インセニア
蟲の森に最も近い街、防蟲砦と言われるインセニアにクトセインはいた。
インセニアは蟲の森から外へ出てくる虫を止める役割を持った都市であると同時に、狩人の拠点である。都市は微妙に傾斜のある高い防壁に囲まれ、防壁の中では人々が活気に溢れる生活をしている。
この街はエルフ達が蟲の森で狩った魔物の素材の売り先であったり、家畜の買い付けをした街でもある。
なぜ、クトセインが蟲の森を出てそんな場所にいるかと言うと、理由は3つある。
1つ目は、蟲の森にいない虫を直接見る。どうせ暇なのだから、なにかあった時の為の手札を増やそうと思っての目的だ。
2つ目は、魔力量の上限を虫系以外の魔物を殺して上げる。共振虫も生き物であるから何時寿命がきてもいいように、最低でも減ってしまう以上の魔力量を増やしておかなければ弱体化しか待っていない。
3つ目は、他の魔境に魔王がいるかの確認。これはついでに近い。魔境はエルフの話を聞けば極地と言って差し違えなく、蟲の森とは違う環境で進化した虫がいる筈である。
自分という蟲の王がいるのだから、他の6種の魔物の王もいても可笑しくはない。もしかしたら敵対するかもしれないので、1つ目と2つ目の目的が優先である。
意外な事に、エルフは誰一人クトセインが森から出るのに反対したり、引き留めたりしなかった。クトセインが居なければ、もしもの際は頼れないのにだ。虫に命じられているのはエルフの村を改め、エルフの里への侵入禁止だけである。もし、命令を受けていない黒蛇百足のような強力な虫の大移動でもあれば、逃げ場のない蟲の森でエルフの大多数は死んでしまう。
しかし、3ヶ月もクトセインは蟲の森を歩きまわっては虫を観察するだけにとどまらずに、ついでに命令も一緒に発していた。それでも、いくらか漏れはいるだろう。そもそも、強力な虫が大繁殖するなど滅多に無いことなので、里を戦えない者だけにでもしなければ大体は対処ができるだけの処理能力をエルフ達は持っている。
そういった理由があったから、クトセインは蟲の森を出ることができたのだ。
街に入るのは思いのほか簡単であった。門は蟲の森のある方向とは真逆に設けられていたので、グルッと回り込む必要があったが、検問などは人の出入りが激しいのをたった1つの出入り口の為になかった。
誰もしないような黒髪と、背負っている大きな袋に変わった服装で奇異な目を向けられようとも止められずに入れた。そのままボウムに教えて貰った鍛冶屋へと足を運ぶ。
狩人は仕事柄よく街と外を行き来する。そして狩人は魔物を相手に命をやりとりをするので、大部分の狩人は荒くれ者と言って差し支えない。そんな狩人を受け入れなければやっていけないインセニアは治安を少しでもよくする為に、唯一の門付近に狩人が利用する狩人組合の支部、宿屋、鍛冶屋といった施設や店を固めさせている。
その中にある大通りから外れた場所に、ボウムから教えて貰った鍛冶屋があった。大通りを外れても人通りは十分にあり、今し方も赤いレンガの壁で黄色い屋根の目的の鍛冶屋に人が入っていく。
「ギル鍛冶屋。ここがボウム達が利用している鍛冶屋か」
自給自足しているエルフ達には、鍛冶技術を持っている者はいない。鍛冶が多くの木を喰い潰すという理由もありそうだが、鉄の代わりに魔物の素材を用いた品を使えるレベルには自作できたからだろう。
しかし、武具になるとそうもいかない。日用品と違って命を預ける武具をてきとうに自作など普通はできない。ましてや、主な狩り場が魔境となれば尚更である。出来るだけ質の良い武具を使いたいと思うのが人情だ。
そんなエルフ達の御眼鏡に適ったのがギル鍛冶屋だ。大通りにあるのだと、店舗が広い分だけ客が多かったりして注文から手元に届くまで時間が掛かりそうなので、なるべく客の少なそうな雰囲気のある店を選んだのだが……
扉を開けて入れば、カラカラと乾いた音が店に入ったのを店内にいる全員に知らせる。店内にいたのは店主であるギルに、カウンターを挟んで狩人と思しき男3人の計4人だけであった。全員が入店者に目を向けたが、すぐに逸らした。
邪魔をしても仕方ないので横目で話が終わるのを待ちつつ、クトセインは壁に立て掛けてある商品を見る。短剣、剣、槍、斧といった刃物系の武器が所狭しと並び上げられている。どれも鈍く光を反射しているので、まるでくすんでいるかのような印象を持たせる。
「オマエさんの番だぞ。その荷物を見る限り、魔物の素材から生産だな」
ガラガラ声の上に、重く低い声なのでギルの声は地の底から響いてくるようである。ギル鍛冶屋の店主であるギルは筋肉隆々のマッチョマンである。なんでそんな事が判るかと言うと、上半身裸であったからだ。
「正解、硬くて強い鎧に短剣が欲しくてね」
武具は狩人として紛れこむ為の偽装だ。身体を虫に変化させれば大抵の魔物に勝てるが、自分という存在を人間に露呈させるリスクをクトセインは負う。折角人間に紛れこめる容姿をしているのだから利用しない手はない。
「黒蛇百足の外骨格で鎧を、袋蜘蛛の牙で短剣を作ってほしい」
背負っていた袋をカウンターに置いて、口を解くと中身を見せる。
「……オマエさん、凄腕の狩人には見えんが」
ギルは疑いの目をクトセインに向ける。
黒蛇百足は蟲の森にしかいない魔物だ。その外骨格を鎧を作れるだけの量を手に入れるなど、凄腕の狩人でも到底不可能である。黒蛇百足は蟲の森の外に出ることもあるが、それは偶にという程度。
袋蜘蛛の牙はそうでもないが、黒蛇百足の外骨格は大量に持ち込むなどよからぬ手段で手に入れたのではないかと勘繰ったのだ。
「強さは魔力で変わる。見た目なんて人間でも魔物でも飾りに等しいモノだ。
出所が心配なのかもしれんが、特にやましい手段で手に入れたモノじゃあない」
外骨格も牙もクトセインは正々堂々と狩って手に入れた物だ。頭を拳でぶち抜いて、完全に動きが止まるまで待つだけの簡単な作業であった。ついでに、ハチミツなども採取してエルフの狩人と取り引きして金もしっかりと用意してある。
「黒蛇百足の鎧は判らんでもないが、袋蜘蛛の牙で作った短剣は感心せんな。
ほとんどの素材が駄目になってしまうぞ」
念押しするようにギルは言った。消化液の生成部分が残っている袋蜘蛛の牙は、魔力を込めれば消化液を生成させることができる。虫系なら使える素材が外骨格ばかりなので大した問題は無いが、骨や肉を必要とする場合は使えない。
消化液を使わなければいい話だが、消化液のあるなしで袋蜘蛛の牙で作った短剣の力は雲泥の差になる。
「解っている。でなければ、わざわざ袋蜘蛛の牙なんて取ってこない」
袋蜘蛛の牙は素材であると同時に、最初に破壊すべき部位として広まっている。消化液は体内に入りさえしなければ無害なので、噛まれて注入されるのを牙を砕いて未然に防ぐためだ。牙は刺すのに特化されているので、砕けば鎧などでも防げるようになるのだ。
「解っているようなら別に口出しはせん。どれ、狩人証の魔具を書きこんでやるからだせ。それと、金の半分は前金として半分渡して貰うぞ」
魔具とは、魔物の素材を用いた武具全般を指す言葉である。
「まだ登録してないんだが……」
狩人証は字の如く狩人である証である。狩人として登録した際に渡される物である。素材だけでも嵩張るので、クトセインは先に武具の発注をしてから登録しにいくつもりであったのだ。
「ハァッ!?魔具は、登録が必要だとの取り決めになっておるのを知らんのか!?」
魔物の素材は鉄より優れている事が多い―――逆に言えば、鉄より優れていなければ使えない―――ので、狩人は狩人証に使う武具を書きこまなければならない決まりになっている。更に付け加えるなら、狩人証に書き込めるだけしか魔物の素材を用いた武具を持てない。
これは魔物の素材で作った武具がとりわけ凶悪な代物であるので、個人が幾つも持っているのを国が危険視しているからである。特に、毒を自己生成できる武器は使い方一つで街をも滅ぼせるので、隠し持っていれば死刑に相当する罪とされている。
「知らん!!」
「胸を張って言うな、若造が!!」
クトセインのほりが浅く、切れ目のどこか若さが抜けない顔を見て20歳位だと思ったギルは怒鳴りつける。ちなみに、ギルは42歳である。
「どうせすぐ近くなんだろ。すぐ登録してくるから、素材をその間だけ預かってくれ。
ああ、言っておくが、中身に手を出すと後悔することになるな」
袋の口を締めながらクトセインはギルに言う。今日知り合ったばかりの相手に荷物を預けるなど、盗んでくださいと言っているようなものだ。店は信用が無ければやっていけないが、それでも貴重な素材が多ければ魔が差すような人物もいるにはいるのだ。
「客の物に手を出すほど切羽詰まっておらんわ。ただし、預かるのはこれっきりだぞ」
信頼できるかを試されている感じたギルは、当たり前の行為で客が1人増えると打算的な思考で了承した。その返事を聞いてからクトセインはギル鍛冶屋を後にした。
――――――
狩人組合インセニア支部。魔境に近く、それに伴って魔物の被害などが多くなるので処理能力を上げる為に自然と本部より大きくなっている建造物である。
酒場もあるので、狩りに成功した狩人から金を巻き上げているのは有名な話である。金を巻き上げられると判っていても、ソレに見合うだけの料理と酒がでるのでなんら問題はないのだが。
「狩人登録ですか?」
1人で入ってきた男性を上から下まで観察してから、見た事の無い人物で受け付けに真っ直ぐ来たので受付嬢は聞く。一番気になったのは、茶色と緑色の斑模様で色付けされているコートらしき服。袖口に近付くにつれて広くなっている袖は邪魔そうに見え、その調整用なのか袖には幾つもベルトが付けられている。
「そう、確か用紙を書けばいいんだろ」
「判っているのでしたら、こちらをどうぞ」
変な服とは思いはしたが、興味の引くデザインではないので受付嬢は用紙と羽ペンとインクを渡す。受け取ったらそのまま書き始めたので、代筆を頼まれなかった彼女は改めて観察した。
黒い髪はおそらく魔法を使って色を付けた物であろうと予想できた。人間の一般的な髪は栗毛であり、茶色っぽい髪色だ。大人で茶髪でないほとんどの場合は後付けの色である。特に、魔法使いは他人との差別化の為か髪の色を変えているのが多い。
「これでいいか?」
目の前の男を魔法使いか疑い出して、すぐに書き込まれた用紙を渡されたので、幾つかある項目の1つである肩書の欄に目が行く。
「……あの、これでよろしいのですか?」
肩書は、剣士や魔法使いといった自分が主に使う得物を明確したのを使うのが普通である。その欄に信じられない記述があったのだ。いくら記載に制限がないとはいえ、これは流石に見過ごせなかった。
だから、まだ乾き切っていないインクに触れないようにしながら、肩書の欄を指差して聞いた。
「間違いはない」
「そう…ですか」
時折、肩書に変な記述をするのがいる。目的はおふざけであったり、虚栄心や自意識過剰からくるのでまともな理由はほとんどない。用紙の記述でクトセインと解った男もその類いと判断して、そのまま肩書に「暗殺者」と記載された用紙の処理を始めるのだった。
よく使われる肩書
剣士
魔法使い
槍使い
弓使い
斧使い
槌使い
戦士
肩書はあくまで自称なので、自分の好きに付けられる