表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王で蟲の王  作者: カナリヤ
蟲の森編
15/49

歪みの増幅

 腐敗とは、基本的にはナマモノが微生物や細菌によって分解される現象を指す。生態系においては生物遺骸を無機物に還元するという不可欠な物質循環過程の一部なのだが、蟲の森では珍しい現象であった。


 腐敗と言う現象自体は、生物が死んだ瞬間から起きていると考えれば普通にある。が、目に見えて腐っているモノを見れる機会は少ない。外骨格以外は、腐る前に食べられてしまう場合がほとんどだからだ。


 肉食の虫からすればどんな強大な虫であろうとも、死んでしまえば餌でしかない。虫が犇めき合う位にいるので、死骸があれば瞬く間にとまではいかないが、腐敗するような食べられる部分は食い尽されてしまう。


「で、アレはどうするんだ?」


「うッ……」


 漂ってくる腐敗臭に、ミーネは顔を歪めて鼻を押さえる。

 羽化洞窟の前に放置されていた袋蜘蛛と魔吸潜蜂の幼虫の死骸は、一晩で見事に腐っていた。

 量が多かったのとあまり食欲がなかったミーネは、袋蜘蛛と魔吸潜蜂の幼虫のほとんどを放置して眠りに就いた。クトセインは喰おうと思えば喰えたが、ミーネは朝食にでもするつもりだろうと思って、虫に近付くなと命令しておいた領域内に入れただけで特に何もしなかった。


 その結果、腐敗していた。防腐処理など一切しないでまとめて置いておいたのと、魔吸潜蜂の幼虫が腐りやすかった影響であろう。袋蜘蛛の死骸まで微生物や細菌が移ったのか異臭を放つ汚物となっていた。


「朝食にするか?」


「…その、食べられるんですか、アレ?」


 腐敗していても、一応は食べられるのだ。腐っている物を食べると食中毒を起こすのは微生物や細菌ではなく、微生物や細菌が分解の際に出す毒性物質である。毒性物質を微生物や細菌が作っているのだから、原因と言っても差し支えないのだが。


「アレを食べ物と断言出来たら尊敬はするな。……そうは成りたくはないがな。

 まあ、ああなっても喰う虫はいる。未練がなければ、臭いが移ると嫌だからすぐに処分させる」


 生き物には、特に虫には偏食や悪食がいる。尤も、元となる種類の多さから、相対的に多く感じるだけかもしれない。だが、腐敗が進んでいる肉だけを喰らう偏食すぎる虫さえ実際にいる。


「……」


 意地悪で食べるのか聞いたのではないかと邪推してしまったが、ミーネはすぐさまその考えを振り払った。どの行動も悪意も善意も混ざってないと感じられてきたし、それは今後もきっと変わらないだろう。


「アレに未練なんてありません」


 復讐に掛ける感情では、大きな違いがあるなど解っているつもりである。

 それでも、力をくれるなら

 復讐を果たせるように成れるようなら、それで良いと思ったのだ。


「なら、アレは蟲に勝手に処分させよう。

 それでは、今日もやるべきことをやろうか」


「はい」


 強くなる。そう成る為だけの1日が始まったのだ。


「まずは、飲み水の確保だな」


 だが、ミーネとクトセインでは何を最優先にするかがちょっとだけズレてた。


(……そういえば、昨日から水を一滴も飲んでいない)


 「飲み水」で昨日の昼間から水を飲んでいないことを思い出すと、喉の渇きに意識がいく。


 飲み水なら放出魔法で事足りる。しかし、水浴びとなるとどうしても魔力量が不安になる。ましてや、まだ一日が始まったばかりである。それに、なにを食べるにしても、火を起こせるだけの魔力は残しておかなければならない。

そうであっても、水浴びをして体を清めるのも女性として抗いがたい魅力がある。昨日は彼がよく褒めてくれた髪になんの手入れもできなかった。


「その、できれば水浴びもできる場所に案内してくれないでしょうか…?」


「安心しろ、ここから一番近い水源は普通の川だ」


 一眠りして、身嗜みを整えたいと考えられる余裕が戻っている言葉に薄笑いを浮かべ、近くの小川へと先導するのだった。


――――――


 覗かないようにくどい位に言われたクトセインは、大人しく木を背にして座りこんでいた。言われずとも、覗く気など最初からない。


(次はナニを付加するのが効率が良くなる?)


 ミーネが水浴びと水分補給をしている間に、次に付加するものを考えていた。


(必殺も可能な牙はくれてやった。次に必要そうなのは、捕まえる方法か)


 殺すだけなら牙だけでいい。ならば、次に必要となるのは捕まえる方法だ。

 まだ見ぬエルフ殺しを捕まえるのは、一筋縄ではいかないと考えておくべきだ。駆けだしか、中堅か、熟練かさえ解らない相手だ。


 ソレを捕まえるのには、足が速ければいいという訳にはいかない。やはり、相手の意表をつくモノが欲しいところだ。


(付加するだけで一番効果が上がるのはなんだ?

 蟷螂の鎌か? 蜘蛛の糸か? 麻痺毒を持つ毒針か?)


 選択肢だけなら幸か不幸か多くあった。問題はどれも確実ではなく、複数付けるとごちゃごちゃとして逆に使い難くなりそうなことだ。狩りに絶対は無いとはいえ、確率は可能な限り、欲を言えばほぼ成功すると言えるところまでいかせたい。


 更に達成を難しくする条件ではあるが、できれば、狩りはミーネ1人で達成させたくもあった。本人が何より望んでいそうな事というのもあるが、状況によっては手出しができないかもしれない。


(それとも、気配の消し方でも習得させたほうが良いか?)


 気配を消せれば、虫を付加しないで捕獲の確率を上げられる。しかし、教わる方と教える方の双方に問題があった。


 教わる方の問題は、一朝一夕で完全にモノにできる技術ではない。ミーネの才能にもよるが、何日も掛かりっきりになってようやくマシになるといった具合と考えていいだろう。


 教える方の問題は、クトセインがモノを教えるのに慣れていないのと、指を動かすかのように初めからできた事を上手く表せないからだ。習得した技術なら、まともに教えられただろうが残念ながらそうではない。


(…兎にも角にも、どれだけ強化されたかによるか)


 袋蜘蛛と魔吸潜蜂の幼虫を殺したのだから、魔力は増え、それに伴って身体能力も強化されている。復讐を遂げられる程は強化されていないだろうが、生きていくのには十分かもしれない。


 尤も、「必要が無ければ、それ以上に虫の体を増やさん」そう言った手前、必要になると解っていてもすぐに増やそうと考えるのは少々哀れというものだ。

長々と水浴びをしているミーネに合わせてしていた思案を打ち切って立ち上がる。


「……あの、やっぱり覗いていました?」


 傍までやって来たらあまりにもぴったりなタイミングでクトセインが立ちあがったので、チラチラとでも自分の裸体を見られていたのではないか。そう思うと急に恥ずかしくなって腕で胸を隠す。既に服を着ているから無意味だが、気持ちの問題である。


「若いエルフと一緒にするな。わざわざ、川の反対側に覗き用の安全地帯を土下座してまで懇願するエルフとはな」


「え……」


 いきなりの暴露にミーネは固まってしまった。

 里では水の供給は完全に川頼みだ。水浴びをしようと思ったら、川の水を使うしかない。幸いにも温暖な気候なので、川でそのまま水浴びを楽しめる。

 水浴びをする際には間違いが起こったりしないように、しっかりと男女別されている。しかし、覗きをしようとする不届き者はいる。定住したての頃などよく女の狩人によって捕まえられ、袋叩きにされる輩がいた。それも今は無くなっている。女性陣は馬鹿な男共は骨身に沁みてやらなくなったと思っていた。


 が、事実は違った。覗きがバレたのは身を隠せる場所が少なく、その身を隠せる場所も警戒されていたからだ。そう結論を出した1人が、蟲の森を歩き回っていたクトセインの元に執念だけで辿り着き、土下座してまでも安全地帯を川の反対側に作ってほしいと頼み込んだのだ。


 そんな事の為だけに、何処に居るかも判らない自分を探しだしたのには呆れ果てて、諌めようとも思えなかった。欲望丸出しで逆に清々しい位であったので、隠れられる人数がたった数人だけの安全地帯を作ってやった。精々争って自滅しろとの思いながら。


「おっと、コレはまだ秘密であったな。誰にも言うなよ」


 しかし、思いのほか上手くやっていた。1人だけの秘密にしているかは知らないが、少なくとも誰かと争って事を露見させるというへまはやっていないようであった。


「さて、無駄話はここまでだ。こうダラダラとやっていたら、何もできずに今日が終わってしまう」


 見事な土下座っぷりを思い出して笑っていたクトセインにミーネは色々と言いたかったが、協力してもらっている手前言い難いので、言葉を飲み込むのだった。


――――――


「だらしないな」


 水浴びから2時間、その時間でへばってし座り込んだミーネをクトセインは哀れみの目で見ていた。

 へばった原因は空腹であった。昨日から固形物を胃に入れていなかったので、胃の中は空っぽになっている。


「いい加減ふっ切れたらどうだ? そうすればここは食糧の宝庫になるというのに……」


 思ってたより、こいつめんどくさい。口にこそ出さないが、クトセインの目はしっかりとその感情を映し出していた。


「虫はあまり食べたくありません……」


 ミーネは虫はあまり食べたくないと我が儘を言っていたのだ。


「それに、私が捕まえられる虫だとどれだけ必要だと思っているんですか。それに、私には硬すぎるのが多いんです」


「……そうだな」


 虫など石を引っ繰り返したり、草むらを漁れば結構いるが、どれも小型なものになる。大きさが強さに直結している場合がほとんどなので、一匹で量的には十分なのは危険な魔物となる。それに加えて、外骨格が硬くなる傾向にあるので、捌くのに向いていないのだ。そのまま齧れるクトセインの方が異常である。


「鳥蜘蛛ならどうだ? 量もあるし、軟らかい方だ」


 鳥蜘蛛は小鳥をよく食べる魔物である。基本的にただ大きい蜘蛛というだけで、見た目さえ気にしなければ比較的簡単に狩れる魔物である。


「アレをですか?」


 ちょうど頭上で巣を張り直している鳥蜘蛛を指差す。保護色となっている茶色と緑色の斑模様は、パンや野菜なら兎も角、虫の色合いでは少なくとも食欲が湧くものではない。それとは別に、ミーネは生理的に虫を食べたくはないのだが。


「私に、捕まえられるでしょうか?」


「今のままでは無理かもな」


 鳥蜘蛛は襲われたら、一目散に逃げる。木の高い位置に巣を張っているのは、名前の由来にもなっている捕食対象である小鳥を捕まえる為であると同時に、外敵に襲われる可能性を低くするためだ。


 大きさの割には弱い鳥蜘蛛は、他の魔物の格好の獲物となっている。外敵に対抗する手段を持たない鳥蜘蛛は、逃げる以外に自らを守れないのだ。それに、巣など張り直そうと思えば何処にでも張り直せるので、未練もなく捨てられるのだ。


 そんな木の高い位置にいる鳥蜘蛛を捕まえようとするなら、矢で落とすなどが定石になっている。近付かずに殺す。それが安全かつ確実な方法であった。

 しかし、ミーネにはその方法は取れない。弓矢など持っていないし、放出魔法では威力が心許無い。頑張れば放出魔法で仕留められなくはないが、離れている鳥蜘蛛に炎による熱攻撃はしにくく、土を固めて飛ばすのも威力が出しにくい上に中てにくいといった具合である。


「無理なら、相応の事をするだけだ」


 虫を付加する、そうするだけでできない事もできるように成る。


「捕まえられないかやってみます」


 これ以上体を変えたくないミーネは、それ以上言わせまいと早口で言いきるととりあえず巣が張られている木の根元にいく。

 見上げても鳥蜘蛛は下から狙われているなど露知らずに、せっせと巣を張り直す作業をしている。


 木はすらっと伸びていて凹凸が少なくツルツルしていて、登るのには適していない。決して登れない訳ではないが、普通に登ったら逃げられるのが目に見えている。


(一気に駆け上がる!)


 選んだ方法は、木の幹を踏ん付けて駆け上がるといったモノであった。

 普通であれば無謀な行為である。しかし、ミーネはソレを狩人のエルフが子供達を喜ばす曲芸としてやっていたのを見たことがあった。


 魔物を狩って身体能力の底上げをしたとの前提が必要だが、木を駆け上がるのは不可能ではないのだ。

 助走の為に木から少し離れ、呼吸を整える。

 まずは助走の一歩。自分でも驚くほどに力強く地面を踏みしめる。


(いける!)


 ようやく感じた強化された自分の力にミーネは自信を持って、2歩目に入る。むき出しの地面の表面を削り、更にミーネを加速させる。

 木が目前に迫り、やや気後れこそしたがミーネはほとんど勢いを殺さずに木に足を掛ける。

 登る。その瞬間……ズルッ


「あ……」


 一瞬の浮遊感。その一瞬は引き延ばされて、ミーネには数秒に感じられた。

 木漏れ日が昼に近いのもあって眩しく葉を照らす。風も無いのに枝が揺れるなどして落ちる木の葉。そして、嘲笑うかのようにこちらを見ている鳥蜘蛛……


「……けたな」


 ミーネは足を滑らせて落ちたのだ。


「……」


 木に足を掛けた最初の一歩とのことで、落ちた高さなどほんとに低い。それでも、ミーネはすぐに立てなかった。


(失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した)


 たかが一回失敗しただけだが、ソレを理由に体に虫を付加させられる。その恐怖から、起き上がれなかった。

 虫を付加されるのに恐怖を感じるのは、痛いのが嫌だとかそんなモノではない。

 付加された部分が、まるで、初めからそうであったかのように動かせるのが怖いのだ。

 そう、初めから、虫であったように……

 ミーネと言うエルフなど虚像でしかなく、もっと別のナニカなのではないのかと……


「いつまで座っている、とっとと立て」


 すぐに立たないミーネを不審に思って顔を覗き込むと、ミーネは急いで顔を背けてしまった。


「お前、本当に復讐するつもりあるのか?」


 生きて行くのに必要な食事を選り好みして我が儘を言い、ちょっと失敗したらなぜか立ち上がらない。クトセインの目には到底やる気があるようには見えない。


「あります……」


 蚊の鳴くようなか細い声での返事。恐怖に圧迫されたミーネがようやく絞り出したのは一言であった。


「それでその体たらくか」


 ミーネに合わせるのは時間の無駄と悟ったクトセインは嗤った。

 口先だけではないが、それでもくだらない奴に少しでも合わせようと考えていた自分の馬鹿さ加減が嗤えたのだ。そして、自分がこれらからやるべき事がわかった。


(合わせるなんて馬鹿馬鹿しい。全部こっちの都合に合わさせた方が早い)


「ヒィッ!!!」


 クトセインの心境の変化を肌で感じ取り、見覚えのある笑みを浮かべられたミーネは背筋を凍らせた。

 その笑みは、自分に虫を付加した時の笑みなのだから。


 何をされるか笑みだけで理解したミーネは逃げ出したかった。しかし、自分では絶対に逃げ切れないとも解っていた。

 絶対に逃げ切れないと解っていて、逃げたら何をされるかが判らない恐怖がミーネを縛り付けて動けなくする。


 カサカサと虫が歩く音が聞こえた。このタイミングで聞けば、クトセインが自分に付加する虫を呼び寄せたのだろうと判ってしまった。


「今度は、こいつをお前の一部にする」


 クトセインがよく見えるように眼前に虫を近付けた所で、ミーネは意識を手放した。

 ミーネは逃げ出す度胸も無ければ、変えられる現実を直視し続ける度胸も無かったのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ