他の魔王
「あの、よろしかったのですか…?」
何が何だか解らないうちに、武具を一つ貰えることとなったチェダーの顔と声は困惑に満ちていた。
「なにがだ?」
「ですから、組んでいる訳ではない私に武具をくれるという話です」
料理を奢る程度なら、狩り成功して気の大きくなった狩人がやることはある。しかし、武具になるとそんな軽い気持ちで贈るなど普通はない。
狩人証に刻まれても、未だに信じられない。
「そんな事か。礼ならそっちの2人に言え。
俺が勝手に決めた事に文句を言わなかったからな」
「いやいや、兄貴が決めた事に反対なんてしませんよ」
「狩りは兄貴が全部やったもんですし……」
クトセインが1人で乱棘蟷螂を倒しているのを見ていたので、3人の力関係はだいたい予想できていたチェダーであったが、2人が完全にへりくだっているのを見て確信する。
(この2人はクトセインに逆らえない)
2人とクトセインの間柄は解らないが、それが知れればある程度はやりやすい。
「貴方がたからは恩を受けてばかりですね。ありがとうございます。
しかし、恩を受けてばかりでは申し訳が立ちません。恩返し、と言いますかできるのがそれだけなのですが、もしよければ少しの間組みませんか?」
狩人にとって人手は得難いものだ。望む人材かさておき、いきなり組むのは普通は気が退けてしまう。
だが、恩を返すとかの事情があれば多少は緩和されるというものだ。
そういうのは関係無しに、1人で狩りに出るという危険を回避するという下心もある。
「俺はどっちでもいいが、お前等はどうだ?」
クトセインからすれば恩返しはどうでもいい。
「やっぱ頭数だけでも多い方がいいよな、ジョン」
「その方が心強いもんな」
「それでは決まりだな」
とんとん拍子に決まった事に、チェダーは―――報告しに戻るか、手紙を隊商に預けるかがまだ決めかねているが―――一安心して少しだけ気持ちが軽くなった。
「よろしくお願いします」
――――――
一か月の月日が流れた酒場で、クトセインは少し手伝うとの約束だった筈なのに、すっかりとジャックにジョンと組んでいるのに馴染んでいた。
「兄貴、チェダーは今どうしているんでしょうね」
「知るか」
「いくらなんでも冷たくありません? 4人で一緒に狩りをした仲間じゃありませんか」
「一週間も前に別れただろうが」
クトセイン達は知らないが、チェダーは本部に戻って報告する事に決めたから、一週間前に3人に別れの挨拶をしてインセニアから離れたのだ。
別れ際に「もし戻ってきて来たら、また一緒に酒を飲みましょう」なんて言っていたが、クトセインもそのうちインセニアから離れる予定だったので「インセニアでは、もう会わんかもしれん」と返しておいた。
「ていうか、兄貴も本当にインセニアから出ていくんすか?」
「最初からその予定だったしな」
インセニアに居るのは、食事や武具の扱いといった人のふりに慣れる為なのだ。
3つあった蟲の森から出た目的は、未だにどれ1つとて達成していない。流石にこのまま続けるのはどうかと思ってきたので、そろそろ頃合いかと思い始めたのだ。
「……」
クトセインの髪の一部を変化させてある触覚が、明らかな異物を捉える。人間でも、虫でもないナニカを。
その感覚に従って、クトセインは出入り口に目を向ける。捉えたモノは人間と同程度の大きさで、普通に入ってくるとしたらそこから入っていくるしかない。
入って来たのは、1人の女性であった。
フードで顔が見えなくなるまで目深にかぶり、マントで体のほとんどを隠している。
だが、その豊艶な体つきは隠せておらず、長い布でぐるぐる巻きにしている杖を持った手甲で守られた右腕はマントから出ている。
魔法使いっぽいその女性は付近を一瞥すると、自分を観察していたクトセインと目を合わせる。そのまま、真っ直ぐクトセイン達が占拠している酒場の隅のテーブルまで歩く。
「相席、いいかしら?」
目深にフードをかぶっていても近くで見れば流石に口元くらいは見え、褐色の肌とぷっくりとした女性らしい唇が見える。
「野郎しかいない席でよければ」
「ふふ、じゃあ遠慮なく」
口元だけでも妖艶と感じてしまう微笑みをクトセインに向けながら、女性はクトセインと向き合う位置に座る。
自身に向けられたのではないのに、クトセインを挟むように座っているジャックとジョンは惚けて鼻の下を伸ばす。
「ねぇ、突然で急と解ってるけど、2人っきりで少し話さない?」
直接は見えなくとも、女性の放つ、熱い感情が込められた視線はクトセインを魅了させようとするが、肝心のクトセインはその視線をただ受け取るだけであった。
「奇遇だな、俺もそうしようかと思ってるところだ」
会話だけみればお互いが相手を見初めたかのようだが、それは違った。どちらも、相手を警戒していた。
「ジャックにジョン、そういう訳だから今日は解散だ。あと、ついてくるなよ」
そう言うと、クトセインは席を立ち、女性もそれに続いた。
「兄貴も、男だったんだな……」
「だな……」
ナニかを勘違いした2人は、そんな短い会話を交わしたのだった。
――――――
「ちょっと、レディへの気遣いが足りないんじゃない?」
クトセインと女性は、蟲の森をかなりの速度で駆けていた。
女性は顔こそまだフードに隠れているが、不満を隠そうとせず声音にありありと出ていた。
「人が通るような道が無い事か? それとも速い事か?」
「速いことよ」
魔境なのだから道はあっても獣道―――虫しかいないので、虫道と言うかもしれない―――くらいだと女性は承知している。しかし、速度に関してはもう少しゆっくりでも良いはずだ。
別にヒーヒー言うほど必死になるような速度ではないが、それでも自分勝手に走っている。
「この程度は走れるだろ? それに、もう着いた」
木々ばかりが鬱蒼と茂っていた視界に、家が忽然と姿を現す。
「エルフの里だ」
「へぇ…。ヴィゼルニア近くの民の森に住んでいたって聞いてたけど、こんな場所に移住していたの」
女性は普段通りに過ごしているエルフを物珍しげ眺めながら、クトセインの先導に従ってそのままエルフの里の中心に歩みを進める。
「クトセイン殿、待っておりました」
里の中心にある集会場の入り口で、珍客を連れて来たクトセインをゼムが待っていた。事前に連絡を入れてあったので、準備は既に整っている。
「お帰りの際には一声お掛けください。頼まれていた替えの服が完成しましたので、渡します」
「わかった。それでは、少しの間借りるぞ」
「ええ、また後で……」
「……貴男、エルフを支配しているの?」
集会場に入っての女性の開口一番の言葉は、クトセインとエルフの関係への言及であった。
来る途中でエルフは普段通りの生活をしているようであったが、大人のエルフは皆クトセインを見ると揃って頭を下げていた。
「支配なんざしていない。あいつらは安全に住める場所が欲しかった、俺は服を作ってくれる奴が欲しかった。利害の一致でこうなっているにすぎない」
対等とは流石にクトセインも思っていないが、それでもエルフの好きにさせている。
「まぁ、別にいいわ。私が来たのはそんな理由じゃないし。
自己紹介といきましょう。私は夢幻域の魔王にして夢の王、マデル」
用意されていたテーブルを挟む形で、酒場と同じようにマデルはクトセインと向き合って座り、フードを外しながら、マデルは簡単な自己紹介をした。
「蟲の森の魔王にして蟲の王、クトセインだ」
マデルと名乗った夢の王に合わせて自己紹介し、微妙に男っぽい名前だと思いつつクトセインは明らかになった顔を観察した。
髪は肩に少しかかる程度のストレートの艶やかなな紫色、目はたれ目なのにどこか挑発的な印象を覚える。すれ違えば、10人いれば8人は振り向くような美人であった。
「貴男、私の名前を男っぽいとか思ったでしょ」
「顔に出ていたか?」
「いえ、ピクリとも動いて無かったわよ。腹が立つことに経験則。
体はこれでもかって言うくらいに女性らしいけど、名前は付けさせた奴に問題があってね」
間違い無く人選ミスだったと言いながら、マデルは胸を強調すべく胸を張る。たわわに実った双子の果実が突き出されるが、クトセインはそれに目もくれずに疑問をぶつける。
「そんな事はどうでもいい。夢幻域、他の魔境の魔王と言ったな。なぜ、蟲の森に来た」
「簡単よ、魔王を探しに来たの。簡単に言えば同類探しね。
始めたの竜山脈の魔王にして竜の王のラゴンドって奴なんだけど、どの魔物より竜が優れていると証明する為に、自分という魔王がいるんだから他にも魔王がいると仮定して他の魔王を探して倒そうとしたのよ」
「迷惑な話だな」
他の魔境に行って魔王を探そうというのはクトセインも考えた事はあったが、初っ端から他の魔王と敵対しようとは考えなかった。それでも、敵対の意思を見せたら殺せるうちに殺そうとはしただろうが。
「迷惑な話、そうね。だけど、どうにも魔王はほぼ同じくらいの力を持っているみたいなのよね。だから貴男が魔王ってのも解った。
だからラゴンドは喧嘩を売った隣の魔境の魔王、海湖の魔王にして水の王のラウェティに引き分けた。
実際は地形が有利でラウェティが勝ちそうだったけど、ラゴントは逃げたらしい。
そんなことがあって、プライドの高い竜であっても流石に殺し合うなんて選択は止めた。だって他の魔王と組まれたら、絶対に勝てないと判ったのだもの。
代わりに、とりあえず魔王全員で一堂に会そうって事にした。お互いに牽制して、暴走する馬鹿を出さないようにする為らしいわよ」
「魔王の集会か……」
話としては最初と最後だけが肝心であった。
「まあ、他の魔王に興味もあるから行くか」
どうせ他の魔境にも足を運ぼうと思っていたのだ。その場所の責任者と先に顔を合わせておけば、色々と都合がいいだろうと即決した。
「そう言ってくれて嬉しいわ。もし承諾しなかったら、明日あたりに合流する他の魔王と一緒に貴男を拘束してでも連れ行く予定だったから」
サラリと物騒な事をマデルが言ったが、クトセインは聞き流した。どうせ回避されたことであるし、もう無意味なことだ。
「つまり、明日にはここを離れなければならないのか」
「そういうこと。酒場で一緒にいたのと別れの挨拶をするなら、すぐにでも行った方がいいわよ」
「……そうだな」
別れの挨拶、もしくは別れの手紙くらいはやっておこうと、クトセインは席をたつ。
「その間、私はエルフの里を見学してるから」
「変な気は起こすなよ」
僅かばかりの警告をすると、クトセインはインセニアにとんぼ返りをするのだった。
――――――
クトセインがエルフの里に戻ってきたら、虫が蜜に群がっていた。
勿論、物理的ではなく、まるで女王アリを世話をする働きアリのような図である。
誰が用意したか知らないが、マデルは王座のように大きな椅子に腰かけて果物を食べている。その恰好が問題であった。
着ていて邪魔だと思っていたのかマントは脱いでおり、マント越しでも膨らみが確認できた胸がまだ服に隠れているとはいえ、その形まで確認できるようになっていた。
服は露出は少ないのだが、体の輪郭をほとんど浮彫にしており、男なら2度見は思わずしてしまいそうである。露出が少ないのに、逆に色気が出ているマデルにエルフの男性は魅了されているようであった。
「あら、お帰りなさい」
吸うようにブドウを食べながら、すぐに戻ってきたクトセインを一瞥するとマデルは新しい果物に手を伸ばす。
「ここは良いわね。夢幻域なら妖精がいるけど、あいつらはいつも何を考えてるか判らないもの。
やっぱり、このくらい判りやすいほうがいいわ」
恋人や妻がいるエルフは自重して家に引きこもるか、その恋人か妻に家に押し込まれている。が、いうなればあぶれ者は自由にしている。
そのあぶれ者に思い人がいるのか、少なくない女性エルフがマデルに嫉妬の眼差しを向けている。
「馬鹿やってないで、ここを出るぞ。いつまでも居たら迷惑だからな」
手を叩いてエルフに解散を促しながら、呆れた口調でクトセインはマデルに言い聞かせる。
「いいじゃない、もう少しくらい」
「殺し合いたいなら、話は別だが?」
「……判ったわよ」
剣呑な雰囲気で冗談や単なる脅しではないと察したマデルは、しぶしぶといった様子でマントを着て果物を2、3個手に取るとクトセインの先導に従う。
「騒がしたな」
主に女性エルフに言うと、クトセインは遺跡を目指して駆け出す。
「ちょっと! 速く行かないでよ!」
文句を言いながら、駆け出したクトセインに追い付くべくマデルも駆け出すのだった。




