プロローグ
カツカツと華奢なヒールの音を響かせて、反響する廊下を早足で歩く。
共同廊下から見える空はもうとっぷりと藍色に染められて、キラッとたまに星が瞬いている。
見知った玄関ドアにたどり着くと、キーケースから探し出したディンプルキーを差込みくるりと回すと、ドアを開けて中に入った。
真夏の季節にありがちな、閉じ込めて蒸された空気が私の身体を不快にさせた。
「・・・よくもまぁ、こんなに散らかせるもね・・・」
そう、ここは私の部屋じゃない。
肩甲骨の下まで伸ばし、少しウェーブのかかったくせのある髪は申し訳程度にこげ茶に染め、平均的な身長が欲しかったがそれよりも5センチ以上伸びてしまった身体は体重も平均値。
顔は初対面でも肌質の良さをよく褒められる・・・ということは、可愛いだとか美人だとかの範囲にいないと思われる顔立ちなんだろう。逆に、ブスとも言われたことはない。
あぁ、こう言われたことはあったな。
雰囲気からして地味よね、と。
それが私、工藤諒子の特徴といえない特徴だ。
大学を卒業して新卒で入ったそこそこ良い企業に、運良く就職できたと安堵した年からもう既に10年。
早々寿退社なんて真似はするなよ、と課長に冗談を言われた日が懐かしい。
今やその課長が私の結婚相手を心配することになるとは、なんとも皮肉なものだ。
今朝方、課長から話を聞いた部長に渡されたクリーム色の釣り書きが入った、A4サイズの資料がたっぷり入ったせいなのか、はたまた別の重みなのかずっしりとしたビジネスバッグを落とすように床に置く。
どすん。
と、鈍器のような音を聞き、落としたバッグを見下ろした。
これで痴漢も軽々撃退できそうだな、いや、私には痴漢なんて来た試しないじゃん。
「はっ・・・。現実逃避に走っちゃった・・・」
目の前に広がる光景に、ふーっと長い溜息をつく。
ガラステーブルには、何日分であろうコンビニの弁当やカップ麺の空き容器が山積み。
床には、これまた一度着たら捨てるつもりなのかと思わせるようなYシャツやTシャツ、ハーフパンツ果てはボクサーパンツまでが転々と。まるで綿菓子になるんじゃないかと疑いたくなるような埃のオマケ付き。
次にキッチンに視線を移すと、いつからシンクは空き缶用ゴミ箱になったんだと思う程、全て同じメーカーのビールで埋め尽くされている。勿論、中身は私が飲んだものじゃない。
あ、今日は床にもビールの空き缶が・・・。
それでも、冷蔵庫を開けると綺麗に並んだ未開封のビール、ビール、ビール・・・。
「あいつのエネルギーはビールで出来てんじゃないの・・・?」
キッチン下の収納から、私が買って置いてやった45リットルゴミ袋を取り出す。
片っ端からビールの空き缶をそれにぽいぽい入れる。それだけでぱんぱんになった袋が2つもできた。
サンタクロースもびっくりだわ。
次に床に散らばる洋服類を、足でざざーっと1箇所にまとめてから洗濯機に放り込み洗剤達と共にダンスしてもらう。
その間にテーブルの上その他のゴミをまとめ、掃除機をかけるためにクローゼットを開ける。
「・・・・・・。・・・・・・なにがどうなったらこんなことになるの・・・」
私の視力がおかしくなったのか。いや、先週の会社の健康診断では両目共に1.5だったじゃないか。
クローゼット内は、空き巣に入られたかのごとく衣装ケースの引き出しは全てバラバラに開き、洋服がくしゃくしゃになってはみ出ている。
「・・・見なかったことにしたい。いや、私は掃除機しか見ていない、そうだ、うん」
結局・・・部屋中掃除し、洗濯し終えた洋服を干し、クローゼット内も泣く泣く片付けた。
もう一度言う。ここは私の部屋じゃない。
「俊樹のアホーーーーーーー!!!」
俊樹とは、上原俊樹。このゴミ部屋の住人。
実は、私の幼馴染である。
怒り心頭で怒鳴った瞬間、タイミングを計ったようにバッグの中から軽快な音が聞こえた。
これはメール音だ。
バッグからスマホを出して、人差し指でタップしていくと。
Sub:終わった?
いつも悪い。今度、飯奢る 俊樹
わなわなとスマホを持つ手が震える。
返信を押し、慣れた手つきでメールの本文を入力。
その時間、約5秒。
Sub:Re:終わった?
高級寿司以外認めん。 諒
こんにちは、またははじめまして。
英 澪と申します。
さくっとさばさば大人の恋愛を綴ってみようかと、行き先不安なまま発進。
どうぞおつきあいお願い致します