、こいつ。
「・・・〇☓ホテル・・・」
そうか、とやっと俊樹の手が離れ、
「じゃあな」
と、そのタクシーで帰って行った。
「なんだったのよ・・・。変な奴」
タクシーの後ろ姿に、あっかんべーをしてから部屋に向かった諒子なのであった。
迷走中です。はて・・・