閑話 竜対水
閑話その1
魔王の集会が開かれる原因となった魔王同士の衝突
竜、それは単体では最強と言われる種族だ。同じ竜系の魔物に分類されるヘビやトカゲとは比べものにならない力を持ち、尚且つ寿命も長い。個体での強さはほとんどの魔物を凌駕し、知恵ある者も多数いる。
だが、竜の知恵ある者は総じて傲慢であった。その傲慢さは、親より受け継がれる力と知恵が他の魔物より多く、他の魔物を餌くらいにしか認識しないからであろう。
そしてそれは、竜の王とて―――生まれ方は違うが―――例外ではなかった。
「我が名はラゴンド!! 竜山脈の魔王にして、竜の王だ!
居るのは判っている! 水の王よ、正々堂々と1対1で勝負だ!」
鱗に覆われた全身。ヘビに似た顔に長い首、口の隙間から除く牙は鋭利であると同時に尖っていて獲物を貫くのを容易く想像させる。見るからに強靭そうな翼と四肢を持ち、足には牙よりも重々しくて肉厚な鋭い爪が生えている。そんな肉体の末端に当たる尻尾は、細めでスラリと伸びているが、先端近くは杭が生えているのではないかと思うほどに太い棘が不規則に生えている。
その姿は、正しく竜であった。だが、その姿を見た者は竜である以前に鱗の色に注目するだろう。
純白の鱗。それが意味するのは、それを持つ者がかなりの高齢だということだ。雪が降る白銀氷土の近くであれば、白という色は保護色として使われるが、それ以外では老化によって色素が無くなった状態だ。
竜は長寿で知られている。その竜が純白の鱗を持っているということは、並ではない時間を生きた証に他ならない。知恵ある者なのは当然として、長年の経験なども持っているのも当然だろう。
最強、その称号が相応しいと思わせるのには十分であった。
「どうしたッ!? 姿を現せ!!」
尚も姿を現さない水の王に、再びラゴンドは声を轟かせる。
竜の王ラゴンドは、自身の魔境である竜山脈の知恵ある者である竜を屈服させ、偶々見つけたドワーフをも支配下に置いてから、位置的には隣り合う魔境である海湖にいるであろう魔王に戦いを挑みに来たのだ。退く気は無い。
海湖は、まるで半円形にえぐり取られたのような海岸である。それだけなら、海湖などという名は付かなかったであろう。名に湖が入っている理由は、その半円形を川としての終着点にしているのが多く、海水を押しのけるほどの淡水が流れ込んでいるからだ。
きっちりと淡水と海水に別れている訳ではないが、淡水だけの部分は確かに存在し、そこは湖と言える。しかし、そこを離れれば間違いなく海だ。海の方が広大であるから、海の中の湖として海湖との名前が付いている。
揺れる水面に水の王らしき影すら見えないので、再び声を轟かせようとラゴンドは息を大きく吸う。
それに呼応するかのように、揺れていた水面から水の柱が迫り上がる。見れば、その中には上半身は人間、下半身は魚の女性がいるではないか。
「そう何度も叫ばなくとも、きっちりアタイに声は届いてるよ」
眠たそうにあくびをしながら、水の王は喋る。
「ならば勝負をしろ!」
「なんでそんなに戦いたいが知らないけど、人様の昼寝を邪魔した報いくらいは受けてもらおうじゃないか!!」
その言葉と同時に、水の柱は崩れ、水の王の輪郭も変わっていく。
下半身は肥大化して魚からタコへと様変わりした。上半身は、蒼い杭のようなモノが次々と生えて両腕以外は棘のようなモノで完全に覆い隠される。隠れていない右腕はカニかエビの鋏のようだが、掴む部分が異様に短く、鋏の付け根から不格好に見えるくらい図太くて頑丈そうである。左腕は巨大な円錐形の貝がくっついたかのような形になる。
それが盛大に水飛沫を上げて水中に潜る。
「唸れ!轟け!焼け!天より降りし閃光を孕む雲よ、膨れよ、集束せよ、無数の力で降り立ち眼下の敵を焼き殺せ!!」
ラゴンドの詠唱によって、ラゴンドの頭上に見るからに危険そうな黒い雲が生まれる。変化はそれだけではなく、ゴロゴロと落雷の前兆の音が巨大な生き物の唸り声のかのように響く。
雲は詠唱が続くに合わせて爆発的に膨れ上がる。そのまま空を埋め尽くさん勢いで広がっていた雲は詠唱が終わると同時に、今度は逆再生を見ているのではないかと錯覚してしまいかねない速度で縮み始める。
そのまま雲とは思えない小さな球体になったかと思えば、
爆ぜた
雷が轟き水中を焼いて、雨の代わりと言わんばかりに水面に降り注ぐ。ラゴンドだけを避けて、雷は敵がいるであろう水面に降り立ち続ける。そこに容赦や、無関係の魔物を巻き込まない様にとの配慮は一切無い。
殺す。そんな明確な殺意が形になって水面を撃ち続ける。優に30秒、雷は水面を打ち続けた。
雷が止んだ水面には、魔物の死骸が幾つも浮かび上がってくる。どれも大型であるが、その中に水の王の姿は無い。
「隠れていては決着はつかんぞ!」
目を凝らして、いつ何時水の王が水中から出てきても対処できるように警戒しているラゴンドは吼える。
相手は水中を好み、こちらは地上もしくは空中を好むのでこうなると解っていたが、やはりもどかしいのだ。もう1回、今度はより数を増やして雷を降らせようと詠唱を紡ごうとした時に目を疑いたくなるソレは起こった。
落雷によって荒れ狂っていた水面が浮き上がったのだ。ただ浮き上がったのではなく、まるで見えない筒にでも水を通したかのように円筒形になってラゴンドを中心にして縦横無尽に奔る。枝分かれしているかと思えば、合流もしていて複雑に絡まっている。それがどんな意味を持つかなど、ラゴンドにはすぐに解った。
「水の道か、小賢しい」
水中でしか行動できない訳ではないだろうが、空中にいるラゴンドと対等に渡り合おうとした水の王の策なのは間違いない。
これで、空中というアドバンテージは失われたに等しい。だが、この状況を維持するのに常に魔力を消費し続けなければならない。持久戦になれば、これはラゴンドにとって有利な状況だ。
「ハハハッ、賢しいかい! お褒めの言葉として受け取っておくよ!」
水の道を駆け巡りながら水の王は笑う。竜に小が付くとしても賢しいと言われるなど滅多に無い事だ。親より受け継ぎし知識には絶対の自信を持っている。それ故に、褒めるとは程遠いが賢しいなどと少しでも認めるような言葉は言わないのだ。
笑いながら、水の道から上半身をだす。杭が一斉に蠢き、ラゴンド目掛けて撃ち出される。
杭は杭珊瑚と呼ばれる魔物だ。サンゴのほとんどは植物のように自分の意志で動かないが、杭珊瑚は違う。魚などの生き物が近付いたら、名前にもなっている杭のような骨格を撃ち出すのだ。これは自身を食べる生き物への防衛行動であると同時に、産卵でもある。その骨格には杭珊瑚の卵がぎっしりと詰まっており、刺さった魚は卵を運ぶことになる。
「小癪!」
「意外と威力はあるはずなんだけどねぇ……」
飛ばした杭はしっぽで簡単に振り払われる。しっぽや生えている棘に傷らしい傷も見当たらなく、ダメージを与えられたかすら疑問に思える。撃ち出した分だけ新しい杭が生えてきているが、水の王は撃つのは止める。
「それじゃ、次の手といこうじゃないか」
なにも攻撃の手段は杭珊瑚だけではない。そうほくそ笑むと、水の王は貝になっている左腕から管を伸ばしてラゴンドに向ける。
管に魔力を込め、ありったけの強化を施す。それだけで、既に装填されているモノを射出する速度は馬鹿にならないものとなる。
「今度は、こいつをくらいなぁ!!」
尚も余裕の表情でいるラゴンドに向かって、管から銛を撃った。速度も馬鹿にならないが、その殺傷能力と、込められている毒も馬鹿にならない。
水の王が左腕にしたのは、イモガイと呼ばれる貝の種類だ。歯舌歯と呼ばれる銛に似た形状のモノを撃ち出すのだ。イモガイであれば程度の差はあるが、必ず毒を持っていて中には過剰とも思える毒を持っているのもいる。
水の王は、その毒を選んでいる。その毒は微量でも自分の10倍はあろう生き物ですらも殺しかねない毒性を持っており、いくら竜とは言えども、受ければ無事では済まない。
「落とせ、迅雷!!」
ラゴンドは、銛に触れるのすら躊躇って咄嗟に雷で撃ち落とした。そうさせたのは本能だ。鱗が純白なのは伊達ではなく、研ぎ澄まされた本能が銛に潜む危険ななにかを察知したのだ。
でなければ、ラゴンドは先ほどと同じようにしっぽで銛を叩き落としていた。
そう、ここにきてようやくラゴンドは水の王に脅威を憶えた。最初から殺すつもりであったが、せいぜい格下を叩き潰すくらいの認識であった。
竜こそ至高、竜こそ最強。長年真理と疑わなかった事柄に、亀裂が奔った。
「そのようなこと、ある筈が無かろう!!!」
自身にそう言い聞かせて、ラゴンドは魔法では確実に葬れないと水の王に直接攻撃を仕掛ける。顎が、爪が、足が、しっぽが、どこに中ろうとも、水の王に大打撃を与えるなど造作もない。
砕き、切り裂き、蹂躙する。そうして来たのだ。それはおそらく変わらないであろう。
「そいつを待ってたんだよ!」
水の王は笑い、下半身のタコを広げて迎撃態勢に入る。骨の無い触手は柔軟な動きと吸盤でラゴンドを捕まえようとする。更には、タコの中心には口がそこから嘴のように見える歯が覗いている。
捕まえて喰らう。そんな明確な目的がはっきりと判るくらいに、どんな役割があるかを見ただけで解らせる。
「その程度か!!」
だが、ラゴンドはそんな簡単には捕まらない。柔軟な動きと引き換えに、触手は非情に切り易い。そんな触手をラゴンドの爪が切り裂けぬ道理も、ラゴンドの顎が食い千切れぬ道理も無い。
8本全ての触手を落とさせるのは、ほんの数秒で十分であった。
「かかった!」
だが、それは水の王にとっては予定通りであった。突如、ラゴンドは前方以外の全方向から圧迫感を感じた。
何が起きたと、目だけを回りに走らせて気付く。水の道が消えていて、体に巻き付いているのはクラゲの触手である。
水の道は、ただの通り道ではなく、半透明のクラゲの触手を隠す隠れ蓑であったのだ。クラゲの触手は見えなくはないが、非常に視認しにくく、日光を反射する水の道ではより顕著になっていた。
最初にラゴンドが魔法が放ち終わってもすぐに攻撃に転じなかったのは、なるべくクラゲの触手を配置する為だ。
クラゲの触手は人間に例えるなら髪のように自分の意志で動かすのが難しく、自分が通った場所か、流れに任せるしかない。だから、攻撃に転じるまでに時間が掛かったのだ。しかし、出た瞬間は配置は完璧ではなく、まだ配置していない場所を通っていた。
「くらいなぁ!!!」
クラゲの触手を引っ張って締め付けをなるべく強くすると同時に、鋏が開いている右腕に今まで水の道を維持するのに使っていた分の集中力で強化を施してラゴンドに押し付ける。
押し付けるのに一拍おいて、金属同士が強烈にぶつかり合ったような音が響くと、ラゴンドが口から血を吐く。
(内臓が逝った…!?)
殴られたのではない。起きた事をいえば、鋏が閉じただけだ。鋏が閉じただけでそんな事は起こりえないと思うかもしれないが、ありえるのだ。鋏を目にも止まらない速度で閉じることで、衝撃波を起こすエビがいるのだ。元の大きさであれば、魚を気絶させるのが精々で竜に大打撃を与えられるモノではない。
しかし、元のよりも何倍もの強度や筋力があるならば話は変わる。射程が短いのさえどうにかすれば、竜に対しても一撃必殺になりうるのだ。
衝撃で、規則正しく羽ばたいていた翼のリズムが崩れる。被害はそれだけではなく、誇りも同然の純白の鱗も衝撃によって何枚も弾け飛び、ラゴンドが感じたように内臓にも深刻なダメージがあり、骨も同様だ。
「おのれぇぇぇ!!」
激高し、クラゲの触手を引き千切ると、支えを失って落ちていく水の王に喰らい付く。喰らい付かれる、そんな致命的な攻撃を避けられないとみると、迷わず右腕を盾にして頭から喰われるのを防ぐ。
「痛ッ……!」
だが、先程の攻撃で水の王も無事ではない。右腕に罅が入っており、そこから体液が漏れ出ている。その罅は、ラゴンドの顎の力で致命的な亀裂へと変貌して崩れた。ほんの一瞬で、盾にした右腕は完全に喰われた。
それでも、ラゴンドの顎は一旦閉じた。すぐさま開くだろうが、今は閉じたのだ。その状態を少しでも長く続かせる為に、水の王は目の前にある顔に向けて杭を撃ち出す。
しっぽで簡単に打ち払ったラゴンドでも、眼球に中ればただでは済まない。瞬膜と呼ばれる眼球を保護する器官で眼球を守り、眼球に杭が中らないように気を付ける。
そんなラゴンドにもう一手、水の王は左腕の管を向ける。撃ち出されるのは、ラゴンドが脅威を感じた毒銛。これには、流石のラゴンドも避けなければならなかった。本能が危機を察知するモノに、おいそれと触れる訳にはいかなかいからだ。
「ッ! 逃げるな!水の王!」
ラゴンドがソレに気付いた時には、既に遅かった。水の王の姿が、水飛沫を上げながら水中へと消えていく。
「おのれ、水の…ック」
悪態をつこうとして、痛みにラゴンドは顔を歪める。水の王から受けた一撃は致命傷一歩手前。今すぐには死なないが、放っておけば近いうちに必ず死ぬ。
飛び続けるのさえ傷口を広げてしまう激しい運動であり、飛び続けなければ水の王との戦いは勝てるか怪しい。例え勝ったとしても、生きていられるかも疑問だ。
それに、水の王の触手を千切ったり、腕を食い千切ったりしたが、致命傷かも疑わしい。内臓のような生命維持に必要な器官は無傷のままで、長期戦になればその時点でラゴンドの死は免れない。
戦い続けるよりも、どこかで傷を癒した方が勝率が高いと判断して、ラゴンドは退いたのだった。
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