6日目。
歩く事7,8分程でその隠れ家とやらの前に着いたようだ。
店構えは、シンプルにダークブラウンの外壁であまり目立たず、ドアの横に小さいがお洒落な看板プレートが貼り付けられていた。
「Bar隠れ家・・・。ほんとに隠れ家だ・・・」
プレートに書かれている文字を読み、納得する。
温かみのある木製ドアを開け、俊樹は中に入っていく。
諒子もそれに続き、店内を見回す。
椅子の代わりに、腰の位置で寄りかかれる程ほどに太い丸太のバーと本来、立ち飲み用の為の高さのあるバーカウンター。
店内はログハウスのような内壁、窓はないが手作り感たっぷりの無骨な木製の壁掛け棚がある。
「うわぁ・・・」
初めて立ち入る店ということもあって、わくわくしてきた。
「いらっしゃい」
人の良さそうな壮年の男性が、グラスを拭く手を止めて笑みを浮かべていた。
「こんばんは、マスター」
「こんばんは・・・素敵なお店ですね。トムソーヤになった気分」
カウンターに近づきながら挨拶をすると、マスターと呼ばれた男性は皺を深く刻みながらさらに微笑んでくれた。
「素敵なお嬢さんに褒められると、どうにも照れてしまいますな。
それに、鋭い。男は幾つになっても秘密基地が欲しいものでして、トムソーヤのあの小屋に憧れてこういう内装にしたんですよ」
慣れた手つきでコースターとおしぼりを2人分用意しカウンターに並べると、マスターはメニューを諒子に差し出した。
「ありがとうございます・・・俊樹は?」
「俺はいつもの。こいつは・・・おまかせで1杯」
マスターがかしこまりました、とミックスナッツが入ったカクテルグラスを音もなく置き、背後にあるボトル類へと振り返った。
「俊樹、いつものって・・・ここ常連なの?」
他に客はいないのだが、静かに流れるジャズの他に音もない空間ではなんとなく小声になってしまう。
「そろそろ10年位になる」
「そんなに?こんな素敵なお店、もっと早く教えてくれたらよかったのに・・・。
あ、もしかして本当は歴代の彼女連れてきてたんでしょう」
冗談めかして悪戯に笑うと、俊樹は鼻でせせら笑い、
「ここは本来、女は禁止。お前が初めてだ」
「いやいや、女人禁制にした覚えはないんですがね・・・。
お嬢さん、ここはね。男が息抜きを出切る様に考えた店なんですよ。
男はデリケートな生き物ですから・・・一人で落ち込みたいときもあるでしょう?
そんな中に、1杯の酒とナッツと温かい空間を提供できれば、と。
そう説明していたら、お客様がそのまま男の秘密基地にしよう、と」
カシャカシャとシェイカーを振り出す音と、穏やかな口調と穏やかなテノールの声。
男でなくても、ここがとても居心地のいい場所だということが伝わってくる。
「じゃあ、私が来たらまずかったんじゃ・・・?」
「いいえ、お客様にお願いする立場ではありませんが・・・。
出来れば、ここに女性を伴ってくる時は大切な女性と、とお願いしてるんですよ。
私としても、落ち込んだりした後には幸せそうな顔を見たいじゃないですか」
にっこりと笑うマスターに、諒子は目が点になった。
「大切・・・な、女性?」
私が?俊樹の?
きょとんとして俊樹を見つめるが、彼は何も言わずにマスターの手つきを眺めているだけだ。
「上原さんは今日初めて女性を連れてきて下さいました。
それも、こんなに素敵な方だとは・・・私の楽しみも増えました」
どうぞ、と諒子のコースターに静かに置かれたカクテルグラスには不透明な琥珀色の液体。
初めて見るカクテルの色に、しげしげとそのグラスを眺めていると、
「アレクサンダー、か」
俊樹がそのグラスを見て、ぽつりと呟く。
諒子は首を傾げて鸚鵡返す。
「アレクサンダー?・・・名前は聞いた事あるわ。
実際見たのはこれが初めてだけど・・・」
「諸説ありますが・・・かのイギリス国王がアレクサンドラという名前の愛する王妃に捧げたことが由来するカクテル、とも言われます。
どういうわけか、男性名に変わってしまいましたがね。
上原さんからの気持ち、ということで・・・」
「やだもう、マスターさんったら冗談言って・・・あ、甘いんだ・・・」
おそるおそる一口飲んでみると、カカオのほのかな香りとクリーム系の甘さで女性が好みそうな飲みやすい味に仕上がっている。
「アル中にならないように気をつけて飲んでくださいね」
マスターは茶目っ気たっぷりに微笑むと、俊樹が意味ありげににやついた笑みを返した。
「マスター、こいつは元々酒豪だからキアステンにはならない」
「なるほど、映画とは違う結末になりそうで安心しました」
男同士の会話についていけず、諒子は黙ったままグラスをまた傾ける。
なるほど、これは男の居場所とやらがわかった気がするわ。
「キアステンって?」
諒は俊樹の方を向く。
「酒とバラの日々、古い映画だ。
大酒飲みと結婚した妻がキアステン。
旦那に酒の味を教えてもらい始めたばかりにアルコール依存症に陥っていく、簡単に言えばそんな話。
アレクサンダーはキアステンが酒を覚えたカクテル」
「やだ、失礼ね~。私はアル中もアルコール依存もありません。
ただお酒と飲んでる雰囲気が好きなの」
マスターにまた違うものを注文して俊樹を見やると、俊樹はロックグラスでウイスキーを飲んでいるようだった。
しばらく3人で会話を楽しんでいたせいか、はたまた多少ピッチも早くなっていたのか、珍しく諒子が目を潤ませてとろとろとした眼差しになってきた。
「お前飲みすぎ。
マスター、今日はそろそろ帰るよ」
「ありがとうございました。またその素敵なお嬢さんと一緒においでになるのをお待ちしておりますよ」
諒子は足元をふらつかせながらも、ぺこりと頭を下げる。
「さよぉなら、マスター」
「ほら、諒。タクシー来たから帰るぞ。
・・・だめだ・・・タコみたいになってやがる・・・」
「結構お強いカクテルばかりでしたからね。
介抱は男の役目、でしょう?」
俊樹はマスターのお節介に気付き、苦笑して諒子をタクシーに押し込み、自分も乗り込んだ。
「うぅ・・・もう、朝?」
カーテンから漏れる光に、薄く目を開ける。
窓の外はきっと小鳥か雀でも鳴いているのだろう、ピチピチチ、と可愛い囀り。
外の明るさに、多分平日ならば完璧寝坊だっただろうな、と思いつつ、もう一度寝直そうと寝返りを打つ。
すると。
「・・・と、とし・・・」
眼前には目を閉じてまだ眠っている俊樹の端正な寝顔。
「ぎ・・・ぎ、ぎぃやああああああああああ!!・・・いだっ!」
叫び声を盛大に上げてベッドの中で後ずさった途端、背中から床に転げ落ちる。
「いったぁ~~~~・・・肩甲骨しこたま打った・・・。
あれ・・・私、服は・・・?」
痛む背中に手を回そうとして、自分がキャミソールとパンツ1枚しか身に着けていないことに気付いた。
「・・・ちっ、うっせぇな・・・。
朝からキーキー叫ぶんじゃねぇよ・・・」
むくりと起き上がった俊樹は、起き抜けの機嫌の悪さで口調も幾分悪くなる。
「な、な、なんで、私、あんたと寝てんのよ!?」
「あぁ?」
俊樹は不機嫌、さらに寝起きの顔で魔王が光臨でもしたのかという雰囲気を背中に背負い、諒子の方を見やる。
「あぁ耳痛ぇ・・・お前がぐだぐだに酔って勝手に脱いだんだよ。
さっさと人のベッド占領したくせに文句言うな。
襲わなかっただけ感謝しろ」
そう言いのけ、頭をガシガシ掻きながら欠伸をして立ち上がった俊樹を呆然と見つめたままの諒子は、その彼が上半身裸だということに気付き真っ赤になって顔を背ける。
下はさすがに履いているが、久しぶりに男の体を至近距離で見せつけられ動揺してしまう。
「お、襲わなかったって・・・」
「襲って欲しかったのか?
今からでもご期待に副ってやってもいいが」
手首を急に掴まれ、ベッドに引き込まれる。
スプリングが二人の重みでギシッ、と少し軋んだ音を上げて弾み、諒子は俊樹に組みしかれる形で仰向けにされていた。
「ちょ・・・」
離れようともがいてみるが、流石に男の力には敵わずにシーツに縫い付けられたまま俊樹を見上げ睨む。
「最近、お前のその鈍さに心底腹が立つ」
強引に唇を塞がれ、諒子は目を見開いて驚くが逃げる事も出来ずにされるがままになってしまった。
しばらくして、唇が離れていく。
「俊・・・樹」
「・・・昨日、マスターが言ってただろ。
あそこに連れて行くのは過去も未来もひっくるめてお前だけだ」
少し怒ったような複雑な表情で見下ろしてくる俊樹を見つめ、次第に体中が沸騰したかと思うほどに血流がめぐり真っ赤になっていく。
マスターの、言葉?
--出来れば、ここに女性を伴ってくる時は大切な女性と、とお願いしてるんですよ。
--上原さんは今日初めて女性を連れてきて下さいました。
「お前の鈍さに付き合ってやったがもう限界。
いいか、よく聞け。その鈍い頭に叩き込め」
頭をがしっ、と片手で鷲掴みにされて目線が合うように押さえつける俊樹。
「俺はお前が好きなんだ」
はっきりとしているけれど、起きたばかりでの低く掠れた声が耳から頭に入ってくる。
オレハオマエガスキナンダ。
おれはおまえがすきなんだ。
俊樹は諒子が好きなんだ。
脳内で変換されていく文字を理解するのにしばらくかかった。
「・・・何とか言え」
目も口もぽかんと開けたまま固まってしまった諒子の頭を、俊樹は鷲掴んだ手でぐらぐらと揺らす。
「え・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
ええええええぇええええええ!!!」
周囲の人間からすればやっと告白したのかと呆れることなのだろうが、鈍さ天下一品の諒子には今初めて聞いた驚愕の事実。
「やっぱり勘付いてもない。昨日のマスターの援護射撃も外れだったな。
少しはと期待したが・・・お前の頭には無駄な事だったようだ」
さっきから散々な言われようである。
「い・・・いつから・・・?」
諒子はやっと動いた口で、いつから自分を好きなのか問う。
「そうだな、俺のものになるなら教えてやってもいい。
・・・俺は仕事に行くから、お前掃除しといてくれ。
・・・あと、その前に俺が出てくるまでにまだその格好でいたら今度こそ容赦なく襲うからな」
にぃっ、と人の悪い笑みを浮かべて俊樹はバスルームに入っていった。
「~~~っ!!!」
声にならない悲鳴をあげ、がばりとベッドから起き上がった諒子は自分の服を探すべく焦って部屋中を見回すのだった。
シャワーを浴び終えタオルで頭を拭きながら出てきた俊樹は、諒子のきっちり着込んだ服装を見てにやりとしながら一言。
「残念」
「何が残念よ!」
理解は出来たが納得は出来ていない諒子は、怒りながらも俊樹をじぃ、と穴が開くほど見つめる。
俊樹が私を好きだって言った事は理解った。
でも、私なんかのどこが・・・?
「そんなに見るとまたキスするぞ」
考えてる事が伝わってでもいるのか、呆れたように溜息をつかれる。
「ダ、ダメ!」
「また私なんかのどこが~、とか阿呆らしいこと考えてたんだろ。
考えるだけムダだからやめとけ。
お前のお子様脳じゃ一生答えなんか出やしない」
こいつ、本当に私のことが好きなのだろうか・・・。
仮にも好きだといわれたのにそのぞんざいな扱われ様は、諒子の臍を曲げるには十分だった。
「お子様で悪かったわね。
そのお子様が好きだって言ったの、あんたでしょーが」
「そうだな、俺も誤算だった。
馬の骨の告白を潰すのにお前を告白も気付けないほど鈍い奴に仕上げたが、まさか自分で苦労するはめになるとは・・・。
策士策に溺れる、まさにその通りだ」
俺もまだまだだな、と無表情で言っている俊樹。
「・・・馬の骨?」
怪訝そうに聞き返すと、俊樹はしれっとして、
「小学校から高校まで思い出してみろ。お前告白は結構されてるだろうが」
そうだっけ、と思い返す。
小学校。そうだ、あれは5年生だったか・・・。
「あ、あの・・・工藤さん。これ・・・」
「・・・なんだ~、原君も誰かに頼まれて俊樹へのラブレター預かってるの?
じゃあ私のとまとめて渡しておくね」
ということがあった。
「あれはお前宛だ」
俊樹はシュレッダーにかけておいた、と平然と言う。
「失礼なことしてんじゃないわよ!」
さらに、中学校。
部活帰りに同じ部の後輩に引き止められ、
「工藤先輩・・・す、好きなんです!う、上原先ぱ・・・」
「えっ!?伊藤君、俊樹のファンだったの!?
やだ、それならそうと言ってくれれば良かったのに。
私と俊樹はほんと、只の幼馴染みだから噂なんて信じちゃ駄目よ」
じゃあね、と颯爽と帰っていってしまった諒子。
「俺と付き合ってるのは本当かと問いかけるはずだったらしい。さすがに奴には少し同情もしたが」
高校1年。
「あの、工藤さん・・・」
3年生の知らない先輩が渡り廊下を歩いていた諒子に駆け寄る。
「?はい・・・なんでしょうか?」
「つ、付き合って欲しいんだ・・・」
「どちらにですか?委員会、同じでしたっけ?」
「諒~、担任が呼んでるよ~」
加南子の呼びかけに、
「あ、先輩。すいません、また後でお願いします!」
その後、その先輩とは会う事はなかった。
「まさか・・・しかも仕立てたって・・・」
「そう、俺が刷り込んだ。
他にもあるが、質問は後にしろ。
俺はもう行く時間だから」
愕然とする諒子に、俊樹はラフなセーターとパンツスタイルで重そうな鞄を持ち上げ玄関に歩いていく。
「諒、ちょっと来い」
「なによ?」
呼ばれるがままに玄関に向かう。
すると、靴を履き終え立ち上がった俊樹がくるっと振り返る。
一瞬だけど、掠った唇。
「~~っ!」
「見送りご苦労」
咄嗟の事に口を両手で押さえ、後ろずさるしかできなかった諒子を見て満足そうに笑う俊樹。
「さっさと仕事いきなさいよ!!!」
くつくつと笑ったまま外に出て行った俊樹に悔しい気持ちが募り。
がつん!
と自分のハイヒールをドアに投げつけた。
俊樹君がちょっとかわいそうなので、気持ちを伝えさせてみました。
でも、伝わっただけなので進展するかは私次第です。(鬼)