共振虫
「出来てしまった……」
クトセインは1人で遺跡の屋根で膝を着いていた。その理由は、自分の肩に乗っかっているマツムシによく似た虫である。
魔法はイメージと魔力でどうとでもなる。ならば、新しい魔物を創るのも不可能ではないのでは?
そう思って、クトセインは実験と遺跡を離れても連絡を取れる能力を持った虫をイメージしてありったけの魔力を使った。別に失敗してもよかったのだ。遊びも混じって、失敗したら遠距離でも連絡を取り合える方法があるかをエルフに聞こうとさえ考えていた。なのに、成功したのだ。まるで魔力量の上限が減るような錯覚と同時に、魔物創造に……
名前は共振虫、マツムシをベースに考えた離れた仲間と共振して音を送受信できる虫。成功したのは嬉しい誤算であったが、自然にはまず発生しなさそうな能力である。野に放てば生態系にどのような影響を与えるかが未知数すぎる。
逃げる以外に自衛手段を持たないのだから蟲の森ではあっさり絶滅しそうではあるが、自分が創った虫だ。存外、しぶといかもしれない。
「とりあえず、実験といこうか」
クトセインは意地悪そうに嗤うと、共振虫をエルフの村に向かわせるのだった。
――――――
エルフの村には平穏な時間が流れていた。
とりあえず風雨を防げる家は全員分完成し、女性陣には多いに不評だが虫を食卓に並べれば食うには困らない。水もわざわざ水辺の近くに村を作ったのだから心配もない。
ゼムの御蔭で、家畜を蟲の森に安全に運び入れられるようになったので、金策と買い付けが上手くいけば卵や牛乳も手に入るようになる。後は、畑で取れる作物が安定すれば虫が食卓に並ぶことも少しずつ減っていく予定である。
「この虫、なにかしら?」
そんな中で、ある若い女性エルフが共振虫を村の中で発見した。クトセインの命令の御蔭で、村にはカの一匹も入って来ないは女性陣にはかなりの好評で、村から出さえしなければ虫を見つけるなどまずない筈なのだ。命令はその場にいたのしか効果が無いとボウムから聞いていたので、余所から移ってきた虫だろうとあたりをつけた。
「燃やしちゃいましょうか」
強力な魔物でなくただの虫。そんな虫にしか見えない共振虫を彼女は報告すべき事でさえないとして手をかざして放出魔法で燃やそうとした。踏み潰すのは体液で汚れるから嫌、そもそも触るのすら生理的嫌悪感から嫌。そんな理由で燃やし尽くそうとしたのだ。
「燃やすのは関心せんな」
「え…?」
忘れられない声を、燃やそうとした虫が翅を震わせるようにして出した。その普通では起こり得ない現象に彼女は目を丸くして動きを止めた。声真似をする魔物はいたりするが、虫系でそんな魔物がいるなど聞いた事はなかった。
「く、クトセイン様ですか?」
もしや、目の前の虫がる蟲の森の頂点に立つ存在の本体ではないか?と彼女は疑ってしまった。じっくりと姿を見たことがあるが、手足が虫の手足に変化する特異性を持っているのだから完全に虫の姿になるのも十分に考えられた。
(ちょっと待って。もしかして私、やっちゃいけないことやった…?)
クトセインは無駄な殺生を嫌うと全員が聞いた事だ。最低でも、目の前で何かを殺したらそれを利用した事をしなければ殺される危険さえあるとも言い含められたのだ。
みるみる内に、その顔から血の気が失せていく。いくら未遂でも、そうと知らずにクトセインを焼き殺そうとし、更には焼き尽くすつもりだったのだ。良くて自分が死刑、悪くてエルフに何かしらの要求がされてしまう。
「いや、違う。あくまでこの虫を通じて声を送っているのにすぎん。
エルフの誰かは知らんが、この虫をゼムのところに届けてくれんか?」
「っは、はい!よろこんで!」
顔は土気色の上に、冷や汗ダラダラで声を上ずらせているその様子はどう贔屓目に見ても喜んでいる様子ではない。が、声を送受信する共振虫には見えていてもクトセインに届く事はないので、クトセインに緊張していると思われるだけであった。
――――――
「育成状況は良好のようだのう」
「ええ、ですが、実をつける前なのでこれ以上は急成長はさせられませんが」
ゼムは畑を視察していた。エルフの秘術である魔力を植物に送りこんで急成長させる侵植術がしっかりと効いているのかと、長年植物を見てきた経験で病気の予兆がないかと見て回っているのだ。
流石に自分達が食べる物に関しては手を抜く者はいないと思っているが、さぼらないように抜き打ち検査があるというのを意識させる意味合いもある。
「実をつける時にやると、中身がスカスカにしまうからのう」
植物を急成長させる侵植術には欠点があった。急成長させるといった現象の反動として、実などがスカスカになってしまうのだ。
植物からすれば、最低でも種を作らなければならない。エルフからの魔力によってなんとか成長こそできるものの、実に回したり蓄える養分の余裕などないので、種以外はおざなりなってしまう。
その結果、実はスカスカか痩せ細った状態になってしまう。
エルフはなにも植物の一生を見たい訳ではないので、途中で侵植術を止める必要があるのだ。それでも、普通に育てたのと比べると一回りは実が小さかったりする。
「長老! 長老はこちらにおられますか!?」
「ここにおるが。何かあったのか?」
走ってきたからか顔は赤くなっているが、微妙に土気色の顔色なのだ。もしや徘徊性の虫系の魔物が大移動でもして迫っているのではと疑ったが、目の前の彼女以外は慌ててたり、森は騒がしくない。
魔物の襲撃でなければ、ボウムが居ない今代理で指揮している自分のところに来る理由に思い当たるモノはない。クトセインがなにか要求してきたとしても、いつも暇しているから自分で言いに来るであろう。
「ど、どうぞ……」
息を整えているが、まだ肩で息をしている彼女はオズオズと手を差し出す。虫が一匹乗っているだけであった。
「それは俺から説明しよう」
「クトセイン…殿?」
聞こえる声は疑いようのない本人の声。しかし、それを出しているのは虫である。
「言っておくが、この虫は声を届けているだけで俺はいつもの場所にいる」
「そのような事までおできになられるのですか。それなら、この虫は連絡用といったところですかな?」
「そういうことだ。何時何が起きるか判らんからな、その時の為の保険だ。餌はその辺の草でもやっておけばいい。使う時は魔力を分けてやれば声がこっちに届く」
「ほお、便利ですな。ところで、この虫が死んだらどうしたらいいのですか?」
「死んだら……?」
聞かれた事で、初めてクトセインは共振虫の寿命が不明だと気付いた。試しにやったら生まれてしまった虫だ。寿命など特にイメージしなかったし、イメージしたからといってその通りになるとも思っていない。自分の体が虫と人の双方になれるように、明らかに魔法の範疇を超えた事象である。
「弱ってきたり、おかしな行動をするようになったら連絡しろ。そうすれば交換する」
とりあえず、場当たり的な対応をするとクトセインは決めた。寿命は長くて1年くらいで、短くて1週間だろう。そう考えると1週間は遺跡から離れられないので、明日からするつもりであった探検を中止せざるをえなかった。
――――――
共振虫をエルフの村に送りこんで3ヶ月。結局、問題はなにも起きなかった。
共振虫はセミの成虫の如く1週間の命ではなく、1年は生きそうなくらいである。話を聞けば、毎日毎日モシャモシャと草を食べるだけで何も問題がないだとか。
そんな訳で、他の地域に行っていた調査団が合流してエルフの人数が8倍近くになっているのは特に気にせずに、クトセインは蟲の森を探検に精を出していた。
「蟷螂、蠍、飛蝗、鍬形虫、兜虫。どれも強そうであったな」
なにも、クトセインは物見遊山で3ヶ月も蟲の森を探検していたのではない。使えそうな虫の体を知るために直接見て回っていたのだ。
体を虫に変化させるのは、知っている虫でなければならない。そんな制約に気付いたのは、自分が考えた虫の姿になれなかったからだ。魔物創造で作れないことはなさそうであるが、魔力量の上限が減っていくような錯覚が忘れられない。
もし、本当に魔力の上限が減っているのなら、それは自身の弱体化になる。
改めて自分の体を見る。筋肉質とは言い難い体は見るからに力が弱そうであり、身長は177cmのザファと比べるとやや低いので約175cm。黒髪は腰のあたりまで伸びている。顔は水面などを覘く機会もなかったのでわからない。
筋肉質でない体躯で自分より大きな熊に押し勝ったのだ。その力の殆どは、無意識の身体強化によるものと見ていいだろう。ならば魔物創造なんかで減らしていれば、取り返しのつかない事になる。
それに、魔力の上限を減らしてまで創造した虫が強いとは限らない。どの生き物にも言える事だか、進化を重ねていまの形に収まっているのだ。そう、極力無駄を省き、虫の森という環境に最適化させた強力な虫がいるのだ。新しく創造する必要など、共振虫のように特殊な力を持たせなければない。
「さて、そろそろ外に目を向けるのもいいだろう」
嗤いながら、クトセインは蟲の森の外の世界に想いを馳せるのだった。