5日目。
長い話を終えた諒子は、もう涙も止みすっきりとした顔をしていた。
「たぶん、さっき泣いちゃったのは、やっと区切りがついたからかもしれない」
ゆっくりと歩みを進めながら、赤くなっているであろう目尻にハンカチをあてる。
「ちゃんと、終わったか?」
俊樹は隣を歩きながら諒子を気遣う。
「うん。すっきりした・・・やっと、失恋が終わった感じ。
聞いてくれて、ありがと。
も、ほんと大丈夫・・・え?」
諒子の身体は俊樹に包まれるように抱きしめられている。
「ちょ・・・?な、なにやって・・・もう、大丈夫だってば・・・」
「空っぽになったから埋め込んでやってるんだろうが、新しい恋愛をな。
失恋オメデトウ、諒。
長い事引きずりやがって・・・」
見下す俊樹の呆れ顔を、ぽかんとして見つめ返すことしかできない。
「新しい、恋愛・・・?
・・・誰が、誰と」
「全く・・・勉強と仕事は出来過ぎなくせに変なトコ頭悪すぎ。
この場合は、お前が俺と、しかないだろ。
お前の脳内の神経回路はどういう構造してるんだよ、阿呆」
抱きしめられているのに全くムードがないどころか、罵られていることにも気付けないほど驚きすぎて全身固まってしまう。
「え?え?俊樹・・・まさか・・・」
諒子は目が落ちそうなほど開き、口をぱくぱくさせる。
「そんなに私のこと・・・」
また目を潤ませて俊樹をそのまま見上げると、俊樹も顔を徐々に近づける。
顔を赤く上気させ涙を少し溜めた目で上目遣いなどされてしまうと、俊樹も柄にもなく心音が上がる。
鈍い諒子にもようやっと気持ちが伝わったか・・・と胸を撫で下ろしたい気分にもなった。
あともうちょっとで唇が重なろうかというところで、あり得ない一言が諒子から発せられるとは思いもよらなかった。
「・・・私のこと、可哀想だと思ってたの・・・?」
ぴた、と俊樹は動くのを急停止する。
「・・・なんだと?」
低く這う俊樹の声は怒りがこもり始め、体を少し離して諒子を見つめ直すと、
「俊樹が柄にもない冗談を言うほど、私落ち込んでたんだね・・・。
ごめんね、俊樹優しいから気遣ってくれたんだよね?
もう平気だよ、完璧吹っ切れたもの。
あ~、スッキリしたらなんかお腹すいてきちゃった。あ、もう1時半じゃない!
ご飯食べ行こうよ。
あと、さっきみたいなのは私だって勘違いするくらいなんだから迂闊にやらない方がいいからね」
さっさと俊樹から離れ、一人で喋り通しな諒子。
俊樹は心の中で四つん這いになり、完敗の2文字が圧し掛かった気分になった。
思えば、こいつはそうだった、とげんなりする。
遠まわしに諒子への気持ちを表してみれば、あろうことかたまたま諒子の隣にいた同じクラスの女子が好きだと勘違い。
好きだと言ってみれば諒子が手に持っていたお菓子だと思われ、「可愛いとこもあるのね」と笑われながらそれを押し付けられ。
密かに人気のあった諒子にそこいら辺の有象無象がアタックして来ようものなら、片っ端から威嚇し蹴散らしてきたのに、当人からは「俊樹のせいで出会いがない」ときっぱり言われ。
あげく勝手にできたファンクラブなんぞに散々利用されて「俊樹の側にいると女子が怖い」と、しばらく近寄ってこないときもあった。
それが今やっと諒子の過去最大の心のしこりが消えた、というところで俊樹も油断していたのかもしれない。
諒子は恋愛方面においてのみ、とんでもない天然だということを失念していた。
さらに諒子は自分が地味で普通の冴えない女だと、ずっと勘違いしたままでいるのも原因のひとつである。
彼が何故心療内科医になったのか、は推して知るべし。
俊樹はふう、と力の抜けた溜息を吐き捨てて、「何食べよっか~?」と食べたいものを想像している幼馴染みに追いつくべく一歩を踏み出した。
こいつにはとことん分かるように追い詰めるべきか・・・と計画を練り直すことを心に秘めて。
ドライブデート(?)を最後にはいつもの飲みで終え、週明け早々に山程の資料を30部コピーしておいてくれと部長の頼みに、渋々コピー機の前で奮闘していると。
「先輩~」
千果が猫なで声を出して、すすす・・・とすり寄ってきた。
こういう時に、いつも(・・・)の誘いだと辟易するが、無視するわけにもいかないのでコピー機から目を離して振り返る。
「今度の金曜日に、合コンあるんですぅ~。
今度はお医者さんですよ~、絶対行きましょうね~。
あ、この間のケチな商社と違って女性はタダでいいそうなんですよ~。
さすがお医者様は違いますよね~」
千果はもう諒子の返事も聞かずに相変わらずの間延び口調で言った。
高校の時をこの間思い出したせいか、どことなく加南子と千果は似通った印象がある。
口調もそうだが、腹になにかイチモツ抱えていそうな感じが一番よく似ているな、と諒子は思った。
二人を会わせてみたら面白いことになりそうだ。
「千果ちゃん、数合わせに私を呼ぶよりももっと若い子誘ってあげなさいよ。
出会いを待ってる子なんて、総務に腐るほどいるじゃない」
営業課の上司が仕事ができてイケメンだ、今年の新入社員は将来有望、などいつも品定めと出会いのきっかけを肉食獣のごとく心の眼をぎらつかせている総務課の女子達は、千果がセッティングしてくる合コンはレベルが高い男が多いとの噂にいつも参加希望を訴えているらしい。
千果はやんわりと全員却下しているが。
「総務課の女子は~、男子がどん引くから参加禁止にしてるんですぅ~。
前に仕方なく参加させたら、空気読めなくてがっついて相手側が怒っちゃいまして~」
その点、諒子は落ち着いてるし楽しく会話もできるから安心なんです~、と千果はにこにことしていた。
「それに~、お店は先輩の好きな鍋のお店ですよ~。日本酒もおいしいのが揃ってるって聞きました~」
「行く」
鍋につられ、つい即答してしまった。
諒子の好みを把握している千果にただ脱帽、の二文字である。
「やった~、じゃあ金曜日に残業しないように頑張りましょうね~」
千果は資料を抱えて係長の元へと去っていった。
「鍋かあ・・・」
諒子は焼酎もいけるわね、と合コンだということがすっぽり抜け、内心ご飯と酒のことしか考えていなかった。男子は若い子にお任せしてしまえばいい。
「湯豆腐も最近食べてないなぁ・・・あ、紙詰まった」
和風造りの店内は、部屋で区切られて人目を気にせず食事ができる気遣いがされていた。
初めて来た店だが、雰囲気も味があっていいし食事も美味しいのならばまた個人で来ようと思う。
長方形の座卓を中心に男子女子が向かい合う形で座る。
一番下座に座っていた諒子は男子側を見る事ができずに冷や汗をダラダラとかきながら俯くことしかできずにいた。
--なんで、あんた(・・・)がいるの・・・。
諒子の目の前には、見慣れた幼馴染みが平然と座って諒子を見つめていた。
そういえば、千果は医者との合コンだと言っていたのを思い出す。
--しまった・・・。俊樹も医者だったのよね・・・。
まさか合コンの席で会うとは思わず、何となくいたたまれない気持ちを持て余していた。
「みんな飲み物は揃ったかな?自己紹介してから乾杯しようか」
上座に座っていた男性が明るい声で場を仕切り始める。
「僕は中村裕といいます。K大付属病院勤務、34歳。よろしくね」
諒子も皆にあわせて、よろしく、と小さく頭を下げた。
シルバーフレームの眼鏡が知的な印象を与えてはいるが、顔自体は温和なイメージを感じる笑みでなかなかの好青年だ。
千果の知り合いらしいが、いつも彼女は彼等のようないい男とどこで知り合うのだろうか、と感心する。
次に、その隣に座る男性が話し出した。
「同じくK大付属病院勤務の佐野和人です・・・今日はかわいい子ばっかりで俺、迷っちゃうな~」
おどけた口調の上言われなければモデルか何かしていそうな容姿に、諒子はチャラそうだな、と興味なさげに頭を下げる。
さらさらしたきれいな茶髪に甘いマスク、ノリのいい会話。これは若い子にさぞやモテるだろう。
「心療内科医、上原俊樹。よろしく」
俊樹が愛想もそっけもない自己紹介を終えると、千果が自己紹介しだした。
千果と諒子の間に座っている子は人事課の三村利奈ちゃん。
千果と利奈は二人とも顔も可愛ければ、服装も可愛い。
男子達はおお、と拍手をして彼女達の名前をさっそく覚えたようだ。
最後に、諒子が淡々と自己紹介する。
「工藤諒子。二人と同じ会社に勤務してます。
・・・今日は鍋と日本酒が楽しみできました」
「あははは、工藤さんは合コンより食事、かあ。正直だねぇ」
佐野が屈託なく笑う。
ビールのグラスを持って乾杯すると、ちょうどよく煮えてきた鍋と頼んでおいたつまみ類を肴にそれぞれ会話が始まる。
千果と佐野、利奈と中村。
諒子といえば。
「・・・あんたが合コンにくるような奴だとは思わなかったわ・・・」
ビールを煽り、さっそくもつ鍋をつついていた。
「初めは断ったんだが・・・誰かさんと同じ特徴の子が参加すると聞いてな。
来てみたら、大当たりだった」
にやりといつもの笑みで返され、諒子はむっとする。
「私に構ってないでいいから、ちゃんと合コンに参加してきなさいよ」
「してるだろうが。お前も合コン参加なんだから」
もう空きそうな諒子のビールグラスに、ビール瓶を傾ける俊樹。
「ありがと」
お返しとばかりに酌を返す。
「あれ~、お二人さんなんかいい感じだねぇ」
佐野の言葉に、皆が一斉にこちらを向いた。
「・・・こいつ、幼馴染み」
俊樹が短く答えると、中村はああ、と納得したように頷いた。
「へぇ・・・道理で上原が参加したわけだ」
くつくつと面白うそうに笑って、中村は俊樹のほうを見た。
うるさい黙れ、と言いたげな顔でじろっと彼を睨んだ俊樹は、黙ってビールを飲んでいる。
「上原さんて合コンは・・・?」
利奈が問うと、代わりに中村が答える。
「たまに、無理矢理佐野が引っ張っていく位だよ。
ああやって黙々と酒飲んでるだけだけどね」
トイレに立った諒子は、千果とすれ違う。
「あ~、先輩~」
酒が入った千果は頬が赤らんでとても可愛らしい。
「ちょっと飲みすぎよ。気をつけないとお持ち帰られちゃうからね」
苦笑して忠告すると、
「私は慣れてますから~。それにしても・・・上原さんですよね~?いつもメールしてるの~。
あ~んなイケメンがずっと近くにいたら、他の男に目が行かないハズですよね~」
にやにやと面白いものを発見したような顔で千果は笑った。
「ただの幼馴染よ。くされ縁が続いてるだけ」
「・・・先輩って・・・鈍いってよく言われませんか~?」
リップを塗りなおしながら千果は言う。
「たまに・・・言われる、けど」
「一度、もっとよ~く周りを見てみた方がいいですよぉ~。
じゃあ先に戻りますね~」
化粧ポーチを手に、千果はさっさとトイレから出て行った。
「・・・周り?」
鏡に映った自分の顔が、訳が分からない、といっているように見えた。
そんなに経っていないと思っていたら、もう3時間も経っていたらしい。
そろそろお開き、となった時に帰りの組み合わせはもう自然に決まっていた。
その中でも中村と利奈はすぐにでも付き合いそうな雰囲気で帰っていった。
佐野と千果は偶然にも帰る駅が同じということで仲良く友達のように帰っていく。
「せんぱ~い、また来週~」
「気をつけて帰るのよ」
「は~い」
にこにこと手を振る千果は小さくて可愛い。
妹か娘のように思えて、世話を焼いたり心配になったりしてしまう。
どうか、チャラい佐野に食べられませんように・・・。
などと、密かに祈っていると。
「お前はどうするんだ?飲みなおすのか?」
俊樹が後ろに立っていた。
「・・・どうしようかな。お腹はいっぱいだし」
少し迷って、今日は帰ろうかな、といいそうになった時、
「寒い。・・・行くぞ」
手を掴まれ、そのまま引かれて歩き出す。
帰る方向とは逆なのだが。
「どこ行くの?」
「隠れ家」
「何それ?あんた何から逃げてるのよ」
それに手をつないだままは恥ずかしい。
けれど、俊樹は離そうとはせずにそのまま歩くので諒子も仕方なくついていくしかなかった。
先日の抱きしめられたシーンが頭をよぎり、一瞬どきっとする。
まさかね、散々私のことをこきおろして来たのに今更好きだなんてあるわけがない。
無言で頭を振っていた諒子をいぶかしんで振り返る俊樹。
「なにしてんだ、お前」
「な、なんでもない」
と、慌てて俊樹の隣に駆け寄るのだった。
獲物に手を出し始めた俊樹君は諒子に想いが伝わるのか。
なんかどんどん続いちゃいそうな気もします・・・。
どこかでばっさりと終えたい気も・・・




